ガラスの家
民族独立の苦闘を描く プラムディヤ著ブル島4部作を訳了して 押川典昭
このたびプラムディヤ・アナンタ・トゥールの小説『ガラスの家』を上梓(じょうし)した。プラムディヤ(一九二五〜二〇〇六)は、アジアでノーベル文学賞にもっとも近いといわれたインドネシアの作家で、『ガラスの家』は、『人間の大地』『すべての民族の子』『足跡』と合わせて四部からなる長編小説の最終巻である。
スハルト独裁政権下で流刑されていたブル島で書いたことから、「ブル島四部作」とも呼ばれるこの小説は、四十以上の言語に翻訳され、プラムディヤの名を世界に知らしめた彼の代表作である。『人間の大地』の翻訳を出したのが一九八六年だから、二千八百ページをこえる四部作の日本語版の完成まで二十年余を要したことになる。
小説の舞台は、植民地支配下にあったオランダ領東インド(現在のインドネシア)、とくにその中心地であるジャワ島。時代は、十九世紀末から二十世紀初め。十七世紀に始まるオランダの支配が完成に近づきつつあったこのころ、西洋のさまざまな技術と制度が導入され、東インドは新しい時代を迎えていた。そして東インドの外では、日本が日清・日露の戦争をへて欧米列強のあとを追い、フィリピンがスペインからの独立を宣言し、中国が辛亥革命にむかうなど、アジアが大きく揺れ動いていた。
全編を通しての主人公は、ジャワ貴族出身の青年ミンケ。エリート意識と上昇志向の強かった彼が、さまざまな経験をへて植民地支配の不条理と民族意識に目覚め、インドネシア人による初のマライ語新聞を発行し、近代的な運動組織「イスラム同盟」を結成するまでの苦闘にみちた歩みが、激動するアジア史を背景として骨太に描かれる。
それだけであれば定型的なナショナリズムの物語にとどまるが、この小説が卓抜なのは、植民地征服戦争の傭兵(ようへい)として片足を失ったフランス人画家、日本人娼婦、清朝の打倒をめざして東インドに潜入した中国人の若い男女、ミンケの活動を支援するオランダ人弁護士やジャーナリスト、またミンケの成長に大きな精神的影響を与える義母など、主人公のまわりに多彩なエピソードをもつ脇役を配し、それらのエピソードとミンケの物語が絡み合いながら大河小説を構成していくところにある。
もうひとつ、この四部作には大きな仕掛けがほどこされている。語り手の変更がそれだ。第一部『人間の大地』から第三部『足跡』までは、主人公のミンケが、ナショナリストへ成長し運動を率いていく過程を、みずからの体験を通して語る構造になっている。これは反植民地運動を、当事者の視点で、内側から描いたものといえる。
これに対して、第四部『ガラスの家』では、治安対策を担当する現地人の高級官僚が、どのようにして同胞の運動をコントロールし、弾圧しようとしたかが、彼自身の悔悟にみちた日記を通して語られる。
題名の『ガラスの家』は、植民地東インドで、ナショナリズム運動にかかわる者たちを監視する体制の隠喩(いんゆ)である。彼らが、いつ、どこで、だれと会い、どんなことをしゃべり、どんなことを書き、さらにはどんなことを考え、企図しているかが、ガラスの家を透視するように、なかの住人(ナショナリスト)たちの気づかぬうちに把握される、それが「ガラスの家」の意味だ。
そしてその暗喩は、時代をこえて、警察国家ともいうべきスハルト体制下での住民監視システムを撃つものでもあった。スハルト政権が、四部作を発禁とし、国民が小説を所持することじたいを処罰の対象としたのは、そうした批判の射程をもつ四部作の影響力を恐れたためである。
この小説は、長大な物語であるだけでなく、歴史とは何か、たたかうとはどういうことか、原則をもって生きるとはどういうことか、を問いかける歯ごたえのある作品である。これを読み通すにはそれなりの根気と咀嚼(そしゃく)力が必要だろうが、かつて植民地であったアジアの国と民族が、どのような苦闘をへて独立に至ったかを知るためにも、四部作の日本語版が完成したこの機会にぜひ読んでいただきたいと思う。
ガラスの家
プラムディヤ・アナンタ・トゥール 押川典昭訳
大河小説という用語を提唱したのはロマン・ロランらしい。だから彼の『ジャン・クリストフ』がその典型。あるいはロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』。一人ないし一群の人々の運命を何十年にも亘って追う、一定の社会性を帯びた、長い小説。
インドネシアの作家プラムディヤ・アナンタ・トゥールの『ガラスの家』の訳が刊行された。七百ページの分厚い本であり、全四巻からなる長大な連作小説の完結編である。全体として正に大河小説だ。
時代は十九世紀末から二十世紀の初頭まで。舞台はオランダの植民地であった東インド、現在のインドネシアである。植民地支配の圧政の中からゆっくりと独立の機運が生まれる。ジャワをはじめとする無数の島々、マライ語をはじめとする多くの言語、イスラムをはじめとするいくつもの宗教、それらの中から遠い将来の国の像がおぼろに見えてくる。
『ガラスの家』に先立つ三巻、『人間の大地』、『すべての民族の子』、『足跡』は、オランダへの反抗を通じて国家形成への道を探る思想的な英雄ミンケの半生を辿る物語だった。
彼は医学を修めながらも文筆で立ち、自分たちが置かれた状況を観察し、分析し、マライ語による初の新聞「メダン」を発行する。その先にあるのは思想を社会的な運動に換えるための組織作りだ。オランダに対抗するのにまず必要なのは「自分たち」の意識である。多様で混乱した地域性の中にいかにして統一の原理を見いだすか。
かくてミンケは中国の孫文、フィリピンならばホセ・リサールに当たる指導者となってゆく。注目すべきは彼を助ける女たちの力だ。恋人や妻や義母。それぞれがオランダ人との混血であったり、中国系であったり、小さな島の王国の王女であったり。
前三作と異なって『ガラスの家』はミンケの活動を妨害する立場の人物を語り手にする。オランダ人でも混血でもない生粋のプリブミ(原住民)でありながら、優秀な警察官僚として出世した彼パンゲマナンは、やがて総督府直属の分析官として独立運動の芽を摘みとる役割に就く。「ガラスの家」とは彼が構築した反政府運動監視システムのことだ。
しかし彼は仇敵として自分の前に立ち現れたミンケの思想と生きかたと勇気を心から尊敬している。彼はこの矛盾を生きるしかない。自分の立場に苦悩しながら、ミンケを政治犯として離島に流す。そして、原住民として栄達を極めたにも拘わらず、最後にはすべてを失う。
大河小説が河であるならば、河口に近いあたりには海から潮が上がる。ミンケの淡水の奔流に抗する塩水域がパンゲマナンの役割なのだろう。
小説としてのからくりに一工夫ある。前三作はミンケが書いた自伝的なノートという体裁であった。それを没収したパンゲマナンは自らも似たようなノートを執筆し(それが『ガラスの家』)、最期にすべてをミンケの遺族の手に渡す。それがこの四巻のテクストとして残った。
インドネシアが国として独立するまでには、ミンケたちの時代からまだ三十年以上の歳月が必要だった。その過程には日本も深く関わった。
作者プラムディヤ・アナンタ・トゥールはスハルト政権によって投獄され、流刑先で艱難辛苦の中でこの四部作を書いた。何度となくノーベル文学賞の候補になりながら、受賞することなく去年亡くなった。「これを読め」と指さすことが文学賞の役割であるとしたら、ノーベル賞は時期を逸したとぼくは思う。
池澤夏樹
出典 カフェインパラ
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◎2007年10月5日発行 「週刊金曜日」No673 掲載
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ガラスの家
プラムディヤ・アナンタ・トゥール/ 押川典昭訳
いまだ解除されない発禁処分を超えて
現代インドネシア文学を代表する作家であるプラムディヤ・アナンタ・トゥールが、ブル島の流刑地政治犯収容所で書き上げた長編歴史小説、いわゆる「ブル島四部作」の日本語訳がついに完結した。押川典昭氏による二〇年あまりにおよぶ訳業によって、『人間の大地』『すべての民族の子』『足跡』『ガラスの家』という、疑いなく二〇世紀文学の金字塔のひとつがこうして私たち日本語読者にとって共有できるものとなったことを心から喜びたい。とくに待ちに待ったこの最終巻は、私のようにインドネシア語を解しない者にとっては、きわめて不十分とされている英語訳でしか読めないものだったから、インドネシア語版のさまざまな誤りをふくめて綿密な校訂作業を経た今回の日本語訳の出版は、今年最大の収穫のひとつといって間違いない。
一九二五年オランダ植民地下で中部ジャワに生まれたプラムディヤは、独立をめざすインドネシアのナショナリズム運動の高揚期のなかで育つ。しかし六五年の「九月三〇日事件」に続く共産党弾圧の嵐のなかで逮捕され、六九年から七九年までバンダ海に浮かぶブル島で流刑生活を送る。その監獄生活のあいだ、以前に収集していた資料や記録を記憶からフィクションとして創作し、まず他の流刑者たちに口述、さらにそれを筆記する形で完成したのが、この「ブル島四部作」なのである。こうした過程を思うとき、私たちはそこに「創造の奇跡」というだけではとうてい足りない、政治犯たちが民衆の記憶を分有するために共同で物語をつくりだす有様に深い感動を覚えないだろうか。
前三作では、主人公のミンケがニャイ・オントソロのような女性たちに囲まれながら人間としての成長をかさね、インドネシアのナショナリズム運動を牽引していく様子が、まさに大河教養小説として雄渾(ゆうこん)に活写されていた。だが驚くべきことにこの第四部『ガラスの家』では、語り手がナショナリズム運動を監視する現地民官僚パンゲマナンに替わり、その手記によってミンケたちの活動が綴られるという視点の転換が図られるのだ。こうして私たちは、これまで登場人物たちに寄り添いながら読んできた三部の小説が、パンゲマナンの代表する警察国家の官僚機構によって保管され評価される資料であったという冷徹な歴史的事実の前に立たされる。ここに二〇世紀に数々の独裁政権下で実施された住民監視システムの隠喩や、さらには現在の私たち自身が置かれた「テロとの戦争」以降のネオリベラルな自己管理体制への視野を読みこむこともできるだろう。
八〇年から出版されはじめた「ブル島四部作」はベストセラーとなるが、それは発売一〇カ月で発禁となり、スハルト独裁体制が崩壊して一〇年たった現在も発禁処分は公式には解除されていないという。しかし人びとはインドネシア国内でも国外でもさまざまな手段でこの小説を回覧し、読み続けてきた。現在こうして私たち日本語読者が手にすることのできるプラムディヤ畢生(ひっせい)の大作は、二〇〇六年に亡くなった彼の文学的遺産というに留まらず、国家権力という関係性の内部で私たち個人が社会のためにどのような実践をなしうるか、ナショナリズムを排外主義に陥らない連帯の思想としてどう構想するか、という永遠にして現在の問いをくりかえし提起してやまない。
本橋哲也/東京経済大学教授
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◎2007年9月29日 「じゃかるた新聞」(インドネシアの邦字紙) 掲載
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ガラスの家
プラムディヤ・アナンタ・トゥール/ 押川典昭訳
最終巻『ガラスの家』邦訳が出版
翻訳した押川典昭教授に聞く 文豪プラムディヤ氏ブル島4部作
ノーベル文学賞候補に名前が挙がりながら、昨年死去したインドネシアを代表する作家プラムディヤ・アナンタ・トゥール氏の代表作、大河歴史小説四部作の最終巻『ガラスの家』の日本語訳が8月、大東文化大の押川典昭教授の翻訳で出版された。インドネシア人の民族意識の芽生えを描いた四部作は、同氏が共産党のクーデター未遂とされる1965年の九・三〇事件で政治犯として逮捕され、79年まで過ごした流刑地ブル島で同房の政治犯に語り聞かせて完成させた。四部作はスハルト政権が発禁処分とし、現在もその処分は解けていないが世界30カ国以上で翻訳された。83年に第一部「人間の大地」の翻訳を開始して以来、20年余りにわたり四部作翻訳に携わった押川教授に聞いた。
─『ガラスの家』日本語訳が先月、出版に至った際のお気持ちは。
◆押川教授 何より読者への約束を果たせてホッとしている。『人間の大地』は、東南アジアの文学書としては異例なほど多くの読者を得たが、四部作の完成を待っていてくださった多くの読者の期待に何とかこたえられて、今は安堵感が大きい。
─主人公が代わる『ガラスの家』の魅力とプラムディヤ氏が作品に込めたメッセージは何でしょうか。
◆一─三巻と最終巻の構成の違いは、読者にとって予想外の驚きだろうが、四部作に深みと厚みを与えているのはこの主人公の交代だと思う。もちろん、全巻を通してみれば、ミンケが主人公であるのは疑いなく、ナショナリズムの芽生えを描くことが小説のテーマだろう。
そのナショナリズムを、運動の当事者たるミンケの視点からだけでなく、それを破壊しようとしたパンゲマナンの悔悟に満ちた(おそらく彼は死を意識している)日記を通して語らせる、いわば「末期(まつご)の眼」を導入したところに、小説家としてのプラムディヤの卓抜さとこの物語の面白さがある。
そして同時に、パンゲマナンと、たとえばスハルト体制下の治安維持の立役者アリ・ムルトポ(彼とプラムディヤとミンケ=ティルトアディスルヨはブロラ生まれの同郷)が容易に二重写しになることで、この小説は抑圧的なスハルト体制への批判の書ともなり得ている。
全巻を通してみれば、「われわれはどこから来て、どこに立っているのか」と問いかけながら、インドネシアの曙の時代を生きた人々の歩みを、そのなまなましい息遣いが聞こえるように書き留めること(彼自身の言葉を使えばmendokumentasikan)、それがプラムディヤの意図だろうと思う。
それを実現するために、ミンケの物語に、例えばニャイ・オントソロ、コンメル、スラティ、ジャン・マレ、安山梅、スールホフ、リエンチェ・ド・ロオ、そしてパンゲマナンといった多彩な人物の物語を縦横に組み込み、それらが一体となって大河をなすような小説を作り上げたところに、作家プラムディヤのすごさがある。
─四部作の翻訳に携わった経緯は。
◆インドネシアの文学作品が日本語に翻訳されて本格的に紹介されるようになったのは一九八〇年前後からだが、私が最初に手掛けた小説の翻訳はモフタル・ルビスの『果てしなき道』で、一九八〇年八月に第一版が出ている。こうした文学作品の翻訳出版を可能にしたのは、「売れないアジア物」を粘り強く出してきた小規模ながら志の高い出版社と、それに助成を行なう財団の存在だった。
その助成事業のひとつにトヨタ財団の「隣人をよく知ろう」プログラムというのがあって、インドネシアを含む東南アジアの文学作品の翻訳出版を支援していた。
このプログラムでは、翻訳すべき作品のリストがインドネシアと日本の専門家が加わった選定委員会であらかじめ作成され、そのリストから出したい作品を出版社が選ぶことになっていて、たまたまリストにあったプラムディヤの小説『ゲリラの家族』を出版社の「めこん」が選んで、その翻訳を私に依頼してきた。『ゲリラの家族』の日本語版は一九八三年五月に出版されたが、めこんと私の間でその後も引き続いてプラムディヤの作品を紹介しようということになり、四部作の翻訳が始まった。
ただ当時は、この長編小説に対する評価は高かったものの、最終巻『ガラスの家』のインドネシア語版は未刊で、四部作すべてを出版できるという確たる見通しがあったわけではない。いずれにせよ、私が四部作の翻訳に携わることになったのは、日本における東南アジア文学の本格的な翻訳紹介という大きな流れの中でのことだ。
『人間の大地』の翻訳にいつ取り掛かったのか、作業を記録しておく翻訳ノートがどこかに紛れて見当たらないので正確なことは分からないが、翻訳には一年以上かかったはずだから、『ゲリラの家族』が出版された一九八三年の夏以降のことではないかと思う。
─二十年余りにわたる翻訳作業で苦労は。
◆プラムディヤの文章は他の作家と比べて、けっして読みやすいものではない。しかも、四部作はブル島の流刑地で参照すべき文献もなく、劣悪な条件下で書かれたという事情もあって、厳密な校閲がなされておらず、流布しているインドネシア語版そのものに過ちが多いため、翻訳のテクストを確定させるのに相当な時間がかかった。
また、十九世紀末から二十世紀初めのオランダ領東インドが舞台なので、その時代の風俗や習慣などついての考証も必要だった。
翻訳作業については、「二十年余りをかけて完成させた」といえばそれ自体が物語として語られそうだが、現実はそんな劇的なものではなく、ただ自分自身の怠けぐせと戦いながら根気の求められる作業だった。「あの文はどう訳そうか」といったことは四六時中頭の中にあって考えていたが、毎日決まった分量を訳すというのではなく、休みのときに一日十二時間くらい集中的に作業をした。
翻訳で心掛けたことは、いかに読みやすい訳文にするか、ということ。このため、訳した文章は何度も音読し、耳からスムースに入ってこられるような文章にすることに留意した。
─昨年死去されたプラムディヤ氏にはどのような言葉をかけますか。
◆彼が生きているうちに日本語版の完成を報告できなかったことは残念だが、今はただ「ありがとう」と言いたい。このような小説の翻訳に携わることができたことを、心から感謝している。
大東文化大でプラムディヤ氏関連の書物を背に押川教授=2006年6月
黎明期の民族主義を描く
評・高地薫(JICA専門家)
プラムディヤの『ガラスの家』(原題:Rumah Kaca)の邦訳がようやく出版された。インドネシア研究者として、それ以上にプラムディヤの一愛読者としてこの上ない喜びである。
本書は、プラムディヤの代表作いわゆる「ブル島四部作」の最終部であり、これでその全てが邦訳されたことになる。前三作、『人間の大地』(一九八〇、邦訳一九八六)、『すべての民族の子』(一九八〇、邦訳一九八六)、『足跡』(一九八五、邦訳一九九八)は、二十世紀初頭に出現した黎明期インドネシア民族主義の活動家を描いた大河小説である。しかし、ブル島四部作を単なる優れた歴史小説に留まらせず、世界的文学に高めているのはこの最終部に他ならない。
この四部作を通じた主人公は、ミンケと呼ばれるジャワ貴族である。第三部までは彼自身が語り手となり、原住民、オランダ人、中国人など様々な人間との交流、友情、対立を経て、植民地社会とジャワの封建的社会の矛盾に目覚め、インドネシア民族主義を発展させ、その運動を組織していく過程を描く。とりわけ、ミンケに封建制にもとづいた貴族の誇りではなく、支配者オランダ人と対等に渡り合う原住民の誇りを教えたオランダ人現地妻(ニャイ)ニャイ・オントロソは、この物語の影の主人公となっている。
この物語を通じて、ミンケは三人の女性と結婚する。一人目は、ニャイ・オントロソの娘で欧亜混血児のアンネリース、二人目は中国国民党活動家(ミンケと友情を結んだ)であるフィアンセと死別しその遺志を継いだ安山梅、そしてジャワ人ではない原住民、プリンセス・カシルタである。この三度の結婚は、西洋、目覚めつつある東洋、そして同胞である東インド原住民(後のインドネシア人)との出会いと合一を象徴していよう。そして、彼らは、これらの結婚から子どもを授からなかったが、原住民の覚醒、インドネシア民族主義こそが彼ら全員の子どもであり、その子どもは親の手を離れ大きく成長していくことになる。
さて、この最終部では、突如語り手が植民地政庁の原住民治安担当分析官パンゲナマンに代わり、この大河小説のカラクリが明らかにされる。
まず前三部自体が、ミンケが著したものの当局に押収された原稿を、パンゲナマンが手元に置いたものである。第四部はパンゲナマン自身の手によるもので、その全てはミンケの死後、ニャイ・オントロソに送られたものである。
第二に、それらに描かれるミンケの動きそのものが、植民地当局の(時として事後的な)観察・調査の対象であり、すべてが「筒抜け」だったことが、暴露される。つまり、ミンケを代表とする黎明期の民族主義者たちは、外(当局)から丸見えの「ガラスの家」に住まう人々だったのである。
このような監視システムが東インドで完成したのは、実は一九三〇年前後である。このシステムは、植民地当局というよりはスハルト新体制下における住民監視システムの寓意とも読める。スハルト体制がプラムディヤの著作を発禁処分にしたのは、マルクス主義の流布という表向きの理由でも、あるいは単なる嫌がらせでもなく、おそらくは自らの体制の「秘密」が明らかにされているからとも考えられるのである。
最終部には、語り手であるパンゲナマンの人生も織り込まれていく。プラムディヤは、彼を単に冷酷な諜報専門家として描きはせず、彼自身の成功した植民地官僚としての自負と誇り、観察あるいは操作対象であるミンケへの敬意と優越感、気性の激しいプリンセス・カシルタへの怖れ、そして自分の人生への疑問をない混ぜにした極めて複雑な心理的動きを描いている。
そして、彼は家庭人としては失敗して妻子に去られるのだが、これはお互いを信頼し合い、民族意識という子供を育んだミンケと三人の妻たちの関係と著しい対照を為す。そして、「敗者」として自らの人生を悔悟し、贖罪の意識をもってニャイ・オントロソにこの物語りの原稿を送ったのである。
ブル島四部作における『ガラスの家』の位置付けは特殊であり、また前三部を前提としないと分かりずらい面もあるものの、これこそがブル島四部作を非凡な作品としているのである。前作の翻訳から九年もの時間が経ってしまったため、前作を読んでいない方だけでなく、読んだことがある方も再度、この四部作完訳を期に是非、第一部から通して読み、プラムディヤの世界を堪能し、またこの名作を素晴しい日本語訳で読める僥倖(ぎょうこう)を噛み締めて頂きたい。
◇『ガラスの家』
押川典昭訳、めこん・3500円/Pramoedya Ananta Toer 作家。25年生まれ。昨年4月に死去。
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◎2007年8月14日 「北海道新聞」 掲載(ウェブ掲載許諾番号D0708-0711-00003884)
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ガラスの家
プラムディヤ・アナンタ・トゥール/ 押川典昭訳
文学言語生み出したプラムディア
インドネシアで最もノーベル文学賞に近いと言われた作家プラムディア・アナンタ・トゥール(一九二五?二〇〇六)が亡くなってからすでに一年以上が経つ。代表作である歴史大河小説の四部作の最終巻『ガラスの家』の日本語訳がちょうど出版されたばかりだ。
プラムディアは一九六五年に起きた「九月三〇日事件」(共産党によるクーデター未遂事件とされる)への関与を問われて約十年間流刑に処せられた。四部作はその遠く離れた島の収容所で書かれたものである。八〇年から順次発表されたが、出版と同時に強権的なスハルト体制下で発禁処分とされ、公には読むことができなかった。私も八〇年代の留学時代に密かに入手し隠れて読んだ。
小説は今から一〇〇年以上の昔、インドネシアがオランダ領東インドと呼ばれた時代に、民族主義運動が展開していく様子を様々な登場人物の目を通して描き出す。発禁処分となったのは、左翼的な思想を持つと見なされた政治犯の手になる作品であったことに加え、植民地体制という権力に抵抗するナショナリズムとして描かれたテーマが、抑圧的なスハルト政権になぞらえて読まれることを恐れたのだと言われた。一〇年前にスハルト大統領が退陣した後は、プラムディアの著作は四部作を含めすべての作品が書店に並ぶようになった。
インドネシア語は、様々なエスニック集団の間のコミュニケーション言語としてのマレー語をその源とする。しかし、インドネシア語は誰にとっても母語ではなく、独立後のインドネシアという新生国家とともに育まれていかなければならない運命にあった。文学言語として成長し、新しい文化を表現していく媒体とならなければならなかった。プラムディアの文学とは、特に独立直後の作品に顕著であるように、それぞれのエスニック集団の文化を表象するジャワ語やスンダ語、バリ語などに替わって、新生国家の国民文化を表現する新しい文学言語を創造したことが、その功績であったと言われる。すなわち文学言語としてのインドネシア語を生み出したということである。
アジアの文学を読んでみようと思う人に是非お薦めしたい作品である。
森山幹弘(南山大学教授)