【序章から】

 

ここに上梓する本は、1999〜2001年度にかけて行なわれた研究プロジェクト「東南アジア社会変容過程のダイナミクス:民族間関係・移動・文化再編」の成果をまとめたものである。この研究は、多民族・多宗教からなる東南アジア社会の変容過程の動態を、20世紀の歴史的脈絡に位置づけ、民族間関係・移動・文化再編をキーワードとしながら、フィールドワークを通じて学際的、総合的に把握することを目標に実施された。

研究参加者は、日本人7名、マレーシア人とタイ人がそれぞれ1名の計9名で、人類学、社会学、歴史学を学問的専門としつつ、東南アジアをフィールドないし研究の場としてきた人たちである。研究の成果は、2002年4月に、プロジェクトと同じ題名の報告書として公表された。

 

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報告書所収の論文に大幅な加筆・修正を施し、1本の英文論文を日本語に翻訳して1冊にまとめたのが本書である。本書の研究対象地域は、ビルマ(ミャンマー)、タイ、ラオスの東南アジア大陸部の3カ国と、インドネシア、マレーシア、フィリピンの東南アジア島嶼部の3カ国、計6カ国である。さらに、9編の論考のうち6編(第1、3、4、5、6、7章)は、明示的にふたつの隣接国家間を往還する複眼的な視点を取り入れており、また、他の論考においても、一国家・一地域のみに収束されない広い関係性に目配りした議論が展開されている。1冊の本で東南アジア諸地域の社会と文化をこれだけ広域かつ多面的に論じたものは、おそらくこれまでないと言ってよいであろう。

ここに収められた論考は、また、研究対象地域におけるフィールドワークに基づき、現場の視点を重視する立場からまとめられている。これは、人類学、社会学を専門とする7人の研究者の論考だけでなく、第2章、第3章のように歴史家の手になるものについても該当する。第2章は、ジャワのスマランにおいて直面した問題、すなわち何世代にもわたってスマランに住み、ジャワ文化に同化しているかに見える華人を実生活の中でどのように華人と同定することができるのか、との問いから出発する。問題意識も問題への応答の糸口も、フィールドワークの中から生まれたものである。第3章は、隣接して住むタイ人とラオ人の民族間関係を、数世紀という長い時間枠のもとで文献を中心に描いたものであるが、第一著者はバンコクを拠点にして活動している日本人研究者であり、論考の最後の節で「公定史観による拘束から身を離して、支配者層の「ラオ」観に回収されないラオに出会うために」は、今後なにが必要かと自問しているように、この論考も現場での生活体験に裏打ちされて書かれたものである。

2章、第3章についての説明から想像できるように、現場での体験あるいはフィールドからの視点を意識しているということは、本書所収の諸論考が、一方で歴史的な視点を意識しつつも、他方で「変容する東南アジア社会」の諸相、とくに民族、宗教、文化の現在に強い関心を抱いていることを意味している。

 

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中国とインドというふたつの大文明に挟まれ、15世紀末に始まる大航海時代のはるか以前から、東の中国と西のインド、ペルシャ、アラブ、地中海世界を繋ぐ「海のシルクロード」の結節点に位置した東南アジアは、長い歴史を通じて多様な民族、宗教が交差する場を形成してきた。ヒンドゥー、仏教、中華文明、イスラームの影響を包摂し、さらに西洋列強の到来後、ほとんどの国が植民地支配にさらされるようになると、キリスト教を含む西洋文明の影響を受けるようになり、ユーラシアン(欧亜混血)のコミュニティが都市を中心に形成されるようになった。19世紀半ば以降は、植民地支配のもとで、今でいう開発が進められて経済発展が起こり、大量の中国人やインド人が労働者、商人、植民地下級官吏などとして流入するにいたる。現代東南アジアの社会的、文化的多様性は、このような東南アジアの歴史的経験の所産なのである。

タイを除いて植民地化された東南アジアの国々は、第2次世界大戦後に次々と独立を果たした。しかし、冷戦構造のなかで、1967年にASEAN(東南アジア諸国連合)を結成したインドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、タイ、そしてのちにブルネイ(1984年加盟)と、旧フランス領インドシナを形成し、第2次世界大戦後は社会主義路線を歩み出したベトナム、ラオス、カンボジア、そして独自の社会主義を標榜したビルマのあいだには交渉が乏しく、東南アジアの民族・宗教・文化は、主としてそれぞれの国におけるナショナリズムや国民統合との関係で論じられることが多かった。

このような状況のなか、開発主義的政策のもとで、1960年代末・1970年代初頭以降、シンガポール、タイ、マレーシアに先導されて経済発展が起こり、1997年の通貨危機までは、東南アジアは世界のなかで最もダイナミックかつ急速な変容を遂げ、経済発展における優等生とみなされるにいたる。フィリピン、インドネシアから、合法・非合法を問わず、シンガポールやマレーシアなどに出稼ぎ労働者が増大し、シンガポールからはインドネシアのバタム島へ、マレーシアからは南タイのハジャイに観光客が群がるようになり、サテライト・アンテナのおかげで、都市中間層がお互いの国のテレビ・プログラムを見ることができるようになるのも、1980年代後半以降のことである。

経済発展は、東南アジアの「自由主義陣営」に属する国々の話であるが、冷戦が終焉したのちの1990年代からは、域内外の「社会主義陣営」の国々との関係にも変化が生じた。まず、1990年代初頭から中国の開放政策が本格化し、東南アジアと中国とのあいだに政治的・経済的関係が築かれるようになるとともに、現在では観光に代表されるように、民際的な交流も盛んになってきている。同様の変化はベトナム、ラオス、カンボジアにもみられ、当初5カ国で出発したASEANは徐々に構成員を増やし、1999年にはついにASEAN10が結成されて、東ティモールを除く東南アジアのすべての国がこれに加盟するにいたった。つまり、自由主義陣営と社会主義陣営に分かれたなかでの関係から、東南アジアは外の世界と多様な関係を結ぶようになっただけでなく、域内の諸国家・諸地域間の交流も活発化している、ということである。

わたしたちの研究プロジェクトが実施された時期は、このような大きな流れを背景として、経済面では1997年の通貨危機からの漸次的回復がみられ、政治的には1998年に崩壊したスハルト体制後のインドネシアで顕著なように、民主化や地方分権が一部で推進された時代と重なる。域内外におけるこうした政治経済的変化もあって、東南アジアの社会と文化も新たな局面を迎えつつあるように視得る。たとえば、第3章、第4章、第5章、第7章が語るタイとラオス、タイとミャンマー、あるいはマレーシアとタイ国境を跨いだ人々の交渉は、こうした状況の中で頻繁化し、緊密化したものであり、第2章の華人アイデンティティや第9章が取り上げるマレーならぬ「リアウ・マレー」アイデンティティの将来も、ポスト・スハルト期のインドネシアの社会政治動向と密接に関係している。本書を徹して、現在進行形の東南アジアの社会的、文化的動態の諸側面を伝えることができればと願っている。

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