ラオス便り
ラオス在住の島崎一幸(しまざきかずゆき)さんの「ラオス便り」を連載します。
島崎一幸さんは1970年から3年間ビエンチャン郊外タゴンで青年海外協力隊の一員として農業指導に従事しました。その後、ラダワンさんという可愛いラオス女性と結婚して帰国。10年ほど前から再びラオスに戻って、コンサルタント会社を経営しています。農業開発が仕事の中心なので、島崎さんはラオス人もほとんど知らない深い山の奥のずいぶん辺鄙なところにまで入っています。そうした仕事現場での珍しい写真を発表してもらうことになりました。これこそ、誰も伝えたことのない本当のラオスです。なお、島崎さんには「ラオス概説」(ラオス文化研究所編)制作にあたってとてもお世話になり、写真も使わせていただきました。
第1回 ラオス:ウドムサイ県。テーマは子供、市場、焼畑です。
●子供
| ウドムサイ県県庁所在地のムアンサイ(サイ郡の郡庁所在地、サイ町)から南へ向かう国道2号線沿線上の峠近くにある「ラオスン」部落の子供達。家々は山の尾根の道路の脇の崖淵に、ギリギリ建っている。 |
| 国道2号線。「ラオスン」の子供達だけで焼畑地から家に帰るところのようだ。男の子は堂々として頼もしい。 |
| 上と同じ国道2号線。 |
| ムアンサイ(サイ郡の郡庁所在地、サイ町)の市場から出てきたところ。市場で何か収穫物を売り終わって、家に帰るところのよう。 |
| ムアンフン(フン郡)の「ラオルム」の子供。水田の近くの高床式家屋。 |
| ウドムサイ県県庁所在地のムアンサイから南へ向かう国道2号線沿線。「ラオルム」部落の前。捕まえたヘビを買ってくれないかと子供が私達の車を見て寄ってきた。こういう場合はいつもローカルの運転手が値段の相場を知っていて、値引き交渉をする。買った値段は幾らだったか忘れてしまった。 |
| ムアンフン(フン郡)から1日泊まりがけで訪ねていった部落への途中であった子供達。後ろの柵は焼畑地の動物防護柵。焼畑で重労働なのは、刈り払い、火入れ、藩種、除草(年3〜4回)の他に、防護柵つくりがある。 |
| ムアンサイ(サイ町)付近の「ラオルム」の子供達。日本と同じで竹馬で遊ぶ。ラオス本来の遊びか、直ぐ近くの中国からの伝わってきたのかわからない。 |
| ラオスの市場の売り子は殆んどが女性。また写真のような小さい子供でも一人前に商売をしているので感心します。売り子は「ラオルム」の女の子。 |
| 売り手は「ラオルム」、買い手は「ラオスン(モン)」の人たち。売り手はテーブルがある市場の正式な場所(場所代を支払う)で売っている。 |
| 売り手は「ラオスン」、買い手は「ラオルム」の人たち。売り手は地べたにビニールを敷いただけの場所(場所代を払えない)で今朝自分達が収穫してきたものを売って現金にして、そのお金で必要なものを買って帰る。 |
| 売り手は「ラオスン」の子供。上の市場にくらべて品数も量も少ない。 |
| 焼畑で陸稲の刈り入れが終わると、その一部を利用してまだ、土に水分が残っている11月にケシの種を播き、間引きをする。 |
| ケシ栽培の畑にあった番小屋で休んでいた親子(父親と娘)。国道2号線から1時間程度奥に入った傾斜地。ケシ栽培はこの頃(1992年)はまだ公然と栽培されていたが、政府が「ケシ栽培撲滅運動」を大々的に実施するようになり、このような畑は今はもう見られないのかも知れない。 |
| 焼畑地での陸稲刈り入れ。脱穀。山の殆んどが焼畑地。 |
| 焼畑地でのケシ栽培と同じように、低地水田の裏作でもケシが栽培されていた。 |
| ルアンナムター県のムアンシンでは市場の傍の路上では女の子がケシの種が入っているケシの実を売っていた。 |
第2回 ラオス:焼畑での陸稲と低地水田の水稲――ホアパン県とボーリカムサイ県
ホアパン県とボーリカムサイ県で見た「焼畑での陸稲と水田稲作のコメの収穫」の写真を載せます。ただし、農村の人々の営みはいろいろあって、稲の刈り取り、運搬、脱穀、精米でも様々です。電気のない貧しい山奥では手や足で臼をついて精米をしていますが、ハンドトラクターのエンジンをつないで籾摺り機を回している村もあり、大きな町では精米機もあります。ここに載せてある写真がラオスの農業のすべてではありません。このほかにまだ、いろいろな方法があることをご承知ください。
Ban Tao(タオ村)はホアパン県の県庁所在地サムヌアから東南に約150km(山道の悪路のため車で6時間)のところにあるサムタイ(サムタイ郡の郡庁所在地の田舎町)から更にサム川を約20km下ったところにある、一山越えれば直ぐベトナムという山奥にある村です。ですから、私は最初にタオ村へ行くまでは「きっと高地ラオ族の部落だろう」と予想していました。ところが、タオ村はサム川沿いに50 ha近い水田をもっていて、住んでいる人たちも低地ラオの人々でした。村人に聞くと、彼らの故郷はボーリカムサイ県のカムクート郡で100年以上も前に新天地(水田)を求めて移住してきたのだそうです。タオ村からカムクート郡まで真南に直線距離にしても約200kmあります。きっと、ベトナムとラオスの国境沿いの山と川をいくつも越えてたどり着いたのでしょう。そのたくましさを想像すると、ラオスの人々を一言で「怠け者」と片付けるのはどうかという疑問がまたまた湧き上がってきました。
| 焼畑での稲の刈り取りは民族あるいは地域によっていろいろあります。学術的な分類は専門家にまかせるとして、一般に焼畑陸稲の収穫は「稲穂を刈る」のではなく「稲の穀粒をしごいて、穀粒だけを腰につけた小さな竹篭(1〜2kg程度入る)に入れ、ある程度集まったら、その日の集積地点(ビニールやござを敷いてあるところ)まで運び、それを繰り返して、村まで運ぶのにちょうど良い量(10〜20kg)が集まったら、竹や籐で出来た背負い籠に入れて家まで運ぶのが一般的です。ところが、タオ村の人々は稲穂を30センチ程度の長さのところで刈り取って束ね、刈り取った場所の近くで一旦乾燥させます。 |
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| 乾燥させた稲穂を背負い籠に入れて村まで運びます。 | |
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村まで運んだ稲穂を足踏み脱穀機で脱穀し、各家の穀物小屋に保存します。以前、私も青森で仕事をしていた時、倉庫の奥に埃をかぶって積まれていた写真のような足踏み脱穀機を見たことがあります。昔は日本でも使っていました。ただ、この足踏み脱穀機はラオス全体から見るとほんの一部で使われているに過ぎないようです。ラオス南部のアッタプー県の農業局に派遣されていた日本青年協力隊員の話では、その地方では随分と足踏み脱穀機が広く使われているようですが、北部のルアンナムタ−県ではほとんど使われていないようです。アッタプー県の足踏み脱穀機はもともとはベトナム製だということでした。次で紹介する「水稲の収穫の写真」にあるように、一般に水田での脱穀は地面に叩きつける方法で行ないます。最近では、ビエンチャンを初め、大きな平野の水田地域ではトラックに脱穀機を積んで各農家を回っている移動式脱穀請負業者を利用するのが一般的になってきました。 |
●水田の刈り取り(ボーリカムサイ県カムクート郡ラクサオ近く)
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打ち付け式脱穀 |
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団扇でごみを吹き飛ばしているところ"(風選) |
第3回 ラオ・スン(高地ラオ人)の引越
ラオス政府は山奥に住んでいる高地ラオの人々に対する医療、教育等の社会サービスを向上させるべく、よりアクセスの良い山のふもとに下りてくるよう、移住計画を進めている。「引越し」は、写真にあるように山の上から歩いて半日程度のふもとに下りてくるような場合もあれば、これまで住んでいた土地(県)からずっと離れた他の県に移住地が用意されていて、トラックを仕立てて引っ越す場合もある。高地ラオの人々はこれまで伝統的・粗放的な焼畑農法に生活を依存していたが、人口増加によって利用できる土地が限られ、これまでのような生活が成り立たなくなり、政府が進めている移住プログラムに応じて山を下りるようになってきている。新しい移住先には灌漑施設のある水田や診療所、小学校等が政府によって用意されている場合もあるが、政府の予算が限られているため、ほとんどは自分たちの力で新しい集落の建設から始めることになる。
写真はホアパン県サムタイ郡タオ村付近でたまたま見かけた引越し中の高地ラオの家族(女性と子供たち)である(1998年1月)。背負って運んでいるのはこれまで住んでいた家の屋根材(松ノ木で大きさは長さ約1m、幅20〜30cm、厚さ1.5cm程度)である。一人の男の子は屋根材ではなく、一番下の弟?(妹?)を背負っている。大人の男性たちが写真には見えないが、彼らは家の解体を担当しているのか、あるいは、新しい移住先で住宅を建設中かも知れない。
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第4回 ラオス北部の伝統的灌漑施設
「竹水車」(ホアパン県)
ホアパン県ナムサム川に多く見かけられる竹製の水車。直径は3m以上。非常に芸術的な作品である。雨季の水田作に補給灌漑として使用される。雨季にナムサム川の水位があがり、水量が増すと水車が回り出し、川の水が汲み上げられ、竹の樋を伝って川に隣接した水田に送られる。
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「伝統取水堰」(サイニャブリー県)
木組みの堰で川の水を堰き上げ、水路に導き、水田に灌漑している。1〜2戸の農家の水田用の小規模な堰(サイニャブリー県2)もあれば、20〜30戸の農家の水田を潤すための、かなり大規模な堰もある。(サイニャブリーブリ県1)の堰の高さは3m以上ある見事なものである。これだけの水量の勢いにも負けないでどっしりと安定している。
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「水路橋」(シェンクアン県)
シェンクアン県で見かけた農民が建設した水路橋。3枚の板でU字型に組んだ箱型の水路、見事に水が川を渡っている。
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「伝統堰−1」(ビエンチャン県バンビエン郡)
丸太と小枝と石を組み合わせ積み上げた単純な堰。川幅は40mほど。堰の高さはあまり高くなく1m程度。川の流れを斜めに受けて、写真の左下部分で取水して、水路に続いている。
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「伝統堰−2」(ビエンチャン県バンビエン郡)
丸太だけを組み合わせた伝統堰。川幅は30m程度。堰の高さは3m。これも芸術的な見事な堰である。
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「伝統堰」(ルアンパバーン県)
ルアンパバーン県ナムバック郡、ゴイ郡の典型的な小規模の伝統堰。材料は丸木、竹、小枝など。川幅は10〜20m程度。堰の高さは1m。
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第5回 ホーチミンルート
「ベトナム戦争」という言葉はもうずっと昔の話になってしまった今、「ホーチミンルート」といってもどれだけの人々が関心を持つものだろうかと心配になってしま う。「ホーチミンルート」はベトナムとの国境地帯のラオス側の山岳地帯を南北に何 本も走っていた道路で、ベトナム戦争中は北ベトナム軍部隊の移動と武器の補給路と して使われていたという。写真は国道9号線のサヴァンナケート県セーポーン郡から南のノーン郡へ続く、現在の郡道である。当時のホーチミンルートは、道路幅は軍用トラックがやっと通れるほどの3メートル程度だったのではないだろうか。写真でわかるように、道路の半分だけに大きめの砕石がびっしりと敷き詰めてある。これならば雨季でもトラックの移動ができたであろう。
「ホーチミンルート」(サヴァンナケート県ノーン郡)
交通量はほとんどなく、途中はまだまだ深い森に覆われている。
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「ホーチミンルート沿いの村の爆弾痕」
今でも爆弾の落とされた痕は直径10メートルほどの窪みが残っている。
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「ホーチミンルート沿いの村:子守りをする母親」
ラオ・トゥン(山腹ラオ人)の母親。カメラを向けてもニコニコとしていて、こちらがちょっと恥ずかしい気持ちを持ちながらシャッターを押した。
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「ホーチミンルート沿いの村の人々が使用している大きな鍋」
何を料理するのか、またなんでこのような形をしているのかわからない。ビエンチャンの土産・骨董屋ではよく見かけるこのような鍋をまだ実際に使っていることを知って写真を撮った。
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第6回 ラオスの焼畑
焼畑は従来休閑期間を7〜12年置いたサイクルで行なわれてきたので、休閑期間中に土壌の地力は回復し、比較的持続的な農業を営むことができていた。しかしながら、最近では人口の増加に伴い、農民達は限られた土地を3〜5年のサイクルで循環させなければならなくなっている。このため、地力の回復が間に合わず、作物の収量も下がり、更に雑草の成長が早くなり、除草の手間が増えなど、これまでの焼畑を続けていくには難しい環境になっている。以下に5村の焼畑地を紹介するが、村によっては丸坊主で殆んど森が残っていないところがある一方、サイニャブリー県ナムティアオ村のようにまだまだ周辺に森が残っている村落もある。
サイニャブリー県ナムティアオ村:ラオ・スン=高地ラオ(モン族)の村。山の向こう側には緑深い森が見られ、まだまだ自然の恵みが豊かな村。
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ルアンパバーン県ヴァンフン村:ラオ・ルム=低地ラオの村。村には水田がなく、農民は限られた土地で焼畑耕作を行なっている。写真を撮った日は「山に火入れ」をしてから何日も経っていないのか、灰に覆われた畑地を歩くとまだ火照るように熱かった。
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ルアンパバーン県サムトン村:ラオ・トゥン=山腹ラオの村。村には水田がなく、遥か遠くまで焼畑耕作の山肌が見えている。
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ルアンパバーン県パクセン村:家族で種まき。突き棒で穴をあけ、その穴に3〜5粒の陸稲の種籾を落としていく。
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ルアンプラバン県ポンドン村:村の共有地を協同で種まき。突き棒で穴をあける人の列の後ろから種籾を落とす係りの農民が付いていく。
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第7回 特別区 サイソンブン
サイソンブンは1994年7月に特別区に指定された。サイソンブン郡、プーン郡、タートム郡の3郡からなり、現在でも一般の旅行者は自由に入ることができない。サイソンブン特別区のキャピタル所在地は、現在は「サイソンブン」と呼ばれているが、特別区に指定される前まではビエンチャン県のチャー郡(ムアン・チャー)(町の中心を流れるチャー川から名前がとられている)と呼ばれていた。「サイソンブン」へはビエンチャンから国道13号線をターフア村まで約130 km北上し、ターフア村から県道「ターフア・サイソンブン道路」(国道13-Bとも呼ばれている)の砂利道を約100 km進むと辿り着く。ターフア村からサイソンブンまで距離は100 kmだが、道が悪いため4輪駆動車で約4時間の道のりである。
乾季のサイソンブンの町の眺望:2001年当時、サイソンブンは治安が悪く、「外国人は行かない方が良い」と言われていた。下の2枚の写真は、2001年の乾季にラオス人の仕事の同僚がサイソンブンへ行った時の写真である。
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その後もしばらくサイソンブンの治安は良くならなかったが、2005年6月にようやく訪れるチャンスができた。この日は雨模様だったため、町の近くの山並みが雲で覆われていて残念だが、4年の月日の経過ははっきりとうかがえる。電気が普及し、新しい家も多く見られる。画面の中央やや左に流れている川がチャー川である。
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サイソンブン市場周辺の商店 :サイソンブンへ辿り着くまでに目に映る景色は、「将来はエコツーリズムの拠点として脚光を浴びるのではないか」と思わせる豊かな自然であふれていた。しかし、サイソンブンの街中では携帯電話の普及がすさまじい。
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炭と床屋とVCDを売る店。
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中国製の安い雑貨品、衛星テレビ用アンテナ、なぜか浮き袋まで売っている。
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サイソンブンの市場:市場の中はラオスのどこでも見られるような風景だった。携帯電話の氾濫を見たショックも少しやわらぐ。市場で野菜、果物、肉等を売るのはいつも女性、それも女の子が一人前に商売をしている。いつもほっとさせてくれる風景で、思わずシャッターを切ってしまう。
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第8回 サヤブリーから
サヤブリー(サイニャブリー)県はチャンパーサック県の一部とともに、唯一メコン川の西側にある県で、タイとは地続きです。サヤブリー県のパークライからビエンチャンの町まではまだ舟が行き来しています。2006年4月24日、ビエンチャン県のサナカーム郡からパークライの対岸まで行く途中の道路(最近ADBの資金で完成しました)で3頭の象たちに行き会いました。
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国道が開通したので、今年1月からサナカーム-パークライ間に写真の2台のフェリーが進行するようになりました。パークライ地域の人々のビエンチャンへの交通はもともとメコン川を利用していましたが、将来的には陸路による交通に代わっていくものと思われます。
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パークライから北上し、県都のムアン・サヤブリーを過ぎると、再びメコン川に出ます。対岸はルアンプラバーン県ナーン郡です。ここでは2つの民間フェリー会社が1日交代でフェリーを運行しています。前回、2006年1月14日にはこのように順調に運行していました。
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しかし、今回(4月26日)は同じフェリーが故障して修理中でした。
2時間ほど待っても修理が終わらず、とうとうもう1つのフェリーが代わりに運転を始め、我々はそのフェリーで対岸へ渡りました。たとえ1台のフェリーが故障してもすぐには交代フェリーを運転せず、しばらくは修理の行方を見守るのが約束となっているようでした。
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第9回 タイ、ベトナムとの国境地点
「サヤブリ県トンミサイ郡にあるタイとの国境地点」:2006年4月25日。国際的な出入国はできず、出入国管理事務所はありません。写真のゲートから2km地 点に実際のタイとの国境地点があります。毎週日曜日に、タイ側で市が立つそうで、地元の人たちは隣のパークライ(パークライ郡庁所在地。トンミサイから 40km)へ行くより、ここの定期市で日用品を揃えた方が便利なようです。トンミサイ郡はもともとパークライ郡の1タセン(サブディストリクト=サブ郡)だったのが1996年から1つの郡として独立しました。1984年にタイとの国境紛争があり、政治的にも、経済的にも特殊な環境にあるのだと思われます。
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「ホアパン県ビエンサイ郡ナメオ(Ban Nameo) とベトナムとの国境」:2006年5月7日。ナメオはホアパン県の県都サムヌアから82km。最近、国際的に出入国ができるようになりました。<上段左>の写真は現在建設完了したばかり(まだ運用されていません)の入国管理ゲートです。<上段右>の写真は現在使われているラオス側の入管ゲートと入管事務所(写真左側)です。ゲートの先がベトナム側。<下段>の写真は入管ゲート付近のナメオの様子で、写真はサムヌア方向に向かって撮影したものです。国際的にゲートが開かれているといっても、我々が行った時点では交通量はほとんどありませんでした。
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第10回 川を渡る
まだ橋が十分整備されていないラオスの地方の人たちにとって「川を渡る」ことは苦労の種です。
ビエンチャンから国道13号線を120q北上したところにホアイモーという町があります。 ここから東へサイソンブーンへ行く道が分かれています。サイソンブーンはこれまで特別区とされていましたが、2006年1月にビエンチャン県の1つの郡(サイソンブーン郡)となりました。ホアイモーからサイソンブーンへ行く道は「13号線B」あるいは「ホアイモーサイソンブン道路」と言われていますが、写真はその20km地点にあるホアイシーという川を渡るベイリー橋(軍隊が使う仮設の橋ですが、ラオスの田舎ではほぼ常設の橋として使われています)です。もう随分と前から使用禁止(橋台が壊れていて危険)となっていて、橋の脇を降りて、小さなフェリーで川を渡っていましたが、水位が下がったらフェリーも底がつかえて、結局、川底の部分に設置された浮橋のような形になってしまいました。写真でそれが分かりますか。
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山道の橋
![]() | ボーリカムサイ県ボーリカン郡パダイ村へ向かう道。将来は国道4号線としてシェンクアンへつながることが計画されています。随分と前の写真ですのでもう、コンクリートパイプのカルバートになっているかも知れません。ただ、このような丸木橋はラオスの田舎のあちこちにまだたくさんあります。雨季になると丸太の上をタイヤがスリップしてとても危険です。 |
つり橋
![]() | 2005年6月28日撮影。ルアンプラバーンから北へ約50km行ったパビエン村のナムパー川にかかるつり橋。川の対岸が耕作地なので農民はこの橋を渡って農作業に行っています。将来はハンドトラクターでも渡れるほどの橋を建設するのが村人の希望です。 |
![]() | 2006年1月14日撮影。同じナムパー川にかかるつり橋。水量があるので橋を渡るのは怖い。 |
![]() | 2006年5月18日撮影。ボーリカムサイ県ボーリカン郡のムアンボーパダイ道路にかかる、ラオスの地方道の典型的な橋(ベイリー橋=軍隊の仮設橋)。県の担当者によれば予算がないのでなかなかコンクリートの橋を建設できないとのこと。 |
第11回 国境地域に放置された仏教寺院
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ホアパン県ビエンサイ郡ナムソイ村 2006年5月7日撮影 |
第12回 変わるビエンチャン(1)
ビエンチャン市では、ここ2〜3年、ADBの資金で市内道路(排水管埋設を含む)および排水路の整備が急ピッチで進んでいます。我が家の近くでも道路の拡幅工事をするため、排水管の埋設工事が始まりました。道路脇の大木が容赦なく倒されていきます。道路が整備されるのは大歓迎ですが、老木が倒されるのは寂しいもので、とにかく写真に記録をしておこうとシャッターを切りました。
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第13回 変わるビエンチャン(2) 2006年10月6日
前回の報告は「老木が倒される」寂しい話でしたので、ビエンチャン市内の道路整備で明るい話を1つ。
今年になって、ビエンチャン市内の信号機が新しいものに代えられました。最近、とても可愛らしい「通り名の標識」が設置されつつあります。ディズニーランドの中にある道しるべのようで、とても楽しくなります。
▼5月30日撮影。「クンブロム通り」の標識。撮影場所は「トンカンカム通り」と「アヌ通り」の交差点。右下の写真前方は「トンカンカム通り」。左下写真の前方の一方通行は「アヌ通り」。
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▼5月30日撮影。「サムセンタイ通り」の標識。撮影場所は「サムセンタイ通り」と「シーホム通り」の交差点。
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▼5月30日撮影。市内の信号機や標識はきれいになってきていますが、肝心の目抜き通り、「サムセンタイ通り」と「セタティラート通り」はようやく工事が開始されたところです。あと1年もすれば近代的なすばらしい通りになるでしょう。今のうちに、古い通りを記録に収めておこうと1枚だけサムセンタイ通りの写真を撮りました。女の子が肩に担いで売りに歩いているものはラオスの伝統的なの道具で@ 「エープカオ」(竹を編んで作った籠で、もち米を入れるためのもの)とA「パーカオ」(ラオス式食卓、食事用ちゃぶ台)です。
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第14回 変わるビエンチャン(3)
サムセンタイ通りはビエンチャン市の目抜き通り。現在、ワッタイ空港から友好橋(第1メコン国際橋)までの約25kmの道路改修工事を日本の無償援助で行なっています。工事は来年一杯かかるとのことです。2006年7月17日撮影
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第15回 農民参加による灌漑施設工事 2006年11月13日
2006年1月から7月にかけてサイニャブリー県パークライ郡ブアムラオ村で農民民参加による灌漑堰が作られました。これらの写真は、農民集会から、農民参加による工事、そして堰の完成までを撮影したものです。「農民参加による工事」というと政府が農民に強制的に労働奉仕をさせて建設するよう なイメージがあるかも知れませんが、現在行なわれているいわゆる農民=受益者参加型のプロジェクトの第一の目標は、プロジェクトに受益者を参加させることで、「@そのプロジェクトが受益者の本当のニーズに沿ったもので、Aプロジェクトに対して受益者がオーナーシップ(自分たちのプロジェクト・施設であるとの認識)を持ち、Bプロジェクトが終了した後は自分たちで持続的に維持管理していける」ことを実現しようとするものです。
ラオス北部の山間地にある谷地田では、以前紹介したように、山間地の小さな川から農民自身の手によって建設された伝統的な灌漑施設によって水を引き込み、稲作が営まれています。ところが、雨季の洪水時にはこれらの灌漑施設が流されたり、壊されたりして、年に数回は村人総出で修理を余儀なくされています。また、地形的な条件などで、このような灌漑施設を切望しているにもかかわらず、自分たちの力だけでは施設を建設することができず、政府の支援を待っている村々もたくさんあります。
プロジェクトの実施が決定されるまでには、村人との何回もの公聴会を通して@農民がその施設を本当に必要としているか、A計画が実施に移され場合、農民が相応の負担(労働力やローカルの資機材など)をする意思があるか、B施設が完成した後は自分たちの力で維持管理していく意思があるか、などを確認していきます。また、工事に参加する場合にはコンクリートの練り方、鉄筋の結び方等技術面での基礎的な知識だけでなく、安全面の注意事項を徹底させるようにします。さらに、施設完成後の維持管理のために、水利組合の結成、水利費の徴収などについてトレーニングをします。
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| ▲2006年1月13日撮影:プロジェクトを実施されることが確定した後、いよいよ工事が開始されることになり、農民が集まってプロジェクトを歓迎するとともに喜んで工事参加の意思を表明しているところ。 | ▲:取水堰の建設予定地。ブアムラオ村から約4km奥地に入った山の中。水源はヤングノイ川、写真撮影時の2月は乾季の真っ只中、ほとんど水は流れていません。今回の取水堰は取水位を高くし、かつ建設費を節約するために、このヤングノ イ川を跨いで建設するのではなく、その脇(写真の右側の土手)に建設し、堰を建設後、両岸を土手で囲んで川の水筋を少し変更することにしました。 |
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| ▲ベースキャンプへコンクリートミキサーなど機械の搬入。茅葺、竹の壁のベースキャンプは農民が現地の材料を使って作ったもの。 | ▲ベースキャンプでの県、郡の技師による打ち合わせ風景。 |
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| ▲サイニャブリー県農林事務所の技師による取入れ堰の位置を決めるための測量。 | ▲取入れ堰の位置の杭打ち。 |
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| ▲取り入れ堰の下流側、この上に鉄筋を張って、コンクリートを打ち込むために荒い流し。 | ▲取り入れ堰の下流側の護床工と側壁の鉄筋組。 |
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| ▲取り入れ堰の下流側の護床工のコンクリート打ち。コンクリートミキサーで練ったコンクリートをバケツリレーで手渡し。 | ▲取り入れ堰下流側の護床工のコンクリート打ち。コンクリートミキサーで練ったコンクリートをバケツリレーで手渡し。 |
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| ▲参加農民の現場ミーティング。 | ▲取り入れ堰の側壁のコンクリートを打つための型枠。平板はプロジェクトで購入、支柱の丸太は現地で農民が調達する。 |
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| ▲取り入れ堰の堤体と下流側護床工の鉄筋組。針金で鉄筋を留めている。 | ▲取入れ堰の堤体の練り石積み(直径5~30cmくらいの石)を積み上げ、隙間にセメントモルタルを塗り込む)。 |
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| ▲完成した取り入れ堰(上流側より撮影) | ▲完成した取り入れ堰(下流側より撮影) |
第16回 ルアンパバーン県とビエンチャン県サイソンブーン郡 の農民参加灌漑プロジェクト 2006年11月16日
ルアンパバーンバン県の農民参加工事:
農民参加の灌漑工事についてさらにお伝えします。前回のサイニャブリー県パークライ郡ブアムラオ村での灌漑工事は規模が小さかったので、工事は県と郡の職員のもとで農民参加による直営工事でした。同じプロジェクトでも、灌漑施設の規模が大きくなると、農民の力だけでは手に負えず、工事業者と農民参加の共同事業となります。工事開始前に、どの部分を農民が担当(負担)するか、どの部分を主に建設機械を使って工事業者が担当するかを協議し、合意を得るようにします。
ルアンパバーン県のこの工事はルアンパバーン郡のパービエン村とパーデーン村の2つの村人を対象に実施されて います。工事は2006年3月に開始されました。写真は2006年4月26日の工事風景と10月24日の取り入れ堰完成風景です。今後は両岸の水路の建設工事が行なわれ、来年の雨季開始の5月には水路に満々と流れる灌漑用水の写真をお送りできるでしょう。
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| 写真(1):コンクリート練り。取り入れ堰の上流側でコンクリートミキサーで練り上がったコンクリートを堰堤体の基礎部分に流し込んでいる。 | 写真(2):鉄筋組み。取り入れ堰右岸の側壁の鉄筋コンクリート部分の鉄筋組作業。農民たちが組まれた鉄筋を針金で縛って止めている。 |
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| 写真(3)(4):工事転流(下流側と上流側より)。この川はナムパー川と言って非常に水量が多く、乾季の4月でも多量の水が流れています。工事をするにあたって、取り入れ堰建設予定地点の上流側に工事用の堰き止め堤を建設し、川の水を転流させる必要があります。この写真は工事用に転流させた水路で、上流に向かって右側の本来の川底で工事が進められているところを撮影したものです。 | |
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| 写真(5)(6):完成した取り入れ堰。10月24日に撮影した完成した取り入れ堰の写真です。次の乾季2006年11月から翌年4月までに水路の工事を完成させて、6月からの稲作に間に合わせる予定です。 |
ビエンチャン県サイソンブーン郡の農民参加による取水堰の工事。この工事はヒンフアスア村、ポンパ村、ムアンソム村の3つの村人を対象に実施されています。この灌漑施設も農民の力だけでは手に負えず、工事業者との共同事業となっています。工事は2006年3月に開始されました。写真は2006年4月27日の工事風景と10月25日の取り入れ堰完成風景です。この堰も今後は両岸の水路の建設工事が行なわれ、来年の雨季開始の5月には水路に満々と流れる灌漑用水の写真をお送りできるでしょう。
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| 写真(7)(8):堤体工事。川底はごろ石で、右岸は岩が突き出しており、基礎工事は建設機械を使っての作業が必要でした。ただ、取り入れ堰堤体の材料(直径10〜30cmの丸石)や型枠の支柱につかう丸太は農民によって集められました。 | |
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| 写真(9):取り入れ堰の上流側の川底から農民が堰堤体の材料の丸石を集め、手渡しで運び入れている。 | 写真(10):完成した取り入れ堰。 |
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| 写真(11):モン族の農民の出迎え:10月25日、ADBのミッションが完成した取り入れ堰を視察に来るというので、村の若い娘さんが出迎えのため民族衣装で着飾って取り入れ堰の脇の岩陰で待っていてくれました。 |
第17回 ルアンパバーン県とビエンチャン県サイソンブーン郡 の農民参加灌漑プロジェクト 2007年2月
前回の第16回のラオス便りで「農民の参加による灌漑施設の工事」の様子をご紹介しましたが、それらが完成して、「いよいよ水路に水が流れるようになってきた」とのことでしたので、2月7日から10日にかけて、サイニャブリー(サヤブリー)県とルアンパバーン県を車で駆け足で回って視察してきました。
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| 写真1:サイニャブリー県パークライ郡のH. Yang Noiプロジェクトの農民参加による水路工事の様子です。雨季になっていないのでまだ水路には水が来ていません。6〜7月になれば待望の水が流れるはずです。 | 写真2:完成している取水堰。まだ、雨季になっていないので水が貯まっていません。6〜7月になれば堰の上流側(写真の手前側)が小さな貯水池となります。 |
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| 写真3:サイニャブリーへ向かう国道4号線のNam Liap村近くの風景。現在国道4号線はADBの資金によりところどころ舗装工事が進んでいるのですが、全面舗装となるのはまだ時間がかかりそうです。 | 写真4:Nam Liap村の道路脇の市場。地豚をぶつ切りにして、小分けして売っています。地豚を売っている人はここの村人(少数民族)。買う人は我々のプロジェクトの マネージャーのブアワンさんで低地ラオ人。売り買いのやり取りは真剣そのものです。 |
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| 写真5:同じ村の市場で見かけた少数民族の女の子。棚にならんでいるのは山で採れたショウガ、手前はサトウキビです。 | 写真6:ルアンパバーン県ナムパー・プロジェクトの農民参加により完成した水路です。前回(16回)のラオス便りで 完成した取水堰の写真をご紹介しました。この水源(ナムパー川)は流域が広く、年間を通じて水があります。堰から取水された水が山裾を縫って建設された水路 を伝わって生き生きと流れています。このように農民が作った水路に水が流れているのを見ると嬉しくなってしまいます。 |
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| 写真7:同じプロジェクトの農民個人の手作りの水路です。どうしても早く自分の水田に水を引きたいために大急ぎで作った水路です。農民の気持ちが分かる気がします。 |
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| 写真8と9:ルアンパバーンから国道13号線をバンビエンに向かって走った途中の国道沿いの焼畑の風景です。女の子(10歳くらいでしょうか)も農作業の手伝いをしています。 |
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| 写真10: ビエンチャンから150km北、バンビエンは石灰岩の山並みが背後に控え、観光のスポットとなっています。バンビエンの「サンセットレストラン」でビールを飲みながら夕日を見るのは格別です。 | 写真11: ビエンチャンから国道13号線を北へ94km進んだところにあるナムリック川に架かるベイリー橋(1車線です)。次の乾季には日本の援助で橋の架け替え工事をすることが決まっています。 |
第18回 ビエンチャンのピーマイ
4月14日から16日までビエンチャンのピーマイでした。普段はは本堂に安置されている仏像がこの3日間は お寺の境内に出され(金網で囲ってあります)、参拝に来た人々が水で清めます。仏像にかけた水が下に滴り落ちるのを手で掬って自分の頭を濡らします。きっ と今年の息災や健康をお祈りしているのでしょう。9ヵ所のお寺を巡るのが良いのだそうです。ビエンチャン市内ではメコン沿い、特にセタティラート沿いの お寺をつぎつぎと巡って行きます。
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| ワットミーサイ(境内に出された仏像に水掛け) | ワットミーサイ(境内に出された仏像に水掛け) |
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| ワットオントゥー(本堂の中の仏像に水掛け) | ワットオントゥー(本堂の中でお坊さんにマッケーン<糸結び>をしてもらいます) |
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| ワットインペン(境内の仏像に水掛け) | ワットインペン(境内の仏像に水掛け) |
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| ワットチャン(境内の仏像に水掛け) | ワットチャン(境内の仏像に水掛け) |
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| ワットハイソーク | ワットハイソーク |
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| ワットシームアン | ワットシームアン |
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| ワットシームアン | ワットシームアンの前の通りで水掛けに興じている若者たち |
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| ワットシームアンの前の通りで水掛けに興じている若者たち | ファーグム通りの水掛けに興じている若者たち |
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| ファーグム通りの水掛けに興じている若者たち |
第19回 サーラワン、セーコーン、アッタプー
3月6〜9日、南部のサーラワン、セーコーン、アッタプーへ行ってきました。
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| ▲サーラワン市からサーラワン県北部のトゥムラーン郡へ行く国道23号の途中にあった簡易橋。 | ▲国道23号。トゥムラーン郡から更に北上してセーバンファイ川を渡るとサヴァンナケート県ピン郡に入る。 |
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| ▲国道23号のセードン川に架かっ ていた橋の橋脚。サーラワン県サーラワン郡。ベトナム戦争時代、ホーチミンルートの1つとして使われていたため、アメリカ軍によって爆撃された。橋は今でも落とされたままになってい る。乾季のみ4輪駆動の車ならば通行できる。セードンは南に流れてパークセーでメコンに合流する。 |
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| ▲トゥムラーン郡へ向かう途中の小学校の子どもたち。 | ▲トゥムラーン郡へ向かう途中に出会った親子。国道11号をセーコーンからアッタプーへ向かう途中でちょっと止まって撮影した風景。 |
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| ▲セーコーン近くのコーヒー農家、収穫したコーヒー豆を家の前庭で乾燥。 | ▲ラオスのおばあちゃん。 |
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| ▲ラオスの伝統楽器ケーン(笙)の練習。 |
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| ▲アッタプー市を流れるセーコーン川に架かるセーコーン橋。ベトナムの援助で2001年12月工事開始、2003年12月完成。橋の長さは279m。アッタプーからベトナム国境までの国道18号線111kmは全面舗装されている。 |
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| ▲セーコーン橋からセーコーン川の下流を望む。左側からセーカマン川が合流している。 | ▲セーコーン橋からセーコーン川の上流を望む。 |
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| ▲アッタプーのセーコーン橋のふもとにある市場の風景。 |
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| ▲アッタプー市を流れているセーコーン川のフェリー。 |
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| ▲アッタプーとセーコーンの中間あたり、ボーラベン高原の約700mの標高差を利用したホアイホー発電所。 |
第20回 象と木材と道路の話
4月にサイニャブリー県パークライ郡とルアンパバーン県をまわった時、4月25日と27日の2日間で3頭の象に出会いました。象に出会うと同行しているラオス人のカウンターパートも「ソクディー(幸運だ)」と言います。理由を聞くと「象は長生きするから」だそうで す。今回は象と木材と道路について見聞きしたことをお話しします。
象の話
ラオス人の話では、サイニャブリー県で最も象の数が多いのはトンミサイ郡(何頭いるか正確な数を覚えていない)とのことでした。2番目は ホンサ郡(最近の発表で49頭)だそうです。象は「森の中で、切り出した丸太をトラックが入れるところまで運ぶ」ことに利用されています。象の値段は(一般に売り買いされているわけではないのできっちりとした相場があるわけではないのですが)日本円で100万円〜200万円ぐらいのようです。象の木材運搬の仕事は象の持ち主(象使い)と木材業者との間の取り決めで、出来高制で契約されます。運搬距離(およそ1km以内)によって契約額は違いますが、約 2000円〜8000円/?です。1日に象の持ち主が象を持ち込んで稼げる代金は約6000円〜8000円になります。
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| ▲最初に見かけた象。パークライ郡からサイニャブリー市へ向かう国道4号線で。 | ▲2頭目の象。同じ国道4号線で。 |
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| ▲3頭目の象。ルアンパバーンバ県ナムバック郡の1号線で。象に乗っているお兄さんに象の年を聞いたら、「ホクシッピーパイ(60才以上)」とのこと。 |
木材の話
地元の役人からは「木材の切り出しはサイニャブリー県では最盛期を過ぎた」と聞かされましたが、写真のように、国道4号線を車で進むと、たくさんの木材切り出しトラックに出会いました。
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| ▲木材切り出しトラック。 |
多くの木材運搬船がフェリーに船着場に集結しています。これから雨季に入ると木材を切り出せなくなるので、木材の切り出しは最後の追い込みに入っています。パークライのゲストハウスもいつもはガラガラなのですが、今回は、木材業者で一杯で、なかなか空き室が見つかりませんでした。
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| ▲パークライフェリー:木材集積。 |
道路の話
ビエンチャンからサイニャブリー県パークライ郡まではこれまで13号線を北へ向かい、ルアン パバーンの手前24kmのシェングンから国道4号線を南西にくだり、メコン川をフェリーで渡って、サイニャブリーを経由して更に南下して、合計約600km。 国道4号線の道路が悪いため、途中サイニャブリーサで1泊し、2日間の行程が普通でした。しかし、昨年ビエンチャン県サーナカーム郡からパークライ郡のメコン川の対岸までの道路が開通し(ADB資金)、フェリーが運航されるようになってからは、こちらのルートが利用されるようになりました。更に、ビエンチャンからメコン川沿いをサーナカーム郡に抜ける道路を現在建設中で、これが完成すれば、ビエンチャン県のヒンフープ郡とフアン郡を経由せず、サーナカーム郡への道が約150km短縮でき、 約200kmでビエンチャンとパークライをつなぐことが可能になります。これまでパークライ郡はタイとの経済活動が盛んでしたが、今後はビエンチャンとの 経済活動も活発になるのではないかと想像されます。
名前もわからない小さな川ですが、丸太橋が壊れ、川底まで急斜面で、道路もぬかるんでいたため、渡れず立ち往生。しかたなく、車はこの川沿いに河口に向かい、メコン川の河川敷きにいったん降りて、河口近辺の河川敷を回り込んで走って川を渡り、再度道路に戻って、なんとか進めました。ここを通過できないと、またビエンチャンまで150kmほど戻らなければならないところでしたので、ほっとしました。
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| ▲ビエンチャン・サナカム道路。ナムヒー村近くの丸太橋。 |
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| ▲ビエンチャン・サナカム道路工事。左側のメコン河は、写真上部が上流(パークライ方向)で、川は写真の上部から手前に向かって流れています。対岸はタイ。 | ▲右側のメコン河は写真左上部が下流(ビエンチャン方向)で、川は写真の右から左方向に向かって流れています。 |
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| ▲ここで2時間通行止めに会いました。左側のメコン河がぎりぎりに迫っています。 |
第21回 ナムトゥン2ダム
ボリカムサイ県のナムトゥン2水力発電プロジェクトは、世銀やAFD(フランス)が絡んでいる壮大なプロジェクトで、2009年操業を目指して現在突貫工事中です。このプロジェクトの経済性は非常に高く評価されていますが、環境や水没地域の住民に対する補償など、問題も多くはらんでいます。プロジェクトの概要についてはウエブサイトで見てください。
ナムトゥン2ダムにはエンジニアとして興味深い点があります。一般の水力発電は、川の最下流部にダムを建設し、そこに発電所を設け、発電した水はそのままその川の下流に放流するのですが、ナムトゥン2ダムはちょっと違います。ナムトゥン川の下流部に水を堰き止めるためのダムを建設しますが、発電所は貯水池の南部の山をトンネルでぶち抜いたところに建設し、発電後の水はナムトゥン川やその支流のナムカディン川に放流するのではなく、南部のセーバンファイ川に転流するように計画されています。
発電後の調整ダムからセーバンファイ川までおよそ27kmあり、その莫大な量(220 立方メートル/秒)の水を流すための放流水路を現在建設中です。その調整ダムからセーバンファイ河口の合流点までの写真をいくつか紹介します。
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| ▲建設中のナムトゥン2調整ダム。 | ▲ 同左 |
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| ▲調整ダム直下流の放流水路の開始地点。 | ▲ 調整ダム直下流の放流水路の開始地点。水路の法面と水路底には付近の山で採れる石灰岩を敷き詰めています。 |
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| ▲調整ダムから10kmほど下流地点の放水路(上流方向)。 | ▲調整ダムから10kmほど下流地点の放水路(下流方向)。 |
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| ▲放水路とセーバンファイ川の合流点にある部落バーン・ナーキアオに行く途中にかかっている吊り橋。 | ▲放水路。 |
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| ▲放水路とセーバンファイ川の合流点。 | ▲合流点近くで川に飛び込んで遊ぶ子どもたち。 |
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