【書評再録】
◎2005年11月27日 朝日新聞「読書」欄 掲載

ベトナム戦争の「戦後」
中野亜里編

知られざる暗部やため息すくいとる

 ベトナムのホーチミン市(旧サイゴン)で、不動産業者の"見習い"をしたことがある。むろん取材の一環だったのだが、そのとき一九七五年の"サイゴン解放"(もう三十年も前のことだ!)の裏面をしばしば見せつけられた。
 一例をあげると、日本人駐在員らにマンションや一戸建てを賃貸する家主の多くは、旧北ベトナム出身の軍関係者であった。彼らはサイゴン陥落後、南ベトナム政府や軍の高官が所持していた家屋を、"分捕り合戦"のようにして手に入れ、それらを外国人に法外な値段で貸し付けては暴利を貪っているのだと、現地の事情通は声を潜めたものである。
 本書を読み、こうしたベトナムが「戦後」抱えてきた問題を、アカデミズムの立場から本格的に論ずる研究者たちがようやく現れてきたと思った。  ここで列挙されているのは、日本人の大半にとって初めて知ることばかりであろう。たとえば、かつて英雄視された南の解放戦線は、政権を握ったベトナム共産党により、存在そのものが事実上、抹殺されている。たとえば、ベトナム戦争中、北ベトナム軍や解放戦線も、民間人虐殺に手を染めていた……。
 私自身、ホー・チ・ミン時代の北ベトナムで粛清の嵐が吹き荒れ、一万数千人もの人々が処刑されていた事実や、ホーチミン市の人口の半数近くが、どこにも住民登録をされておらず、社会的権利も持たないという現状を知らなかった。
 しかし、著者たちは、ベトナムの暗部ばかりを、ことさらに暴き立てているのではない。ベトナム戦争中は"ベトナム反戦"で勝手に思い入れ、いままたエスニック・ブームで勝手に思い入れる日本人の視線の届かぬところで、ベトナム人たちが日々どのように生きてきたかを、彼らのため息までそっとすくいとるようにして伝えているのである。
 勝手に思い入れ、勝手に幻滅する、そんなことでいいのか、と本書は言う。この問い掛けは、古くはソ連や中国、近年では韓国と北朝鮮に対して繰り返されてきた、われわれの他国へのまなざしの危うさにも向けられているはずだ。

評者:野村進(ジャーナリスト・拓殖大学教授)


◎2005年11月21日 産経新聞「読書」欄 掲載

ベトナム戦争の「戦後」
中野亜里編

「反戦世代」に進める概説書

 今年の夏に実施された某新聞社の読者アンケートによれば、戦後60年で最も大きな影響を与えた出来事は、第一位がベルリンの壁崩壊とソ連崩壊、第二位が米同時テロ、次いでベトナム戦争が第三位だったという。このことは、終結して今年で丸30年がたっても、日本人にとってベトナム戦争が大きな事件として記憶されつづけていることを物語っている。
 ただ、多くの日本人は。「ベトナム戦争のベトナム」という悲壮で英雄的なイメージと1990年代半ば以降に形成された「有望な投資先、経済成長の著しい国としてのベトナム」「アオザイやベトナム料理などが人気の観光地としてのベトナム」という明るいイメージを分裂したまま並存させているのが現状ではなかろうか。本書は正にそういったギャップを埋めて、連続したものとして戦後のベトナム像を提示しようと試みている。
 本書の執筆者のほとんどは「ベトナム反戦世代」より若い世代の研究者・ジャーナリストであり、「ベトナム反戦世代」のような「思い入れ」に囚われることが少ない。その良さが出ているのが第一部の「ベトナムの戦後」である。報道機関や文学の世界にみられる思想・言論の統制、腐敗党官僚の下の人々の受難、福祉政策が欠如し国際NGOに依拠せざるをえない貧困層の支援、隠蔽されてきた人民軍内部の否定的現象、ドイモイ以前の配給制度の不合理さとその後遺症など、戦後ベトナム社会主義体制の問題点が具体的に浮き彫りにされている。
 第二部の「ベトナムの戦後と関係諸国」では、日本、米国、中国、タイ、カンボジア、ラオスとの関係がベトナム戦争を機軸にして各章で手際よくまとめられている。対中関係の紆余曲折ぶりには、あらためてベトナムの困難さを感じさせられる。
 本書は政治・外交の分野を中心としたベトナム現代史の優れた概説書として高く評価でき、とりわけ「ベトナム反戦世代」に一読を薦めたい本である。

評者:今井昭夫(東京外国語大教授)

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