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ラオスの全体像がつかめる初めての本です。特に「政治」・「経済」は最新のデータと実体験に基づく分析がすごい。今後、ラオス研究のスタンダードとなるでしょう。
【忘れられた国から訪れるべき国へ】
かつてラオスは東南アジアの中でもっともマイナーな国と言われ、一時は「忘れられた国」と揶揄されたこともあった。つい10年前までは「ラオスに行く」と言うと、「北海道の羅臼(らうす)?」や「アフリカのラゴス?」と聞き返された。メディアで取り上げられることもほとんどなかった。
私が初めてラオスを訪れたのは2000年10月である。そのときも友人にラオスに行くと言うと、「それどこ? アフリカ?」と聞かれた。大学院時代にベトナムを研究していた私はもちろんラオスという国を知っていたが、ラオスに関する知識はほとんどなく、当時の多くの人が抱いていたように、ラオスは私にとっても「謎の国」だった。
1999年にアジア経済研究所に入所し、半年後に突然ラオスという研究対象国を与えられた私は、2000年4月からラオス研究を始めた。ゼロからのスターであるため、政治、経済、歴史、文化など、とにかくラオスについて知ろうとインターネットや図書館で文献を調べたが、その少なさに愕然とした。タイ、ベトナム、インドネシアなど、東南アジアの他国については当然あるような日本語の概説書や専門書がほとんどなかったのである。英語の文献や論文の数は日本語以上に豊富であったが、その数は他の東南アジア各国と比較すると圧倒的に少ない。研究所の先輩の知恵を拝借しようにも、ラオスの専門家は一人もいなかった。
アジア経済研究所は1960年に設立された開発途上国専門の研究機関であり、多くの地域研究者がいる。私が入所した1999年には、ブルネイとラオスを除き東南アジア各国の専門家がおり、ベトナムでさえ5人の専門家がいた。タイやインドネシアなど大国の専門家はそれ以上の人数であった。私がラオス担当となるまで40年間、研究所にはラオスの専門家がいなかったのである。私にラオスを対象国として提案した当時の理事が、「これまでラオスの専門家は必要なかった。今でも必要かどうかは正直わからない。今後もしかしたら必要になるかもしれないので研究所でもラオス担当を1人置こうと思う。ただしまったく注目を浴びないかもしれないよ」と言っていたのは今でも鮮明に覚えている。開発途上国専門の研究所でさえ、ラオスはこのような位置づけだったのである。そうであれば、一般社会におけるラオスの知名度の低さは言うまでもない。
しかし2000年代後半から、ラオスは徐々に日本や欧米で知られるようになった。2004年11月、首都ヴィエンチャンで第10回ASEAN首脳会議が開催された際、日本から小泉首相(役職は当時。以下同じ)がラオスを訪問し、ほんの数日間だけラオスに注目が集まった。2000年代後半になると日系企業の投資先としてラオスに関心が寄せられ、今では「新・新興国」としてテレビ番組で取り上げられることもある。そして2016年9月には再びラオスでASEAN首脳会議が開催され、ラオスは脚光を浴びることとなった。
また近年の大学生による国際支援やボランティアブームによって、ラオスは毎年いくつもの団体が訪れるメジャーな支援先になりつつある。バックパッカーの旅行先としても人気を集めている。2007年12月九日付のThe New York Timesは、2008年に訪れるべき場所としてラオスを第1位に取り上げた。2018年にはルアンパバーンが第52位に入っている(The Ney York Times, 2018年1月10日)。現在では、ヨーロッパや日本の旅行雑誌でもラオスの特集が組まれるようになった。ラオスは東南アジアでもっともマイナーな国から、訪れるべき国へと変貌を遂げたのである。
とはいえ、情報という面でラオスはいまだにマイナー国と言える。書店でラオスの本を探すのは苦労する。ラオスを取り上げるメディアは増えているが、重大事件が発生してもほとんど報道されない。隣国タイでクーデタが起きたとき、「赤VS黄」の争いが起きたときなどのメディアの取り上げ方とは大きく異なる。
たとえば2014年5月、党指導部が乗っていた飛行機が墜落し政治局員1人、書記局員3人が死亡する事故が起きた。党指導部4人が同時に死亡したことは大変ショッキングな事件である。しかし日本のメディアでの扱いは小さく、中には間違った情報を配信したところもあった。あるメディア関係者からは、ラオスのニュース価値は高くないので取り上げることは少ないという話を聞いた。ラオスへの注目が集まる一方で、ラオスに関する情報を入手することはいまだに難しい。
インターネットも同様である。検索サイトにラオスと入力すれば無数の情報が手に入る。たとえばとある検索サイトにラオスと入力したら814万件ヒットした。政治、経済、観光、援助、旅行体験記、料理、ボランティアなど、さまざまな情報にアクセスできる。しかしラオスに関する基本的かつ正しい情報を入手できるサイトは少ない。
メディアやインターネットでよく目にするのが、「癒しの国」「微笑みの国」「最後の秘境」「桃源郷」といったラオス像である。私もラオスを訪れ始めた最初の数年間はラオスの人々はいつも笑顔で優しく、みんなが仲良く暮らし、なんて居心地の良い国なのだろうと同じようなイメージを抱いていた。
しかし実際に暮らし、ラオスの人々と一緒に過ごしてみると、そのようなイメージはあまりに表面的であり、ラオスの本質を捉えていないと思うようになった。
ラオスの人々は笑顔で、そしてホスピタリティあふれる態度で外国人を受け入れるが、その反面、どこか保守的で外国人が入り込むことが難しい壁もある。また仲間との結束を重視する社会であり、いつも笑顔で仲間と仲良くしているように見えるが、裏で陰口を言うことは日常茶飯事であり、実は利害関係のみで人間関係が構築されていることも多い。社会では過度の協調性が求められる一方で、個人の利害に関する事柄については自分勝手な側面も非常に強い。家族や親戚同士の紐帯は強いが、ときにそれはしがらみとなり負担と感じる人もいる。人々は暖かいようで情に薄く、特に近親者や仲間以外には冷たくドライな部分もある。そしてラオスの人はおっとりしているが、プライドが高く自己主張も強い。
このような対極にある要素の共存は政治や経済面でも見られる。ラオスは人民革命党による一党独裁体制である。人民革命党はマルクス・レーニン主義政党であり、社会主義国家建設を目標に掲げている。今でもイデオロギーは体制維持にとって重要な要素だが、1970年後半から市場経済原理の一部を導入し、1990年代から本格的な市場経済化による経済発展を進めている。
また中央集権体制であっても、地方の自律性は非常に高く、中央の決定に地方が忠実に従う保証はない。ラオスの地方行政は県、郡、村の三つに分かれ、中央が県を、県が郡を、そして郡が村を管理し、制度上は中央集権管理体制が整備され、中央の決定は末端まで貫徹されるようになっている。しかし県には県、郡には郡、村には村の利害があり、それぞれが中央の決定や政策を独自に解釈し、ときに中央の決定は形式的にしか実施されない。
このように一見矛盾し相反する要素が共存しているのがラオス社会である。過度の結束と非常に強い自己中心性の共存に見られるように、両極端の要素が不思議と融和している。そのような社会で人々は、バランスを取りながら自分の利害を最大限増やすように巧みに生活している。
このようなバランス感覚は、小国でありながら、ベトナム、中国、日本、アメリカなどの大国と渡り合い、それぞれから援助を引き出している外交でも見られる。ラオスの外交は非常に巧みである。
ラオスには「癒しの国」「微笑みの国」「最後の秘境」「桃源郷」という側面もあるかもしれない。特に短期訪問者やラオスで暮らす一部外国人にとってはそのようなイメージが強いだろう。しかしラオス社会を少しでも深く覗いてみると、非常に複雑で人間臭い社会であることがわかる。
【目次】
1 ラオスはどんな国か
忘れられた国から訪れるべき国へ
地理、気候、季節
季節や自然とともに生きる
地域と居住地による三区分
都市と農村の異なる顔
外国人にとってのラオスの魅力
ラオスの人々と社会の構成要素:10のキーワード
【ラオスの10人】カイソーン・ポムヴィハーン
2 三つの地域と主要な都市
北部
①ルアンパバーン(ルアンプラバーン):世界遺産の町
②フアパン県:革命の拠点
③ウドムサイ県:北部の交通の要
④シェンクアーン県:激しい戦地から世界遺産へ
⑤ルアンナムター県:少数民族の宝庫
⑥ボーケーオ県:拡大する中国の影響
⑦ポンサーリー県:最北端の県
⑧サイニャブーリー県:象祭りと発電所の地
中部
①首都ヴィエンチャン:ラオスの顔か? 異質な場所か?
②サイソムブーン県:軍事管理から通常の県へ
③ヴィエンチャン県:もう一つのヴィエンチャン
④ボーリカムサイ県:木材とダムによる経済発展
⑤カムアン県:期待される経済発展
⑥サワンナケート県:中途半端な県からの脱却
南部
①チャンパーサック県:南部の中心
②セーコーン県:新たに設立された県
③サーラワン県:豊かな自然と少数民族
④アッタプー県:多くのポテンシャルを持つ県
【ラオスの10人】 ペッサラート
3 歴史
ラーンサーン王国
フランス植民地時代
独立闘争から内戦へ:国民意識の形成
社会主義国家建設から市場経済化へ
1991年の憲法制定:ラオス史における分岐点
新時代の国民国家建設:後発開発途上国脱却から上位中所得国へ
【ラオスの10人】ヌーハック・プームサワン
4 民族
多民族国家ラオス
ラオ族と少数民族の関係
主要民族の特徴と居住地
①ラオ族
②タイ族
③クム(カム)族
④マコーン族
⑤モン族
抗仏闘争と内戦における少数民族
①ワン・パオ
②オン・ケーオ
③オン・コムマダムとシートン・コムマダム
【ラオスの10人 】プーミー・ウォンヴィチット
5 宗教と文化
仏教国家ラオス
生活の一部である仏教と精霊信仰
党と仏教の関係
キリスト教
ヒート・シップソーン(12の慣習)
①ブン・カオカム(ブン・ドゥアンアーイ)
②ブン・クーンラーン(ブン・コーンカオ)(稲魂祭)
③ブン・カオチー(焼きおにぎり奉納祭)とブン・マーカブーサー(万仏節)
④ブン・パヴェート(ブン・マハーサート)(大生経祭)
⑤ブン・ピーマイラーオ(ラオス正月)
⑥ブン・ウィサーカブーサー(仏誕節)とブン・バンファイ(ロケット祭り)
⑦ブン・サムハ(サムラ)(厄払い祭)
⑧ブン・カオパンサー(入安居祭)
⑨ブン・ホーカオパダップディン(飾地飯供養祭)
⑩ブン・ホーカオサーク(ブン・サラーク)(くじ飯供養祭)
⑪ブン・オークパンサー(出安居祭)
⑫ブン・カティン(カティン布献上祭)
バーシー
【ラオスの10人】スパーヌウォン/スワンナプーマー
6 政治
「社会主義国家ラオス
ラオス人民革命党
人民革命党による国家、社会管理メカニズム
2015年の憲法改正
国会/県人民議会選挙
①選挙規定と過程
②選挙候補者選出過程
③国会選挙における党の意向
④県人民議会選挙における党の意向
国会の役割:「ゴム印機関」から国民の代表機関へ
①ホットライン
②不服申し立て制度
中央と地方の関係
地方が強い一党独裁体制
村の政治
ラオス政治の原型
【ラオスの10人】カムタイ・シーパンドーン/チュームマリー・サイニャソーン─
7 経済
基本的な特徴
経済成長を支える外国投資
天然資源への依存
経済開発の負の側面
①汚職問題の悪化
②土地紛争
③環境問題
④無理なインフラ開発と債務の拡大
近代化と工業化の象徴
通信衛星と鉄道プロジェクト
労働者の不足と質の問題
衰えない公務員の人気
【ラオスの10人】ソムサワート・レンサワット
8 外国との関係
社会主義から全方位外交へ
ベトナム:次世代へと引き継ぐ価値ある特別な関係
中国:依存か? それとも利用か? 深化し続ける関係
韓国:高まるプレゼンス
カンボジア:関心がさほど高くない国
タイ:好き? 嫌い? 微妙な関係
日本:最大の援助供与国からプレゼンスの低下へ
アメリカ:かつての最大の敵からパートナーへ
名実ともにASEANの一員へ
【ラオスの10人】トーンルン・シースリット
9 社会
ブランド化する教育
①教育制度
②高等教育:質を伴わない高学歴者の増加
変化する嗜好
飲み、食べ、話し、音楽が響く社会
SNSの普及
声を上げる人々
古くて新しい現象
あとがき
参考文献
文献案内
索引
【執筆者はこんな人】
山田紀彦(やまだ・のりひこ)
ラオス研究の第一人者。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員。ラオス国立大学経済・経営学部客員研究員(2003年~06年)、ラオス行政・公務員管理庁JICA専門家(2007年~08年)、ラオス内務省客員研究員(2015年~18年)などのラオス滞在経験を持つ。『ラオス 一党支配体制下の市場経済化』(共編著、アジア経済研究所、2005年)など、ラオス関係の専門書多数。