瀾滄江怒江伝(らんそうこうどこうでん)

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黄光成著 大澤香織訳 加藤千洋解説
定価4500円+税
A5判並製・520ページ カラー写真200枚
ISBN978-4-8396-0212-3 C0030

 瀾滄江と怒江はチベット高原の氷河から流れでると、チベット自治区・雲南省を一路南下、ラオスとミャンマーの国境でメコン、サルウィンと名を変えます。その流域の圧倒的な自然と上古からのロマンあふれる交易の歴史、少数民族の不思議な習俗に魅せられた著者は、長年かけて各地をくまなく歩き、歴史への深い造詣を存分に生かしてこの大紀行を書き上げました。その名を耳にしただけでわくわくしてくる山、川、道、国、人、民族、祭りが続々登場します。たとえば梅里雪山、高黎貢山、怒山、雲嶺、蒼山。蜀身毒道、茶馬古道、西南シルクロード。南詔、哀牢、大理。マルコポーロ、徐霞客、ジョセフ・ロック等々。
 桃源郷は本当にあるんですね。

【著者はこんな人】

黄光成(ホアン・コアンチュン)
雲南省社会科学院 民族文学研究所、文化保護興発展中心 研究員
中国民主同盟雲南省委員会常務委員
1954年生まれ。工場での見習い、大学教員、雑誌編集などを経て1996年より雲南省社会科学院研究員となり河川流域および民族文化の研究に従事する。研究とともにフィールドワーク、写真撮影を好む。単著に『大江跨境前的回眸』『優秀民族文化的継承和発展』『徳昴族文学簡史』『腰箍的情結』『老年的震蕩』、共著に『秀山碧水間的文化之光』『雲南民族民間芸術』(上下巻)『民族文化与現代化』など。このほか論文や若干の随筆も発表しており、また多くのテレビ放送向けドキュメンタリーを手がけている。

大澤香織(おおさわ かおり)
1981年生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業、イーストアングリア大学開発学修士修了。NPO法人メコン・ウォッチの職員として2005年より約2年中国雲南省に滞在。学生時代に日本とアジアの関係や環境問題に関心を抱く。現在は北京に在住し、中国のNGOと協力しながら海外投資事業と環境政策をテーマに活動を続ける。共著の英文ブックレットに瀾滄江の連続ダムを扱った "Lancang‐Mekong : A River of Controversy"(国際河川ネットワーク他、2003年)など。

加藤千洋(かとう ちひろ)
1947年生まれ。72年朝日新聞社入社。中国総局長、外報部長などを経て、2002年から現職。2004年からテレビ朝日系「報道ステーション」コメンテーター。99年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。外報部長の時に企画した連載「テロリストの軌跡 アタを追う」とそれにかかわる一連の報道で、2002年度新聞協会賞を受賞。テレビ朝日系列「報道ステーション」コメンテーター。朝日新聞編集委員。主な著書に『胡同の記憶 北京夢華録』(平凡社)『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)『加藤千洋の中国食紀行』(小学館)、共著・共訳書に『中国大陸をゆく』(岩波新書)『?小平 政治的伝記』(朝日新聞社)など。

【目次】

自序

第1章 われわれの子守歌
1‐1 彼らはどこに生まれたか
1−2 チュゴタシー湿原のあたり
1−3 ザチュ川を南へ
1−4 ナクチュをふり返って

第2章 空までもっとも近い場所
2−1 動き続ける高原
2−2 2本の支流はチャムドで出会う
2−3 南へ移動した人々
2−4 語り尽きせぬケサル王伝
2−5 古道は川沿いを悠々と

第3章 併流する三姉妹
3−1 高山の見送り
3−2 征服できないカワカルポ
3−3 転経の道
3−4 自然の民族回廊
3−5 峡谷に留まった少数民族
3−6 時間が止まった峡谷
3−7 ロックの驚嘆の道
3−8 溜索の上の人生
3−9 山と谷の誤解

第4章 谷から出よう、天地は広い
4−1 怒江第一浜での痛み
4−2 川風が書の香りを運ぶ
4−3 峡谷を出た大河の子
4−4 山と大河を越えて
4−5 マルコ・ポーロと徐霞客の足跡

第5章 中流の歳月に埋葬されて
5−1 上古から通じる道
5−2 哀牢国の沈木
5−3 ある政権の影
5−4 天然の要害は頼みとなるか
5−5 行く者たちの泣き声

第6章 人と川の血盟
6−1 血と水が混じって
6−2 惠通橋が落ちた時
6−3 激流の中の正気歌
6−4 血肉で建てた?緬公路
6−5 生命をかけた飛行
6−6 怒江の怒り

第7章 太陽の子の物思い
7−1 巨大な川のエネルギー
7−2 孤独なパイオニア
7−3 挫折の後の光
7−4 川と手を結んで

第8章 大河が抱く辺境の彩雲
8−1 熱帯雨林へ入る
8−2 青い生命の木
8−3 遥かな茶の香り
8−4 血染めの芸術
8−5 貝葉の風景
8−6 民族団結の誓碑
8−7 シーサンパンナの黎明城

第9章 ふるさとをふり返って
9−1 地下の宝が与えたもの
9−2 滋味あふれる流れ
9−3 石と銅のかがやき
9−4 「王国」に燃える火
9−5 招かざる客のご愛顧
9−6 オアシスと砂漠の会話
9−7 瘴癘の恐怖は過去のものとなり
9−8 夕日にそびえる土司の威光
9−9 ケシの花咲く大地
9−10 水が奏でる生活の調べ
9−11 共に川を分ける人々

第10章 海への別れ
10−1 メコン河と抱き合って
10−2 サルウィン川の手をとって

後記
解説 わが愛する「雲の南の地」
訳者あとがき


【序文から】

 西高東低の中国の地勢は、西から東へ滔々と流れる長江、黄河を育んできた。中国内陸部を流れるこれらの大河はこれまでずっと中華民族のゆりかごであり、象徴であるとされてきた。「大江東へ去って 浪(なみ)淘(あら)い尽くす 千古風流の人物を」というように、東流する大河のみが傑出し、中華民族の歴史はすべて東流する大河の両岸で演じられてきたかのように見られてきた。
 実は、中国の大河は東西に流れるばかりではない。中国の大地にはほかに幾筋もの南北に流れる大河があり、瀾滄江(らんそうこう)と怒(ど)江(こう)はその典型である。もちろん瀾滄江と怒江は、長江や黄河ほど有名でも傑出してもいない。しかし2本の大河を絶えることなく流れ続けた水は流域の土地を潤し、数多くの生命を養い、両岸の子供らを育て、かけがえのない歴史を築き、中華民族の多元一体の文化精神を集めてきた。また中国と東南アジアの国際協力のために黄金の水路を切りひらいてきた。
 北から南へ滔々と流れる2本の大河、瀾滄江と怒江は独特の性格と魅力を持つ。
 瀾滄江、怒江は空にもっとも近い高所から緯線を跨いで南進する。寒帯から熱帯までの各気候帯を通り、流域の壮麗な山河、険しい地勢、多様な地形は複雑で、どの山も麓から頂まで同時に春夏秋冬を揃えたかのような気候と景観を有する。これらの多様で立体的に交差、分布する気候と地形は、多様な地下資源と地上の動植物の生命に必要な生育条件や環境を与えてきたのみならず、多民族が集合し、多元的な民族文化が花開く舞台を歴史の中に提供してきた。
 多様な自然は大河の豊かさと美を生み出し、多様な文化は大河に深みと神秘を与えてきた。
 交通が未発達の時代には、瀾滄江、怒江流域は外部との往来が限られた地域であった。だが同時にここはアジア大陸においてユニークな位置にあった。文化圏や文化の伝播という視点から見れば、黄河流域、長江流域を中心とする儒教、道教、仏教各文化が南下し、南アジア亜大陸の仏教文化とイスラム教文化が東漸、東南アジア上座仏教文化が北上、西方キリスト教文化の地域を跨ぐ伝播が起こり、チベット高山地帯、東南沿海、巴蜀などの地域文化の拡散が起きた。また、大河上下流各民族の伝統文化自体、すべて大河両岸で往来、衝突、変化を経験した。山と大河がもたらした隔絶とつながりという特殊な地理環境の中、古代には「蜀身毒道」、「茶馬古道」が開拓され、ついには「西南シルクロード」の多元立体的なネットワークが形成された。また各民族の流動や、南アジア、東南アジア民族との日常的な関係や長期的交流により、ここにはさまざまな文化的情景が生み出された。
 中華文化への影響力という面では、瀾滄江、怒江は黄河や長江と比べようもない。しかし、もし長く私たちに染みついた「中原中心」、「華夷と蛮族の区別」、「一点四方」といった類の伝統的見方を捨てて瀾滄江、怒江を見ると、2本の大河が独自の歴史と文化の輝きを持つことが分かる。彼らは「中心」に従うことなく気ままに流れ、野を駆け回り、しかし最後にはやはり中華文化の海に融合する。われわれはその中に中華民族文化の豊かさと多様さ、風変わりな美しさを見ることができる。
 さらに何といっても瀾滄江、怒江はともに国際河川の上半分であり、絶えざる川の流れによって多くの国を結びつけ、さらに多くの多様な民族、歴史と文化をつなぐ世界的にも大きな意義を持つ存在である。高山と峡谷の間を苦しみながら通り抜けた後、2本の大河は世界に向けてその胸を開く。開放的な水路と山間部の河川という性格を持つ2本の大河流域は、閉鎖と開放、交流の促進と阻害、文化的な停滞と進歩、静謐と喧騒などが相互関連しながら並存する、ことさら神秘的で奇妙な地域である。
 20年以上、わたしはこの2本の大河に深く惹きつけられ、幾度となく流域に赴いた。わたしはまだ動けるうちにその山河、村々をすべて歩き回ろうと努めた。だが長大な2本の川を前にして、これは明らかに過分な望みだったと言わざるを得ない。今回、幸運にもこれら2本の川のため1冊の本を書くことになり、古い友人や恩師を再訪するようなつもりでいたのだが、突然、実はこれらの大河が世界に冠たる師だと気づき、目をこすってよく見ると、頓首し拝むような感覚になった。わたしは自分の筆の限りを尽くして川沿いに源流から最後まで、山河の自然に入り、社会歴史に入り、文明と人々の魂に入っていこうと考えた。そのため、この本の構成は、空間を経線、時間を緯線として、源流から始まり川の流れを追うと同時に、時間という長い大河のきらめくような水しぶきに分け入り、2本の大河の成長過程と心の歴程をたずね、記述している。しかし川の流れの最後に国境にたどりつき、再び「ふるさとを振り返って」みた時、わたしはまったくどれほどのことも書けず、ただその一部を記したに過ぎないことに気がついた。2本の大河は豊かすぎる。どう筆墨を尽くしてみても彼らの激流の前には無力である。
 ある人がわたしに尋ねたことがある。瀾滄江と怒江はそれぞれ別の川でそれぞれの歴史、性格がある、なぜ一緒に書こうとするのか、と。その理由は簡単だ。2本の大河は平行して南下し、距離もたいへん近く、互いに寄り添い、時には水流を交わらせながら、ともに歴史の苦難を歩んできた。多くの共通点を持ち、この2本を分けることなどとてもできないものもある。同時にまた多くの差異を持ち、自然、社会、歴史、すべての面で強烈なコントラストを持つ。これらの違いやコントラストをともに比較すると、また各自の特徴が際立つのである。おそらく世界でもこのような2本の川を見つけるのは難しいだろう。瀾滄江と怒江はこれほど緊密に寄り添い、これほど似通り、またこれほどに違っている。こうした理由でわたしは、2本の大河を同時にこの本の主人公とすることにしたのである。
 さまざまな客観的条件とわたしの個人的能力の限界から、2本の大河の物語は国境を越える地点で止めざるを得ない。国境を越えた後、これらはともに名前を変えるため、瀾滄江、怒江という名前で呼ばれる地域をすべて歩き尽くしたことになる。しかし、実際の川という意味で言えば、まだそれぞれの半分しか見てきていない。このことは非常に残念だが、仕方がない。わたしの生きているうちにメコン河とサルウィン川について、さらに文章を書くことができるかどうかは分からない。しかし作者が誰であろうと、川の水が絶えない限り、わたしはいつか源流から海まで流れる川の全流域についての本を世に問うことができると信じている。

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