【序章】から

 ひさびさのメコンだ。

 エンジンの音がやかましくなる。今し方燃料切れでエンストを起こした照れかくしなのだろうか。スロットゥルを全開させて、少年はむやみとスピードを上げる。水しぶきが容赦なく身体にふりかかる。ふと、いつぞや中部タイの運河を、同じような「ルア・ハーン」で飛ばした時の記憶が頭をかすめる。あの時には前もって船客全員に、しぶきよけの傘がくばられていたっけ。しかしここは観光客には縁の遠いケマラートだ。辺鄙な国境の町の渡し船に、そんな気のきいた用意のあるわけもなかろう。

 しかしいくら水しぶきを浴びせられても、少しも腹がたたない。それどころか、むしろ快感とすら感じられるのはなぜだろう。

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 早いものでもうすでに三十八年も昔の話になってしまった。一九五七年十月、私は初めてメコン河を見た。戦後はじめて、日本民族学協会が東南アジアに派遣「第一次稲作民族文化総合調査団」の一員として、カンボジアを訪れた時のことである。カンボジア王国の首都プノンペンは古くからメコン河の河港として栄えた町だ。江戸時代初期、御朱印船に乗って当時の「柬埔寨」つまり現在のカンボジアに至った日本人は、王都ウドンの南にあったここプノンペンにもかなり在住していたことが史料によって知られる。

 このあたりのメコンは、河幅二キロ近くもあろうかと思われる大河である。御朱印船に乗った徳川時代の日本人が、はるばる南シナ海の波濤を越えて、おそらくは四十日以上もかかったであろう船旅の後に、無事この地に至った時、安堵したかれらはおそらく快哉を叫んだにちがいあるまい。それから三百五十年の歳月を経た今日、もはや昔日の日本人の活動の跡はない。しかし眼前のメコンは、三世紀をこえる人間の歴史などまるで眼中にないかのように、ただもくもくと茶褐色の巨大な水のかたまりを運び続けている。その姿は二十八歳の私を感動させた。

 やがて研究の対象をタイに決め、その関心が次第にメコンから離れて行く自分を感じながらも、メコンはいつも私の頭に残り、折があれば、あの時の気持ちになんらかの形を与えておきたいと考えつづけていた。

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 この本は私の個人的なメコン紀行である。私の理解したかぎりの、私的なメコンの物語である。ここに収録された横山良一さんのすばらしい写真の数々から、読者はそれぞれに、自身のメコンのイメージをふくらませて行くことだろう。私の体験が、少しでもそのお役に立てることを願いながらメコンの物語を始めることにしよう。