アジアの現代文学⑱(インドネシア)
セノ・グミラ・アジダルマ短篇集

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 著:セノ・グミラ・アジダルマ  訳:柏村彰夫/森山幹弘

 定価2500円+税
 四六判上製・286ページ
 ISBN978-4-8396-0281-9
 装丁:水戸部功



 現代インドネシア文学を代表する作家、セノ・グミラ・アジダルマの短篇を精選した1冊です。東ティモールの人権弾圧、ジャカルタの華人迫害、戯画化したスハルト批判など、政治性に富んだ問題作から、売春・ベチャ引きなどをテーマとする社会性の高い作品、恋愛、艶笑ものと、幅広い作品群は、セノがインドネシア文学を牽引する実力を遺憾なく発揮した傑作ぞろいです。


【はじめに】
序言――可能性と確実性

賢明なる読者へ

 本書に収められた短篇小説の書かれた日付を見直してみると、最初のものが一九八一年、最後が二○○六年、つまり二五年にわたっている。この間、短篇小説作家として、実のところ、私は何を行ってきたのだろうか。
 この間、私は短篇小説だけを書いてきたわけではない。常に随筆を書こうと務めたし、定期的に映画評論を書いたこともあり、長篇小説、戯曲、映画のシナリオなども書いてきたからだ。またジャーナリストとして記事を、ただし普通の記事を書いたことはほとんどなく、特集(フィーチャー)記事を書いてきた。特集記事とは、語りのテクニックを駆使した報道的なレポートであり、従って情報だけでなく、その情報を伝える方法も工夫しなければならなかった。また、いくら長い特集記事であろうと、例えば雑誌の記事であれば、小説ほど長くするわけにはいかず、したがって報道記事を書く場合、短い「物語」(短篇小説)を書くのと同じアプローチになる。
 自分自身を分析することは無論不可能だが、特集記事と短篇小説の両方を同時期に書いている場合、双方が互いに影響し合うのではないかと思っている。特に次のことを想起するとそう思うのである。しばしば特集記事を書く仕事を引き受けてきたが、その場合、ヒューマン・インタレストとエンタテインメントの要素を強調することがあり、そのような強調を可能とする表現方法が必要となってくる。それで、特集記事の執筆において短篇小説を書くためのテクニックの使用の可能性が出てくる。一方で短篇小説の執筆に際して、読んでいる物語が本当に起こったことだと読者に思いこませるようにするか否かという選択肢を私は持っている。
 自分で気付かないまま、私自身の中にこの二つのジャンルの、一見似てはいるがそこで問われているものは明らかに異なる二つのジャンルの共生関係が生じている可能性がある。報道に対して読者が望むものは確実性だとするならば、文学には可能性を望むのだと言えるだろう。従って、私が自覚しているものに対して正直にあろうとするなら、次のように言える。二つの形式を区別することを私は心から願っていると。特集記事は特集記事として、語られた事実を読者が信用できる場として。短篇小説は短篇小説として、可能性がどこまで到達できるかを読者が試せる場として。
 本書において時代順に並べられた作品を振り返ると、可能性と呼ばれるものがフィクションの世界において私が重視している語りを常に形成しており、またノンフィクションの世界における確実性の語りも排除されず遊びの部分として使われてきたことが見て取れる。このように短編作家としての私は、二つの語りの間の綱引きの中に居り、その結果、フィクションの極点にある短篇を書けたと思えることもあったし、ある事実の確実性を確信させるような極点にある短篇を書いたと感じたことも稀ではなかった。ひいては、可能性の語りと確実性の語りの格闘あるいは融合と呼べるような短篇小説も存在するのである。
 さて、本書の作品を通じてインドネシアを知ろうとされているであろう賢明なる日本の読者の皆様方。私の作品は背景知識とするのに相応しいのかもしれないが、物語として読もうと思われるならば、そんなことは全くもって無視して構わないだろう。これらの作品は単なる物語りに他ならない。しかし正直に言うと、物語りに関して、私自身インドネシア語や英語に翻訳された川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫などの近代日本文学の作品から多くのものを学んできたのである。
 ということで、とりわけ文化の関係性の有様と、それのささやかな記録としての「京都モノガタリ」を賢明なる日本の読者に対し特に捧げたいと思う。この作品において、一九八六年に次ぐ一九九九年の二回目の訪日時に得た「日本的なるもの」を理解し、表現しようと試みた。私の良き友人であり専門家である二人の翻訳者、森山幹弘と柏村彰夫に対し、大いなる賞賛と感謝の意を表する。


【目次】
序言 可能性と確実性

1 川を行く歌
2  グスティ・クロウォ
3 あるストリッパーの死
4 殺しのクロンチョン
5 地上最後のベチャ(あるいはランボー)
6 閣下、血ハ赤クアリマス
7 ミッドナイト・エクスプレス
8 浴室ノ歌唱ヲ禁ズ
9 蝶来るところ、客来る
10 愛についての一つの問い
11 ダ・シルバの門の生首
12 ジュテーム
13 ゴベール伯父さんの死
14 クララ
15 作文の時間
16 洪水
17 恋人に一切れの夕焼けを
18 京都モノガタリ
19 犬人伝説
20 凧上げ
21 ちちんぷいぷい

解題と訳註
セノ・グミラ・アジダルマ著作リスト
あとがき


【著者はこんな人】
セノ・グミラ・アジダルマ(Seno Gumira Ajidarma)
1958年ボストン生まれ、ジョクジャカルタ育ち。
1994年に出版された東ティモールの人権弾圧をモチーフとした短篇小説集『目撃証人(Saksi Mata)』で一躍注目を浴びる。その後も、スハルト体制崩壊時の混乱(暴力の蔓延)の文学的証言とも言える短篇集『悪魔は死なず(Iblis Tidak Pernah Mati)』を発表するなど、その暴力批判や政治社会的テーマを持った作品は高く評価されている。
短篇小説の他にも、長篇小説、戯曲、漫画原作、コラム、随筆など幅広いジャンルの文学作品を発表してきたが、現在も旺盛な創作力を示し続けており、若手作家たちに多大なる影響を与えている。
最近では映画、写真、漫画に関する論考や評論も精力的に発表している。
1997年東南アジア文学賞受賞。
現代インドネシアを代表する作家の1人。

【訳者はこんな人】
柏村彰夫(かしむら あきお)
1956年生まれ。大阪外国語大学文学修士。京都外国語専門学校講師。
【著作】「ポピュラー小説規則集」(松野明久編『インドネシアのポピュラー・カルチャー』めこん、1995年)、「ラディトヤ・ディカ『半鮭人』」(TEN-BOOKS編『いま、世界で読まれている105冊 2013』テン・ブックス、2013年)。
【訳書】イワン・シマトゥパン『渇き』(めこん、2000年)、S・マラ・Gd『殺意の架け橋』(講談社、2010年)。

森山幹弘(もりやま みきひろ)
1960年生まれ、ライデン大学文学博士。南山大学外国語学部教授。
【著作】Sundanese Print Culture and Modernity in 19th Century West Java (NUS Press, 2005)、共編著『多言語社会インドネシア――変わりゆく国語、地方語、外国語の諸相』(めこん、2009年)、「インドネシアにおける多言語状況と『言語政策』」(砂野幸稔編『多言語主義再考:多言語状況の比較研究』三元社、2012年)、共編著Words in Motion: Language and Discourse in Post-New Order Indonesia(NUS Press, 2012)、 「アイデンティティの拠り所」(鏡味治也編『民族大国インドネシア』木犀社、2012年)、『森山式インドネシア語単語頻度順3535』(めこん、2009年)。




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