序章 ラオスのプロフィール
                                 西澤信善
1 ラオス概観
ラオス人民民主共和国の成立
ラオスがフランス植民地支配のくびきを脱して独立を達成したのが1949年7月19日のことである。独立以降のラオス現代史を瞥見すれば、左派のラオス愛国戦線が内乱を制して現在の社会主義政権が樹立された1975年を境にして大きく二つの時期に分けることができる。さらに後者は新思考による市場経済化が打ち出された1986年を分岐点としてその前後の二つの時期に細分化されよう。1986年の市場経済化がラオスの現代史においていかに重要な意味をもつのかを理解するために若干独立後の歩みを振り返ってみる必要がある。 ラオスでは植民地時代からいくつかのグループが独立運動を展開していたが、日本の敗戦を受けて活発化しラオスの再植民地化を目論むフランスとの対立が深まっていく。彼らは次第に一つのまとまりのある運動体に結集し、独立運動を展開する。これが自由ラオス(ラーオ・イッサラ)運動である。ラオ・イサラは1945年10月にラオス臨時人民政府を樹立し、独立の受け皿としての正当性を主張する。しかし、軍事的にはフランスに対抗できず1946年に抵抗の拠点をバンコクに移すことを余儀なくされる。他方、フランスは王国政府を前面に押したててラオスの再支配を推し進めるのである。1949年の独立付与の評価を巡って、完全独立を主張するスパーヌウォン派と一応独立が達成されたプーマ派とに分裂するのである。実際、独立といっても外交権および防衛権も認められていない形式的なもので、同政府は実質的にはフランスの傀儡政権に近かったと考えられる。ヴィエンチャン市にある革命博物館には独立の調印式の写真が掲げてあるが、それにはこの独立を"偽りの独立"という短い説明がついている。
その後、スパーヌウォンはベトナムの影響下で独立運動を進めていたカイソーンらと合流し、1950年ラオス自由戦線(ネオ・ラーオ・イッサラ)を結成する。1955年にはマルクス=レーニン主義を標榜するラオス人民革命党が結成され、その後の運動に指導的役割を果たすことになる。1956年にはラオス自由戦線はラオス愛国戦線(ネオ・ラオ・ハクサト)と改称し、ベトナムの支援を受けて北部のサムヌア、ポンサリー、シェンクアンなどで解放区を築き、徐々に勢力を拡大していった。その戦闘部隊がパテト・ラオと呼ばれる。そして三度の連立政権の時期を除いてラオスは内戦に明け暮れた。1965年2月、アメリカは北ベトナムに対して爆撃を開始するが、ラオスも1973年まで北部の解放区やラオス領内を通るホーチミン・ルートなどに激しい爆撃が加えられた。モン族がアメリカ中央情報局(CIA)の手によって反共の軍隊に仕立てられラオスの共産勢力と戦った。モン族の死者は約20万人と推定されている。知られざるラオスの悲劇である。ベトナムにおける北の勝利に力を得て、愛国戦線が最終的に権力を奪取したのは1975年12月のことであった。12月1日および2日に全国人民代表大会が開かれ、王制の廃止、ラオス人民民主共和国の樹立が決定された。622年間続いたランサン王朝はここに幕を閉じた。12月2日は現政府が樹立された記念日として祝日になっている。

計画経済から市場経済へ
以降、ラオス人民革命党が権力の中枢機関として社会主義国家樹立に向けてのラオス人民を指導する体制が樹立された。ラオス人民革命党が一貫して注力してきたことは、国内の平和と安定の実現および人々の経済水準の向上であった。特に、1970年代の後半から80年代の前半にかけての課題は、社会主義体制の基礎を作り上げ、内乱で疲弊した経済を立て直すことであった。主要な民間企業は国有化され、国有企業に再編成された。国有企業は国家の目標に従って生産する計画経済の単位となった。農民は国家の管理の下におかれ、供出義務を負った。都市では供出米を供給する配給制度が確立された。諸価格は国家の統制下におかれた。しかし、経済は低迷し、国民の不満は募って行った。ラオスが社会主義体制樹立に邁進していたとき、ラオスに大きな影響を与えてきた中国、ソ連、ベトナムなどの主要な社会主義国で社会主義システムそのものが揺らぎ始めていた。中国では1978年、停滞経済を打破するため四つの近代化(農業、工業、国防、近代技術)をスローガンに改革・開放路線に踏み切った。ベトナムでは1979年の商工業の国有化をきっかけに大量の難民が発生し、社会主義的改造が国民の間に大きな混乱をもたらしていた。このことは社会主義路線の見直しの契機となり、1986年のドイモイ(刷新)につながっていく。ソ連でも1985年にペレストロイカに踏み切り、市場経済の導入が図られた。こうした主要社会主義国の改革・開放のうねりはラオスの社会主義にも押し寄せることになる。   1986年、ラオス人民革命党は第4回党大会において大胆な経済改革路線を打ち出し、市場経済化に踏み切った。この方針転換は過去四半世紀にわたる党支配の歴史において画期的な意味をもっている。そして現在に至るまで体制変換の意味を持つ市場経済化が、ラオスの最大の国家目標となっている。ただし、市場経済といってもラオスの独自のそれであることを強調する意味で「国家管理の市場経済」(State-Managed Market Economy)という言い方をしている。他方、ラオス人民革命党は現在もマルクス=レーニン主義の旗を堅持しており、人民革命党による一党支配体制と同党の権力機構内での指導的地位は依然として変わらない。

地勢と気候
 一国の経済構造や発展がその国がおかれている自然環境や天然資源、人的資源の賦存状況に大きく影響を受けることは言うまでもない。ラオスは東南アジアのインドシナ半島の中心部、北緯14度から23度、東経100度から108度の間に位置する。南北に長く、東西に細い縦長の地形となっている。国土面積は23万7千平方キロメートルである。ラオスの北部は中国と、南部はカンボジアと、東部はベトナムと、西部はタイと、北西部はミャンマーとそれぞれ国境を接している。海への出口をもたない内陸国である。国土面積は国土の4分の3は山岳部ないしは高原である。地勢的には山岳部、高原部および平野部の三つに分けられる。
北部は平均海抜1500メートルの山で覆われている。シェンクアン県、フアパン県、ルアンパバーン県の3県にはプービア山をはじめとして2000mを超える山が9つもある。アンナミテ山系(Annamite Chain)とも呼ばれるルアン( Louan)山脈は、プーアン(Phouane)高原の南東部から下ってカンボジア国境に伸びている。そこには三つの大きな高原がある。すなわち、シェンクアン県のポーアン高原、カムアン県のナーカーイ高原そしてラオス南部の1000メートルの海抜をもつボーラヴェン高原がそれである。平地部はメコン川沿いの大小の平野よりなる。もっとも大きいのはナムグム川下流部のヴィエンチャン平野である。セーバンファイ川およびセーバンヒアン川の下流域のサヴァンナケート平野やタイとカンボジア国境間に広がるメコン川沿いのチャムパーサック平野も重要である。肥沃な土壌に恵まれたこれらの平野部は総面積の4分の1を占め、国の"穀倉"地帯となっている。
 河川が多くあるのもラオスの地勢上の特徴である。メコン川はラオス領内の北から南へ1898kmの長さがある。ナムウー川はポーンサリーからルアンパバーンへ448km、ナムグム川はシェンクアン県からヴィエンチャン県へ354km、サヴァンナケート県のセーバンヒアン川は338km、ナムター川はルアンナムターからボーケーオへ325km、セーコーン川はサーラヴァンおよびセーコーンからアッタプー県へ320km、セーバンファイ川はカムムアンとサヴァンナケートの間239km、ウドムサイ県のナムベーン川は215kmの長さがある。
 ラオスは山岳部や高原部を除き、大体、熱帯に属する。年間の平均気温は26度前後であるが、北部でやや低く、南部で高い。主要都市の平均気温をみるとルアンパバーンで25.9度、ヴィエンチャン特別市で26.5度、パークセーで27.5度である。モンスーンの影響を受け、雨期と乾期は明瞭に分かれている。雨期は5月から10月、乾期は11月から翌年4月にかけての時期である。降雨量は地域によって差があるが、シェンクアンやルアンパバーン、サイニャブリーでは1000~1500mm、ヴィエンチャンやサヴァンナケートでは1500~2000mmである。ルアン山系では年間降雨量は3000mmに達する。北部よりも南部の方が降雨量は多い。豊かな水資源は高い気温とあいまって稲作などの農耕を可能にし、豊かな森林資源を育み、そして水力発電の高いポテンシャリティーをもたらしている。

 人口とその分布
 2000年現在、ラオスでは23万7千平方キロメートルの国土に約520万人の人が居住する。政府はラオスに住む人たちの言語を4つのグループに、種族を49に分けている。各言語グループとそれぞれに属する種族は次の通りである。ラオ・タイ語族には、ラーオ、プータイ、ルー、ニャウン、ニャン、セート、タイ、プーアンタイの8種族が属する。モーン・クメール語族には、カムー、パイ、シンムーン、ポーン、テーン、アードゥー、ビト、ラメート、サームターウ、カターン、マコーン、タリー、タオーイ、モーン、カリーなど32種族が含まれている。チベット・ビルマ語族には、アーカー、シンシリ、ラーフー、シーラー、ハーイー、ホー、ローローの7種族が含まれる。また、モン・イオ-ミエン語族には、モン(同6.9%)とイオ-ミエンが属する。
上で述べたように国土の4分の3は山岳部である。ラオスの人口分類で興味深いのは人々を住む高さによって分類することである。すなわち、およそ海抜400メートル以下に住む人たちをラーオルム、山の中腹に住む人たちをラーオトゥン(山腹ラオ人)、およそ海抜800メートル以上の高地に住む人たちをラーオスーン(高地ラオ人)と分ける。ルム、トゥン、スーンはそれぞれ下、上、高を示すラオス語である。そしてラーオルム、ラーオトゥン、ラーオスーンは単に居住空間の違いだけでなく、住む種族も言語も異なるのである。ラーオルムはラーオ族(人口構成比52.5%)が最も多く、プータイ族(同10.3%)、ルー族(同2.6%)、などによって構成される。言語はラオ・タイ語系に属する。ラーオトゥンは人口の約11%を占めるカムー族のほかにラメート族、ラヴェン族などによって構成される。言語はモーン・クメール語族に属す。ラーオスーンは人口の6.9%を占めるモン族をメジャーとしミエン族(ヤオ族)、ランテン族などで構成されている。言語はモン・イオ-ミエン語族に属する。
ラオス政府の1980年代の調査によれば、ラーオルム、ラーオトゥン、ラーオスーンのそれぞれの人口比率は56%、34%、9%であった。なお、1995年のセンサスではこのようなデータはとられていない。人口の過半を占めるラオルムはもっぱらメコン川流域の平野部に住み、稲作などの農耕に従事している。ラーオトゥンおよびラーオスーンは狭小な農地を耕作し、また、山の斜面を燃やしてそのあと地に陸稲やとうもろこし、たばこなどを栽培する。山の斜面での農耕は雨で表土が流されやすいために土地の肥沃度が急速に落ち、他の場所への頻繁な移動を余儀なくされる。政府の家計調査によれば、焼畑農業(slash and burn)に農家の数は28万世帯に上る。その70%は北部諸県内にある。村の数をベースにしてみれば、北部では83%の村が焼畑農業に関与している。森林面積の減少が大きな問題となっているが、その根底には人口プレッシャーがあることが分る。
 ラオス固有の開発の難しさは、かなりの人口(ラーオトゥンおよびラーオスーンを合わせると総人口の43%を占める)が、開発が容易でなくかつ遠く離れた地域に、種族ごとに小規模に分散して住んでいるところにある。各種族はそれぞれの言語を話し、固有の文化、伝統、生活様式を守りながら地域ごとに暮らしている。地理的に離れていることや言葉・文化の違いは人と物の交流を妨げ、人種・地域間の格差をもたらす大きな要因になっている。

産業と就業構造
 ラオスの産業構造はこのような地勢、気候および人的資源に規定されてきた。主たる産業は農業、林業、畜産業などの第一次産業である。工業化の程度は低く、商業やサービス業も未発達である。1999年の産業別GDPシェアーをみると、農業が52%、工業が22%、サービスが25%となっている。なお、ラオスの統計分類によれば、農業は農作物生産、畜産・漁業、林業を、工業は鉱業、製造業、建設、電力・水道を、そしてサービスには運輸・通信・郵便、卸売り・小売業、銀行、賃貸し業、行政(公務)、非営利組織、ホテル・レストランをそれぞれ含んでいる。
農業生産はもっとも主要な経済活動である。主たる農産物は、米、とうもろこし、野菜、豆類、たばこ、綿花、さとうきび、コーヒーなどである。そのうちもっとも重要な農産物は米である。1976年の米作付け面積は52万ha(ヘクタール)であったが、2000年には69万haまで増加した。69万haのうち約50万haは天水に、11万haが灌漑水に依存している。高地のそれは8万haであるが、政府の焼畑農業を安定化させる政策により減少の方向にある。米の総生産量は223万トン、1人当たりの米の量は約400kgになりほぼ自給を達成できる水準にある。天水田でのヘクタール当たりの平均生産量は3.23トンであるが、高地でのそれは1.63トンに過ぎない。典型的な米作農家は米のほかに野菜や果物を栽培し、牛、豚、鶏などを飼い、時には川で魚をとる。これらはもっぱら自給用に供しているが、余剰がでれば市場に売りに出す。コーヒーの作付面積は4.2万haで米についで多い。生産量の90%は輸出向けである。
森林資源はラオスのもっとも重要な自然資源である。焼畑農業のために森林資源はかなりの減少をみせた。現在、300万haに及ぶ20の国家レベルの保護林、290万haに及ぶ118の県レベルの保護林がある。伐採用に指定された森林地区は456ヵ所で、総面積は234万haである。木材は貴重な外貨獲得源の一つとなっている。鉱物資源は錫、亜鉛、銅、金、銀、サルファー、貴金属、石炭、石灰岩などを産出するが、いずれも生産量は多くない。しかし、調査では鉱物資源はかなり豊富に存在しているとみられており有望産業に発展する可能性を秘めている。工業は幼稚産業の段階にある。労働力は7.1万人を数えるのみである。工場等の事業所の従業員規模をみると、大事業所(従業員100人以上)が108ヶ所、中事業所(従業員10人から99人)が494ヶ所そして小事業所(従業員9人以下)が19797か所となっている。これをみて分かるように小規模事業所が圧倒的に多いことが理解されよう。主な業種は食品・飲料水、繊維、建設資材、雑貨、木工などである。近年、ガーメントの輸出が伸びてきているのが注目される。経済活動人口の職種別の就業構造をみると、もっと明確に農業への集中度の高さがわかる。すなわち、1995年の場合、経済活動人口217万人のうち約85%にあたる185万人が農業を主たる生業としている。人口の圧倒的部分が農業に依存しているのである。ついでサービス産業従事者が4.0%、技術者が2.9%、職人が2.6%などとなっている。

2 最後発国からの脱出
最後発国
ラオスの抱える最大の経済問題は、貧困である。現在、ラオスは国連の基準で世界の最後発国(Least Developed Countries; LDC)の一つとして分類されている。最後発国とは最貧国とほぼ同義的に捉えてよいであろう。国連社会経済理事会の報告によれば、最後発国は49カ国に達している(1991年に最後発国と分類された国の数は世界で27カ国)。国連の定義する最後発国とは、1人あたりGDP、人的資源の質を示すAPQLI指標(Augmented Physical Quality of Life Index)および経済多様化指標(Economic Diversification Index; EDI)の三つで把握される。1人あたりGDPは800ドルに設定されている。APQLIは出世時平均余命(寿命)、1人あたりカロリー摂取量、初等中等教育の合成就学率および成人の識字率を合成して作られた指標である。含まれている指標から分るように人間の生活や能力を総合的に捉えようとするものである。経済多様化指数はGDPにおける製造業のシェア、工業の労働力シェア、年平均1人あたりエネルギー消費量、UNCTADの商品輸出集約指数などを合成して作られる。他方、経済発展の程度を測る方法の一つは多様な産業がどれほど発達しているかである。これはしばしば産業構造の高度化と呼ばれる。とりわけ、経済全体の牽引力となる工業の発達度がメルクマールになる。EDIはこれらのことを反映した指標とみることができる。ラオスの経済発展の現状をみると、1人あたりGDPも300ドルを下回り、初等教育の普及の低さから見ても人的資源の質は高くなく、また工業化の程度も低く経済の多様化も進んでいない。確かにこれらの指標を見る限り、最後発国に分類されることは十分に予想される。
世界銀行は貧困を所得だけでなく、平均余命、栄養状態、乳幼児の死亡率、罹病率、初等教育の進学率、成人の識字率などを総合した生活水準で把握することを提唱している。そして、貧困を所得や資産を所得的側面およびその他の教育や保健などの指標を社会的側面として二つに分け、前者の貧困を所得貧困(income poverty)、後者のそれを非所得貧困(non-income poverty)と呼んでいる。所得貧困の基準として1日1ドル(1993年価格)を採用し、1998年現在その貧困線で生活する人の数をおよそ12億人と推定している。他方、国連食糧農業機構(FAO)は世界の飢餓の人口をおよそ8億15百万人と推定している。ユニセフの『世界子供白書2001』によると、ラオスの1999年時点における一人当たり所得は280ドル、5歳未満児の死亡率は111人、出生時平均余命は54歳、成人の識字率は60%などである。これらの社会経済指標を見る限り、ラオスはまだかなり見劣りすると言わざるを得ない。しかし、ラオスは、所得は低いが飢えている人達の少ない社会である。ラオス社会が最悪の悲惨な印象をほとんど受けないのは、恐らくそのためであろう。ラオスの強みは農村地域の70%の世帯が土地を所有し、土地を所有しない世帯でもその大半は土地へのアクセスを有している点である。飢えなければよいというわけではないが、食糧が自給できる点はラオスの恵まれたところである。
ラオスでは貧困と結びついた深刻な問題がある。それは森林面積の減少である。ラオスは日本の本州とほぼ等しい面積といわれているが、この半世紀間で九州と四国を合わせた面積(約600万ヘクタール)の森林が消滅したと推定されている。そのもっとも重要な原因は焼畑農業である。焼畑農業に依存する人口が少なければそれほど大きな問題にならなかったが、前述のように28万世帯も焼畑農業にかかわっている状況下では早急な対策が望まれる。

開発政策
市場経済における開発の主役は民間企業であり、政府は脇役である。しかし、ラオスのように市場経済の歴史が浅い国では発展の担い手となるべき民間企業が十分に育っていない。そのため、政府が開発に果たすべき役割はきわめて大きい。多数の企業が群生し、その中から有力な企業が排出し、そして互いに競争することによって市場経済は成熟し、その社会の発展がもたらされる。市場経済では、政府は何よりもまず民間企業が生まれ、育ち、活動するためのよいハード、ソフトの環境を整えることに重点をおかねばならない。ラオスでは政府の役割としてとりわけ重要と思われるものは、法整備および諸制度の創出、適切なマクロ経済政策を実施、経済活動の基盤となるインフラの整備、教育や保健の適切な社会サービスの提供などである。もちろん、政府はオールマイティーというわけではない。市場が失敗するように政府も失敗する。しかし、政府の失敗は一国経済のパーフォーマンスを大きく左右するため良好な開発政策を実施する責任はきわめて重い。
計画経済から市場経済に移行するということは経済の仕組みや運営の根本原則を変えることであり、そのためにそれと整合的な法律の制定、法体系の改変が必要である。ラオスでは現政権の下で新憲法が公布されたのは1991年8月15日のことであった。しかし、これまで憲法を含めてわずか46の法律が制定されたに過ぎない。目下、日本などの援助を受けて法整備が進められている。また、市場経済に適合した諸制度の創出が不可欠である。とりわけ重要なのは、財政制度と金融制度である。財政制度ではまずしっかりとした徴税システムを作り上げることである。潤沢な財政資金があってはじめて政府のもろもろの活動が可能になる。ラオスではまだ課税基盤が小さく、課税対象となるべき企業が十分に育っていないという問題点を抱えている。他方、金融制度は一般大衆から貯蓄を集め、それを必要とする産業へまわすという仲介機能を担っている。従来、貯蓄は所得の高い層がすると考えられていたが、近年、貧困層も貯蓄することが明らかにされている。その点に着目すれば、全国津々浦々に小零細貯蓄を集める金融機関を作り上げることは十分に意味あることである。そしてよく発達した銀行組織は全体として、経済発展に不可欠な信用創造というもう1つの重要な機能を果たすことになる。
マクロ経済政策についてはいわゆる経済のファンダメンタルズを健全化すること、なかんずく、インフレの抑制に力を入れなければならない。インフレが経済発展に重要な意義をもつのは投資の原資たるべき貯蓄にマイナスの影響を与えるからである。インフレの進行は人々の貯蓄意欲を失わせる。ラオスはアジア通貨危機によって大きな打撃を受けた。バーツの切り下げに伴う伝染効果によってキープも大幅に下落した。キープの下落率はバーツの下落率よりもはるかに大きかった。そのことはラオス経済のファンダメンタルズがそれだけ不健全であったとみることができよう。また、対外経済政策も経済発展に重要な意義をもつ。ほとんどの社会主義国が閉鎖的な政策をとって失敗した。市場経済に移行した国々はほぼ例外なく開放政策に転じたが、ラオスではまだ貿易規模も小さく、外資の活動しやすい環境が作られているわけではない。貿易収支の赤字額も大きく不健全なファンダメンタルズをもたらす一因になっている。こうした点から輸出振興は最優先で取り組むべき課題である。
ラオスが開発に力をいれて間もないという事情もあるが、インフラ整備の遅れは開発のもっとも深刻な障害になっている。インフラの整備と次に述べる社会サービスの提供は、市場補完的役割とみることができる。すなわち、政府自らが経済活動を行い、市場に介入する役割である。しばしば指摘されるように、市場は万能ではなく経済のある分野はそれがうまく機能しないところがある。市場の失敗(market failure)といわれる現象である。一般に、インフラは公共財的な性格をもち、対価を支払わない人を排除できないかあるいはそのための費用が高くかかり、ある人の消費により他の人の消費を減少できない(非競合性)などの特性がある。これが市場の失敗する原因である。それゆえにインフラや社会サービスの提供については、政府の市場介入が合理化されるのである。
ラオスにおいてインフラの中で特に重要な意義をもつのは運輸通信である。とりわけ道路建設の必要性は高い。人々は分業体制に入ることによって生産力を飛躍的に高めてきたが、道路はまさに分業を物理的に可能にする。道路によって生産地と消費地が結ばれ生産活動が刺激を受ける。ラオスでは人口の集中度が小さく、広い国土に種族ごとに小規模な単位で分散して住んでいる。ここにラオス固有の開発の難しさがある。分散する村々まで道路網を張り巡らすのは容易なことではない。現在、雨期にトラックでアクセスできる村は、全国に約1万ある村の半分以下である。北部は特に道路整備が遅れ、乾期でも半分以上の村はトラックでアクセスできない。道路整備が遅れているため、多くの村々は孤立し、人々は分断されている。実際、10村のうち9村は市場がなく、自給自足的な色彩を色濃く残している。
教育や保健制度の整備も緒についたところである。教育、保健、警察、国防などは通常、政府によってもっぱら社会サービスとして提供される。これらは私企業によっても提供可能であるが、これが政府によって提供される根拠は外部効果の大きさ(教育や保健)や非排除性(警察や国防)である。社会開発が政府によって進められる理由はここにある。近年、社会サービスの提供は貧困削減に大きな効果を発揮すると考えられるようになっている。人間の知的・身体的能力を高めることを人的資本形成(Human Capital Formation)と呼ぶが、それには教育および保健サービスの提供が重要な役割を果たす。人的資本は物的資本と同様に生産能力の向上に寄与し、経済成長の重要な源泉と考えられている。ラオスではまだ初等教育の就学率は76%に過ぎず、その普及が大きな課題となっている。1995年にはラオス初の総合大学、ラオス国立大学が設立され、漸く本格的な高等教育の整備が図られた。

3 今後の展望
ラオス人民革命党は最後発国から脱すべく、2001年3月に開催された第7回党大会において、2020年までに生活水準を現在の3倍に引き上げ、国連の基準で分類された最後発国から脱することを目標として掲げた。ここでの貧困削減のための基本戦略は、前述の「国家管理の市場経済」を発達させることである。そして目標実現のため2020年までの長期計画を策定し、さらにこの長期計画を二つの10ヵ年計画に分け、中間時点の2010年に計画目標の進捗状況を見直せるチェックポイントを設けている。また、従来の5カ年計画もこの長期計画に組み込み、各5ヵ年計画の目標実現が長期計画のそれと整合的になるように立案されている。長期計画の2020年における目標は、一人あたりGDPを1200-1500ドルに引き上げること、15歳以上の者の識字率を90%にまで高めること、出生時平均余命(寿命)を70歳まで伸ばすこと、基本的インフラの整備をはかること、工業及びサービスのGDPにおけるシェアを高めること、生活水準を向上さすため雇用を創出することなどが掲げられている。これらの目標を実現するため、この間の人口増加率が2.4%という想定の下で、年平均成長率は7%、投資率(投資/GDP)は25-30%を見込んでいる。また、開発戦略の第1位に人的資源開発が挙げられている。
2010年までの目標としては、一人あたりGDPを700-750ドルに引き上げることを目指し、そのために農業生産の拡大、焼畑農業の終息、貧困削減、幼稚産業の創出、工業化を担う人材の育成、各地域にサービスセンター設立などを実施するとしている。また、第5次5カ年計画(2001-2005年)では、社会秩序と政治的安定の増進、持続的経済成長の推進、2005年までの貧困半減化、食糧の安定供給、焼畑農業の問題解決、アヘンに代わる代替的生活手段の提供、国民貯蓄の増強、国有企業および民間企業の経営改革、人的資源の開発および近代産業の育成などを掲げている。経済成長率は7.0-7.5%に設定し、2005年までに一人あたりGDPを500-550ドルに引き上げることを目標としている。部門別成長率としては農業の4-5%に対し、工業は10-11%、サービスは8-9%と比較的高い成長率を見込んでいる。また、マクロ経済政策としては、インフレの収束、為替レートの安定化、財政赤字の削減(GDPの5%程度に)、貿易赤字の削減(GDPの6%程度に)などに力を入れるとしている。

開発戦略
 上述の目標を達成するのにどのような開発戦略が有効であろうか。開発の第一義的な目的は人々を貧困状態から解放することである。経済成長が様々な問題を引き起こしたことは事実であるが、いまなお貧困を削減するのに経済開発の重要性を強調し過ぎることはない。経済開発の目的は経済発展のためのハード(インフラ整備)、ソフト(法整備、諸制度の創出)の環境を整え、諸産業の発達を促すことである。前者については政府が重要な役割を演じることはすでに述べた。経済成長は要するに単に成長率を高めればよいという問題ではなく、人間を重視するという視点をいれ格差の是正や環境問題に配慮せねばならないということである。
ラオスのように農業が大きな比重を占める経済の場合、その開発戦略の第一は農業部門の生産性を高めることである。農業が労働力の大半を吸収しているということは、往々にして農業の生産性そのものが低いことを示している。ラオスでは限界生産力がゼロの労働力が農村に大量に存在しているとは考えられない。一般に農業主体の経済構造と貧困とが密接に結びついていることが多いが、その構造自体が貧困の原因ではなく、生産性の低い農業が貧困をもたらしているのである。農業の労働生産性(P/L)は土地生産性 (P/A) と1人あたり土地面積(A/L)の積に分解できる。後者を土地装備率と呼ぼう。ここで、Pは産出高、Lは投入労働力、Aは農地面積をそれぞれ示すものとする。従って、労働生産性を上げるためには、土地生産性を上げるか、あるいは土地装備率を高めるかによって実現される。土地生産性を上げる一般的な方法は肥料や農薬の投入、品種改良、高収量品種の導入、給水の改善などである。土地装備率を高めるためには土地を開墾し土地面積を増大さすか、あるいは土地の回転を高めるか、によって実現される。ラオスではもはや土地の外延的拡張の余地は小さい。従って、灌漑施設を充実させ乾期作を奨励することが重要である。
第二は、産業の多様化をはかること(産業構造の高度化)である。農業の生産性が高まることによってはじめて農業部門から他産業に労働力を提供できる。ラオスでは農業部門の最大の目標は、食糧の自給を達成することであった。この課題は近年に至り現社会主義政権の下で漸く実現した。しかし、現在、人口は2.4%程度で増加しており、食糧自給を達成しつつ他部門に継続的に労働力を提供するにはそれを上回る生産性の伸びが必要である。ここにまず何よりも農業部門の拡充に力を入れなければいけない理由がある。農業以外の産業を奨励するにしてもラオスの資源の賦存状況に適合していることが重要である。産業を高度化するという場合、一般に工業化を意味するが、ラオスの場合、労働力が必ずしも豊富に存在しているわけではないので、たとえば、大量の労働力を要する組み立て式の労働集約産業の場合はたちまち労働力不足を招く可能性がある。むしろ、豊富な種類の農産物を原料としてあるいは素材として利用できる農産品加工産業(アグロインダストリー)が現実的な選択といえよう。また、インフラ整備や各種の建物の建設がこれから本格化するところから建設資材に対する需要が見込まれるほか、建設業の発展も有望視される。さらに、今後、近隣諸国のみならず国内各地との交通網が整備されれば運輸通信業も発展の可能性が高い。また、外貨獲得の観点からは、相当な潜在能力を有する電力産業や美しい自然と古い歴史に恵まれているところから観光産業も注目されよう。なお、サービス産業の中には工業(加工製造業)の発達に牽引されて伸びてくるものも多い。
経済成長は貧困を減少さす有力な手段であるが、ベーシック・ヒューマン・ニーズ(BHN)からの批判があるようにそれの完全な処方箋というわけではない。実際、貧困は単に所得や資産だけで把握されるものでなく教育指標や保健指標を考慮した生活水準で捉えられるものである。一人あたり所得が増大することだけでなく、初等教育の普及率が高まることや乳幼児の死亡率が下がることは、非所得貧困の程度が減じると捉えることができよう。とすれば、成長の所得アプローチのみならず社会開発アプローチも有力な方法といえよう。社会開発は人的資本形成を重要な柱の1つとしているが、最近の開発論が明らかにしているように経済成長を実現するのに人的要素がきわめて重要な役割を果たしている。世界銀行が『東アジアの奇跡』において示したことは、東アジアの長年にわたる高度成長に初等教育の普及が大きな貢献をなしたということであった。健康な身体は労働生産性にも大きく影響する。政府が教育や保健の社会サービスを提供することは経済成長を促進し、貧困をなくす有力な方法である。前者が経済開発の課題とすれば、後者は社会開発の課題である。経済開発と社会開発を適切に組み合わせてこそ効果的な貧困削減が期待できる。

資金不足と國際協力
開発を推し進めるのは膨大な資金がいる。政府が市場に介入する行為は、インフラの整備と社会サービスの提供であるが、それらはもっぱら財政資金が投入される。しかしながら、途上国政府の多くは歳入が欠しく、これらの資金を賄えない。ラオスも例外ではない。つまり、歳出を税収や税外収入でまかなうことができず、財政赤字に陥っているケースが多いのである。これらの赤字はもっぱら銀行借入れ、国債の発行あるいは対外援助でファイナンスされている。大量の国債発行は通貨の増発を招き、インフレの原因になる。また、安易に援助に依存すると債務の累積を引き起こす。財政赤字には、あくまで不要不急の冗費の削減、国有企業の経営改善および優良企業を育てそこからの税収に依存するのがオーソドックスな対応といえよう。
1998/99年の財政状況(推定)を概観しておこう。収入は1兆4651億キープ、支出は1兆7190億キープで財政収支は2501億キープの赤字であった。(ただし、収入の中にはグラント(贈与)が5323億キープ含まれているので実質的な赤字は7824億キープであった。)この赤字はネットの外国借入れ3933億キープと国内銀行借入れ1503億キープおよびノンバンク融資71億キープによってファイナンスされた。支出は経常支出と資本支出・融資に分けられる。歳入の内訳は税収が7454億キープ、税外収入が1837億キープであった。税収構造をみると関税がトップで1597億キープ、それに内国消費税(物品税)1573億キープ、森林ロイアリティー894億キープ、利潤税803億キープなどが続いている。経常支出の最大の支出項目は人件費で同財政年の場合は4493億キープであった。後者は1兆2690億キープでこれがもっぱら公共投資あるいはインフラ整備に使われている。税外収入では利子収入・減債基金が889億キープでもっとも多い。
つまり、支出は実質的な収入の倍近くにおよんでいるのである。財政赤字は収入および支出の双方に問題がある。収入側の問題点として、収入源となる企業が十分に育っていないために財政の規模自体がきわめて小さいことが挙げられる。他方、支出側の問題点として、開発に取り組み始めて間もないこともあり、インフラ整備や社会サービスの提供に相当な資金がいることである。ここにラオスの財政が恒常的に赤字に陥る根本的な理由がある。現在、ラオス政府は二国間援助あるいは多国間援助としてかなりの額の資金供与や技術協力を受けている。二国間援助のトップドナーは日本、また、後者はアジア開発銀行が最大の援助機関である。援助を受け取ることのできる有利な状況を利用してできるだけ速やかに自立の道を踏み出さねばならない。

参考文献
1 State Planning Committee・National Statistical Center, 1975-2000 25 Basic Statistics of The Lao PDR. May 2000
2 Ministry of Information and Culture, 25 Years of Lao P.D.R. 1975-2000. 2000
3 State Planning Center, National Statistical Center, The Households of Lao PDR. Social and Economic Indicators. Lao Expenditure and Consumption Survey 1997/98. LECS2 December 1999
4 Bank of the LAO PDR, Annual Repot 1999
5 綾部恒雄、石井米雄編『もっと知りたいラオス』弘文堂 平成8年7月
6 世界銀行(白鳥正喜監訳海外経済協力基金開発問題研究会訳)『東アジアの奇跡〜経済成長と政府の役割〜』東洋経済新報社 1994年