フェアトレードの人類学
―ラオス南部ボーラヴェーン高原におけるコーヒー栽培農村の生活と協同組合

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 箕曲在弘

 定価2800円+税
 A5判上製・472ページ
 ISBN978-4-8396-0285-7 C3036
             

フェアトレードは本当に生産者に恩恵をもたらすのか?
  コーヒーの生産現場での長期に及ぶ精緻な文化人類学的調査。
人とコーヒー、金をめぐって繰り広げられるドラマチックな民族誌。
第12回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞論文。



【目次】
序章 フェアトレード影響研究と本書の目的
はじめに
第1節 フェアトレードの生産者への影響研究
第2節 影響研究の難しさ
第3節 議論の方向性と対象
第4節 本書の視座と構成
第5節 調査の方法
おわりに


<第1部 議論の背景>

第1章 フェアトレード運動とは何か
はじめに
第1節 フェアトレード運動小史
第2節 FLO認証制度
第3節 コーヒーとフェアトレード
第4節 フェアトレード運動の現在
おわりに

第2章 焼畑からコーヒーへ―複合的生業形態の変遷と持続―
はじめに
第1節 ボーラヴェーン高原地域の概要
第2節 焼畑の衰退
第3節 焼畑からコーヒーへの転換に伴う土地利用の変化
第4節 ラオスにおけるコーヒー栽培の普及過程
第5節 複合的生業構造の変容と持続
おわりに

第3章 3つの生産協同組合
はじめに
第1節 Oxfam生産協同組合
第2節 Jhai Cafe生産者協同組合(JCFC)
第3節 コーヒー生産者農業集団(AGPC)
おわりに


<第2部 フェアトレードの直接的影響>

第4章 マークテーン村のフェアトレード生産者の家計への影響
はじめに
第1節 買取価格の変遷と収入項目の比較
第2節 支出項目の比較
第3節 4つの世帯のプロフィール
おわりに

第5章 マークモー村のフェアトレード生産者の家計への影響
はじめに
第1節 買取価格の変遷と収入項目の比較
第2節 支出項目の比較
第3節 4つの世帯のプロフィール
おわりに

第6章 家計戦略からみるフェアトレードの直接的影響の考察
はじめに
第1節 収入と支出への影響
第2節 なぜ協同組合に豆を売却しないのか
第3節 チェリーで売る農民
第4節 組合員にとってのフェアトレードの意義
おわりに


<第3部 フェアトレードの間接的影響>

第7章 村落と生産協同組合
はじめに
第1節 村落内の血縁関係の諸相
第2節 社会集団としての「家」と威信
第3節 公的な組織としての村落
第4節 第1長老と組合長の経済的地位の上昇と威信
第5節 第1長老と組合長の関係性
第6節 考察
おわりに

第8章 仲買人と生産協同組合
はじめに
第1節 仲買人の一般的な特徴
第2節 仲買人の諸相と農民との関係
第3節 仲買人と組合長の属性
第4節 仲買人と協同組合の関係 〜JCFC設立時から2008/09年まで
第5節 仲買人と協同組合の関係 〜2009/10年の参与観察の事例から
第6節 考察
おわりに

<結論>

終章 結論と総括
はじめに
第1節 各章のまとめ
第2節 フェアトレードの生産者への影響

補論 調査方法とデータの妥当性について

巻末資料
巻末資料@ AGPCの財務報告書(2009年)
巻末資料A マークテーン村民の被教育年数(平均値)
巻末資料B マークモー村組合員の耕地面積の拡大表
巻末資料C マークテーン村住民の血縁関係表
巻末資料D マークテーン村の親族関係図
巻末資料E 10名のコーヒー仲買人の概要
巻末資料F JCFC活動休止を告げる文書

あとがき

参考文献

索引


【はじめに】
 フェアトレードに興味を持ったのは、2006年ころだったと記憶している。
 人類学の調査をラオス人民民主共和国(ラオス)で行おうとして、テーマを探している最中だったある日、高原で栽培される豊穣な香りをもったアラビカ・ティピカコーヒーの存在を知った。これまで短期間ではあるが何度もラオスを訪れていた私にとって、「ラオス」と「コーヒー」という組み合わせは意外であった。
 だが、よく調べてみると、けっしてこの組み合わせは意外ではないことがわかった。コーヒーは、北緯25度から南緯25度までのコーヒーベルトと呼ばれる地帯で栽培されているということ、火山性の土壌と、雨季と乾季がはっきりした冷涼多雨な気候で作られるということ、そして世界システムや植民地主義と密接に結びついた作物であること。これらの諸特徴を考慮に入れれば、フランスの植民地であったラオスが、おのずとコーヒー栽培と結びついてくる。今日のラオスで、コーヒー栽培が行なわれているボーラヴェーン高原は、まさに冷涼多雨であり、火山性の土壌によって成り立っている。
 ローカルな世界とグローバルな世界がいかに結びついているのかという問いは、近年の社会科学において、頻繁に議論されている[cf. アパデュライ2004、Miller 1995]。当時の私は、この問題について、人類学的に、それはつまり、特定の現場において把握することを目指そうと考えていた。私は、そのための切り口として、「コーヒー」という作物に注目すればいいのだ、と直感したのである。
 フェアトレードという言葉が、自分の意識のなかでクローズアップされたのは、このコーヒーに注目したあとであった。コーヒーと私たちの社会との関係を調べていくうちに、「フェアトレード運動」という耳慣れない言葉に出くわした。そして、これが実に興味深い運動であることを知ることになる。
 日本では、あまりなじみのないフェアトレード運動であるが、私が知ったときには、「途上国の生産者の生活を貿易によって支え、市場のあり方そのものをも変えていこうとする市民運動」として、既に欧米を中心に広がりを見せつつあった。だが、いかにも耳触りのいいこの運動の目的が、私にとっては、逆に、違和感として残った。
 「あなたが買う一杯が、途上国の生産者を助ける」といった、いかにも人びとのモラルに訴えかけるコピーは、はたして、どのように、どの程度、生産者を助けるのか。フェアトレード運動が掲げる、生産者に渡る報酬を多くするという試みが仮に制度上しっかりできていたとしても、末端の農民に計画通り報酬は渡るのだろうか。フェアトレードの対価で彼らは、貧しさを十分に克服できるのか。
 ひねくれ者の私は、そんなにうまくいくわけはないと、フェアトレード運動を否定的に捉えがちであった。だが、その一方で、このような社会運動にある種の期待と憧れをもっていたのも事実である。ボランティア活動やNPO・NGOなどの非営利組織は、新しい公共として社会的プレゼンスを拡大し、たしかに途上国の経済・社会開発だけでなく、教育、福祉、医療といった分野で、ある程度成功をおさめ、社会的な期待も高まっている。
 「ボランティアなんて……」とひねくれて見て見ぬふりをしてはいられなくなっている今日、自分よりも若い世代が、途上国支援に乗り出し、やりがいを見つけ、途上国の人々と共に働き、ともに新しい社会を築くようになった。フェアトレード運動も、大きくこのような、社会運動のうねりの中にあるのだ。
 社会は確実に動いている。この動きの中で、いま探究するに足る対象とは、社会変革していこうとする試みなのではないか、と思い至ったのである。その一例として「フェアトレード運動」に照準を合わせることにしたのだ。
 だが、ここで、ひねくれ者の私が顔をのぞかせる。――はたしてフェアトレード運動は生産者にとって恩恵をもたらすのか。フェアトレード運動が広まれば広まるほど、この疑問を抱き、答えを知ろうとする人々も増えるだろう。なぜなら、われわれフェアトレード製品の消費者は、生産者とは離れた場所で生活し、多くの場合、彼らに直接会って話を聞くことも、効果を調べることもできないからである。
 この疑問を棚上げにして、フェアトレード運動を批判することも、推進することもできない。フェアトレード運動を、批判的に見る人の中で、実際に現場に長期間入って、生産者と語り合い、生活を共にしながら、何かを感じ取り、理解した人がどれほどいるだろうか。逆に、フェアトレード運動を推進する立場の者も同じである。生産者との交流の果てに、「一杯のコーヒーが生産者を助ける」と自信を持っていえる者が、どれほどいるだろうか。
 そこで、私は、かつてフランスの植民地であり、社会主義の国でもある、貧しいけれど、飢えることがないと言われるラオスという国において、フェアトレード運動が、どのように根付き、どのように生産者に影響を与えているのかを、長期的な参与観察調査から浮き彫りにしようと考えたのである。
 確かに、私の調査経験は、時間的にも、空間的にも限られている。フェアトレードは世界中の発展途上国にある、何千という団体によって行なわれている。それもけっしてコーヒーだけでなく、バナナや茶、ココアなど、さまざまな製品が対象となっている。対象となっている人々も、土地を持っている農民だけでなく、プランテーションの労働者まで広がっている。はたまた農産物だけでなく、手工芸品や織物のフェアトレードだってある。このような広がりを見せる運動の中で、私が扱えるのは、ほんのごく一部である。
 だが、広く浅く対象を網羅するのではなく、一つの場所でじっくり深めて対象と付き合わなくては見えてこないこともある。それは、けっして、その事例のみに特有の知見なのではなく、ある程度、状況が似れば、他の事例にも当てはまる可能性がある。
 私がこの論文で目指すのは、当事者の人々の豊かな世界をなるべく残したまま、事例からできる限り一般化しうる知見を導き出すことである。そのための方法論は、序章に譲るとして、この試みがうまくいったかどうかは、読者の判断に委ねたい。


【著者はこんな人】
箕曲在弘(みのお・ありひろ)
1977年東京都生まれ。
2013年早稲田大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。
現在東洋大学社会学部助教。
【専攻】
文化人類学、開発人類学。
【論文】
「ラオス南部コーヒー栽培地域における農民富裕者の誕生要因」『東南アジア研究』51(2):297-325, 2014年。
「ラオス南部ボーラヴェーン高原におけるコーヒー仲買人の商取引戦略」『明治学院大学社会学部付属研究所 研究所年報』43:69-83, 2013年。
「フェアトレード生産協同組合設立による生産者世帯の収入への影響――ラオス南部コーヒー栽培農村を事例として」『早稲田大学文学学術院文化人類学年報』6:23-43, 2012年 。


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