ラオス農山村地域研究 【書評】 ラオスに関する学術書が出版されるぺースが2008年になって急速に伸びている。そのもとをたどると、総合地球環境学研究所の研究ブロジェクト「アジア・熱帯モンスーン地域における地域生態史の統合的研究:1945-2005」(2003〜2007年度、代表:秋道智彌・総合地球環境学研究所教授)に行き着く。このブロジェクトの大きな目的は、モンスーンアジア地域において過去50〜60年に生じた人間−環境系の相互作用環の総体を地域の生態史(エコヒストリー)として解明することにあった(秋道 2008)。プロジェクトの主要な対象地域はラオス、中国・雲南省、タイ北部であるが、中でもラオスは、全土にわたって調査研究が行われた重要な地であった。プロジェクトの中に設けられた、生業を研究対象とする一つの班(森林農業班)のメンバーが、本書評で取り上げる『ラオス農山村地域研究』の主要な執筆者を構成している。2000年前後まで本格的なフィールドワークを行うことが困難であったラオスにおいて、本書は、農学、林学、民族植物学、土壌学、農業経済学、杜会学、地理学、人類学、歴史学の9つの分野にまたがる、最初の総合的な研究成果である。 最初の研究成果ではあるが、その内容は、東南アジアの他の地域における農山村研究にも十分、刺激を与えるものとなっている。 まず、調査手法の点では、QuickBirdのような高解像度の衛星画像の利用と、GPS(Global Positioning System)を用いた現地調査との組み合わせが大きな特徴となっている。水田の用水路を取水口から排水口までひとつひとつ踏査したり、世帯単位の焼畑地の境界を地図上にブロットしたりするなど、人びとの生業の基盤となっている水田や焼畑の一枚一枚の圃場や水路を地図上で同定している。そして、村人へのインタビューをもとに、圃場ごとの詳細な土地利用履歴を明らかにする。統計や聞き取り記録だけでは不可能な定量的データを取得している点が評価される。 さらに特筆すべきは、すべての村人の家系図を作成し、詳細な人口動態に関するデータを取得している点である。これにより、たとえば水田に関しては、1960年から2005年までの40年間の開拓面積と人口動態との関係を分析し、40年のタイムラグをおいて人口増加が水田の開拓に影響をおよぼしたことを示すなど、村レベルでの人口・食糧バランスを考察するための重要な検討がなされている。今後は、世帯内の構成要員の変化や他の生業、技術の変化との関係を含めて、村落レベルにおける土地利用、人口動態、そして生業との関係を総合的に明らかにすることが望まれる。 本書の第2番目の特徴は、ラオスの人びとの多面的な生態資源利用を明らかにした点にある。水田は、コメを生産する場としてだけではなく、昆虫の捕獲や有用植物の採集の場であり、また動植物を保全する場でもある。焼畑は、農業生産だけでなく、休閑地を利用したさまざまな非木材林産物を採取できる場でもある。飼育されるスイギュウも、役畜として食肉として動産として利用される。また、耕地や休閑地だけでなく、道路沿いや河川も、さまざまな植物を採取できる場であることが『有用植物村落地図』の作成によって明らかになっている。人びとはローカルな生活空間全体のなかで、刻々と変わる植牛の遷移や動物相の変化を利用しつつ、多様な生業戦略を発達させてきたことがわかる。本書の第3番目の特徴は、上に述べたような、人びとがこれまで蓄積してきた在来の知識のみに依存しているわけではなく、激しい現代的変化にラオス農山村が巻き込まれていることもきっちり見据えている点にある。土地分配事業、定住化政策、商品作物の導入、伐採コンセッションやパルプ造林の影響、焼畑の禁止など、他の多くの東南アジア諸国がこれまで受けたのと同じような変化を、しかし他のどこよりもラオスは急速に経験している。本書のどの論考も、そうした急激な変化の中で、それぞれの村に特有の歴史的経緯をふまえ、村人の視線で明日を模索する姿勢がうかがえる。 最後になったが、冒頭の研究ブロジェクトの成果を集大成したものに3巻からなる論集がある(河野 2008、ダニエルス 2008、秋道 2008)。ラオスを含むメコン流域の生態史の多様な側面を理解するために、本書とあわせて読まれることをお勧めする。 引用文献 秋道智彌(編) 2007. 『図録 メコンの世界−歴史と生態−』東京:弘文堂. 秋道智彌(責任編集・監修) 2008. 『論集 モンスーンアジアの生態史−地域と地球をつなぐ−第3巻 くらしと身体の生態史』東京:弘文堂. 河野泰之(責任編集)・秋道智彌(監修) 2008.『論集 モンスーンアジアの生態史−地域と地球をつなぐ−第1巻 生業の生態史』東京:弘文堂. クリスチャン・ダニエルス(責任編集)・秋道智彌(監修) 2008. 『論集 モンスーンアジアの生態史−地域と地球をつなぐ−第2巻 地域の生態史』東京:弘文堂. (柳澤雅之・京都大学地域研究統合情報センター)