カンボジア近世史:カンボジア・シャム・ベトナム民族関係史(1775-1860年)


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 キン・ソック
 石澤良昭 訳

 定価5000円+税
 A5判上製・460ページ
 装丁:水戸部功
 ISBN978-4-8396-0315-1 C3022

 【関連書】   フランス保護国時代のカンボジア   

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 1991年フランスの極東学院から出版されたLe CAMBODGE entre le SIAM et le VIÊTNAM (de 1775 à 1860)は、ポスト・アンコールのカンボジアとシャム・ベトナムとの関係を解き明かした書として、世界的な評価を得ており、東南アジアに関する研究書には必ず引用されている名著です。この書を、アンコールワットの研究家として名高い石澤良昭氏が10余年の歳月をかけて訳出しました。人名地名索引・年表・地図・王統図なども万全で、今後長く東南アジア研究の基本書として読まれるでしょう。

【まえがき】

 現在のベトナム南部とタイ東北部地方はかつてカンボジア王国領であった。  この史実はカンボジア人であればだれもが知っている。ところが、なぜこのカ ンボジア領が両隣国[現在のタイとベトナム]に併合されてしまったのかについては、はっきりと知っているわけではない。歴史についてカンボジア語で書かれた本は、小学校・中学校の教科書しかなく、1973年にタラゥン・ゲァー氏が2巻からなるカンボジア語の『カンボジア史』を出版した。しかし、この時の担当者たちは、シャムおよびベトナムに併合されたこれらの領土問題には言及しようとしなかった。そこでクメール人歴史研究者マック・プン博士と私は『王朝年代記』と史実を突き合わせ、史料批判をする作業にとりかかり、1417年から1595年までの『王朝年代記』については、1975年に完了した。この史料校訂作業からは、『王朝年代記』の年代と日付が、年代記の書記官たちが手を加えたものではないということが判明した。さらにイスパニア人およびポルトガル人などによる旅行記等は、基本的に『王朝年代記』に記された歴史展開を裏付けるものであったことがわかった。本書の出版は、その史料校訂作業を終えた延長線上にあり、以下の目的を持って執筆されたことを申しあげたい。
 (1)カンボジアの『王朝年代記』そのものが、信頼できる史実であるかどうかを考察していく。実際の校訂作業としては、外国人たち(商人・軍人・宣教師・フランス人・シャム人・ベトナム人)が残した膨大な史料と記録があり、それらと『王朝年代記』を照合し、比較検討する。
 (2)18世紀と19世紀のポスト・アンコール王朝は、どのような経緯で国土の大半を失うことになったかを詳解し、フランスとカンボジアの出会いの経緯を述べていく。そして、カンボジア社会が抱え持つ独特な民族論理を解きあかすことにより、なぜそうした歴史展開をたどったのか解明し、その歴史がどのように繰り広げられたのかを見ていく。
 ここに提示した研究成果そのものだけではおそらく十分とは言えないであろう。1つ1つの事件や問題について史料においてその史実を確認していくことになる。これは当然なすべきである。しかしながら、カンボジアの政変[1975年のポル・ポト政権の登場]によって、プノンペンに在る仏教研究所図書館の膨大な原典史料がすべて消えてしまったのである。このことからもわかるように、史料による史実の確認作業は大きく狭められ、研究作業は思うように捗らなかった。したがって、本書が導き出した結論には、議論の余地がある可能性があり、その史料再校訂に関しては私が全責任を負うつもりである。
 なによりも、私たちを常に励まし、惜しみない助言をしていただいたのは、G.コンドミナス先生である。また、故B. Ph. グロリエ先生も私たちを励ましてくださった。同じく再読解の作業にかかわってくださったローズ-マリー・ジオヴァノッジ夫人とJ. P. ヌーギエ氏に感謝する。そして、本書の出版を快く引き受けてくださったフランス極東学院院長F. グロ先生に心からのお礼を申し上げたい。
フランス・パリ近郊クレテイユ市にて、筆者 1989年4月

【目次】

まえがき
序章

1.カンボジア語写本
 (1)『クメール王朝年代記』
 (2)歴史物語および回想録
  1)プラック夫人の家系図 
  2)憂国の時代:1832年から1847年にかけて
 (3) 諸法典集 
  1) 「チバップ・トムニム・ピ・ボラン」
  2) 「クロムサンクレイ」の第25条 
 (4)アランソン市図書館のルクレール寄贈文庫 
  1) 王令 
  2) 高官のリスト
 (5)エモニエの遺稿

2.フランス語草稿・書簡
 (1)パリ外国宣教会の古文書資料 
 (2)国立古文書館海外史料部インドシナ部門(パリ)
 (3)エクサンプロヴァンス海外古文書館インドシナ部門
 (4)外務省史料館政治書簡部局(パリ)

本書で用いる用語その他について
 (1)表記
 (2)地名
 (3)言葉の意味
 (4)太陽暦・太陰太陽暦[カンボジア暦]の対比一覧
 (5)貨幣
 カンボジア語子音表記一覧
 カンボジア語母音表記一覧
 カンボジア語とは

第1部

第1章 1431年から1775年までのカンボジア
1.プノンペンとロンヴェーク:1431年~1595年
 (1)ポスト・アンコール王朝の新しい首都プノンペン
 (2)西部諸州奪回計画の失敗
 (3)16世紀の首都:ロンヴェーク都城

2.王都ウードン:1620年~1775年
 (1)内部抗争の時代
 (2)スレイ・ソリヨーポール王の統治
 (3)ウードン時代:1620年から1775年まで

第2章  1775年から1794年までのカンボジア
1.1777年、オパラチ・アン・トァムの暗殺
2.1778年の反乱
3.1779年、アン・ノン王、臣下ムーに殺害される
4.ムーの摂政時代:1779年~1783年
5.カンボジア王国の裏切り者ベン(1783年)
6.グエン・アイン王子支援の第1次シャム軍介入
7. グエン・アイン王子支援の第2次シャム軍介入
8.グエン・アイン王子支援のためのカンボジア軍介入
9.ベンがカンボジア王国の主に:1787年~1794年

第3章 アン・エン王の時代:1794年~1806年
1.シャム王、西部地方を不当に併合
2.カンボジア西部地方併合に関するシャム史料
3. ポックの摂政時代:1797年~1806年
4. 18世紀末のカンボジアとアンナムの関係

第4章 アン・チャン王の時代:1806年~1835年
1.シャム宮廷による破壊的陰謀
2.ベトナム占領下のカンボジア
3.シャム軍の介入

第5章 災厄の時代:1835年~1847年
1.アン・メイ王女の登位
2.ベトナムの強圧的な行政
3.アン・イム王子とアン・ドゥン王子の逮捕
4.4人の王女の逮捕
5.アン・ドゥン王子の帰還
 (1)ポーサット砦の奪還
 (2)ウードンの戦闘
 (3)ベトナムの政策の失敗
6.1845年、支配権をめぐって新たなベトナム・シャム戦争
 (1)シャム軍の第1次攻撃  
 (2)ベトナム軍の反撃
 (3)和平交渉
7.1847年のカンボジア情勢
8.シャム、北部地方を併合
9.アン・メイ女王の悲惨な最期

第6章 ベトナムの圧制:1815年~1836年
1.ヴィンテおよびヴィンアン運河の掘削
2.僧侶ケーの反乱:1820年ごろ
3. ノンの反乱:1836年

第7章 カンボジアとシャムおよびベトナムとの関係
1.アン・チャン王の中立政策
2.シャムとの関係
3. ベトナムとの関係

第8章 アン・ドゥン王の時代:1848年~1860年
1.国家再建計画
 (1)社会改革の断行
 (2)貨幣改革
 (3)行政機構の再編成
 (4)防壁と道路の建設
 (5)仏教の復活
 (6)年間の伝統行事
2.国内情勢
3.商業活動
4.フランス支援の模索
 (1)ベトナムに対するアン・ドゥン王の反撃
 (2)アン・ドゥン王とフランス人宣教師たちの関係
 (3)フランスとの関係
 (4)モンティニ全権大使、シャム公式訪問の波紋
 (5)モンティニ全権大使、カンボジア訪問の波紋
5.アン・ドゥン王

第2部

第1章 国王と王宮の高官たち
1.国王 
 (1)王位の継承
 (2)王権
 (3)王の資質と義務
 (4)戴冠式
  1) プラテァピセーク
  2) リァチァピセーク
  3) ソカピセーク
 (5)王に対する敬畏
2.宮廷の高い身分の人たち
 (1)オペヨーリァチ
 (2)オパラチ
 (3)プリァッ・ヴォリァチニ
 (4)プリァッ・ケーヴァ
3.王家の人たち

第2章 王妃、王子・王女たち
1.1848年におけるアン・ドゥン王の王妃たちと目付役女官のリスト
 (1)王妃たち
 (2)王妃とその侍女たちの目付
2.1857年の勅令
3. 王の妻妾とその子女の地位と肩書
 (1)現王の婚姻
 (2)オパヨーリァチの婚姻およびオパラチの婚姻
 (3)ソムダチの婚姻
 (4)プリァッ・アン・マチャスの婚姻
 (5)ネァック・アン・マチャスの婚姻
 (6)ネァック・リァチ・ヴォンの婚姻  (7)プリァッ・ヴォンの婚姻
第3章 バラモン、「バクー」

第4章 高官の任命式と宣誓の聖水式

第5章 王国の行政機構
1.軍隊
2.行政区分
3. 国内各州と担当する王侯および長官の肩書
 (1)王家
 (2)オペヨーリァチ家
 (3)オパラチ家
 (4)皇太后家
 (5)地方長官
 (6)プムとメ・スロク
 (7)税金

第6章 民(たみ)
1.ネァク・チァ「自由民」
2.奴隷
 (1)ネァック・ゲァー:ポル、カォムラォス、モハット
 (2)クニョムあるいはクニョム・ケ
3.本来の奴隷身分の人たち
4.奴隷の解放

結論

補遺1 商取引および宗務に関する協定の草稿
補遺2 アン・ドゥン王のナポレオン3世宛書簡
補遺3 ソムダチ・サンガ・リァチ・テァンの伝記
補遺4 ソムダチ・プリァッ・ソクンテァティパディー・パンの伝記
補遺5 バッダンボーンおよびアンコール地方のシャム併合に関する情報(J.ムーラ)
補遺6 コシャンシンのカンボジア語地名とベトナム語呼称

系図
  1) アン・タォン・ノリァイ・リァチァ2世王の王子と王女たち
  2) アン・エン王の王子と王女たち
  3) アン・チャン王の王子と王女たち
  4) アン・ドゥン王の王妃たち、および王子・王女たち
 王統一覧(1417-1860)

地図
 18世紀のカンボジア
 ウードン・プノンペン・キェンスワイ
 ウードンとコンポン・ルォン
 バッダンボーン地方

年表
参考文献
訳者参考文献
キン・ソック博士について
本書の刊行を心から喜びたい―あとがきに代えて
索引

【著者・訳者はこんな人】

キン・ソックKhin Sok(1942~2011年)
カンボジア・カンダル州生まれ。プノンペン王立芸術大学卒業。1973年からパリ第6大学東洋語文明研究所のクメール語学科で教鞭を取る。1975年からカンボジア人歴史家として初めて年代記研究に着手、中世史・近世史の全体像を明らかにした。

石澤良昭(いしざわ・よしあき)
元上智大学学長。上智大学アンコール遺跡国際調査団団長。文化庁文化審議会会長。国際交流基金賞受賞。2017年、カンボジアのアンコール遺跡の保存修復および人材養成への貢献によりアジアのノーベル賞といわれる「ラモン・マグサイサイ賞」を受賞。





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