【書評再録】
◎日米タイムズ、2004年2月28日掲載

カリフォルニアで働く
浅田光博著

 ナショナル・フットボールリーグ(NFL)49ersのチアリーダー安田愛さん、シリコンバレーのバイオテクノロジー起業家でNHKのど自慢グランドチャンピョンの桝本博之さん、気持会のソーシャルワーカー吉本明美さん――。
 ベイエリアでもなじみの顔がたくさん登場し、それだけでも興味がそそられる本書のタイトルはずばり『カリフォルニアで働く』。めこんから出版されている「海外へ飛び出す」シリーズの第四弾で、著者の浅田光博にとっては『フィリピンで働く』に続き二冊目になる。よくぞここまでそろえた、というようなユニークかつバラエティーに富んだ職業に従事する21人を取材し、それぞれの角度から仕事観、生活観などを思う存分語ってもらっている。
 「日本で生活する悩める人たちに、生きていく活路を見つけるためのヒントを提供したい」と浅田が言うように、本書はアメリカで働きたいと思っている日本にいる日本人向けの指南書だが、すでにこちらで生活し「カリフォルニアで働く」を実践している人にとって読む効用なしかといえば、そういうわけではない。改めて外国で働くことの意義を考えさせる、これも本書の役目だろう。
 実際に当地に住む者には、人物と話の背景が分かりやすく、つらさ、楽しさ、うれしさはよく理解できるはず。それぞれの話に「そうそう」と共感することも、「えーっ」と驚くことも、また反発することもあると思う。ちなみに筆者の場合は誇らしさと反省だった。同じ日本人で、同じ土地で、こんなにもいきいきとしている人がいるということはまるで我がことのように誇らしく、日本にいる両親に読ませようという気持ちにらなった。が、我が身を省みると"いきいき度"がそこまでないと感じてがく然。半面、「よし頑張ろう」という志気は高まる。生活に疑問を抱いている人、とくにこれから就職(転職)しようと考えている人にはヒントを与えてくれるだろう。
 本書はまた、ベイエリアの情報書でもある。たとえば、教育学博士の田中真奈美さんの話はバイリンガル教育の実情を、弁護士の藤木慎太郎さんは気になる法律の話を説いている。こういった話はこちらにいる者でしか実感できない。
 巻末には「インフォメーション」としてカリフォルニアで生活する上で必要な情報が細かく掲載されている。渡米したばかりの人には、非常に便利。
 浅田は冒頭でフィリピンとカリフォルニアでの取材活動を通して「海外でこそ力を発揮するタイプ」の存在を見、その筆頭が大リーグで活躍するモントリオール・エクスポズの大家友和選手と言う。このタイプ、周りにたくさんいそうな気がする。

◎清流、6月号掲載

夫婦で暮らしたラオス
菊地良一・菊地晶子著

 2000年から2年間、農業普及番組の制作指導のためにラオスで暮らしたテレビ・ディレクターとその妻が綴った生活体験記である。 国民1人当たりのGDPが日本の100分の1といわれるラオスだが、高度成長以前の日本を思わせる素朴で人情味あふれる人々の暮らしに2人は魅せられる。甘味と酸味のきいた料理、市場でのおあばさんとの気さくな語らい、子供たちが水浴びをするメコン川の夕景などが豊富な写真とともに紹介される。新年に親族が集まって開かれる、幸福を祈願する儀式「バーシー」や、雨季の終わりに寺院で行なわれる灯籠流しなど、独特の習俗も興味深い。 悠久のの時間の流れにみを委ねている人々を慈しむ夫婦の眼差しは、同時に効率とスピードを追求する日本への問題提起ともなっている。

◎クロスロード、5月号掲載

夫婦で暮らしたラオス
菊地良一・菊地晶子著

 ラオスの首都ビエンチャンで農業普及テレビ番組の制作指導に当たっていた2年間の体験をまとめた1冊。日本人が忘れてしまっている「スローライフ」。人情あふれる素朴な生活とゆったり流れる時間がラオスにはある。忙しい日常から一時離脱し、本書の与えてくれる「スローライフ」を味わいたい。

◎Trial & Error、2004年3-4月号

イサーンの百姓たち
松尾康範著

 「タクシン首相に見習え」
そんな言葉が昨年のWTOカンクン会議前後から日本のマスメディアで見られるようになった。AFTA交渉に積極的なタイの首相を、構造的経済停滞から抜け出すために日本もみならったらどうかという論調の中でである。
 しかし、タイの人々には何が起こっているのか。タクシン政権は三十バーツ医療の提供や土地なし農民への耕作地付与など、自ら「ウアアートーン」(=惜しまぬ扶助)と命名した政策を打ち出し、底辺層からの支持が厚いという報道が多いが、本当にそうなのだろうか。
 「イサーンの百姓たち――NGO東北タイ活動記」を読むと、ウアアートーン政策もAFTAも、タイの農民や百姓たちにとってはあまりありがたくないもの、かえって迷惑なもの、ということがわかってくる。
 それは、タイの百姓たちはタクシンが持ち出すずっと以前からウアアートーンの仕組みを持っており、それが弱められてしまったのは他ならぬ政府の開発優先政策のためなのだという彼らの認識が、自分たちの言葉でこの本にはっきりと語られているからだ。そして、それを取り戻すには、AFTAに乗ってジャスミン米やドリアンを遠くの誰かに食べてもらう必要はなく、以前の仕組みのねじを少しまき直し、身の回りにいる人々とつながることだけで充分なのだということを、朝市プロジェクトなどの新しい活動の中で彼らが示しているからである。
 自立を模索するタイの百姓の前にはさまざまな問題が出現する。会議で話しても結論の出ない話題は酒席へもつれこむのが常だ。著者がイサーンの人々からゲーオ(グラス)というあだ名を冠されたのは、そこまでとことん付き合い、首を突っ込んだからだ。新しいかたちのNGO活動記だ。
評者:岡本和之(ジャーナリスト)

◎恋するアジア、43号掲載

イサーンの百姓たち
松尾康範著

 タイの中でも東北イサーンは貧しいところである。社会のグローバル化(巨大資本が乗り込んでくる。社会のグローバル化(巨大資本が乗り込んでくる)により村はどんどん貧困になっていき、それに抗して手作り農業を確立し、地域(市場)を設営し、自立の道を探っていく。この本にはその活動記が書かれている。ただ残念なのは、地元の農民の声があまり書かれていないことである。活動を進める代表の声は書いてあるが、活動に参加していない人、市場のルールに反感を覚える人など、幅広い周辺の人の声が書かれていれば、もっと説得力の増す本となっただろう。こうした活動は大きくなれば硬直化(閉じて過度にシステム化され官僚的になる)していく危険がある。そのへんの矛盾をどう回避していくのか、目先の策だけでなく、システム構築の将来についても述べて欲しかった。著者はまだ若く思考はナイーブ。著者に好感を持つ本だった。

◎北海道新聞『世界文学・文化アラカルト/インドネシア』、2004年2月12日掲載

マックス・ハーフェラール
ムルタトゥーリ 著

植民地時代伝える名作
 1860年の出版とともにオランダでセンセーションを巻き起こした小説「マックス・ハーフェラール」の日本語訳が再び出版された。戦中の1942年(昭和17年)に訳されたときには文部大臣推薦図書になった。戦後は目にすることもなくなってしまったが、今回の訳書(佐藤弘幸訳、めこん刊)は原作の素晴らしさを遺憾なく伝える素晴らしい訳に仕上がっている。
作者は、ジャワに派遣されていたオランダ人植民地官僚の一人であったダウエス・デッケル、ペンネームを「ムルタトゥーリ」という。この小説は作者の分身ともいうべき主人公マックス・ハーフェラールの口を借りてオランダの過酷な植民地政策を内部告発したもので、たちまち当時の問題作となった。本国と植民地を行き来する植民地官僚たちの世界、オランダ社会の東インドに対する認識、土地の役人とオランダ人官僚との関係などさまざまな事柄が、この小説から読み取れる。作者のリアリスティックな描写は、研究者のための貴重な歴史的資料ともなってきた。一方、一冊の文学作品としても高く評価され、今なお十九世紀のオランダ文学の不朽の名作として読まれ続けている。
 ムルタトゥーリはこの小説が出版された後もいくつかの作品を発表したが、不遇のうちに1887年、ドイツで客死する。現在、彼の作品と研究書を集めた小さなムルタトゥーリ博物館がアムステルダム市内にある。そこには世界の二十七の言語に翻訳された「マックス・ハーフェラール」が並べられている。インドネシア語には一九七〇年代に翻訳され、版を重ねている。このような書が当時の政治的な圧力を受けながら宗主国で出版されたこと、オランダ文学の名作として読まれ続けていることは興味深いことである。オランダ領東インド時代のインドネシアや、オランダとの関係を知るための格好の書である。
評者:森山幹弘(南山大学助教授)

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