【書評再録】

ラオス史
著=マーチン・スチュアート-フォックス
訳=菊池陽子

◎『図書新聞』2011年7月30日号 掲載

ラオスの歴史を詳細に記した数少ない一冊、待望の邦訳
 わが国ではほとんど聞くこともない『ラオス史』が出版された。著者はオーストラリアの元ジャーナリストで、ヴェトナム戦争時の体験から歴史家に転向した、特異な経歴の持ち主である。
 ラオスという国の歴史は分りづらく、ちょっと調べようにもよいテキストがない。評者は困り果てて、1960年代にバンコクで出版されたマニチ著の『ラオス史』(1967年刊)を現地で求めて、これを唯一の参考資料にしていた。しかし今回、より詳細なテキストを日本文で読めることになった。
 戦前の日本人にとって、アジア南方地域は一般に南洋とか南方などと一括して呼ばれていたが、戦争で負けた途端にこれらは一掃されてしまい、触れてはならない厄用語になり、代わりに登場したのが東南アジアという呼び方だった。
 この東南アジアを大きく占めるインドシナ半島は、かつて日本の活躍した舞台だった。16世紀末からこの地一帯には日本町も存在したのだが、江戸幕府の鎖国政策で消滅してしまった。
 インドシナ半島には、現在ヴェトナム、ラオス、タイ、カンボジア、ミャンマーが存在し、日本人も古くから深い関わりはあったが、現実問題としてこれらの国々の歴史をたどることは、とてもでないことを知る。戦後ヴェトナム戦争の舞台となった南北ヴェトナムや、山田長政の活躍で知られるシャムと呼ばれたタイは、日本人にも親しみがあるのだが、ラオスとなると一体どこにあるのかすら極めて印象が薄い。
 無理に捜せば9世紀半ば高岳親王が、中国からインドに渡ろうとしたものの、途中、羅越国で消息を絶ったといわれ、この羅越国が今のラオスではなかったかと推測されたことがある。これが日本とラオスとの一番古い伝承かもしれないが、新しいものといってもせいぜい戦後の1961年、辻正信がジャール平原で姿を消したことぐらいである。ラオスは残念ながら日本と縁が遠い国といえそうだ。
 本書は全6章から成り、第1章は、14世紀中頃に出来たランサーン王国以前からということになるが、実際には史料が欠けていて、たどるべきすべがないようである。ずっと時代の下った19世紀(1893年)以降、ラオスを支配していたシャムから、メコン川東岸一帯をフランスが割譲させ、以後の約50年間、事実上、フランスが植民地として統治した。そのためラオス史は古代も中世もなく、一挙に20世紀のフランス領植民地から始めなければならないようだ。
 インドシナ半島、とくにラオスはメコン川あってのラオスだった。そこでメコンを支配するシャムにフランスは圧力をかけ、はじめはシャムをも植民地にするつもりだったらしいが、これは英国との関わりもあって諦めるしかなかったようだ。ただ、もしフランスがシャムをも領有化に置いていたら、ラオスという国は存在していなかったろう。
 フランスとしては、ラオスを植民地化していくとしたら、まずラオス人を家畜化するしかなかった。形の上では奴隷制廃止を謳っていたが、現実にはほとんどラオス人には教育を与えていなかった。なんと教育が重視されることになるのは、1940年、事実上、フランスの植民地政策が終りを告げるときだった。ではラオス人とはいったいなんだったのか。それはただ死なないよう生きていて、税金を払えばよかったのだ。これが偽りのない植民地政策だったのだ。
 こんなことはあまり大っぴらに書けないのだが、アジアに植民地を持っていた西欧人、とくに英仏蘭人には書けないものがあった。書けないのではなく、書きたくない事実だ。評者は別にこれに批判を加える気はないのだが、本書でもラオスを開放し、独立国家への道を拓いたはずの日本の役割や、統治時代(1940〜45年)の記載はない。いや年表には日本が降伏して去ったことしか記していない。どうでもよいようだが、もしも日本が関わっていなかったら、アジアは白人による植民地解放などなかったろう。ラオスという国があったかどうかすら分らない。
 恐らくラオスという国の歴史の中で、外部の者にとって最も理解し難い部分は、1945年の日本軍の降伏と撤退以降の急激な時代の変化であったろう。ラオス人にとってまったく関わりもなかったマルクス−レーニン主義が猛威を振い始め、パテート・ラオによるヴェトナム解放戦線が開始される。これがアメリカを戦争に誘い込むことになった。ラオスはそのとばっちりを受けることになる。本書の第4章「中立の崩壊」と第5章の「戦争と革命」は、インドシナ半島の現代史を知る貴重な資料を提供してくれるにちがいない。
 本書でも平和の再来を象徴するように、1994年4月、メコン川に初めての橋が完成したことが紹介されている。評者もこの時期、タイ側から見学に出かけたが、渡ることは拒否されてしまった。結局、渡れたのはラオス側からで、後年のことだった。ともかく煩わしい政治的紛争の時代はようやく去ったようだが、実はインドシナ半島をめぐるこれからの新しい火種は、このメコン川をめぐる中国との関わりかもしれない。よい書が出版されたと思う。
(金子民雄・歴史家) 
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