ムラの国際結婚再考――結婚移住女性と農村の社会変容

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武田里子
定価2800円+税
A5判・上製・270ページ
ISBN978-4-8396-0247-5 C1036

【関連書】フィリピン-日本国際結婚 ─移住と多文化共生   池袋のアジア系外国人    新宿のアジア系外国人

「ムラの国際結婚」というと、なんとなく後ろ向きのイメージが定着している感があります。しかし、既にどっしりと地域に根を下ろした「農村花嫁」とその家族たちは、そんなステレオタイプ化されたイメージを問題にしないような存在感を持って、日本の農村社会の新しい形を切り開こうとしています。新潟県南魚沼市の「農村花嫁」やその家族、関係者からの聞き取り調査をもとに、「ムラの国際結婚」の現実と未来を描いた力作です。


【著者はこんな人】

武田里子(たけだ・さとこ)
新潟県生まれ。石打区・石打丸山観光協会職員、国際大学職員を経て、2009年日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了。博士(総合社会文化)。現在、明星大学非常勤講師・放送大学非常勤講師・東京外国語大学多言語・多文化教育研究センターフェロー。杉並区交流協会企画運営委員、一般財団法人国際教育フォーラム評議員、多文化社会研究会幹事などを兼任。


【目次】

第1章 「ムラの国際結婚」の歴史的・社会的背景
1. 「女性」の政治的利用をめぐる歴史的記憶
2. 国際結婚の推移
3. 国際結婚の増加と「ムラの国際結婚」
4. 日本農村の社会的再生産の危機
5. 結婚移民女性の出身国の状況
6. 外国人の増加と地方自治体の国際化施策


第2章 実態調査地域の特徴
   ―新潟県南魚沼市の概要と外国籍住民の存在―
1. 南魚沼市の概要
2. 増加する外国籍住民とその実態
3. 結婚移住女性の現況


第3章 結婚移民女性の適応と受容における諸問題
   ―市民アンケート調査とその結果分析―
1. 本研究で実施した実態調査
2. 「国際結婚」に対する市民の意識
3. 結婚移住女性の社会的状況
4. 日本人市民と結婚移住女性との意識ギャップ


第4章 結婚移民女性の適応過程のダイナミクス
   ―国際結婚当事者の面接調査とその結果分析
1. 結婚移住女性およびその家族への聞き取り調査
2. 調査対象者のプロフィール
3. 業者仲介による国際結婚の実情
4. 結婚移民女性の異文化適応過程
5. 将来構想と母国との関係


第5章 地域社会における異文化受容能力の形成
   ―南魚沼地域の現状と展望―
1. 文化触変モデル
2. 日本社会の多文化化と農村社会の変化
3. 農村社会の変容と将来展望
4. 南魚沼市における国際交流の現状
5. 農村社会における外国人支援組織


第6章 むすびにかえて
1.「農村花嫁」に対するステレオタイプなイメージの見直し
2.農村社会の将来展望と結婚移住女性の存在
3.今後の課題



【序章から】
1.研究の意義と目的

 
 2006年に総務省が「地域における多文化共生の推進に向けて」を発表して以降、「多文化共生」は政府や地方行政の用語として定着したかに見える。しかしその内実を見るならば、「多文化共生施策は、自治体レベルの政策において用いられているにすぎず、国レベルの法改正が必要な問題に関する権利義務関係に踏み込んだ内容を含んでいない」(近藤2009:12)との指摘がある。モーリス=スズキ(2002)もまた、日本の多文化共生(多文化主義)論は、「多様性がもてはやされてはいても、それはあくまで厳格な条件にかなう場合のみに限る」もので、「既存の制度の構造的改編を伴わない、コスメティック・マルチカルチュラリズム(うわべの多文化主義)」だと指摘する(同上:154-155)。そして、多様な国籍やアイデンティティを有する人々が経済的・社会的保障の下に新しい日本の形成に参加できるような社会づくりが必要だと論じる。これは、経済界を中心とした移民受け入れの議論が、労働人口の減少を埋め合わせるための手段として検討されていることへの手厳しい指摘となっている。経済論理を優先した議論では、受け入れる外国人が単なる労働力ではなく、より良い人生を生きることを望み、社会的意欲を持つ「人」であるという単純な事実が見落とされがちである。
 本研究で取り上げるのは、農村に暮らす結婚移住女性と、農村地域における家族の多文化化・多民族化の現象である。農村の結婚移住女性は、日本人配偶者と共に家族を形成し、日本社会の次世代を担う子どもたちを育てている。「外国人」として切り捨てることも、「外部者」として簡単に排除することもできない存在である。したがって、彼女たちの適応過程に焦点を当てることは、農村の家族やコミュニティのあり方を射程に入れないわけにはいかない。しかしながら、これまで、結婚移住女性の存在は、移民研究や多文化共生の議論の中では周縁に置かれ、また、後段で詳述するように、「ムラの国際結婚」はもっぱらネガティブな社会問題として扱われてきた。加えて、農村の家族は、個人主義に基づく夫婦制家族への転換が遅れているため、農村の家族に「嫁」として参入する結婚移住女性の葛藤は、都市部で「妻」として暮らす結婚移住女性の体験よりも、はるかに複雑で困難がともなうと言われてきた。しかし実態はどうなのか。問題に関心が寄せられるあまり、異なる文化や社会規範をもつ結婚移住女性が加わることによって生まれている、農村社会の積極的な変容の萌芽が見落とされているのではないか。
 石川編(2007)は、2000年国勢調査データを用いて「外国人妻」の離婚率を調べている。それによれば、日本人どうしの結婚と国際結婚の離婚率に大きな開きがあるわけではない。石川が調べた2000年の離婚数を分子に用いた国際結婚の離婚率は、 (A)15歳以上の外国人女性居住者を分母にした計算では1.57%、(B)15歳以上の外国人女性居住者で続柄が「妻」と「嫁」であるものに限った計算では2.89%であった(同上:311-312)。2006年の日本人の離婚率は2.04%である。厚生労働省が発表している日本人の離婚率は、分母を15歳以上の人口としているので、(A)との比較が妥当であろう。いずれにせよ、「外国人妻」の離婚率は、日本人と比べて大きく異なっているわけではない。ただ、山形県は例外的に、(A)の方法では6.23%、(B)の方法では8.78%というように、他の地域と比べて突出して離婚率が高い。
 国際結婚の離婚率については、いくつかの見方ができる。この数値を低いと見る場合には、2つの見方ができる。1つは、離婚したくてもできない状況に結婚移住女性が置かれている可能性を指摘しなくてはならない。たとえば、夫との共同生活が破綻していても、彼女たちの在留資格が日本人との婚姻関係を前提としたものであるため、滞在の不安から離婚に踏み出せない可能性である。あるいは、経済的不安、また、夫からのドメスティック・バイオレンス(DV)によって身動きが取れずにいる結婚移住女性もいると考えられる。もう1つは、離婚者をはるかに上回る国際結婚家族がさまざまな危機を乗り越えて家族形成を行ない、定着しているということになろう。本研究の調査対象は、さまざまな事情を抱えながらも、農村地域において婚姻関係を継続している国際結婚家族である。
 筆者がこの問題に関心を抱くようになったのは、2003年に新潟県南魚沼市において、業者仲介で結婚して間もない中国人女性と日本人男性のカップルに出会ったことに始まる。この出会いは、筆者自身にも内面化されていた「農村花嫁」に対する偏見の存在を認識させるとともに、2つの強烈な印象を残した。1つは、「農村花嫁」や「ムラの国際結婚」に対するステレオタイプ化されたイメージと、実際に出会った国際結婚者の印象との大きなギャップである。もう1つは、南魚沼市が20年前に「ムラの国際結婚」が話題になったときに大きく取り上げられた地域であるにもかかわらず、結婚移住女性の存在が社会的に不可視化されてきた、という事実に対する素朴な驚きである。さらに筆者が結婚移住女性の問題に関心を深めた理由は、業者仲介による国際結婚が依然として継続する中で、初期の国際結婚者の子どもたちが成人し始めているという事実である。
 国際結婚の増加は、グローバル化の下で国際的な人の移動の拡大と連動して起きている現象である。20年もの時間が経過したのであるから、批判されることの多い「ムラの国際結婚」にも、その内実を探ればいろいろな可能性やポジティブな面があると思われる。もしも、今も「ムラの国際結婚」に問題があるのであれば、その問題をどのようにすれば解消することができるのかを提示する必要がある。また見落としてきた可能性があるのであれば、その可能性を開くためにどのような工夫が求められているかを提示する必要がある。これまで農村地域の国際化や留学生交流に長く関わってきた筆者には、農村地域で始まっている多文化共生の試みを日本社会の多文化化・多民族化の現状とつなぎ合わせていくこと、そして、将来に向けた農村のより豊かな可能性を見出していく社会的使命があると考えている。
 本研究の目的は2つある。1つは、「農村花嫁」に対する既成観念、虚像、ステレオタイプを、実態調査に基づいて検証し、一般には知られていない実像を示すことである。それによって、農村社会で主体的に生きる結婚移住女性たちの多様性に富んだイメージを提示することができると思われる。もう1つは、「停滞し、疲弊する農村」などといった、これもまたステレオタイプ化されたイメージで語られてきた農村社会が、結婚移住女性を受け入れたことによって異文化受容能力を身に付け、現実を変えていく力を発揮するようになるのか、その可能性について考察することである。調査地は、筆者がこの研究に取り組むきっかけを与えてくれた新潟県南魚沼市とその周辺地域である。

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