マックス・ハーフェラール

もしくはオランダ商事会社のコーヒー競売

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ムルタトゥーリ/佐藤弘幸訳
定価 5500円+税
四六判上製箱入り / 540頁 / 200310月年初版
ISBN4-8396-0163-1 C0030 Y5500E

 19世紀、オランダ領東インド(現在のインドネシア)における植民地支配の過酷な実態を内部告発して、ヨーロッパ諸国に大センセーションを巻き起こした小説の完訳です。この本は母国オランダでは「国民文学」として読みつがれ、知らない人のいない古典中の古典。日本でも、アジア近現代史研究の中でしょっちゅう名前が出てきますが、戦前に出た翻訳を目にしたものはほとんどいないという「幻の」作品です。オランダ語で書かれてはいますが、植民地を通じてアジアとヨーロッパにまたがる世界的名著と言えるでしょう。訳者はオランダ史が専門で、長年にわたってムルタトゥーリについて研究、ようやく翻訳が完成しました。

【あとがき】
 植民地支配はダブル・スタンダードの典型である。近代の植民地支配の実態を見ると、これは例外なくどの国にもあてはまる。議会制民主主義の母国イギリスが世界の各地に繰り広げた植民地支配、とりわけインドに対する植民地支配はおよそ議会制民主主義などとは無縁のものであり、輝かしい近代革命と人権宣言の国フランスが一九世紀に入ってからインドシナで行なった植民地支配も、それと何ら変わるところがない。それぞれの植民地に一歩足を踏み入れれば、民主主義も人権も全く絵空事で、その匂いを嗅ごうにも嗅ぐことすらできなかった。そこには本国、宗主国とはおよそ異質の、武力による威圧と搾取という暗黒の世界が広がっていた。まさにダブル・スタンダードの典型と言っていい。
これは、東南アジアに広大な植民地支配を繰り広げたオランダについても同じように言えることであり、本国はエラスムス以来の伝統的「寛容」と「成熟した民主主義」を誇っていたが、植民地では、それとはおよそ似ても似つかぬ、苛酷な異民族支配が罷り通っていた。原住民には政治活動はおろか集会、結社、報道、出版などの自由は認められず、一握りのオランダ人支配者が数千万人原住民の生殺与奪の権利を握っていた。政治的民主主義など夢のまた夢で、まるではるか異次元の世界の話であった。本国ではいち早く廃止されていた死刑や流刑は、誰はばかることなく堂々と適用され、原住民には無言の圧力を与えていた。一八四八年までは烙印を押すことすらなされていた。これもまた紛れもなくダブル・スタンダードである。
 これにさらに経済的搾取が加わるから、原住民は全く救われない。いや、このためにこそ彼らの自由は各方面にわたって抑圧されたと言った方がいい。一九世紀のオランダの植民地政策を代表するものは、世界史的にもよく知られた、いわゆる強制栽培制度である。もちろんオランダでは"強制"という語は使われず、単に栽培制度と言うだけである。この栽培制度は一八三〇年からジャワに導入されたが、その骨子はジャワの農民や小作人に対して、耕作地の二〇パーセント、もしくは労働時間の二〇パーセントを東インド政庁が指定した農作物の栽培に割くように強制するものであった。政庁が指定した作物とは、当時西ヨーロッパで庶民の日常生活の中に普及し始め、人気のあったコーヒーと砂糖が中心で、他に茶、藍、タバコなどがあった。政庁はこれらの作物を独占的に集荷し、農民は政庁以外の第三者に売ることは禁じられていた。ただしサトウキビはジャワの各地にあった民間の製糖会社に売られ、製糖会社はこれを加工して政庁に売り渡すことになっていた。これらの農作物をこれまた一括して独占的にオランダに運んで、競売にかけたのがオランダ商事会社という国策会社であった。本書のサブ・タイトルにこの会社のコーヒー競売が選ばれているのはその意味で示唆的である。

 (中略)

 小説『マックス・ハーフェラール』は当初から政治的思惑に翻弄され、著者の意を十分に反映しない形で世に送り出された。しかもそうした状態は、著者の願いもむなしく何と一五年も続いた。それほどこの小説の内容は時の為政者には脅威であり、衝撃が大きかったということであろう。著者個人が東インドでいかに不当な扱いを受けたかという点もさることながら、それ以上にオランダの植民地政策そのものが初めて白日の下にさらされたからである。それではこうして突き付けられた問題に対してオランダ政府はどのような対応を見せたであろうか。この作品ははたしてオランダの植民地政策に何らかの影響を与えたのかどうか、この点について少し見ておきたい。
 この作品が発表されてからちょうど一〇年後の一八七〇年にいたり、オランダはそれまで進めてきた悪名高い強制栽培制度を完全にではないが、段階的に廃止することになった。サトウキビ栽培は農民の稲作を犠牲にして強行され、慢性的な飢饉の大きな原因となっていたので、まずサトウキビ栽培から段階的に廃止されることになった(ただし強制栽培制度の象徴的作物であったコーヒーについては二〇世紀初頭にいたるまで廃止されなかった)。それまで植民地政庁が権力を背景に独占的に管理し統制してきた農業生産を民間企業にも開放し、強制労働ではなく自由な賃労働にもとづいた農業生産に変えてゆくことになった。もっとも著者自身はこの自由な賃労働の導入はジャワ人に対する搾取の強化につながるとして反対であったが。いずれにしてもこれは大きな政策の転換であった。強制栽培制度それ自体が制度疲労をおこし、それまでのように効率が上がらなくなっていたことに加えて、一八六九年のスエズ運河開通によりヨーロッパとアジアを結ぶ航路が大幅に短縮され、人の往来が飛躍的に増えていくことが予想され、民間資本の進出も期待されたことがその背景にあったのであろう。さらにオランダ国内では強制栽培制度に批判的な自由主義勢力が発言力を増していたことも無視できなかったと考えられる。
 しかし小説『マックス・ハーフェラール』の衝撃もこの政策転換の直接的動機とは言わないにしても、背後でかなりの力を持っていたのではないか。出版後一〇年にして政策が大きく転換されたから、タイミングとしては決して遅い方ではない。おそらく当時の為政者の意識の中では、この小説の存在はかなり大きな不安の種になっていたのではないかと思われる。ヨーロッパでは植民地の奴隷制廃止が時代の趨勢になっていたのに、オランダは例えば西インドでは一八六三年まで奴隷制を維持していた。それに加えて東インド植民地でも奴隷制と見紛うばかりの強制栽培制度を強行し、高い収益を上げていた。特に後者は収益の多い植民地として、周辺諸国から羨望の眼差しで見られていた。したがってこのまま奴隷制まがいの強制栽培制度を続けていけば、強制労働を口実にして、いつ大国が干渉し触手を伸ばしてくるか分からない。もし大国の干渉が現実のものになれば、はたしてこれまで通り東インド植民地を維持していけるかどうかも分からなくなる。特にイギリスは常にオランダの動きを注視していたし、オランダもイギリスの動きにはいつも神経を使い、警戒していた。その意味でイギリス人がこの『マックス・ハーフェラール』にいち早く注目したのは当然で、一八六八年二月には早くもエディンバラの書店から英訳版が出た。これはこの小説の外国語訳としては最初のものであった。この英訳版では、ファン・レネップがぼかしてしまった固有名詞が復元され、オランダ語版よりも植民地の現状がよく把握できるようになっていた。こうしたイギリスの強い関心も政策転換の大きな動機になったものと考えられる。この小説の中でもドゥローフストッペルとシュテルンは、この本はオランダよりも外国で注目を集めるであろうという見通しを述べているが、確かにその通りであった。その意味でもこの小説は強制栽培制度に対して警鐘を鳴らし、その廃止に向けて少なからず圧力になっていたことは間違いないと思われる。

●日本語版「マックス・ハーフェラール」の出版に寄せて●

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