【書評再録】
◎『ブラザー・エネミー』(『外交フォーラム』 2009年1月号(No.246)心に残る「私の一冊」
壮大なインドシナ紛争を描ききったジャーナリズムの傑作
 


『ブラザー・エネミー』

【書評】
「いまひそかにマルクス主義とマルクス主義運動の歴史に根底的変容が起こりつつある」。
 ナショナリズム論の「古典」となった『想像の共同体』(書籍工房早山、二〇〇七年)を著者、ベネディクト・アンダーソンはこのように書き起こした。それがベトナム戦争を終結させたサイゴン陥落(一九七五年)からすぐに勃発した第三次インドシナ紛争である。
 統一後のベトナムがポル・ポト政権下のカンボジアに侵攻し、中国がそのベトナムに「懲罰」を与えるとして中越戦争を発動した一連の紛争は、共産主義国同士の本格的な戦争であり、しかもかつての中ソ対立のようなイデオロギー論争を伴うこともなかった。アンダーソンはそれを「世界史的意義を持つ出来事」と捉えたのである。
 困惑したのは左派を自認したアンダーソンばかりではない。アジアの小国・ベトナムに粗暴に介入するアメリカという構図で捉えることのできたベトナム戦争は、日本でも広範な反戦運動を呼び起こした。だがこの事態は、どの国がどの勢力と、何を背景に戦っているのか、皆目訳が分からないと見えたであろう。
 この複雑怪奇な紛争とその後の展開を、これ以上なく鮮やかに浮かび上がらせたのが、ナヤン・チャンダ著『ブラザー・エネミー』である。ベトナム戦争の背後で進行していた東側陣営内の確執、中国の対インドシナ政策を左右した北京の権力闘争、中ソ双方から距離をとろうとしつつ対ソ依存に押し流されるベトナム、さらには米中国交正常化と米越国交正常化の間で揺れるアメリカなど、多岐にわたる国々のさまざまな思惑と行動が絡み合い、巨大なうねりを形作っていったことが、その中で翻弄されるシアヌークのような個人のドラマにいたるまで、縦横無人に活写される。
 だが卓越したジャーナリストであるチャンダの筆致は、そのような狭義の「国際政治」にとどまらない。歴代中華帝国がインドシナに覆い被せた華夷秩序と、独立を保とうとするベトナムとの数世紀来の確執、タイとベトナムとのせめぎ合いと両者に圧迫されるカンボジア。「国際政治」の根底を流れ、各国の行動をどこかで方向づけている歴史の記憶と民族感情があぶり出され、本書に「壮大」と言うほかない立体感と深みを与えている。
 ジャーナリストと学者・歴史家はどう違うのか。さまざまな見方があろうが、私はさしあたり「見えるもの」を書く前者と、「見えないもの」を書く後者といったことが思い浮かぶ。本書は「見えるもの」と「見えないもの」とを難なく結びつけ、インドシナ現代史の「総体」を丸ごと浮き彫りにした。同様の志をもって書かれた本は多いが、これほど成功しているものは稀有であろう。
 それだけに本書に寄せられた賛辞は多い。「縦横に舞台を移し、チャンダは登場人物に命を吹き込んだ」「壮大な歴史、高度に洗練された言葉」「鋭い感性、卓越した洞察力」。その中で私が最も心惹かれたのは「チャンダはジャーナリストの情熱と明晰な思考でこの本を書き上げた」という一文であった。
 まったくの私事だが、記者の駆け出しのようなことを数年ばかりした後に大学院に入った頃、机の前で息がつまる日も皆無ではなかった。「志は高く」と思うたび、「…情熱と明晰な思考」という一文に惹かれ、本書を机の端に立てておいたものであった。今回、何処にいったかと捜してみれば、書類に埋もれて発見。「初心忘るべからず」と、先人の言葉はなるほど耳に痛い。
(宮城大蔵 政策研究大学院大学助教授)






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