フィリピン-日本国際結婚

─移住と多文化共生

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佐竹眞明/メアリー・アンジェリン・ダアノイ著
定価2500円+税
A5判上製・176ページ/2006年初版
ISBN4-8396-0196-8 C0036 Y2500E
●書評

 出稼ぎ、農村花嫁、国際結婚、共生…自らの体験をもとにフィリピンと日本の関係を問い直す。

【目次】

第1章 フィリピン女性による日本への出稼ぎ
T.「海外芸能アーティスト」としての来日
 @買春観光 A日本への出稼ぎへ
U.「興行」による来日
 @現状 A規定と実態との格差
V.OPAをめぐる事件と政府の対応
 @マリクリス・シオソン事件など  A政府などの対応
W.フィリピンの海外出稼ぎ事情
 @概況 A国家政策 B経済社会的背景
第2章 フィリピン・日本国際結婚
T.日本の国際結婚
 @推移と現状  A外国人女性との結婚  B外国人男性との結婚  C離婚
U.フィリピンにおける国際結婚
 @概況と推移  A南北問題的構造
V.日本男性−フィリピン女性カップル
 @日本人男性の横顔  A出会う経緯   Bフィリピン女性の横顔
第3章 農村花嫁:業者仲介による結婚
T.それは山形から始まった
U.徳島でも
 @いきさつ A結婚後 Bフィリピン女性の社会活動 C東祖谷の現在
V.行政と結婚業者
 @行政不介入へ A「メール・オーダー・ブライド」禁止とその影響 B行政のケア
W.「農村花嫁」を振り返る
 @なぜフィリピンだったか A行政の仲介 B家の存続と「嫁」
第4章 日本社会におけるフィリピン女性:固定観念を崩す
はじめに:フィリピン女性に関する固定的イメージ
T.フィリピーナ「ジャパゆき」エンターテイナー
 @3つの論点 A「ジャパゆき」イメージに対するフィリピン女性の反応
U.伝統的社会とフィリピン人花嫁
 @フィリピン人花嫁 A村を出た花嫁 B村に残る花嫁 C他の花嫁の苦闘
V.「ジャパゆき」「花嫁」イメージに対する抵抗
 @抗議活動 A文化的表現と教育 B情愛の深い女性たち
第5章 異文化間結婚と日本男性
T.周囲の反応
U.結婚後の生活
 @言葉 A家族形態とフィリピンの親戚
V.日本人の夫:生活世界・視野の広がり
 @異文化体験   A多文化共生の視点
W.夫婦関係とジェンダー
 @フィリピン女性側の要因  A男性側の要因
X.定年後をフィリピンで
第6章 日本を第二の故郷に:多文化共生を求めるフィリピン女性
T.地域経済におけるフィリピン女性
U.異文化にまたがるアイデンティティ
 @文化を学ぶ:日本語の学習  A文化を伝える B子どもの名前とアイデンティテ
V.ネットワーキングと社会的活動
 @地方自治体や裁判所との協同  Aフィリピン人研修生への支援
W.日本を第二の故郷に
終 章 レチョン、バンブーダンス、ごちゃごちゃ:異文化接触・多文化共生
T.レチョンと人々の生活
U.バンブーダンスと多文化共生
V.「ごちゃごちゃして、きたない」から、「今度、いつフィリピンへ」 

【著者紹介】

佐竹眞明 さたけ・まさあき
1957年 東京都生まれ 80年中央大学法学部法律学科卒業 89年上智大学大学院外国語学研究科国際関係論専攻博士後期課程修了。
89年四国学院大学文学部社会学科専任講師、90年同助教授、92年学部改組に伴い社会学部応用社会学科助教授、98年教授。2005年、名古屋学院大学外国語学部国際文化協力学科、教授。
1987年9月〜89年3月、97年8月〜98年7月、フィリピン共和国、アテネオ・デ・マニラ大学フィリピン文化研究所の客員研究員。97年上智大学より国際関係論博士号取得。88年留学中ダアノイと知り合い、90年結婚。
(著書)『フィリピンの地場産業ともうひとつの発展論 鍛冶屋と魚醤』明石書店. 1998.
People's Economy: Philippine Community-based Industries and Alternative Development. Solidaridad Publishing House: Manila and Literary Society, Shikoku Gakuin University: Kagawa. 2003.
(翻訳書)エリザベス・ウイ・エヴィオータ『ジェンダーの政治経済学――フィリピンにおける女性と性的分業』(稲垣紀代氏との共訳). 明石書店. 2000.

メアリー・アンジェリン・ダアノイ Mary Angeline Da-anoy
1985年フィリピン共和国西ネグロス州バコロド市、セント・ラサール大学卒業。心理学専攻。卒業後、同大学社会調査センター調査助手、調査研究員。88年、ウィンロック国際財団の奨学生となり、アテネオ・デ・マニラ大学大学院修士課程社会学専攻で学ぶ。同年、佐竹眞明と知り合い、90年結婚。95年、同修士号取得。
91年4月〜2002年3月、四国学院大学教養部、文学部英文学科非常勤講師。フィリピンの宗教・文化、および英語を教える。
(著書)Sugar Industry Workers and Insurgency: The Case of Victorias-Manapla, Seacrest Foundation. Nalco Press, Inc.: Bacolod City. Philippines. 2001.
(論文)"Beyond the Borders of Domestication: Filipina Diaspora in Hong Kong and Taiwan," Treatises(『論集』). No. 105. pp. 47-89. Shikoku Gakuin University. 2001.

【はじめにより】

 さぬき富士、飯(いい)野山(のやま)をのぞむ土器川(どきがわ)生物公園。春はドジョウ、フナ、ザリガニ、夏はホタル、秋はトンボ、河川敷には自然があふれる。サイクリング・コースもあり、広々した芝生の野原では、夕方や土日、家族連れがボール投げや犬の散歩を楽しみにくる。そして、野原にぽつんと立つ大きな広葉樹。春から初秋にかけて、心地よい木陰をつくってくれる。バーベキューをするのにちょうどよい。
 日本人のお父さん、フィリピン人のお母さん、その子どもたち、地元の造船工場で働くフィリピン人男性研修生たちも、よくそこに集まっては、野外パーティをする。10組くらいの家族が子どもの誕生日祝いをかねて、食べ物、飲み物を持ち寄る。ビア、チューハイ、そして、フィリピン人が大好きなコーラが欠かせない。30代前半のフィリピン人研修生たちは炭をおこし、レチョン・マノック(鶏の丸焼き)や肉を焼く。フィリピンでのパーティのように豚の丸焼き(レチョン・バボイ)こそ出ないが、豚の頭が焼かれることはある。向こうのお祝いならば、民族舞踊バンブーダンスも飛び出しただろう。かわりに、フィリピン女性たちは「オッチョ・オッチョ」とか、「スパゲッティ」という母国で流行っているダンスを披露する。

 パーティ(salu-saluサルサル)に来ると、まるでフィリピンにいるような気分になる。彼女や彼らにとって、「日本のことは忘れて、今を楽しもう」というのが原則。日本人の友達や来客、子ども、夫を除いて、公園にいる日本人にとっては、こわい雰囲気を与えているかもしれない。声は大きいし、歌も歌う。日本国内とは思えない外人の異次元空間をつくっているのだから。だが、フィリピン人たちにとっては、この時間、空間こそは自分のものという感覚がある。
 フィリピン女性たちはそれぞれ、お気に入りの服装に身を包み、髪型、アクセサリーも好みのまま、他の人とは違うんだ、自分のアイデンティティを主張する。日常の規範から自由になり、お互いの無礼を許す。テレビドラマを見る時のように、うるさい舅、姑が登場する毎日の生活ドラマから、自らを解き放ち、ビアやレチョンなどフィリピン料理を楽しむ。自分や家族が一番いい姿を見せ、フィリピン人としてのアイデンティティを改めて確認するのである。
 女性たちは宝石、ブランド・バッグ、車、母国の家の写真も見せ合う。自分たちが一生懸命働いている明かしなのだ。そして、派手なパーティが終わると、単純で複雑な日常生活へ逆戻り。日本の料理も作って食べるけれど、日本でも買えるフィリピンの干し魚(トゥヨ)、子エビ・魚の塩辛(バゴオン)、いわしの缶詰を食べながら、工場やパブの仕事を続けていく。
 日本人の夫たちは一角に陣取り、ビアとつまみ(プルタン)片手に、フィリピンの経験やフィリピン女性について、話す。やれ、妻の実家がビコールやビサヤ、ミンダナオにあり、マニラから遠くて、もどるのが大変だとか、フィリピンに建てた家がどこにあり、誰が住んでいるか、いくらかかったかとか。それから、マニラの空港で税関職員がチップを求めるので、困るという話も出てくる。話は食文化に飛んで、孵化寸前のアヒルの卵をゆでたバルッ、バゴオンや魚醤油パティスは平気で食べられるか、などと話がすすむ。それから、向こうでにぎやかにやっている妻たちを横目で見て、フィリピン女性はなんで、あんなに陽気なんでしょうな、それに、カミさんは強いな、と意見がまとまる。似たような、あるいは異なった体験、意見を聞きながら、自分の経験、考えと重ね合わせていく。フィリピン人を妻に持つ男たちの奇妙な連帯感が感じられる。
 そして、父親が日本人、母親がフィリピン人というダブルの子どもたちも元気に、遊びまわる。日常的にお母さんたちが付き合うから、子どもたちもお互い、よく知った仲だ。
 そして、造船工場で働き、3年で帰っていくフィリピン人研修生にとって、日本で長く生活するフィリピン女性たちは大切な存在である。彼女らが会社で通訳したり、労働・生活相談に乗ってくれる。逆に、休日、彼らは左官作業をして、彼女らの家のブロック塀を直したり、駐車場をつくったりする。日本人の夫ともビアを酌み交わす仲になっている。

 フィリピン女性と日本人男性との結婚が日本で増えてきた。この本で私たちは、こうした国際結婚をめぐる様々な側面を取り上げてみた。第1章では増加の背景として、日本へのフィリピン女性の移民労働まで遡り、第2章では日比結婚の概況や実情、第3章ではフィリピン人「農村花嫁」の問題を検討してみた。次いで第4章では「ジャパゆき」「花嫁」という在日フィリピン女性に対するイメージを検証した上、日本で生活する様々なフィリピン女性を紹介し、そうしたイメージが偏っているのではないかということを論じた。第5章ではフィリピン女性と結婚した日本人男性に焦点を当て、異文化体験や妻とのやり取りを通じて、彼らが視野を広げたり、生き方を見直すようになる過程を明らかにしようとした。第6章では、フィリピン女性による地域経済・社会への貢献、子どもの教育、文化の継承、ネットワーク活動などを紹介し、日本における定住と多文化共生について考えてみた。最終章はエッセイ風に、フィリピン・ネグロスと日本における経験を振り返り、異なった文化を体験し、理解することの大切さ、ひいては多文化共生の大切さを記してみた。
 なお、多文化共生というのは異なった文化的背景を持つ人々と公平、平等にともに生きるという原理である。日本社会で外国人が増える中で、この視点が大切になってきた。フィリピン-日本国際結婚によって、フィリピン女性が数多く日本に移り住むようになった。そこで多文化共生について、もっと考えてみたいと思った。
             

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