ミャンマー 概説

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編者・伊東利勝(愛知大学教授・前東南アジア学会会長)
定価7000円+税
A5判・上製 ・734頁
ISBN4-8396-0240-6 C3030 Y7000E
【関連書】ミャンマー 東西南北・辺境の旅 北ビルマ、いのちの根をたずねて

ミャンマーの政治・外交・経済に加えて、連邦を構成する主要8民族固有の歴史・政治・経済・社会・文化について、日本とミャンマーのそれぞれの専門研究者が共同執筆しました。写真・地図・図版も豊富。研究者のみならず、ミャンマーに興味を持つすべての人におすすめします。

【著者はこんな人たちです】
伊東利勝(いとう・としかつ)愛知大学文学部・教授.専攻:東南アジア経済史
天野瑞枝(あまの・みづえ)東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学.専攻:ヤカイン史
飯國有佳子(いいくに・ゆかこ)東京外国語大学・非常勤講師.専攻:文化人類学、ミャンマー地域研究
飯島明子(いいじま・あきこ)天理大学国際学部・教授.専攻:タイ(Tai)文化圏の歴史
池田一人(いけだかずと)東京外国語大学・非常勤講師.専攻:ミャンマー近現代史
井上さゆり(いのうえ さゆり)大阪大学世界言語研究センター・講師.専攻:ビルマ音楽、ビルマ文学
伊野憲治(いの・けんじ)北九州市立大学基盤教育センター・教授.専攻:ミャンマー研究、地域研究
エーエー(ハーカー)ミャンマー国立大学・教授.専攻:文化人類学
エーチャン 神田外語大学国際言語学科・教授.専攻:前近代ミャンマー史
加藤昌彦(かとう・あつひこ)大阪大学大学院言語文化研究科・准教授.専攻:言語学
工藤年博(くどう・としひろ)JETROアジア経済研究所地域研究センター・東南アジアU研究グループ長.専攻:ミャンマー地域研究、開発経済
久保忠行(くぼ・ただゆき)神戸大学大学院・博士課程.専攻:文化人類学
ケーティーモン ミャンマー国立大学・准教授.専攻:文化人類学
サイカムモン 元ミャンマー国立大学・准教授.専攻:シャン史.シャン言語史
瀬川正仁(せがわ・まさひと)映像ジャーナリスト
谷紀夫(たかたに・みちお)広島大学大学院総合科学研究科・教授.専攻:文化人類学・東南アジア民族学・知識人類学
土佐桂子(とさ・けいこ)東京外国語大学総合国際学研究院・教授. 専攻:文化人類学
土橋泰子(どばし・やすこ)外務省研修所・ミャンマー語講師(非常勤).専攻:ビルマ語、ビルマ文学
ナーントゥーザー ミャンマー国立大学・准教授.文化人類学専攻
速水洋子(はやみ・ようこ)京都大学東南アジア研究所・教授.専攻:文化人類学、東南アジア研究
原田正美(はらだ・まさみ)大阪大学外国語学部・非常勤講師.専攻:ビルマの古典文学、経典仏教史
丸山市郎(まるやま・いちろう)外務省総合外交政策局・海上安全保障政策室長.専攻:ミャンマー外交政策
モーモートゥエー ミャンマー国立大学・教授.専攻:文化人類学
吉田敏浩(よしだ・としひろ)アジアプレス・インターナショナル.ジャーナリスト



【目次】
序章
ミャンマー的国民国家の枠組み

第1節 領域 ………………………………………………………………… 伊東利勝・吉田敏浩 
第2節 政治 ……………………………………………………………………………… 伊野憲治 
第3節 経済政策 ………………………………………………………………………… 工藤年博 
第4節 外交 ……………………………………………………………………………… 丸山市郎 

第1章
ビルマ世界

第1節 歴史―「ミャンマー」の歴史からビルマ史へ ………………………………… 伊東利勝
第2節 言語・文学・歌謡 ……………………………………………………………… 原田正美
第3節 宗教・信仰 ……………………………………………………………………… 土佐桂子
第4節 民俗・芸能 ……………………………………………………………………… 井上さゆり

第2章
モン世界

…………………………………………………………………………ケーティーモン
第1節 モン民族の歴史とその背景
第2節 言語・文学
第3節 宗教と信仰
第4節 民俗

第3章
カレン世界

第1節 カレンの歴史 …………………………………………………………………… 池田一人
第2節 言語・学…歌謡 ………………………………………………………………… 加藤昌彦
第3節 宗教・信仰 ……………………………………………………………………… 速水洋子
第4節 民俗・芸能 ……………………………………………………………………… 加藤昌彦

第4章
カヤー(カレンニー)世界

第1節 歴史 ……………………………………………………………………………… 久保忠行
第2節 言語・文学・歌謡 …………………………………… モーモートゥエー(飯國有佳子訳)
第3節 宗教・信仰 …………………………………………… モーモートゥエー(飯國有佳子訳)
第4節 民俗・芸能 …………………………………………… モーモートゥエー(飯國有佳子訳)

第5章
シャン(タイ)世界

第1節 歴史―ミャンマーのシャン人 …………………………… サイカムモン(飯島明子訳)
第2節 言語・文学 ………………………………………………… サイカムモン(原田正美訳)
第3節 宗教・信仰 ……………………………………………… ナーントゥーザー(谷紀夫訳)
第4節 民俗・伝承 ……………………………………………… ナーントゥーザー(谷紀夫訳)
第5節 社会と経済 ……………………………………………… ナーントゥーザー(谷紀夫訳)

第6章
カチン世界

………………………………………………………………………吉田敏浩
第1節 歴史
第2節 言語・文学・歌謡
第3節 宗教・信仰
第4節 民俗・芸能

第7章
チン世界

第1節 チン族の歴史、その拡張と背景 …………………エーエー(ハーカー)(土橋泰子訳)
第2節 経済 ………………………………………………エーエー(ハーカー)(土橋泰子訳)
第3節 社会 ………………………………………………エーエー(ハーカー)(土橋泰子訳)
第4節 村の行政 …………………………………………エーエー(ハーカー)(土橋泰子訳)
第5節 宗教と伝統文化 …………………………………エーエー(ハーカー)(土橋泰子訳)
第6節 民俗・芸能 ………………………………………エーエー(ハーカー)(土橋泰子訳)
南部チン州で、「石引の儀式」を見る …………………………………………… 瀬川正仁
 
第8章
ヤカイン世界
………………………………………………………………………エーチャン(天野瑞枝訳)
第1節 歴史
第2節 経済と社会
第3節 言語と文学
第4節 宗教と信仰
第5節 民俗と芸能
第6節 並立から収斂へ

終章
官製民族世界の形成

…………………………………………………………………… 伊東利勝
第1節 エーヤーワディー流域地方における国民国家の位相
第2節 ミャンマーのビルマ化
第3節 エスニック・マイノリティとしての対応
第4節 民主化と国民化


【まえがき】から

この本のねらい
伊東利勝

日本のメディアが伝えるミャンマー(ビルマ)のイメージは、あまりよくない。市民や僧侶による民主化運動を弾圧した軍部独裁国家。ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー氏を長期に自宅軟禁し、国連の調停にも耳をかさない。
サイクロンで多くの住民が罹災しても、内政干渉を恐れて外国の援助に消極的、住民の生活状態や衛生観念では、疫病が蔓延しかねないのに。政府は住民より政権を維持することしか考えていない。そもそも人の活動には制限が多く、生活を改善しようとする機会も取り上げられ、住民は貧困にあえいでいる、等々。
 しかし一方で、観光やビジネスで現地を訪れた人たちは、自然や民情の豊かさを、ほめそやす。われわれがとっくに失ってしまった、物にとらわれない心や自然との共生などがまだ息づいている。なぜかなつかしい風景。人々は信仰心に厚く、親切で、穏やかで、包容力があり、懐が深い。「ほほえみの国」ミャンマー。「失われるアジアのふるさと」ミャンマー。
民間同士での印象は頗るよいのに、総体としてのイメージは、よくない。つまり悪いのは政治であると。これは何とかしてあげなければ。民主化運動への共鳴、難民救済、人権外交、村の小学校や簡易水道建設、古着の送り先、等々。信仰心に厚く、親切で、穏やかなミャンマーを、裏から見れば、近代化に遅れ、古い体質の残る、先進国からの援助を必要とするミャンマーとなる。
ただ、人はいいのに、政府は最悪というのは、なにも今にはじまったことではないし、ひとりミャンマーにのみ向けられる視線というわけでもない。日本で、ビルマという呼称が確立されるまでは、この地に琶牛(ペグー)、亜剌敢(アラカン)、阿瓦(アヴァ)の三国が存在すると認識されていた。そして、これら三国では仏教が奉じられ、豊かな天然資源を有する国というイメージである。
ところが幕末になって、中華思想や西洋の植民地主義思想のもとで形成されたビルマ像が受け入れられはじめる。明治期、住民は怠惰で、国力は沈滞している、と学校の教科書には描かるようになった。ところが旅行記などには、住民は平等の精神に貫かれ、その生活態度も清浄で、イギリスの「毒牙」にかかる前は、国力もおおいに伸張していたと描かれている。
 その後日本はミャンマーを支配する。これにともなって、巷間にあふれるミャンマーについての情報は、侵略そして支配を正当化するためのものであった。ヨーロッパ経由の、帝国主義的思想によってろ過された代物である。イギリスによるミャンマーの支配そのものは否定されるが、植民地主義思想はそのまま受け入れられた。この過程で強化されたオリエンタリズムは、戦後へと受け継がれ、竹山道雄の『ビルマの竪琴』を生み出す。
オリエンタリズムは、偏見を捨て去り、ミャンマーの真の姿や実像を伝えることで克服できるというものではない。だいいち真実の姿など描きようもないし、「中立で客観的」や「色眼鏡をかけた」など、自説を正当化のため常套句にすぎない。この本では、オリエンタリズムを国民国家システムが生み出すものととらえ、ミャンマーつまりエーヤーワディー流域地方で起こっていること、もしくは起こってきた事柄が、いろいろな執筆者の目を通して描かれている。全体像を描くなどということではなく、近代以降、それこそ世界中で進行した国民国家の形成と、その中で生じる問題の、いわばミャンマー版を示すという観点から、いろいろな事象が整理されているにすぎない。
エーヤーワディー流域地方には、1948年1月4日にミャンマー連邦(Pyidaungzu Myanmar-naingan)が成立し、以来領域内に暮らす住民の統合が進められてきた。仏教と精霊信仰が権力正当化の源泉であった時代は遠い過去となり、主権国家としての領土保全と国民統合、治安維持、そして何よりも経済発展こそが政府や指導者を正当化する時代となる。宗教の清浄化と民族の問題が、ここに急浮上するのは必然の成り行きであった。これはいってみれば国民国家の成立により、世俗権力による宗教宗派のコントロールと、そこに内包した多様な民族との利害調整であった。
 領土を区切る国境は、コンバウン王朝政府の支配が及んだ範囲を目安として、植民地政府がイギリス領ビルマ(British Burma)として確定していたものである。独立以後、ミャンマー連邦は、植民地期の例に倣い、独立後あらたに組み込まれた周辺山岳地帯をも含めた中央集権的行政管理の徹底化による、学校教育と文化政策を通じての国内の統合を進めてきた。こうした一元化せんとする圧力に対応して、領域内にはさまざまな世界が生み出され、これがその政策や圧力に呼応して変容・展開する。現在の国家はそうした結果として存在している。
住民統合の動き、つまり文化の一元化と、これへの順応もしくは反発などの営為は、どの国民国家にも見られるものであり、ひとりミャンマーに限ったことではない。ただエーヤーワディー流域地方におけるミャンマーという磁場のなかで、それがどのように顕現するかという問題はある。国民国家システムが必然的に生み出す民族問題がどのような層位をなしているか、そしてここにはどのようなせめぎ合いがみられるのか、こうしたものへの関心から本書は編まれている。
ここでは、とりあえずミャンマー国家中央政府が設定した境界に基づく8世界を設定し、これに基づいて、それぞれの世界を描きだそうとしている。全体を総称するミャンマーという呼称についても、そうした意味から1989年の中央政府による公式の定義を踏襲した。ビルマ、モン、カレン、シャン世界には、ビルマ族、モン族、カレン族という民族が存在し、かれらにはそれぞれ固有の芸術や行動様式が存在するという考えかたである。1960年代には、ビルマを除いたこれら7世界ごとに民族・慣行調査が行なわれ、1民族1冊として報告書が出版されている。そういう意味で、本書で採用したカレン世界、モン世界というは、中央政府が作り上げた世界にすぎない。
つまりこの8つは中央政府が、その周辺に作り上げた世界であって、住民相互の関係のなかで生み出される獏として、とらえようのない境界ではない。国家評議会は、135の種族(ethnic group)が存在すると公式に認定してはいるが、けっきょくはこの8つの主要民族(Major National Ethnic Races)にまとめられ、これにビルマ世界には管区、その他の民族には州がそれぞれ配置され、この枠内でいわば民族地域文化が形成されることが望まれている。つまりこの8世界は、目下のところ現ミャンマー中央政府なりの行政的住民区分であり、社会の構造化へむけてのガイドラインなのである。
こうした境界の設定とこれによる政治的資源の配分は、その中の文化を変容させずにはいない。カチン州ではカチン文化が、シャン州ではシャン文化が存在することが推奨されるようになる。いわばエスニシティのあらたな官製化である。植民地時代に形成された民族区分を、ミャンマー国民国家の形成に向けて編成しなおす試みといってよい。民族の境界を絶対的、非融和的とすることにより、住民のエスニシティをコントロールしようとするものである。
そもそもカレン、シャン、カチンなどやそのサブグループの名称は、植民地期以来の民族学的知見にもとづき、言語や風俗を基準として、それまでの王朝政府が使用していた住民呼称を採用もしくは新たに付け加えたものである。そして民族を社会単位とする政策が展開され、これがいわばひとつの利害集団として機能するようになっていた。人間も世界も多様でつかみどころがないのに、植民地政策を遂行するうえで都合のよい基準のもとに境界線が引かれたのである。集団形成の原理は種々存在するが、この場合言語や風俗であり、これが先天的なものとのとして理解されてきた。そしてミャンマー国民国家が成立し、これが一挙に8つの民族にまとめられようとしているのである。
ミャンマーは様々な「文化や民族が織り上げた、豪華で複雑なタペストリー」とされるが、この模様はいわば民族というカテゴリーが設定されて以後の政治的力学によって作られたものであり、太古の昔から住民が作っていたものではない。少なくともエーヤーワディー流域にあって植民地以前は、また別のカテゴリーによるタペストリーが王朝政府によって織り上げられていたに相違ない。
にもかかわらず本書がこうした経緯をもつ住民区分をあえて採用したのは、現在のミャンマーが、外側から認識するにせよ、内側からの意識を表出するにせよ、こうした土俵でせめぎあっているからである。現在の政権に対立し、完全な連邦制の実現をとなえる勢力にしても、この8つの区分を踏襲し、それぞれを一つの単位として活動している。
こうした相互作用のなかでは、けっきょくヤカイン文化、カレン文化、モン文化などか姿をあらわすにちがいない。事実あまたの研究書や論文でも、そして本書でも、「シャンの歴史」「カレンの文化」「モン族の宗教」などという文言が、よく使われる。シャンと呼ばれる人がすべて、そこでいう歴史を経験したわけでも、カレン人がすべてそのような文化を保持しているわけではないのに。
独立にあたって国名に冠したミャンマー(英語表記ではBurma)は、中央政府を牛耳ったグループの呼称を採用したものにすぎない。したがって、これとは同一でないという感情を抱き、異なる民族の属性にアイデンティティを持つ住民もまた存在する。しかし現実は、中央政府による民族区分に違和感を抱いて反発するか、あるいはこれを我がものとして取り込みつつ、制約のなかで自己をなんとか実現する方向を模索するか、いずれにしろ政府の定めた土俵の上でさまざまな問題が提起されているのである。
右であれ左であれ、民族というカテゴリーを形成するのは、神話、伝承、歴史、言語・文学・歌謡、宗教・信仰、民俗・芸能などであると理解され、植民地期以降はこうした分野をめぐって、社会生活が営まれてきた。見る側にしても見られる側にしても、これらの意味づけをめぐる相克のなかで、政治も歴史も文学も動いてきた。
したがって本書でもこれにかんがみ、かつ、そうした文化や世界に優劣はないものと判断し、類書と異なり、8世界それぞれに同じスペースを割り当てた。ただビルマ世界とかカレン世界というのは、そこに描かれていることで代表できるという意味ではない。つまりビルマ文化の一般的形態とか、カレン文化の本質とかが描かれているわけではない。そのことをまず注意して欲しい。そういう要素が観察される、もしくは見ようによってはそういう姿もうかびあがるといった程度である。だからといってこれらの論考が、まだ完成途中で、全体像を描ききっていないというのではない。そもそも文化の本質なるものが存在するとは考えられないからでもある。
固有の世界とか文化とかは、比較の観点からみてなんとなく存在しているのはわかるが、あえて定義してしまったら、いろいろと問題を引き起こす代物である。文化や世界は、他と区別し自らの独自性を主張するため、あるいは管理の必要上多様な個々をひとまとめにして理解するために、そこに魂を吹き込んだり形を与えたりするためにつくられた概念であるからである。外側からであれ、内側からであれ、それまで存在した無限定の文化事象から、特定のものが選択され、それがあたかも当該集団の個性であるような意味づけがなされる。
生活習慣は多様であるのに、その時どきの観察者により、ある事象が選ばれ、それがその民族の伝統として位置づけられる。たしかにそれは存在したし、しているのだが、それがその民族の典型とされるについては、選定時点での社会的政治的要請が働いていることは否定できない。したがってなぜ、本書でもここに描かれた事象になぜこだわるのかということが問題にされなければならない。ここではその意図にまで踏み込んで論述されてはいないが、それは今後の検討課題とし、さしあたりは祭礼や、文学や、風俗として描かれているものは、書き手のそのようなフィルターを通っていることを前提にして読んで欲しい。
本書の執筆者は、ある者は当事者という立場から、または部外者にあっては「客観的」解説というより、主として当人もしくはそれが参照した枠組みや定義にしたがって世界が切り取られているにすぎない。執筆者間で相互に歴史観が食い違っていたり、とくに当事者による叙述は、標準的な「歴史」に照らせば、明らかに矛盾するような「史実」も述べられたりしているし、あるいは専門的な訓練をうけていないなどの批判もあろう。
しかし、それはそれとして当事者には受け入れられているのであり、部外者が、実証性に乏しい、学会の動向をおさえていないとか、古い学説をそのまま採用しているとして、これを頭ごなしに否定してもあまり意味がない。読者は、そうした状況がつくりだされている事情も考えつつ、当事者がなぜそのような見解を採用しているのかを読みとってほしい。
繰り返すが、だれでも納得がいく真実を見いだすことは、社会や文化の観察者にとっては不可能な作業であり、この営為は人間の領域を超えるものである。現代社会がここで示される認識で動いていることも確かであり、またそれに対する異議申し立てであるばあいもある。
本書の目指すところは、諸種の社会相を、演繹や総合化によって理解しようというのではない。演繹や総合化によって、社会や文化を実体化するのではなく、そうした認識をめぐるつばぜりあいを理解することから、国民国家の有するメカニズムや民族問題の本質にせまりつつ、これまで考えもしなった生き方や思想に出会うことこそが、エーヤーワディー流域世界へむけられる視線でありたい。それによってさしあたり私たちは、心の闇に光をあて、内なるアジアを発見し、自分の姿を相対化し、何かが壊れたと自覚できれば、これに越したことはないからである。



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