「第1回ベトナム学賞」
「緑色の野帖」「ハノイの憂鬱」の著者桜井由躬雄さん(東京大学名誉教授)が「第1回ベトナム学賞」を受賞されました。3月27日、ハノイの受賞式ではあこがれのグエンティビン女史(前副大統領)から直接賞状を授与されたそうです。桜井さんは現在、大著「ベトナム概説」を執筆中です。
感謝の辞
東京大学名誉教授 桜井由躬雄
グエンティビン閣下ならびに 国際代表団、ベトナムの文化と教育を代表する諸氏、
この機会に、私は日本ベトナム研究者会議を代表して、心よりファンチャウチン財団組織委員会に心よりの感謝を捧げます。
委員会は、44年間、ベトナムについて研究を続けてきた日本の研究者に、この高貴な名誉をくださいました。これは単に私
個人の名誉ではなく、現にベトナムを研究し、またかつて研究をされたすべての日本人研究者の名誉であります。こう述べる
こともできます。この賞はベトナム人が日本のベトナム学研究の結果にはじめて高い評価を与えてくれたと。
私は1945年に生まれました。つまりベトナム民主共和国と同い年です。15歳のとき、グエンティビン女史など南ベトナムの指導者と
人民は南ベトナム解放民族戦線を樹立しました。この組織は世界史の中でもっともすぐれた組織として高い評価をうけています。
私が20歳のとき、抗米救国戦争はもっとも苛烈なときを迎えました。このころ、私は東京大学でベトナムの歴史研究を開始しました。
30歳のとき、南ベトナムは全面的に解放されました。この同じ年に私は結婚しています。ちょうどホーチミン作戦のただ中です。
つまり、15歳から30歳までの私の青春は、つねにベトナム戦争とともにありました。この15年間、私は毎日の新聞記事の中から
ベトナムという言葉がなかった日を知りません。なかでも、私は一人の美しい女性戦士の写真がしばしば新聞や新聞に登場
するのを見ました。私たち、多くの日本の青年たちは、この美しい女性戦士にあこがれました。その女性の名はグエンティビンと
いいました。私は本日とても幸せです。それはグエンティビン(前副大統領)閣下が、40年前と少しもかわらぬ美しさと気高さをもって
おられることです。
こうしたわけで、ベトナムは私たちにとても近い存在でした。私たちはベトナム人民とその抗米救国の戦いに感動し、共感し、その思いを分かち合いました。わたしたち多くの日本の青年たちは、毎日のようにベトナムを擁護するために日本政府と闘いました。ベトナムは私たちの青春の生きた表現でした。だからわたしたちはベトナムとはなにかを知らなければなりませんでした。1965年、私はベトナム研究を始めました。それはベトナム戦争がもっとも苛烈だったときです。そして、私たちは問いかけました。なぜベトナムはアメリカに勝利することができたのか。それはベトナム民族の団結性、共同性の勝利です。その団結性や共同性は、ベトナム民族が歴史時間の中で得た社会的経験の結果です。先ず私はベトナムの社会歴史の研究、李朝から阮朝にいたる北部社会の村落史の研究を開始しました。資料は漢文だけでした。この研究の結果は、数十編の論文となり、のちにまとめて『ベトナム村落の形成』として出版されました。1988年、東京大学はこの業績に対し、文学博士をくれました。しかしこの研究の過程で、私はベトナムの紅河デルタ村落が実に無数の多様性をもつことを発見しました。その多様性は歴史的条件と地理的環境の相違によって形成されます。このときから私は紅河デルタ村落の開拓史の研究、村落建設史をおもに地理的条件の分析を通じて、考古学時代から黎朝にいたるまでを研究しました。1992年、東京大学はこの業績に対し、農学博士をくれました。
しかし、これらの研究はただ机の上の仕事にすぎません。そのころ、日本式の地域学研究がようやく一般化してきました。地域学は学際研究と臨地研究を要求します。しかし、まだまだベトナム研究はその条件をもっていませんでした。
1993年、私とベトナム農村研究会の仲間たちははじめて政府の許可をえて紅河デルタの調査に出発しました。バックコック研究が始まりました。バックコック研究は、ベトナム研究センターと合作して展開された最初の地域学調査です。この研究は15年もつづきました。参加したさまざまな領域からの日本人研究者は300人をこえました。バックコック研究の結果は数十編の論文として出版されています。バックコック研究は、世界最大、最長、そしてもっとも詳細な研究として評価されております。2003年、ベトナム国家大学は私のバックコック研究に対し、名誉博士を授与しました。これはベトナムの研究者たちがバックコック研究を高く評価した証しと思っています。
現在、バックコック研究のほかに、地域情報学によるハノイ研究、合作社市場化の研究、農村と工業区の関係の研究をベトナムの友人たちと進めています。もし、ベトナムの友人たちの支援と合作がなければ、今日、ベトナム学賞の栄誉をうけることはなかったでしょう。だから、この賞の栄誉は、私を助けてくれたベトナム・日本の友人と分かち合うものであります。
現在、私は地域学者であります。地域学とはなんでしょうか。私の最初の答えはこうです。地域学は、地域を敬愛する心の表現である。私が死んだら、ぜひ天上でホーチミン氏に会いたいと思っています。私はホーチミン氏に報告します。「私は日本人です。それでも私の人生と私の科学的事業のすべてをベトナム地域研究に捧げてきました。この44年間の私の研究の結論は、以下のとおりです。私はこよなくベトナムの大地を敬愛しています、私はこのうえなくベトナム人が好きです。」
ベトナム ありがとう、皆さん、ありがとう。