小学生に英語を教えるとは?
アジアと日本の教育現場から
アジアの英語教育からの示唆
小学校高学年での外国語活動が新小学校学習指導要領案に盛り込まれた。その目標に「外国語を通じて、言語や文化について体験的に理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら、コミュニケーション能力の素地を養う」とある。政府が出す文書はいつもつかみ所がない。このあいまいさは読み手によって多様な解釈を生み、議論を生みだすことにもつながる。とにもかくにも、小学校での「外国語活動」の必修化が決定した。
本書『小学生に英語を教えるとは?』は、タイトル通り、小学校段階における英語教育の意義を再考するための重要な切り口を与えてくれる。本書の大きな特徴の1つが、アジア各国の英語教育の現状を丁寧の報告しているところである。この手の類書の多くが「日本は遅れている」という強迫観念を与えるだけのものが多いのに対し、本書は、日本の英語教育を考える上で、それらをどのように参考にすべきかまで導いてくれている点が、高い評価に値する。「各国の抱える課題や社会・経済システムまでを考慮した上で参考にすべき」とする著者たちの真摯な研究姿勢が随所に表れており、特に、台湾、ベトナム、インドネシアに関する章は、今後の日本の英語教育に多くの示唆を与えてくれる。
まえがきの「なぜアジアの英語教育が注目されるか」と、むすびの「どう考えればいいのだろうか」を併せて読むと、編者の広範にわたる深い洞察が窺えると同時に、「小学生に英語を教えるとは?」の答えが透けて見えてくる。本書は小学校段階の英語教育への可能性を認めつつ、留意すべき点を明確に示し、日本の外国語教育改革へ貴重な提案を行っている。教育改革には、専門家や教育現場だけでなく、社会・保護者を納得させることも必要であるとする編者の考えには大いにうなずける。ぜひ、早い時期に、より具体的かつ実現可能な、小学校段階の英語教育実施のための代案を、「続・小学生に英語を教えるとは?」として発刊していただきたい。
本書には、日本の現場における「英語活動」への取り組み、その課題と成果、また、国際教育・異文化理解教育としての英語教育のあり方、非母語話者をALTとして積極的に活用することの勧め、英語優越主義・多言語主義を意識した外国語教育改革の方向性等までが盛り込まれており、これらは小学校の英語教育を考える際に参考となる有益な良書であり、現職教員および教員養成課程の学生に一読してほしい、お勧めの1冊である。
松山大学教授 金森 強
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◎『英語教育』2008年10月増刊号掲載 (大修館書店)
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小学生に英語を教えるとは?
アジアと日本の教育現場から
「小学校の英語教育という複雑な問題」は「複眼的に見ること」が必要だ。これは決して従来、中・高での英語教育に携わっていた者だけの専権事項ではない。「実質的に小学校の現場と大学との連携により理論的・臨床的な研究が進み、小学校教諭の中に『専門家』が育っているにもかかわらず」、その声は旧来の「英語教育の専門家」の声にともすれば書き消されてしまう。さらにはこの小学校の英語教育という問題は、グローバリゼーションという観点からも考えられるべきである。だが旧来の「専門家」はなかなか社会的な考察を得意としなかったりする。
3部に分かれた本書は、第1部で日本の英語教育に関する現状と問題提起を行い、第2部で実際に日本の小・中で英語を教えている現場教師の声を拾い、第3部でアジアの事例報告を行う、総勢15名による書である。このうち第3部は章数でもページ数でも本書の半分以上を占め、本書の特色となっている。このように広い視野、様々な視点から、焦らずにできるだけ客観的に日本の英語教育を考察する枠組みを整理していこうというのがこの本の狙いだろう。
アジア諸国(8か国・地域)の報告といっても、よくあるような一泊二日か二泊三日での「視察」による印象記ではない。どの報告もできるだけその国・地域の歴史・政治・社会・文化的状況を的確に捉えようとしている。「格差」「ジェンダー」「自殺」などという問題も必要に応じて導入され、重層的な記述が試みられている。私はとりわけ河原俊昭氏、樋口謙一郎氏の議論に、視点の設定や記述の客観性などで啓発されたが、本書の情報によると両者とも、いわゆる英語教育学・応用言語学の出身ではなく、社会科学系の出身である。教育は言うまでもなく社会的な現象であるが、これまでの日本の英語教育研究は社会科学的なアプローチが非常に弱かった。今後も社会科学を背景に持つ方がどんどんと英語教育研究に加わってほしいと評者は個人的に思う。
小学校英語教育に関して落ち着いて考えるには非常に良い本である。「論争」を繰り返す一方で、私たちはこの本のような多角的、客観的なアプローチで小学校英語教育について静かに考える必要があるだろう。
書評・『英語教育』08・05