シュリヴィジャヤの歴史――朝貢体制下における東南アジアの古代通商史

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鈴木 峻著
定価4000円+税
A5判上製・258ページ
ISBN978-4-8396-0234-5 C3022

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シュリヴィジャヤは7世紀から15世紀まで東西交易の中心地として栄えたと言われる国家です。フランスの歴史学者ジョルジュ・セデスはこの国の首都をスマトラのパレンバンとし、現在この説がほぼ定説化しています。しかし、この説に疑問を抱いた著者は膨大な量の漢籍を丹念にたどって、シュリヴィジャヤを現在のタイのチャイヤーと特定し、中国への朝貢貿易のルートを明らかにしました。きわめて挑戦的であると同時に、東南アジア古代史研究の基礎資料を提供する労作です。特に巻末の「朝貢年表」「朝貢国一覧」はさまざまな場面で活用されることになるでしょう。

【著者】
鈴木 峻 著


【著者はこんな人】

1938年8月5日満州国・牡丹江市生まれ。
1962年東京大学経済学部卒業。住友金属工業入社。調査部次長、シンガポール事務所次長、海外事業部長、タイスチール・パイプ社長、鹿島製鉄所副所長、(株)日本総研理事・アジア研究センター所長。1997年神戸大学大学院経済学研究科兼国際協力研究科教授。2001年東洋大学経済学部教授。2004年定年退職。その間、東京大学農学部、茨城大学人文学部非常勤講師。立命館大学客員教授。
経済学博士(神戸大学、学術)。
主な著書『東南アジアの経済』(御茶ノ水書房、1996年)、『東南アジアの経済と歴史』(日本経済評論社、2002年)、『シュリヴィジャヤの謎』(自費出版、2008年)


【はじめに 】から

 私がこれから論じようとしていることは東西交易の歴史におけるシュリヴィジャヤについてである。それは唐時代の「室利仏逝」といわれたシュリヴィジャヤと宋以降の「三仏斉」についてである。こちらもシュリヴィジャヤといって実質的には区別していない論者もいる。実はこの両者の間にジャワ島を本拠とするシャイレンドラ王朝が存在する。シャイレンドラは自らが征服した「訶陵」という国号を用いて唐王朝に入貢した。これら3者はすべて「シュリヴィジャヤ」なのである。

シュリヴィジャヤの歴史については「首都はパレンバンにあった」という説が半ば「定説」化して1世紀以上になる。21世紀の今日でも、シュリヴィジャヤといえば、それはスマトラ島のパレンバンであるということを疑う人はほとんどいない。しかし、それはあくまでも根拠の不確かな仮説の域を出るものではない。当然しかるべき根拠があれば否定されるべき性質のものである。本書はその「しかるべき根拠」を提供しようとするものである。

歴史学とりわけ古代史学は「人文科学」の中ではどちらかというと「ブレやすい」学問といえよう。限られた資料や遺物をつなぎ合わせて、学者がいわば「思い思いの理屈」をつけて歴史を語ろうとするからである。その理屈とは別な言い方をすれば「仮説」である。その「仮説」の「合理性」が問われるが、ここに「権威主義」が介在する余地が発生する。その最たるものが東南アジアの古代史上重要な役割を果たした「室利仏逝・三仏斉」すなわちシュリヴィジャヤである。

フランス人の歴史家ジョルジュ・セデス(1886〜1969年)が唱えた「シュリヴィジャヤ=パレンバン仮説」があたかも最も権威のある仮説として世界に通用しているのは、私のように長年東南アジアの経済を研究してきた者にとっては意外としかいいようがない。というのは、本論で述べるようにセデスのこの仮説には合理的な根拠が薄弱だからである。歴史的な遺物が少なく、大乗仏教の中心地であった証拠はないし、東西貿易の中心地であったというのも地理的な合理性に欠ける。唐時代の高僧義浄が経典を求めてインドへ向かう途中に立ち寄った「室利仏逝」はペルシャからの貿易船が寄港する当時としては有数の中継貿易地であり、大乗仏教の栄える一大文化都市でもあった。それはマレー半島にあり、元々は盤盤国といわれたチャイヤーにあったと考えられる。しかし、歴史学者の多くは重要な文献的証拠を無視もしくは見逃し、高楠順次郎博士やG.セデスが主張する「室利仏逝=パレンバン説」を最も権威ある仮説としてほとんど無批判に受け入れてきた。

義浄は室利仏逝に立ち寄り、そこで半年間サンスクリット語の学習をした当時、1000人の仏僧がそこにはいたと記している。1000人 もの仏僧を社会的に扶養していくには、その土地の政府、軍隊、商工業者を養う大稲作地帯が背後に存在し、仏教徒が数多くいたはずである。義浄が旅した671年にスマトラのパレンバンにそんな広大な水田が存在したとはとうてい考えられないし、1000人余の仏僧を収容するような大寺院群が存在した痕跡もない。また、パレンバンは古代東西交易の要衝であったとセデスは主張する。しかし、地理的に見てもマラッカ海峡からずれており、かつムシ川を90km近く遡上する必要があり、東西の大型帆船がそこまで遡上して頻繁に財貨を交換するという「交通の要衝」たる条件を備えているとはとうていいえない。あらゆる状況証拠、客観事情がパレンバン首都説を疑わせるものばかりである。しかし、これは20世紀はじめころから、かの有名な歴史学者G.セデスが打ち立てた揺るがしがたい「定説」で、これに異を唱えるものは「異端者」扱いを受けかねない。特に、日本ではその傾向が強いように思える。

その後のシュリヴィジャヤ論は「セデスの呪術」に金縛りにあったためか、その進歩は極めて緩慢のそしりを免れず、20世紀のはじめに藤田豊八博士(1869〜1929年)が指摘されたように「(パレンバン説の是非については)綽綽として十分に研究の余地がある」という事態は今日ほとんど変わっていない。私はもともと歴史学者ではないし、この分野の学問的な直接的指導はどなたから受けていない。しかし、小論をまとめるに当たり、漢籍の解読や解釈は先達の業績に多くを負っていることはいうまでもない。特に藤田豊八博士の諸論文や桑田六郎博士(1894〜1987年)の『南海東西交通史論考』(以下『桑田』と略す)に漢籍の読み方、解釈には大いに教えられるものがあった。ただし、桑田博士は「室利仏逝=パレンバン」説の支持者であり、私の理解とは基本的な点で異なる。

また、ありがたいことに宮林昭彦・加藤栄司両先生の義浄の『南海寄帰内法伝』の現代語訳も出版された。この歴史的な労作には詳細な解説がつけられており、漢籍の読み方についても大いに勉強になった。桑原隲蔵博士の『蒲寿庚の事蹟』その他の著作も藤田博士の研究に対する批判的評価があり、興味深かった。また森克己博士の『日宋貿易の研究』も豊富な引用で日本と宋との貿易関係を論じた大変な労作である。唐・宋時代の中国の商人の動向を知る上でも大変貴重な論文である。もちろん外国の学者ではセデス(G.Coedes)やクオリッチ・ウェールズ(Quaritch Wales,1900〜83年)やR.C.マジュムダール(Majumdar,1888〜1980年)やクロム(N.J. Krom、1883〜1945年)やP.ホィートレー(Paul Wheatley,1921〜99年)といった碩学の業績から大いに学ぶところがあった。ホィートレーのThe Golden Khersonese(黄金のマレー半島)」は、基本はパレンバン説においているが、漢籍の解読・英訳という意味では歴史的名作である。

本書ではお読みいただけばわかるとおり、私はどなたの学説にも全面的にコミットしてはいない。しかし、「パレンバン説」を批判してきたウェールズやインドの歴史学者マジュムダールの学説に比較的共鳴した部分が多いことは確かである。特にウェールズが自ら発掘調査を行ない、実証した「タクアパ⇒バンドン湾」を結ぶ「マレー半島横断通商路」の存在に着目し、「室利仏逝=チャイヤー説」を唱えた実証的な方法論には大きな示唆を受けた。

私は主に文献調査と現地の調査とによってこの本を書き上げた。東京大学の各図書館にはほとんど毎週のように通った。まさに資料の宝庫」であり、先人の資料蓄積の熱意が結実している。私の読みたい本は必ず見つけられた。高楠順次郎博士(1866〜1945年)が1896年にオックスフォード大学から出版された義浄の『南海寄帰内法伝』の英訳本もご本人の署名入りの初版に接することができた。しかし、この「高楠本」がある意味ではセデスの「パレンバン説」の生みの親ともなった事情は本書で述べる。

また、インターネットという文明の利器を大いに活用した。その中で名古屋大学の東洋史学研究室の林謙一郎先生は『雲南・東南アジアに関する漢籍資料』という便利な資料をウエブで公開されていることを発見した。学問の進歩のためにこういう地味な努力をされている研究者が日本にいることはまことに心強い。彼は初学者や漢籍に手の届かない場所にいる研究者に手を差し伸べてくれているのである。林先生のおかげで正史などの漢籍の中で「東南アジア」に関する主要な部分を自宅で読むことができた。どれくらい助かったことか言葉には言い尽くせないものがある。

また、「Google」などで検索すれば世界の学者の最新の研究成果にも接することができる。私も及ばずながら『冊府元亀』や『宋会要』など難解な漢籍と格闘しながら『朝貢史年表』をどうにか作り上げ、本書の巻末に付けた。また、研究の過程で「発見したこと」は極力ホーム・ページに掲載してきた。読者からの反応はさほどないが今後も続けていくつもりである。

「読書百遍意自ずから通ず」のたとえではないが『新唐書』などを繰り返し読みなおし、その中で従来歴史学者が軽視してきた重要部分の再評価や新しい解釈をいくつか試みた。漢籍の執筆者の努力に私も拙いながら誠意をもって向き合った。「アマチュアの見方」だと一蹴されかねないが、根拠のないことは書いてないと自負している。 アマチュアであることの利点は既存の先入観や間違った知識から自由だということである。私は学問研究の基本は「常識」や「通説」を疑うことにあると若いときから教育を受けてきた。それが戦後の民主主義教育の原点でもあったと思う。私は東南アジア経済の観察者(エコノミスト)としての視点から、貿易国家としての室利仏逝や三仏斉やその周辺の諸国がいかなる形で経済的に機能し、存在したかという点に関心があり、この問題を長年にわたり研究してきた。はからずも従来の主流の歴史学者とは多くの点で異なる仮説を提示する結果になった。その概略は前著の『シュリヴィジャヤの謎』(2008年1月)において述べたが、今回、足らざる部分を補正し、新しい仮説を加え本書にまとめた次第である。東南アジアの歴史に関心のある皆様に少しでも参考になる見方や考え方やその論拠を提供できればこれに勝る幸せはない。私のささやかな望みは本書を超える新しい研究が続々と登場し、東南アジアの古代史がいっそう明確にされることにある。



【目次】

はじめに
要約
第1部 室利仏逝について
第1章 室利仏逝の成立まで
1.古代の東西交易について
2.インド人の役割
3.扶南の興亡と盤盤への亡命
 ●盤盤について
 ●室利仏逝がマレー半島唯一の朝貢国になる
4.真臘の台頭とその限界――扶南のような貿易大国にはなれなかった
 ●真臘のチャイヤー占領と敗北
第2章 東南アジアの中継貿易の変化
1.扶南の通商路とドヴァラヴァティ
2.マレー半島横断通商路
 ●Aルート:タクアパ⇒盤盤⇒扶南
 ●Aルートの代表国としての盤盤
 ●マレー半島横断通商路
 ●Bルート:ケダ⇒ケランタン、ソンクラー、パタニなど
 ●Bルートの代表国としての呵羅単、干陀利、丹丹、赤土国
 ●Cルート(中間ルート):クラビ、トランなど⇒ランカスカ(狼牙須)
 ●Dルート=ジャワ島・ルート(前期訶陵、後期訶陵、闍婆)その他の朝貢国
3.マラッカ海峡直行ルート
第3章 中国への朝貢を行なった東南アジア以西の国々の変遷
1.隋時代の終わりまで
2.唐時代前半の朝貢(618〜767年まで)
3.唐時代後半の入貢(768〜907年)
 ●闍婆の入貢
第4章 室利仏逝の成立と消滅
1.「赤土国」の登場と消滅――室利仏逝の登場
 ●常駿らの赤土国訪問
 ●狼牙須国の山
2.「シャイレンドラ」の興亡
 ●シャイレンドラと775年のリゴール碑文
第5章 義浄の見た室利仏逝
1.当時20日間でパレンバンまで行けたか?
2.パレンバンに1000人もの仏僧が存在したか?――盤盤の仏教寺院
 ●盤盤の都チャイヤーには唐時代には多くの仏教寺院があった
3.シュリヴィジャヤはいつパレンバンを占領したか?
 ●パレンバン周辺の石碑について
  クドゥカン・ブキット(Kedukan Bukit)碑文
  タラン・トゥオ(Talang Tuwo) 碑文
  カラン・ブラヒ(Karang Brahi) 碑文
  トゥラガ・バトゥ(Telaga Batu)碑文
  バンカ島コタ・カプール(Kota Kapur)碑文
  第6章 『新唐書』と義浄が語る室利仏逝について
1.賈耽の『皇華四達記』について
 ●羅越国はどこか――「質」はバンドン湾
2.『新唐書』における他の重要な記述
 ●『新唐書、列伝、南蛮下』の「室利仏逝」の条――「二尺五寸」問題
 ●『新唐書』の「訶陵」の条――「二尺四寸」問題
 ●訶陵は女王シーマが治めていた
3.義浄の室利仏逝と「日時計」についての記述
 ●まとめ――室利仏逝の勢力拡大とその後の変化

第2部 三仏斉について
第1章 三仏斉の成立過程
1.宋時代の貿易構造の変化――宋以降にマラッカ海峡の重要性は増す
2.三仏斉の成立
3.三仏斉の朝貢実績
第2章 チョーラ(注輦)と三仏斉
1.チョーラの三仏斉支配
 ●チョーラの三仏斉侵攻
 ●地華伽?は三仏斉の大首領かチョーラの王か?
 ●「注輦役属三仏斉」の意味について
2.チョーラ後の三仏斉
第3章 宋時代の貿易体制の変化――南宋の朝貢貿易の終焉
第4章 『嶺外代答』、『諸蕃志』、『瀛涯勝覧』と『明史』に見る三仏斉
1.『嶺外代答』と『諸蕃志』に見る三仏斉
2.『瀛涯勝覧』と『明史』に見る三仏斉
第5章 単馬令(タンブラリンガ)の役割
 ●まとめ――三仏斉体制の終焉
補論1――ランカスカ考
 ●『梁書』における狼牙脩と盤盤の存在
 ●『隋書』で常駿の見た「狼牙須国の山
 ●『諸蕃志』の凌牙斯加と『武備志』の狼西加
 ●『島夷誌略』の「龍牙犀角」と「ラン・サカ」
補論2――セデスのシュリヴィジャヤ認識について

主要国朝貢年表(西洋、南海、日本および朝鮮)
三国時代から明初までの主な朝貢国一覧
参考文献
あとがき

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