もうひとつの『王様と私』

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 石井米雄・飯島明子(解説)
 装幀:菊地信義

 定価2500円+税
 A5判上製・224ページ
 ISBN978-4-8396-0286-4 C0022

 【関連書】 タイ仏教入門   道は、ひらける タイ研究の五〇年   

   


「幕末」「明治維新」の時代、アジアでは何が起きていたのか?
ミュージカル「王様と私」のモデル、タイのモンクット王とフランス人宣教師パルゴアとの交友が、タイの「近代化」に果たした役割とは?
石井米雄先生の遺作に精緻な解説を加えた本格派。「歴史書」の手本として長く読み続けられるであろう名著です。


モンクット(ラーマ4世)王

ラーマ4世

パルゴア神父

パルゴア神父

【顔写真の説明】
モンクット(ラーマ4世)王(1804〜68)
タイの現バンコク朝第4代の王、在位1851〜68年。ミュージカル映画『王様と私』の‘王様’のモデルとして知られるが、王位に就くまで27年間、仏法修行者として僧院生活を送った。その間フランス人神父パルゴアとの交友を通じてキリスト教文明に触れ、アメリカ人宣教師から習得した英語を武器に、積極的に西洋の先進文明を学んだ。1851年に登位すると、西洋諸国に対する積極的な開放策を採って、イギリス、フランス、アメリカ等と次々に外交関係を結び、やがて子のチュラーロンコーン(ラーマ5世)王によって推進されるタイ近代化の基礎を築いた。

パルゴア神父(1805〜62)
1830年から32年間タイ(シャム)に滞在。出家中の後の王モンクットとの交友を通じてタイ文化について深く学び、Grammatica Linguae Thai(シャム語文法、1850年)、Dictionarium Linguae Thai(タイ語大辞典、1854年)、Description du royaume de Thai ou Siam(タイすなわちシャム王国誌、1854年)の大著を残した。一方、パルゴアがモンクットに与えた影響の大きさは、パルゴアの死に際し、王が外国人に対しては異例なほどの感謝の念を表明した事実に示される。

【目次】
はじめに
 1. 産業革命の時代
 2. 若き日の「王様」
 3. ビクとなったモンクット
 4. シャムのカトリック
 5. パルゴア伝
 6. モンクットとパルゴアの出会い
 7. プロテスタント宣教師
 8. ワット・ボーウォンニウェート
 9. モンクットとキリスト教
10. プロテスタント宣教師のシャム理解
11. シャムの知識人の宣教師観
12. 合理主義思想と仏教
13. パルゴアの仏教理解
14. モンクットの外国理解
15. 植民地主義諸国との対応
16. モンクットの登位
17. 対中朝貢の廃止
18. シャムの開国
19. フランスとの関係
20. 改定条約文をめぐる諸問題
21. モンクットと写真術
22. モンクットとカトリック
23. モンクットの西欧化教育
24. モンクットと自然科学
おわりに

解説
王様の国の内と外――19世紀中葉のシャムをめぐる「世界」 飯島明子
 1. バウリング条約
 2. 未知の砂漠
 3. シャムと「ラオス」
 4. シャムとビルマ
 5. チェントゥン戦争
 6. 王様の「私信」
 7. アロー号事件
 8. 王様の外交――対ヴィクトリア女王のイギリス
 9. 王様の外交――ナポレオン三世のフランスとの出会い
10. モンクットと「臣民」
11. ド・モンティニー使節とのその後――カンボジア問題の始まり
12. カンボジアをめぐるフランスとの軋轢
13. モンクットとナポレオン
14. 東アジア地域の国際環境――グローバルな連鎖
15. 対フランス交渉からの教訓
16. 再びモンクットとキリスト教、そして「世界」


【解説者あとがき】
 石井米雄先生が世を去られて四年余りを過ぎ、もはや先生の謦咳に接することができなくなった今、先生のことをほとんど知らずに本書を手にとられる人も少なくないだろう。そのような方々にはまず、先生ご自身が若いひとびとに語りかけられた、ご著書『道はひらける――タイ研究の五〇年』(めこん、二〇〇三年)を、本書と共に繙かれることをお勧めしたい。タイを中心とする東南アジア研究の碩学として、世界の東南アジア学界を長年リードされた先生はそこで、人生のプログラムとそれにしたがって歩まれた軌跡を綴られている。
 先生がタイへの留学を志された当時、「今日のような海外旅行などは夢のまた夢」。二七歳の先生が「ロケットにのる宇宙飛行士の心境」で、たった三人の相客とともにエコノミークラスの機中の人となり、タイの地に降り立たれたのは一九五七年のことだった。そうして、先生は日本における本格的なタイ研究の文字通りのパイオニアとなられたのである。
 さて、石井米雄先生の御遺稿出版の手伝いをさせていただくという仕事を、私はけっして軽い気持ちでお引き受けしたわけではなかったが、思った以上に骨の折れる仕事となり、天国の先生はもとより、出版をお待ち下さった多くの方々に申し訳ないほど時間がかかってしまった。それはひとえに、八〇歳のご高齢ではいらっしゃったけれど、お元気に国立公文書館アジア歴史資料センター長などの要職を務めておられた先生が余りに急にお亡くなりになられたせいである。そのために、残されたのがおそらく先生ご自身がまだこれから手を入れ、推敲されるおつもりであったに違いない御原稿だった。
 伺うところ、先生は一般読者が読みやすいよう、註などを排した書物を意図されていたとのこと。そこで、その御原稿をチェックさせていただくうえでは、御原稿に典拠が全く示されていなかったことが問題だった。ご生前、蔵書を京都大学地域研究統合情報センターへ寄贈された(図書・冊子約一万点以上が、石井米雄京都大学名誉教授蔵書コレクションとして既に公開され、内約五千点は貸し出し可能とのことである。)後も、研究を御継続中のパルゴア関係の資料だけはお手許に置かれていると、先生から直に伺っていたので、ご家族に手を尽くして探していただいた。けれども、典拠として参照しうる、まとまった資料はとうとう見つからないとわかった頃から、いただいた仕事の難しさを改めて悟り、頭を抱えた。暫くしてようやく覚悟を決め、心当たりの史料にあたりながら、御原稿を何度も読ませていただいた。そして敢えて註記を加えていったが、典拠を突き止められなかった箇所も多い。註記によって端正な先生の御原稿を汚し、パルゴアとモンクット王のイメージを損なったのは確かであろうから、註は無視して下さってもかまわない。しかし、先生の御原稿に触発されて、さらに研究してみたいと思われる人には何らかの役に立つと考えている。解説と合わせて、そのような後学の方たちへの架け橋となるような作業を心がけた。
 解説については、なるべく面白く読んでいただきたいと願うのみで、多言を要しない。今日の視点からバランスのとれた歴史叙述を心がけることはしなかった。モンクットの想念や筆勢の赴くままに、その跡をたどって「世界」を探訪した結果、かなり多岐にわたることになったが、「世界」とは、あくまでもモンクットにとっての「世界」である。できる限りあちこち訪ね歩きはしたものの、それでもモンクットの「世界」のすべてをカバーできたわけではない。たとえばモンクットが心血を注ぎ、結局命を縮めるきっかけとなった皆既日食の計算を促した、当時の天文学の世界の状況などは手に余るので触れていない。掘り起こすべき興味深いテーマはまだまだたくさんあるはずである。
 非力も顧みず、そして先生と親しくされた諸兄姉に対してはまことに僭越ながら、このような書物を上梓させていただく私が先生から賜ったのは、まさしく学恩である。先生とはいかなる組織においてもご一緒する機会はなかったが、お亡くなりになるまでの約二〇年間にわたり、先生を囲んで有志の友人たちと『三印法典』を読む時間を与えられた。一九世紀初めにシャムの伝統的な法律類を集成して編纂された『三印法典』は、一口に言って、難解である。毎回数ページずつ、まず先生が音読され、それからテキストの細部や派生するあらゆる事柄について、主にタイ語で、自由に、気のすむまでディスカッションをするというやり方で、時の経つのを忘れた。帰りに皆でタイ料理を食べに行くことも多かった。そんな時には、先生がバンコクで寄宿されたタイ人ファミリー内々の深いお話を伺ったりしたが、五〇年以上タイと付き合われた(先生の表現では、タイ人の仲間にしてもらった)先生の口にされるタイ料理のレパートリーは意外に少ないのに驚かされもした。
 冒頭に触れたご著書『道はひらける――タイ研究の五〇年』を、私たちは幸運にも『三印法典』を読む集まりの際に、先生の手ずからいただいた。その本の見返しに、サインに添えて書いて下さった言葉を紹介して、拙文の結びとしたい。モンクットがパルゴアから手ほどきを受けたラテン語でRex Siamensium(シャム王)と署名するのを常としたのを、先生はどうご覧になっていたのだろうかとふと考える。先生は、将来タイへ行くことになるとはきっと夢にも思われなかった若い日から、ラテン語を学び、友とされていた。そして、こう書かれた。

Festina lente!
ゆっくり いそげ


【著者と訳解説者はこんな人】
石井米雄(いしい・よねお)
1929年東京生まれ。
東京外国語大学中退後、外務省に入省。
在タイ日本大使館勤務を経て、京都大学東南アジア研究センター所長・教授、上智大学教授を歴任。
1997年から2004年まで神田外語大学学長。
退任後、(文部科学省大学共同利用機関法人)人間文化研究機構長、(独立行政法人)国立公文書館アジア歴史資料センター長を務める。
法学博士。
2000年文化功労者顕彰。
2007年チュラーロンコーン大学から名誉文学博士号授与。
2008年瑞宝重光章授章。
2010年2月死去。
【著書】
『上座部仏教の政治経済学─―国教の構造』(創文社)、『タイ近世史研究序説』(岩波書店)、『インドシナ文明の世界』(講談社)、『タイ仏教入門』(めこん)、『道は、ひらける』(めこん)、『語源の楽しみ』(めこん)など。
【共著】
『東南アジア世界の形成』(講談社)、『東南アジア史T 大陸部』(山川出版社)、『日タイ交流六〇〇年史』(講談社)、『メコン』(めこん)など。
【編著】
『タイ国――ひとつの稲作社会』(創文社)、Junk Trade from Southeast Asia(Institute of Southeast Asian Studies)など。
【訳書】
トンチャイ・ウィニッチャクン『地図がつくったタイ――国民国家誕生の歴史』(明石書店)など。

飯島明子(いいじま・あきこ)
1951年生まれ。 東京大学文学部卒業。
同大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程修士課程修了。
文部省(当時)アジア諸国等派遣留学生としてタイに研究滞在。
専門は歴史学、東南アジア大陸部北部の歴史、タイ(Tai)文化圏の歴史。
現在、天理大学国際学部教授。
「ラワ―タイ関係をめぐるナラティブとメタ・ナラティブ」(クリスチャン・ダニエルス編『東南アジア大陸部 山地民の歴史と文化』言叢社、2014年刊所収)等、論文・分担執筆書多数。訳書に『ヨム河』(ニコム・ラーヤワー原作、段々社、2000年刊)他がある。


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