明日を紡ぐラオスの女性

――暮らしの実態と変化のゆくえ

photo
風野寿美子
定価2500円+税
A5判・上製・164ページ
ISBN978-4-8396-0209-3 C0030

【関連書】ラオスは戦場だった 夫婦で暮らしたラオス  ラオス概説 メコンに死す

 観光でも学術研究でも人気急上昇のラオス。家族制度、女性労働など、女性の生き方に焦点を当てたユニークなラオス紹介です。現地体験と綿密な文献研究から新たなラオス像が浮かび上がってきます。


【著者略歴】
風野 寿美子(カゼノ スミコ)
英国ハル大学経済社会史学部大学院修了。2002年よりラオスを毎年訪れ、ラオスの女性に焦点を絞った調査・研究を続けている。


【目次】
第1章 ホアパン県サルイ村にて
1. 村の暮らし
2. 増える商い
3. 村長の日常
4. 教育の現状
5. 仏教とラオ化
6. 変わりゆく村

第2章 女の支配領域、市場にて
1. 重荷は女性が背負う
2. 市場散策

第3章 民族構成・日常生活
1. 居住地の高低による民族分類
2. 民族・言語学的分類
3. 居住地域の分け方
4. 日常生活

第4章 歴史的背景
1. ラーンサーン王国
2. フランスによる植民地化
3. ラオス独立運動
4. ラオス内戦
5. 革命: ラオス人民民主共和国の成立
6. 終わりなき内戦の悲劇
7. ラオス女性同盟

第5章 家族制度・出産
1. ラオスの母系制
2. 日本の母系制
3. ラオスにおける母系制の実態
4. 母系制のゆくえ
5. 出産

第6章 教育
1.教育の歴史:ラオス語の受難
2. ラオスの教育制度
3. 識字率
4. 就学率
5. 進級制度
6. 校舎
7. 教師
8. 女子の教育
9. 児童労働
10.山積する問題

第7章 描かれた女性像
1. 寺院の壁画からジェンダーを読み取る
2. 物語に見る女性像
3. ラオス文学の考察


【まえがきから】
 初めてラオスを訪れたのは2002年4月だった。滞在したのは、北部フアパン県の県都サムヌアに近い、人口850人余のサルイ村だった。私は慌しい日常から抜け出して、いきなり家畜で賑わう草葺き屋根、高床式の家々の間を車で走り抜けている自分に興奮していた。タイムスリップしたように、唐突に現れた農村の風景の中で、伝説的な異次元世界に飛び込んだような気がした。
 しかし、後になって、その平和な村のたたずまいとはうらはらに、実は、当時のラオスは地域によっては不穏な事件にしばしば見舞われている、ある意味では危険地帯であったことを知った。
 ラオスでは、内乱に明け暮れた20世紀の終わり、2000年には、ことに多くの公的な施設で謎にみちた一連の爆破事件が報告されている。この年、ヴィエンチャン市内では、ラーンサーン・ホテル付近、タラート・サーオ(朝市)、バスターミナル、中央郵便局、アジアンパビリオン・ホテル前、ワッタイ国際空港前、無名戦士の墓付近などで、10件の爆破事件が起きた。また、南部パークセーのチャンパーパレス・ホテルでも事件が発生した。そして、翌2001年1月には、ヴィエンチャンとタイのノーンカーイとを結ぶ友好橋の入国管理事務所が爆破された。[アジア動向年報2001: 256-257]
 外国メディアのほとんどは、これらの事件を反政府活動、特にモン族による反政府組織の犯行と見るが、政府はこれを否定、強盗目当ての犯行、またはビジネス上のトラブルによる犯行であると主張する。
 確かに、内戦時代に現政権と戦った王国政府側のモン族の根強い反政府活動は、1998年頃から活発になり、2000年もシェンクアン地方で政府軍との衝突を繰り返したと伝えられている。しかし、反政府活動がモン族によるものばかりではないことを示す事件が2000年7月パークセーに近いワンタオの入国管理事務所(タイ側から陸路で入れる唯一の国境)で起こった。タイから侵入した約60人の王国旗を掲げた武装集団が建物を襲撃、占拠、「王制復古と民主的選挙の実施」を叫んだ。政府軍との銃撃戦の結果、武装集団の6人が死亡、28人がタイに逃亡して拘束されたという。報道によれば、襲撃を率いたのはラオス・カンボジア・タイとの国境を拠点とする「ラオス中立・正義・民主党」のスアン・セーンスラ元王国軍少将で、首謀者は在米反政府組織のメンバーとされるシソーク・サイニャセーンという人物であるという。押収物には在米反政府組織や亡命王族との関連を示唆する文書が発見されたため、さまざまな在外反政府勢力が結束して、現政府に対する市民の不満、反感を掻き立てようとしたのではないかと推測されている。[山田2001: 249][Theeravit, Khien and Semyaem, Adisorn 2001: 141-149]
 翌2002年もなお爆破事件が1件、反政府武装勢力のラオス侵入が2件報道されたもの、不穏な動きは鎮静化し、終息に近づいたのではないかと楽観的な見方が強まった。
しかし、私たちが2度目のラオス訪問を果たした翌2003年のラオスでは、それまでにない形の襲撃が報告されるようになった。それは武装勢力による民間のバスやトラックの襲撃で、国道13号線を中心に、外国人を含む多数の犠牲者を伴う事件が7件起きた。さらに、従来と同じ爆破事件も再発し、計14件におよぶ暴力事件が報告されている。[アジア動向年報2004: 262-263]
 国道13号線は、首都ヴィエンチャンから北は古都ルアンパバーンに至り、南はカンボジア国境を抜けて、カンボジアからヴェトナムのサイゴンに至る。ヴィエンチャンからルアンパバーンに向かって13号線を走るバスは、暫くは郊外の平坦な道を走って3時間余、やがて蛾蛾たる石灰岩の山々が直立して眼前に迫るヴァンヴィエンに至る。
2003年4月20日に起きた13号線でのバス襲撃事件は、日本の新聞でも報道されたので、6月にラオス再訪の予定だった私たちには、衝撃的なニュースだった。地元の行楽客40人を乗せたヴィエンチャン行きの路線バスが、ルアンパバーンから南へ約80キロメートル地点で武装集団に襲撃され、乗客の学生ら少なくとも10人が死亡、10数人が負傷したという。ラオス政府は、「山賊による犯行」と発表し、テロの可能性を否定した。[読売新聞2003:11]
 そこに偶然居合わせた人々を悲惨な運命に巻き込んだ、これら一連の事件の原因については、犯行声明が伴わないため、推測に頼るしかない。モン族の叛乱、在外反政府組織、国内の不満分子、党内派閥抗争などが憶測されるものの、決め手になる情報はないようである。真実は曖昧模糊とした霞の向こうにぼかされて終わるのが、この国の常なのだ。確かなことは、現政権に反撥するもの、内戦時代の旧王国派の残党など、さまざまなグループの不満が、大規模な力に結集することは不可能なまま、国のあちこちで火を噴いたということであろう。だがそれ以降、事実はどうなのかはわからないが、このような不穏な事件は報道されていない。
 爆発や襲撃事件の報道がめっきり少なくなるとともに、ラオスでは消費文化の洪水が目立つようになった。ラオスへの旅は計6回を数えるが、訪れる度に、その物質文化の浸透の速さに驚くばかりだ。
 しかし、それは都市部の話で、それとともに依然として変わらぬ村の生活との格差の拡大にも驚く。ラオスもまた、ほとんどのアジアの国々と同じく、1つの国名のもとに2つの社会が、何の関わりもないかのごとく、並存している。
 そういう村々で、最初、私に衝撃的な感動を与えたことは、何度行っても変わらず衝撃的である。それは、ラオスの女性の懸命な働きぶりである。ラオスは15年にもおよぶ内戦を経て成立した社会主義政権の経済政策が不調のままの状態が長期化、グローバルな開発の波も届くことなく、停滞した生活様式、生活水準から抜け出せずにいる。ここで「抜け出せずにいる」という否定的な意味合いの言葉を使うのが適切かどうかの判断は、価値観の相異による。市場経済の恩恵に浴して、効率の良い、便利な生活を楽しむ人々にとっては、国全体が「村」であるようなラオスの風景は、「失われた世界」に誘ってくれる場所でもあろう。しかし、旅人の気まぐれな郷愁を満足させるために、ラオスの農民は古い生活様式を守っているわけではない。現代には、現代の新しい願望が生まれるはずである。
 80年代後半からの市場経済導入によって、ヴィエンチャン都市部を中心に、快適で便利な物質文明の浸透は見られるものの、その恩恵に浴している人々はごく限られていて、人口の80%を越える自給自足の農民全体の生活の向上は遅々として進まないのが現状である。
 このような背景の中で、ラオスの女性は、少女も含めて実によく働く。早朝から籠を背負って山に入り、水を運び、薪を集め、山菜を採り、家畜の世話をし、田畑で働き、家事全般をきりまわし、子供を産み育てる。その上、糸を紡いだり、機を織ったり、商品を用意して市場で商ったりもする。このような女性の姿を見ていると、この国は女性の働きによって養われているような感慨に捉われる。
 しかし、このような女性たちの家事、農作業、家畜飼育、機織、小規模な市場での働きは、すべてインフォーマルな労働であり、統計をとって客観的な数字にして示すことは困難である。そこで、私はさまざまな角度から彼女たちの日常生活を浮き彫りにして、女性の役割やあるべき女性像がいかにして形作られてきたかを考察し、その実態を伝えるとともに、今後の問題点、変容の可能性を展望したい。


Top Page> 書籍購入