バンコク燃ゆ

タックシンと「タイ式」民主主義

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定価2500円+税
四六判・並製・348ページ
ISBN978-4-8396-0237-6 C0030

【関連書】タイ事典 現代タイ動向2006-2008 タイ仏教入門  タイの染織
タムノップ――タイ・カンボジアの消えつつある堰灌漑 タイ農村の村落形成と生活協同  イサーンの百姓たち タイの象 タイ人と働く 現代タイ動向  バンコクバス物語 タイ鉄道旅行 やすらぎのタイ食卓
 バンコクの好奇心 タイの花鳥風月

【執筆者】
柴田直治

 「微笑みの国」タイの騒乱は衝撃的でした。タイでいったい何が起きているのでしょうか。これからタイはどうなっていくのでしょうか。 著者は2005年からバンコクに駐在して、クーデターや暴動の時は最前線で身体をはって取材し、他方ではタックシンをはじめとする主要政治家に精力的にインタビューを繰り返してきました。そこで見えてきたのが、国王を頂点とする既存の「タイ式」民主主義体制と型破りの政治家タックシンとの仁義なき戦いです。本書には、2006年のクーデターから2010年のバンコク騒乱まで、タイの激動とその背後でうごめく政治家のかけひきが克明に描かれています。そのドラマチックな展開は息を呑む迫力がありますが、同時にタイの不思議な魅力も伝わってきます。索引、年表などもきちんと備わった本格派です。

【執筆者はこんな人】 柴田直治(しばた・なおじ)
1955年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。1979年朝日新聞社入社。徳島支局、神戸支局から大阪社会部員。
マニラ支局長(1994年〜96年)、大阪社会部、東京社会部デスク、論説委員、神戸総局長、外報部長代理をへてアジア総局長(2005年〜09年)。
現在、特別報道センター長。


【目次】

まえがき
第1章 異形の政治家タックシンとその時代
1 冬空のドバイ
2 ドラえもんとのび太
3 最強の政治家
4 警察官から実業家、そして政治家へ
5 タイ愛国党の旗揚げ
6 公約の実現
7 金と腐敗
8 サッカービジネス
9 麻薬との闘い
10 南部テロ対策
11 今太閤と津波
12 タックシンが好きか?

第2章 二一世紀のクーデター
1 クーデターの夜
2 歓迎された戦車
3 すべての始まり
4 かつての盟友
5 与党だけの総選挙
6 祝賀休戦

第3章 軍の盛衰
1 切り札スラユット
2 かつてはクーデターを否定
3 タックシン側の見立て
4 軍のお家事情
5 軍の都合

第4章 新憲法制定から総選挙へ
1 アナンとスラユット
2 セータキット・ポーピアン
3 相次ぐ失政
4 日本政府の厚遇
5 愛国党解党判決
6 国民投票
7 タックシン派の復活
8 落ち込む反タックシン派
第5章 黄色い王党派・PAD
1 タックシンの凱旋
2 PADの復活
3 ソンティの話術
4 破産の繰り返し
5 放送局への執着
6 青いスカーフ
7 九二年政変とチャムロン
8 チャムロンのタックシン離れの理由
9 PADの民主主義

第6章 サマック政権の崩壊
1 プレアビヒア
2 両軍混在の最前線
3 タックシンとカンボジア
4 フン・センの圧勝劇
5 タックシン逃亡
6 最後の闘い
7 籠城開始
8 軍をめぐる綱引き
9 軍の事情の変化

第7章 三度目の一〇月政変
1 ソムチャーイの首相就任
2 PPP分裂の萌芽
3 三度目の一〇月の流血
4 チャムローンの思惑
5 メディア一斉の政府批
6 王妃葬儀出席
7 テレビクーデター
8 タックシン有罪

第8章 空港占拠とタックシン派政権
1 空港占拠
2 再々の「最後の闘い」
3 PADの愛国無罪
4 軍の多数派工作
5 ネウィンの寝返り
6 民主党の返り咲き
7 男前宰相の弁明
8 PAD直系人事
9 ナックレーン
10 フン・センの挑戦
11 フン・センの現状認識

第9章 王党派最後の砦、裁判所
1 司法クーデター
2 九七年憲法で誕生した憲法裁判所
3 かつてはタックシン寄り
4 国王訓示
5 タイ式民主主義の一翼を担う司法
6 菓子箱

第10章 PADに偏るメディア
1 王女発言
2 問い合わせ
3 PADに偏る新聞論調
4 タックシン時代のトラウマ
5 iTVの悲劇
6 クーデターを歓迎したメディア
7 『ネーション』の翻訳
8 裏取りしないタイメディア

第11章 流血のソンクラーン
1 灼熱のバンコク
2 ASEAN会議への乱入
3 マイペンライ
4 投降
5 私は指示していない
6 金欠告白
7 タックシンの負けか?

第12章 プレームとタックシン
1 プレーム邸へのデモ
2 国王側近を名指し
3 葬儀の席で
4 プレームに聞け
5 ソンクラーの風景
6 馬主と競走馬
7 対決の構図
8 軍内部の対立
9 刺客サマック
10 アピシットへの好意

第13章 首都燃ゆ
1 資産没収
2 同盟、抗議活動の再開
3 直接対話
4 繁華街の占拠
5 実弾射撃と多数の犠牲者
6 テロリスト
7 一一月選挙の提案
8 強硬派の台頭
9 カティヤ狙撃
10 強制排除

第14章 地域対立と階級闘争
1 モータサイの運転手たち
2 スラムの天使の嘆き
3 貧しい人々の一票
4 地方の支持

第15章 王国覆う不安
1 株価急落
2 演説の中止
3 米国生まれの国王
4 プラーニン
5 黄色の人波
6 女囚の嘆き
7 不敬罪の連発
8 触らぬ神
9 紛争と分裂の震源
10 タックシンの不敬
11 タックシンの人気
12 隣国の危機
13 タイを包む不安
14 初めての抵抗者
15 国王の憂い

第16章 タイとアジアの民主主義
1 ブータンの実験
2 山間の演説会
3 重なる黄色
4 幅きかす生活第一主義
5 豊かな国の民主主義
6 改革の行方

あとがき

年表・タイと近隣諸国
参考文献
索引



【まえがき】から

赤い群衆に押されてじりじりと部隊が後退する。民主記念塔が見えたところで、爆発物が破裂した。炎と煙の中、逃げまどう兵士たち。カメラは、倒れて動かない兵士をアップにし、二人の同僚に両手を引かれて退避する負傷兵を追う。路上に広がる血。画面は一転して群衆の側を映す。戦利品である治安部隊の盾を持ち、装甲車の前から棒や石を投げる赤シャツの集団――。
二〇一〇年四月一二日、ロイター通信は、同通信日本支局のカメラマン村本博之さん(四三)が撮影した映像を公開した。タックシン元首相派の「反独裁民主同盟」(赤シャツ隊)の反政府抗議活動を取材するため東京から出張していた村本さんは二日前の四月一〇日、バンコク中心部で赤シャツと治安部隊の衝突を撮影中に銃弾に倒れた。弾丸は左肩の鎖骨下付近から入り肋骨に当たり、右上腕付近から抜けていた。失血死だった。だれが撃ったかは不明だ。カメラは同盟側からロイターに返却されたという。
この日の騒乱で二五人が死亡、八〇〇人以上が負傷した。四年以上にわたって続くタイの政治・社会混乱の中で最大の流血の惨事であり、日本人が犠牲になったのはもちろん初めてだ。
事はそれでは終わらなかった。さらに一ヵ月以上、治安当局と赤シャツの戦争は続いた。東南アジア屈指の大都市バンコクは戦場となり、文字通りの市街戦が展開された。
五月一九日、治安当局は装甲車を進めて占拠地区の強制排除に乗り出し、群衆を鎮圧、集会を解散させた。しかし暴徒化した一部の集団が首都各地で放火と略奪を繰り返した。タイの経済成長を象徴した最大の商業施設セントラルワールドは放火で無惨に崩れ、あちこちで黒煙が立ち上っていた。その光景は、二〇〇一年九月一一日の同時多発テロ後のニューヨークのようでもあり、米国映画「ブレードランナー」のワンシーンのようでもあった。

「微笑みの国」の変調。日本人がそれを意識したのは二〇〇六年九月のクーデターからだろう。バンコクの大通りを戦車が制圧し、議会で圧倒的な多数を握る首相のタックシン・チンナワットを追放した。二〇〇七年末の総選挙でタックシン派の「国民の力党」(PPP)が圧勝して民政に復帰したと思ったら、半年余りで首相が失職した。料理番組に出たことが憲法違反にあたるという裁判所の判断だ。それでもタックシン派政権が続いたため、退陣を求める民主主義市民連合(PAD)の黄色のシャツが首都の二空港を占拠した。PPPは裁判所によって解党され、反タックシン派の民主党連立政権が出来たが、二〇〇九年には赤シャツの意趣返しが始まった。灼熱の四月、東アジアサミットなどの開催が予定されていたパッタヤーに押しかけて一六ヵ国参加の首脳会議をつぶし、バンコクに引き返して治安部隊と衝突し暴動に至った。この事件は「流血のソンクラーン(タイ正月)」と呼ばれた。そして一年後のソンクラーン前から赤シャツが首都最大の繁華街に座り込み、都市機能を麻痺させた。そのあげくの騒乱と流血で、村本さんを含む約九〇人が命を落とした。
バンコクには三万三〇〇〇人の日本人が住み、外国の首都で最も在留邦人が多い。(ロサンゼルス、ニューヨーク、上海がバンコクより多いが、いずれも首都ではない)。進出している日系企業は約七〇〇〇社とされる。小中学生約二五〇〇人が通う日本人学校は世界最大級の規模だ。その日本人社会も大きな打撃を受けた。日本から毎年一二〇万人ほどが訪れていた旅行客も激減するだろう。
身近であるはずの国でいったい何が進んでいるのか。
私は新聞社の特派員として、二〇〇五年九月から二〇〇九年八月までタイに駐在し、東南アジアと南アジアの政治社会を取材していた。赴任したころ、バンコク駐在の特派員の仕事は主に、和平後も内紛が続いたカンボジアや、ミャンマー軍政による民主化運動の弾圧ぶり、ベトナムの経済成長など周辺国の事象を追うことだった。タイでは一九九一年のクーデターと翌九二年の流血の政変後、選挙で選ばれた政権に軍が介入することもなく政情は比較的安定していたからだ。
ところが二〇〇六年のクーデターを境にバンコクを離れづらくなった。タイの政局が目まぐるしく揺れ動き、収まる気配がなかったためだ。そのうちにタイの政局が駐在期間中最大の取材テーマとなった。私はその時々の情勢を読み解き、記事にして、日本の読者に伝えようと努力した。しかし事態が進み、複雑化するにつれ、「わけがわからない」という声を聞くようになった。新聞の原稿はせいぜい一〇〇〇字までで、特別にページを取ってたっぷり書いたつもりでも三〇〇〇字以上ということはほとんどない。どうしても、以前書いたことや経過は省いて最新の動きに焦点を当てることになる。いきおい、専門家は理解してくれても、背景説明なしでは一般の人にはなかなかわかりづらいということになる。
本書執筆のきっかけは、「タイはいったいどうなっているのか」「事態がのみ込めない」という質問を何回か受けたことだ。新聞では伝えきれなかった全貌を私なりに組み立て直してみたい。そう思った。
混乱を極める政局の中心にいるのはタックシンだ。第一章では、タイの憲政史上最も権勢を誇ったタックシンの人となりと生の声を紹介したい。第二章で異常事態の発端となった二〇〇六年のクーデターを振り返り、第三章ではクーデターを担った軍の役割と思惑を、第四章では軍主導のスラユット政権の成立から新憲法制定、民政移管の総選挙までを追った。第五章ではPADの活動と、ソンティ・リムトンクン、チャムロン・シームアンという二人のリーダーがなぜ反タックシンを掲げるのかを探った。第六〜八章は、総選挙で復活したタックシン派の政権が相次いで倒れ、民主党政権が誕生するまでを、第一一章と一三章ではその後の赤シャツのリベンジと社会の混乱を時系列でたどった。第九章は司法、第一〇章はメディア、第一二章は枢密院と議長のプレム・ティンスラーノン、第一四章は貧困層という主要なプレーヤーの行動原理を読み解き、一五章はタイ式民主主義と王室の役割について考えた。第一六章は私なりにアジアの民主主義を俯瞰した。
タイの政情や社会のありかたとともに、私が書きたかったのは融通無碍でとらえどころのない「民主主義」についてだ。現在の世界で民主主義を否定する国は少ない。アジアでも、中国やベトナムはもとより、北朝鮮やビルマ(ミャンマー)でさえ民主主義を装おうとする。しかし、急速に経済発展し、GDPでは欧米と肩を並べつつあるアジアだが、欧米の規範に合致する議会制民主主義はほとんど存在しない。
二一世紀に入ってタイは一人あたりのGDPが四〇〇〇ドルほどになり、中進国の仲間入りを果たした。高層ビルが林立するその首都でなぜ、戦車を押し立てたクーデターがまかり通るのか。社会や政治問題の解決を街頭活動や国王の仲介に頼ろうとするのか。反タックシン派の黄色もタックシン派の赤もそれぞれ「民主主義」を唱えた。
「タイ式」民主主義とは何だろう。普通の民主主義とは異なるのか。アジアの民主主義と欧米の民主主義は違うものなのか。本書の執筆はそうした疑問に向き合う試みでもあった。


 
 

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