メコン川流域、アジア全域
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メコン 石井 米雄文・横山 良一写真 評者・丹藤佳紀▼ -川に生きる人々、流域の歴史- 仮初めのベトナム停戦協定が結ばれた一九七三年、夏の連載企画取材のためベトナム領内のメコン河を砂利運搬船で下った。中国・雲南省を流れるメコン上流のランツアンチアン瀾滄江に手をひたしたこともある。そんな出会いを思い起こしながら石井氏の文と横山氏の写真で構成された本書を読んだ。 |
母なるメコン、その豊かさを蝕む開発 評者・松本 悟(図書新聞1999年11月20日掲載)▼ -経済開発が人々の生活や環境に落とす影‐思考を読者にゆだねながら 今日のメコン開発の土台を時には緩やかに時には激しく伝える- 本書は硬派の、それでいて写真をふんだんに使ったメコン河紀行である。 |
海が見えるアジア 評者・池澤 夏樹(週刊文春「私の読書日記」欄1997年2月20日掲載)▼ -海の自由と哲学の喜び- 旅はある程度まで馴れであり技術だが、その先は才能である。もんでん門田修を見ているとそう思う。たぶん今の日本でいちばんの旅の名人。太平洋の西半分の島々と沿岸、それにインド洋の全域について最も詳しい。二十年近く前に彼の最初の著作である『海のラクダ』(中公新書)を見た時、日本にもこんな旅をする奴がいるのかと感心した。行く先々で人の暮らしの中に入ってゆく。その土地の生活が何でなりたっているか、官庁の統計ではなく、人が働く姿から推測する。土地の人が食べているものを食べ、飲んでいる酒を飲み、同じ床に坐って喋る。生活を写真に撮る。しかし、居つかない。あくまでも旅人。 『海が見えるアジア』はその門田が海と陸の接点に生きる人々をアジア各地にたずねての報告集である。そういえば門田は内陸に入ることが嫌いらしい。今までの旅もすべて海の旅だった。 「できれば、旅に出るまえに、『インドネシアに行く』とか、『タイに行く』などと言いたくない」と彼は言う。「『ジャワ海に行く』、『南シナ海に行く』と、言いたい」。 国境は人と人を分かつが、海は人をつなぐ。われわれはフィリピン人とインドネシア人は別の種類の人々と信じて疑わないが、スールー海には両国の間を行ったり来たりしている漂海民がいて、門田が興味を示すのはそのような人々、国家の決める条件ではなく自然やその時の財の流れによって生きかたを選んでいる人たちなのである。亡くなった鶴見良行の方法に似ているが、あそこまで学問的ではなくて、その分だけ自由。 今回の本がカバーする範囲も広くて、北は間宮海峡のあたりから、アジアの沿岸に沿って南下し、セレベス海・ジャワ海・南シナ海を細かく回って、最後はインド洋とアラビア海の境にまで至る。出てくる地名の大半は普通の日本人が聞いたことのないものではないだろうか。パリの鞄屋の所在は知っていても、スラウェシがどこにあるかは知らない。寿司ネタの新顔トビッコを口にして、それがどこから来たかを思うものはいない。われわれにとってそれほどアジアは遠い。 バシー海峡(どこかわかりますか?)に浮かぶサブタン島で出会ったシン君というインド人の青年の話-「高校を卒業したとき、父親からどこか外国に行って商売するように命じられた。シン君は英語が通じるということでフィリピンを選んだ。資本金をいくらか持って、雑貨を仕入れては段ボール箱に詰めて行商している。何の伝手もない。二年がたち、来年ぐらいにはバスコに店を開きたいという。その場所もほぼ決まったらしい。すごいものだ。華僑に対して印僑という言葉があるが、まさにその最前線にたった一人で立つ青年だ。可愛いところもあり、毎晩のようにインドの実家に甘えた声で電話している」。 日本でも若い者の貧乏旅行は話題にはなっているが、みんなが同じコースを同じように回っているのでは意味がない。『地球の歩き方』シリーズや行く先々の日本人の定宿の情報ノートに頼らず、自分でリスク・コントロールをしながら人の行かない土地に踏み出す秘訣を門田の本に習うといい。 |
緑色の野帖 桜井 由躬雄著 評者・森谷 正規(毎日新聞1997年5月25日掲載)▼ -東南アジアの豊かな文化を実感する- 「東南アジアの文化は、海と高温多湿な気候条件に即している。常食はサカナとコメ、伝統着は一枚布を巻きつけたもの、住居は木造高床である。東南アジアの村落調査をしていると、この三種の組み合わせがどんなに快適なものかがわかる。翻ってみると、この文化は南シナ海を経由して、日本にまで到着している。私たちもまたサカナとコメ、キモノ、高床式住居に住んでいるし、なによりも快適なものと思っている。つまり私たちの文化の根源は、東南アジアを中心とする地域に始まっている。東南アジアが美しいと思う心は、実は日本が美しいと感ずる美意識と同じものだ」東南アジア研究者である桜井さんは、二十年近くもこの地域を隈なく歩きまわった。どこまでも続く緑あふれる水田、森の中の小さな盆地にある箱庭のような棚田、海岸に連なる緑の魔境のマングローブ林、放棄されてジャングルとなったゴム林、山中の小さな村で三〇頭もの羊の首を切る犠牲祭、日本人が指導して作った原始的な浄水器で精製するサゴヤシデンプン工場。 地域研究というのは、まず感性をもって地域を把握することから始まるという。フィールドワークがあって、その地への土地感があって、つまり旅をしてこそ理解が進む。 桜井さんは東南アジアの各地への旅で歴史と文化を探った。ベトナム北部の銅鋤、メコン河岸の銅鼓、スマトラの巨大な石像、ボルネオの稚拙なヒンドゥー像。タイ東北部の中世の巨大な溜め池。 第一章の三〇〇〇年前のベトナム北部、フングエン遺跡から始まって、第一九章のドイモイのハノイまで、年代を追って並べて、各地への旅の随想を歴史の記述をまじえて繰り広げている。歴史家ではない地域研究者の描く古代、中世は、はるかなる文化をありありとイメージしながら想い浮かべて書かれてあり、東南アジアの国々には古くからとても豊かな文化が進んでいたのだと実感できる。 桜井さんは、文化と文明の相違に拘る。「文化はそれぞれの自然環境の中で、その環境を利用し、その環境に適応した人との生活要素が集積され、伝承されたものだ。伝統的な農業はもっとも典型的な文化だ」。一方、文明は「環境をこえて伝播する能力をもった生活様式」であり、近代科学技術もその一つである。 ところで私は、日本は「高度技術大衆化文明」を生み出したとの説を述べているのだが、いよいよその文明がアジアに伝播する時代となった。この本でもよくわかるのだが、アジア諸国は文化が進んだ豊かな国々であった。たまたま歴史の一時期において、西洋に生まれた近代の科学技術と産業に遅れていただけだ。 アジア諸国の技術と産業の発展にかける情熱とエネルギーは、時がきたって怒涛の勢いで迸り出ようとしており、東南アジアはその先頭にある。十年、二十年後には目を瞠る発展を成しとげているに違いない。 そのアジアの発展を正しく認識し、また、高度技術大衆化文明が二、三十億人ものアジアの大衆に急速に普及することから生じる重大問題を深慮して、日本がアジアといかに付き合っていくかを深く考えることが不可欠である。それには、アジアの歴史とそれぞれの国に個有の文化を知らねばならない。 これは、アジアにかかわりのある人のすべてが読むべき本である。 |
東南アジアの古美術-その魅力と歴史- 評者・上床 亨(「陶説」日本陶磁協会発行、1996年10月号掲載)▼
兎に角面白い本です。私の様に東南アジアの陶器に興味を持っている者は勿論、さほど興味を持っていない人でも引き込まれてしまう本です。既成の美術書とはひと味もふた味も違います。 |
アジア動物誌 渡辺 弘之著 東京新聞1998年10月20日掲載▼
ガムテープは何にでもくっつく強力な粘着のりが塗られているが、反対側の面には付かない。その秘密は、表面に塗られたワックスだ。同じワックスは、チョコボールの表面にも塗られている。おかげで、手で触ってもべとつかない。ワックスの原料は、インドや東南アジアにいる、体長1センチ余りのラックカイガラムシが出す分泌物だ。 評者・野中 健一(三重大学人文学部)(エコソフィア1999年3月号掲載)▼
「あなたはカイガラムシを食べている」という、どきっとする話から本書ははじまる。タイトルには「動物誌」とあるが、このように本書には、昆虫、鳥、は虫類など、小動物が数多く登場する。また、それらの動物たちのさまざまな利用を中心に、人々とのかかわりをとらえた「民族動物学」への貢献を意図したものでもある。登場する動物が小動物だからといってあなどってはいけない。本書では、アジア各地で人びとがこれほどまでに多様に巧みに小動物を利用するのかという驚きとともに、そこに暮らす人びとの小動物とのかかわりにおいて生じるさまざま心情―こだわり、愛情、慈しみ、あるいはしたたかさ―が克明に描きだされ、人と動物とのかかわりの大きさを知ることができる。それをアジアの動物誌として提示した本書の意義は大きい。 |
チャンパ 桃木 至朗、樋口 英夫、重枝 豊著 読売新聞「記者が選ぶ本」欄 ?年2月6日掲載▼
二世紀末から十七世紀にかけて、ベトナム中部の海岸平野を中心に栄えた王国がチャンパである。海のシルクロードの拠点として東南アジア史の一方の主役の座を占めながら、アンコール文明の陰に隠れ、マイナーな存在だった。このため、研究も進まず、「海洋民チャム族による」「周辺諸国に圧迫され続けた」「インド化した国家」という一九二〇年代に打ち出された国家像が、そのまま受け入れられてきた。 |
タイ
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バンコクの好奇心 前川健一 SKY WALKER CLUB(H.I.S monthly communication magazine)1996年7月18号掲載▼
あくまで旅行者の視点に徹しているのがいい。 |
バンコクの匂い 前川 健一著 読売新聞「この本この人」1991年10月7日掲載▼ -延べ三年の滞在で観察 克明なタイの食事風景-
アフリカから東南アジアの各都市を歩き回ったり、住んでみたり。「独身だからできるといえるのか、それだから独身なのか?来月からまたバンコクに出かけ町と人を見て回ります。約半年はいるつもりで、バンコク住まいは、のべにするとすでに三年ぐらいです。食べものが自分に合っていることもありますが、他の都市とくらべ日常雑多なことが、ダイナミックに動いていて、居心地もよいのです」 |
まとわりつくタイの音楽 前川 健一著 評者・松村 洋(ミュージックマガジン1994年4月号掲載)▼
タイのポピュラー音楽について日本語で書かれた初めての本である。著者・前川健一氏の専門は食文化だが、タイ音楽の概説を音楽の専門家が誰も書かないので仕方なく自分が書いたと、あとがきにある。音楽の専門家は何をやっているんだと叱られてしまった。反省! |
タイの花鳥風月 レヌカー・ムシカシントーン著 評者・四方田 犬彦(東京新聞1991年12月15日掲載)▼ - 豊かな感受性の結晶 -
タイという国が好きなので、仕事や研究に、タイ関係の本は書店で目につけば買って帰って読むことにしている。といっても英文の類書を参考にした安直なクッキングブックはもうたくさんで、本当に面白い本はなかなか本屋を探さなければ発見できないものだ。
プラヤー・アヌマーンラーチャトンの『回想のタイ 回想の生涯』(井村文化事業社)は、文字通りバンコクの南方熊楠とも呼ぶべき知的巨人の三巻本の自伝で、僕はこの書物を通して実に多くのことを学んだ。 |
タイ鉄道旅行 岡本 和之著 評者・鶴田 育子(週刊文春「文春図書館」掲載)▼ - 全線乗車の、ほとんど神業、驚異の世界 -
タイの鉄道といえば、マレーシア半島を駆け抜ける国際列車。 四国新聞「時の人」欄1994年5月16日掲載▼ -綿密な取材、タイをふかんできる力作-
きっとタイの人はだれもやったことのない、タイの鉄道十六路線、計約四千㌔の全線乗車。その記録をまとめて「タイ鉄道旅行」を出版した。 評者・船津 和幸(信濃毎日新聞「夏休み・私が薦めるこの一冊」1994年7月24日掲載)▼
私は日ごろから学生諸君にアジアの友人たちと出会う旅を勧めている。それは鉄道の旅に限る。出会いの意外性や楽しさのなかで、アジア的生き様を強烈に体験すること請け合いである。 |
バンコクのかぼちゃ-女ひとりタイで暮らせば 中川 るな著 評者・桂井 宏一郎(古今書院「地理」1994年5月号掲載)▼ - 女性の描いた異文化理解の場面 -
「バンコクのかぼちゃ」とはおかしな題だなと思って「あとがき」を読んだら、「シンデレラのかぼちゃは一二時を過ぎると、またもとのかぼちゃに戻ってしまったそうです。私のタイの暮らしもそんなもんでした。でも、かぼちゃの馬車の話は、よそにはなかなかわかってもらえないので、バンコク暮らしの間ずっと紙に向かって話して聞かせていました」とあって、なるほどと思った。 朝日新聞1994年4月14日掲載▼ - マイペンライの国 タイにひとり暮らせば-
〈「美しい」も「普通」も国や環境によって変わる〉 |
タイの象 桜田 育夫著 評者・青木 保(週刊文春1994年5月5日号掲載)▼ -この巨きな動物を身近にもつ世界に生きる人たちがわかる-
「欧米人は犬が一番利口な動物だと言うがそれは彼らが象を知らないからで、ほんとうは象が一番利口な動物だとタイ人は自慢する」と著者は書いている。私自身アジアの象のいる国々を訪れる度に、こんなおお巨きな動物を身近にもつ世界に生きる人たちと、せいぜい馬か牛ぐらいの動物しかいないところの住民とでは、自然や文化や世界そして人間についての考え方が大分ちがうのではないだろうか、と思う。 |
私は娼婦じゃない-タイのメールオーダーブライドの告白- 評者・久田 恵(週刊読書人1994年10月21日掲載)▼ - 花嫁カタログ販売の実態 システムを空洞化させる希望を描く-
この本は、「花嫁のカタログ販売」と呼ばれる方法でドイツ人男性と結婚したタイ女性が書いたドキュメント小説である。 評者・山崎 朋子(週刊文春「文春図書館」1994年10月13日掲載)▼ - ドイツに流出せざるをえなかったタイの女性は… -
東北地方をはじめ全国の農山村男性に結婚難現象がいちじるしくなり、それに対応していわゆる〈フィリピン人花嫁〉や〈スリランカ人花嫁〉のあらわれたのは、七、八年前のことであった。そして今は、夜の東京=新宿や池袋などを歩くと、フィリピン女性やタイ女性の日本人男性を誘う姿がごく普通に見られる。 |
バンコク・自分探しのリング 吉川 秀樹著 評者・松原 隆一郎(東京大学助教授・社会経済)(読売新聞1999年4月25日掲載)▼ - 自己を見つめる男女5人を紹介 -
タイの国技・ムエタイのジムは、タイ全土に散在している。選手たちは寝食を共にし、一日に二度の稽古と無数の試合を重ね、いつの日かルンピニー、ラジャダムナンというバンコクの二大殿堂に登場する日を夢見る。本書にも描かれるように、ジムの雰囲気が日本の相撲部屋などと最も異なるのは、不思議な開放感を漂わせている点だ。 |
タイ人と働く-ヒエラルキー的社会と気配りの世界 評者・西 牧男(西国際コンサルティング事務所代表)(日本労働研究雑誌「読書ノート」欄2000年12月号掲載)▼
十数年前、クーラーのよく効いていない工場の一室で一ヵ月に一度の生産性向上と品質管理のための会議をやっていた。発言者も一定ならその結論も一定という、これは会議ならぬ儀式であった。会社の創業以来20年にわたりこんな意味のない会議をやり続けてきていたのかと思うと頭が痛くなってきた。 |
タイ人たち ラーオ・カムホーム著・星野 龍夫訳 北海道新聞1988年11月21日掲載▼
東北タイ(イサーン)は乾燥した高原地帯で、しばしば干ばつに襲われ、タイでも貧しい地域の代名詞となっている。この短編集はほとんどがそのイサーンを舞台にして書かれている。土地を地主に取られそうになる農民。選挙に当選したものの暗殺される政治家。乗り合わせたタクシーが逃走中の強盗だったため一味と間違われる僧。王族の血をひく社長の甥を、親方のようには「神」とは信じない、作者自身を思わせる象使いの青年。原題の「ファー・ボー・カン」は「空は限りなく広い/だが、なぜか/この人の世の狭さは…」といった詩句からとられている。まさにこの題名通りの人々が登場する。 評者・岸本 葉子(朝日ジャーナル1988年12月9日号掲載) - 「この国の音楽に似た優しさを持つ文章だ」と『タイ人たち』を訳した星野龍夫さん- 初版二五〇〇部は、思い切った数だという。 評者・永井 浩(毎日新聞1988年11月16日掲載)▼ -しゃにむに貢献「恐ろしい」-
タイの作家、ラーオ・カムホーム氏と、都内で夕食をともにする機会をえた。今回の来日直前に日本語訳が出た氏の短編集『空は遮らず』(邦訳『タイ人たち』)は、すでに英、仏、スウェーデン、シンハリ語など十カ国語以上に訳され、海外で最も有名な現代タイ小説となっている。 |
蛇 ウィモン・サイニムヌアン著・桜田育夫訳 評者・大石 芳野(ステラ1992年9月18日号BS週刊ブックレビュー抄録欄掲載)▼
アジアの現代文学シリーズの第11巻に収められている作品。著者は、タイ中部の貧農の家に生まれ、バンコクのスラムで育った新鋭の作家。1984年に発表されたこの作品は、タイ国民の信仰の対象である寺と僧侶のあり方を痛烈に批判して、話題を呼んだ一冊。 サライ1994年10月20日号掲載▼ -賛否両論の反響を呼ぶタイの現代小説を読む-
寺や僧侶を批判したため、1984年に発表されるや大反響を呼んだタイの現代小説が翻訳された。 |
ラオス
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メコンに死す ピリヤー・パナースワン著・桜田育夫訳 ▼毎日新聞1988年7月27日東南アジアの小数民族が何を悩み何を考えているかの情報は少ない。本書はラオス解放戦争の中で敵味方に分裂して苦悩するモン族(通称メオ)のなまの声を伝えてまことに興味深い。ドキュメンタリー小説の形をとっているが、材料はすべて著者(タイ人)の綿密な調査から得られている。インドシナの人種差別を知る重要な文献として推賞できる。 ▼西遊新聞1988年7月25日 -添乗員のおすすめするこの一冊- インドシナ戦争というと、1964年に拡大したベトナム戦争を中心に目が行きがちである。が、ここでは、米国やベトナムなどの主人公達とは全く掛け離れたモン族に視点を置いて話が進んで行く。 モン族とは、日本語で「メオ」「苗」などと呼ばれている山岳民族のことだが、彼らは自分達を「モン」と誇りを持って呼ぶ。同名で7世紀頃、ドヴァーラヴァティー国を建てたモン族とは全く別の民族だ。中国南部やインドシナ半島の山岳部に広く住んでいるが、本拠地は中国貴州省の山岳部ともモンゴルとも言われている。彼らの移住が本格的になったのは19世紀に入ってからで、原因は中国内の混乱――大平天国など――によるものだった。そして再び、中国革命が彼らに新たな大移動の動機を与える。しかし、南下する彼らの前には常に先住民族が立ち塞がり、迫害され、抗争を繰り返した。 常に国家規模の、もしくは代表される民族の立場からの作品ばかりの中で、ラオスの、特に少数民族モン族の目を通して描かれたことで今まで知り得なかったインドシナ戦争の裏側を垣間見ることができる。北ベトナムに支援されるパテト・ラオ。一方、米国から強力な物資援助を受ける政府軍。1960年から71年にかけて激動するラオス国内で、左右両派に分かれてモン族同士が血で血を洗う様子がドキュメント・タッチで描かれている。 この本はタイ人によるものだが、彼は4年間にわたりモン族の難民キャンプに足を運んで交流をはかり、彼らの習慣等を学んだ。そのため、各所でモン族の独特な風俗習慣が非常に豊かに表現されていて、ともすれば重苦しい政治色濃い作品になるのを防いでいる。さらに特徴的なのは、モン族のラオスにおける社会的位置である。ラオ・ルム(平地に住むラオ)族が彼らモン族をかなり低く見下している点、それとは対照的にモン族がラオ・ルム族以上に「土地」に愛着を持っている、ということがくっきり書かれていて、多民族国家ラオスの社会構造を窺い知ることができる。 特別な知識がないと、初めのうちは登場人物の立場の理解がいくらか難しいかも知れない。が、数少ないラオスについての1冊ということで特におすすめしたい。また混沌としたインドネシア半島や、中国南部の少数民族に興味をお持ちの方には必読の1冊です。 |
ベトナム
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ハノイの憂鬱 桜井 由躬雄著 - クールで的確な報告-
ベトナム戦争が終結して、十四年になる。すっかり過去の事件になった。だが、いまだにベトナムとその首都ハノイは、一番縁遠い地だ。ふつうの方法では、自由な旅行ができない。東ヨーロッパの社会主義国が、いまや大変動のただなかというのに、モンスーンの社会主義国はどうなっているのか。 |
ベトナムのこころ 皆川 一夫著 - 自然体でしなやかに生きる ベトナム人の生き方に共感と羨望-
朝から晩までバイクが街を走り回り、市場では威勢のいいかけ声が飛び交う。街の熱気に気圧されてカフェや食堂に逃げ込むと、店員の何気ない物腰がたおやかで優美だったり、何気なく飾られた一輪挿しの花が見事にインテリアにはまっていたり。ベトナムに魅了されるのは、動と静のこんなギャップを目にしたときかもしれない。 |
ベトナム革命の内幕 タイン・ティン著・中川 明子訳 - 共産党一党支配の暗部を告発-
「ドイモイ」(刷新)の合言葉とともにベトナムが改革・開放に大きく舵を切って十年あまりが経過した。経済と社会の諸相はこの間、急激に変化した。しかし、その陰で牢固として変わらぬものも少なくない。その象徴は共産党による一党支配である。 |
女たちのベトナム 村田 文教著
ベトナムへの海外からの直接投資は九六年が最大だった。しかし、現在は年を経るごとに投資額が減少している。一時は「最後の投資楽園」などと期待された。ドイモイ政策実施後、米国・韓国・中国などかつての「敵国」とも国交回復をはかり、ASEANに加盟し全方位外交も成功したかにみえた。とくに米国との国交正常化を果たしたときには、一~二年の間には米国が最恵国待遇を与えるのではないかと予想され、日本や韓国の企業は「輸出拠点として活用できる」と色めきたって進出を試みた。 |
パリ ヴェトナム漂流のエロス 猪俣 良樹著
旅の始まりは、トゥイ・キェウ。彼女はヴェトナムで語り継がれる長編叙情詩の女主人公。類い希なる美女にして才女、数奇な人生を歩んだヒロインである。人を恋することに命をかけ、しなやかな強さ、自在さを備えたキェウとは、いったいどんな人物なのか。今なお舞台で女優たちによって演じられているというキェウ。そのキェウに会いたい。こうしてヴェトナムへと旅立った著者は、アオザイの美女との出会いを皮切りに女優・キェウを追いかけ、さらにはパリへ、ロスへと旅を続ける。キェウの生き方に強烈なエロスの匂いを感じた著者の、幻の美女探しの旅。 |
はるか遠い日-あるベトナム兵士の回想 レ・リュー著・加藤 則夫訳 - ここに文学の仕事がある・社会をより人間のほうに引き戻す試み-
ベトナムの話を読みながらも、私は国境のことを忘れ、自分の国の小説の世界にはいっているような気分になった。 |
カンボジア
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ポル・ポト伝 デービッド・P・チャンドラー著・山田 寛訳 - 仏の教育を受けた青少年期-
現代史で最も謎めいた人物の一人、ポル・ポト氏は一九七七年、党・政府代表団を率いて中国を公式訪問した。北京特派員だった評者は、空港でこの人物を撮影したことがある。 |
カンボジア・僕の戦場日記 後藤勝著 -戦場で生死に向き合う若者-
「横で、一人の兵士が仰向けになり、倒れ込んだ…ああ、血だ…僕は気が狂いそうだった」-。映画の一シーンのような錯覚を覚えるが、それはつい二年前、一九九七年のカンボジア内戦の一シーンだ。そして、それはコソボやアフガニスタンの戦場で今も繰り返されている光景だ。 |