【書評再録】
◎アジア経済 2005.2 掲載

フィリピン歴史研究と植民地言説
レイナルド・C・イレート/ ビセンテ・L・ラファエル/フロロ・C・キブイェン著

 本書は、現代フィリピンの歴史学を代表する学者3名の論文を、編者が独自に集めて翻訳した論文集である。本書の構成は、以下のとおりとなっている。第1部「フィリピン革命史研究からオリエンタリズム批判へ」(レイナルド・C・イレート)[第1章 1896年革命と国民国家の神話/第2章 知と平定―フィリピン・アメリカ戦争―/第3章 オリエンタリズムとフィリピン政治研究]、第2部「アメリカ植民地主義と異文化体験」(ビセンテ・L・ラファエル)[第4章 白人の愛―アメリカのフィリピン植民地化とセンサス―/第5章 植民地の家庭的訓化状況―帝国の縁辺で生まれた人種、1899〜1912年―/第6章 国民性を予見して―フィリピン人の日本への対応に見る自己確認、協力、うわさ―]、第3部「変わるホセ・リサール像」(フロロ・C・キブイェン)[第7章 リサールとフィリピン革命/第8章 フィリピン史をつくり直す]。
 イレートは、第1章で20世紀のフィリピン史の代表的な教科書をとりあげ、フィリピン人歴史家もヨーロッパ史の視点からの啓蒙主義・合理主義的なフィリピン史解釈に囚われていることを指摘する。第2章では比米戦争に焦点をあて、特に戦時中と直後の住民の強制移住、コレラ防疫、センサス実施という3つの政策を検討して、「友愛的同化」と表現されるアメリカのフィリピン統治の本質を暴きだす。第3章では、1960年代以降のアメリカ人のフィリピン政治研究が、いまだに地方のボス支配、パトロン=クライエント関係によってフィリピン政治を特徴づける植民地的言説から抜け出ていないことを明らかにしている。ラファエルは、第4章でまずアメリカ植民地初期のセンサスの形式、実施過程、フィリピン人表象に、アメリカ植民地主義の表出を読み取り、第5章では植民地に来た白人女性の残した記述から植民地的言説を抽出している。第6章では、世紀転換期のフィリピン人エリート層の日本への期待、日本統治期の対日協力者のレトリック(抵抗としての協力)、民衆の日本人についてのうわさを取り上げて、フィリピン人の「国民性」のある側面を照射する。キブイェンの2章は、「反革命・同化主義者」というホセ・リサール像がアメリカの植民地主義者によって意図的に作られたこと、フィリピン人のナショナリスト歴史家までこのリサール像に囚われて誤った評価していることを、実証的に明らかにしている。
 これまで、フィリピン歴史学の大家による通史などは翻訳されていたが、フィリピン史の専門的な論文集の翻訳出版は本書が初めてであろう。「解説」で編者が指摘するように、「植民地支配を数世紀にわたって経験したフィリピンにおいて、今日にまでその社会の深淵に植民地近代性が潜むという歴史的状況を見つめ直し、それに対して批判的検討を行なっている」(360ページ)という共通点をもつが、3人が歴史解釈について必ずしも見解を同じくしているわけではない。キブイェンはイレートの研究に対して批判的である。その点を含め、本書はフィリピン歴史学の最新の論点と最高の水準を満たしていると言えよう。とはいえ、本書は専門家のみに読まれるべきものではない。豊富な訳注によってフィリピン史の知識のない読者にも十分に理解可能であり、歴史学の門外漢にも大きなインパクトを与える。評者は通読して、本省はフィリピン歴史研究であると同時に、アメリカとそのイデオロギーの理解のためにも重要な示唆をもつと感じた。ラファエルのセンサスについての議論は、文化人類学の近年の関心事項にも通ずるものである(青柳真智子編『国勢調査の文化人類学―人種・民族分類の比較研究―』古今書院2004年)。また、イレートの代表作『キリスト受難史と革命』の翻訳作業が本書の編者等によって進められていることを付け加えておこう。
 本書について、歴史学の専門家による本格的な書評が書かれることを期待したい。

評者:玉置泰明(静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授)


◎朝日新聞2004年10月24日掲載

フィリピン歴史研究と植民地言説
レイナルド・C・イレート他著

   長らくアメリカの植民地だったフィリピンは、アメリカナイズされた社会でいかに生きるかという先例を私たちに示しているとも言える。また、1900年前後の比米戦争におけるアメリカの姿は、軍事介入を「愛他的行為」とし、フィリピン人が「互いに殺し合うのを防ぐために彼らに銃を向けた」点で、百年後のイラクでの現状を黙示していたかのようだ。
 本書は、国際的注目度の高いフィリピン史研究者3人の論文集で、一般の読者には馴染みにくさもあろうが、豊富な訳注により興味深く読める。たとえば"国民的英雄"と呼ばれるホセ・リサールを、当時の宗主国スペインとの併合論者で、革命を拒否した人物とみなす、かの国の進歩的知識人に広く共有されている見方は、アメリカによる巧妙なプロパガンダの結果であることが論証される。
 骨絡みのアメリカ化から歴史をどう奪い返すのか。この問い掛けと、私たちも無縁ではありえない。

評者・野村進(ジャーナリスト)

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