【書評再録】

ラオス農山村地域研究
横山智・落合雪野編

◎『東南アジア研究』第48巻4号,pp.458-463(2011年8月発行) 掲載

T はじめに
 本書は、総合地球環境学研究所の「アジア・熱帯モンスーン地域における地域生態史の総合的研究――1945〜2005」(平成15〜20年度)の森林農業班プロジェクトメンバーを中心として、地理学、農学、林学、社会学、人類学などの多分野に亘る計15名の執筆者により、ラオス農山村の姿を描き出そうとした、ラオス研究を担う新世代の嚆矢となる論文集である。同プロジェクトでは、『図録メコンの世界――歴史と生態』(2007、秋道智彌(編))、『論集モンスーンアジアの生態史――地域と地球をつなぐ』全3巻(2008、秋道智彌(監修))も同社から出版されており、本書は、メンバーの中堅である編者の手による独立した企画ではあるものの、実質的にはこれらの成果を併せて「三部作」を構成するものとみなしてよい。
 日本におけるラオス研究に関する出版は、200年代前半から急速に発表されるようになったが、一般書を除いては本書の執筆者の一人でもある中田[2004]や拙著[園江 2006]を含め、特定の地方や調査地における調査を中心としたものがほとんどであり、その点において本書の内容は、各章で論じられている地域的広がりに広狭はあるものの、全体としてラオス全国を学際的見地から考察した質と量を伴う学術的結晶として画期的であるといえる。

U 本書の構成と内容
 本書の構成は、4部11章からなっており、編者らによる総論として第1章の「ラオスをとらえる視点」と「まえがき」「あとがき」のほかに、社会・水田・森林・生業の4部からなるテーマ別論考10章および5編の小論が収められている。以下では、紙幅の都合上小論の詳細については割愛させてもらい、各章の概要を見ることにする。
 第1章「ラオスをとらえる視点」(河野泰之・落合雪野・横山智)においては、本書の視点を次のように示している。まずは東南アジアの中におけるラオスの特徴を、明確な中心地と熱帯デルタという米の生産拠点を持たない「内陸国」であり、近隣地域と比較して、少人口かつ人口密集地域を持たず、稲作農地の分布もまばらな「自給農業を基盤とした分散型社会」とす る。 次に、地図からの経年的な分析により、@この地域が過去100年間に亘り森林によって覆われ、Aその植生は多様でモザイク状に分布し、B国レベルでは森林面積の変化がないという特徴を提示の上、近隣諸国と比較して森林が維持されており、その背景を信仰や、生物資源や生産性を維持する焼畑のサイクル、あるいは交易用産物の採取といった「伝統的な住民の森林管理や森林での生業活動から導く」ことが可能であるとする。続いて農業については、稲作を中心としながら、水田と焼畑でイネのみならず多様な作物や生物資源を生産する自給農業であり、農地面積では、国土に占める割合が極めて小さく過去30年間で急激な変化はなかったとする一方、「人々の社会組織や文化、信仰とも深く関連している」水田水稲作と焼畑陸稲作のバランスは、水田の拡大と焼畑の縮小として水稲を主とした生産様式に変化し、ラオス社会の再編契機となる可能性を指摘している。さらに、「最近の変化」として、1980年代半ば以降の交通・通信インフラの整備により、国内交通の中心は舟運から陸路へ移行し、人やモノの移動が促進され、これに伴い農山村においても商品作物栽培が普及し、生業構造を変化せしめ、多民族国家ラオスにおける民族関係やアイデンティティにも変化を及ぼしていると結論づける。そして、最終的に分散型社会に生きる人々が培ってきた知恵と実践の「伝統的あり方に普遍的価値」と、「変容する様子に、地域特有の経過や結果」を見出そうとする二つの視点を導き出している。
 以降は各論となり、第1部「社会」は2章と小論1「人魚伝説とゴールドラッシュ」(増原善之)からなる。第2章の「消えゆく水牛」(高井康弘)は、ラオス北部における水牛の飼育と利用およびその変容について論じている。ラオス北部の農家では、少数頭ながら水牛を飼っており、それらは@水田稲作で使役される役畜」、A精霊への贄や宴のご馳走、B蓄財や利殖のための動産として多面的な利用価値をもっているという。水牛は、村の共有地である焼畑休閑地あるいは稲刈り後の水田で放し飼いされており、そのメリットとして飼料調達の負担や水田の除草の手間が省けるなど「農業との相互利用関係」を挙げ、水牛が不慮の出来事で落命するなどのデメリットはあるものの、さまざまな生業連合を特徴とする生活の中で畜産のみの効率性を追求しようとはしていないと分析する。しかしながら、これらの放し飼いは「豊富な適地の存在と周囲の人々の了解があってこそ」可能であり、2000年代中ごろ以降、水牛の飼養頭数が急減した理由を次のように分析した。@森林法に基づく土地区分の実行および商品作物作付耕地拡大に起因する土地利用の変化によって、水牛による農作物食害係争が多発し、水牛飼育と農業の相互補完関係は対立的なものに変質、Aこれに加えて近年パラゴムノキ植林の急速な進行と食害問題の発生は、行政による放し飼いの禁止へと繋がり、この結果、B他地域への委託飼育と最終的には水牛の売却が加速した。このことは、耕耘機普及の一因にもなっていると指摘している。また、農地の不足から現金労働へと生活基盤が変化し、食肉需要が増加することで食肉流通が活発化したことも、農村から水牛が減った要因であるとした。
 第3章では、「民族間関係と民族アイデンティティ」(中田友子)として、多民族国家ラオスにおいて相対的多数を占めるラオと先住民であるラオ・トゥンとの関係性と、両者におけるアイデンティティのあり方を分析している。ここでは、ラオとラオ・トゥンの関係について、かつての宮廷儀礼にみられる神話・伝承から両者の表象的関係性が最初に示されるが、これに対して筆者のフィールドワークに基づくラオス南部の村落における事例に基づき、文化的・経済的両側面から現在「ラオと少数民族の人々の間に大きな差異があるとは考えにくいとする。そして、この「民族間の対立や差異よりもむしろ親和性や融合性が目立つ」理由として、@「国家として公的な民族の確定を行っていないために人々の民族的アイデンティティがあいまい」、A「人々の民族的アイデンティティがあいまいだから公的な民族の確定が遅れている」という二つの見方を提示し、現実には「ラオ化」により民族間の境界があいまいになったり、民族の移動を可能にしていると指摘する。一方、Evansによる北部におけるシンムーンと黒タイの関係や、新江によるベトナム中部高原における山地民とキンとの関係との比較から、ラオス南部にみられる関係性は、より融合的であり「自発的で軋轢を生まない同化」であるとしている。
 第2部「水田」も2章と小論2「タマサートな実践、タマサートな開発」(田中耕司)で構成されている。第4章「水田を拓く人々」(富田晋介)は、ラオス北部ウドムサイ県において行ったフィールドワークをもとに、水田開拓の過程を記述し、その要因を検討している。はじめに調査地となった村における水田稲作の手順が示される。続いて、衛星画像と現地確認により地図を作成して現在の水田の分布を把握し、これを用いて村人へ聞き取りを行って水田の拡大過程復元を試みた結果、総水田面積は一定の割合で増加している一方、開拓面積の拡大には波があることを解明した。そして、この拡大の波は人口増加率の変動と関連が見られることから、水田面積の拡大は人口増加の影響を受けたものであり、集落近くの用水を容易に獲得できる場所から開拓が進んだと分析している。そして最後に、水田は親から全ての男子が相続するため、村の社会では富の蓄積が集中しない構造になっていたと指摘した。しかし、最近の水田適地の減少等による水田面積の固定化が世帯階層の固定化につながると考えられる一方、裏作や商品作物栽培といった農地の集約化と新たな利用価値が創造され、これが今後両者の固定化を緩和するものになる可能性を暗示している。
 第5章の「水田の多面的機能」(小坂康之)は、ラオス中部での現地調査をもとに稲作の方法から景観による水田の分類を紹介し、水田の機能について解説している。また、アジアにおける農業近代化の過程で表面化した環境問題についても言及し、その中におけるラオスの水田の評価を行っている。ここでは、サヴァンナケート県にある二つのラオ村落での天水田における一連の稲作手順がまず示される。次に農民の言葉から「丘陵の水田」「集落の水田」「低地の水田」「湿地の水田」という異なる環境と稲作の方法を持った水田景観の区分を行い、この違いが水条件にあることを看破する。そして、この異なる水田景観のもとに稲作以外の機能があることが明らかにされ、イネと家畜、園芸生産を組み合わせた農業生産を行う「農業の場」、水田に生きる野生動植物利用のための「採集と捕獲の場」、自然湿地に代わる希少生物の「保全の場」という三つの視点から、その機能の検討が行われる。その結果、これらの機能はラオス以外の地域でも見られるものの、東南アジア諸国では「緑の革命」の流れの中で水田はコメを生産する場として特化され、その多面的機能が失われてきており、行き過ぎた近代化による弊害がもたらされたことにより、ラオスの水田の多面的機能を「次世代の水田の姿」として評価している。
 第3部「森林」は、3勝と小論3「森に映ずるラオスと日本」(福田恵)からなる。第6章「土地森林分配事業をめぐる問題」(名村隆行)では、筆者が在籍した日本国際ボランティアセンター(JVC)での活動経験をもとに、ラオスにおける森林の利用と所有をめぐる問題を論じている。まず、1990年代初めに開始されたラオス政府による土地森林配分事業の目的と実施方法が概説され、これにより住民参加型の森林管理が制度的に認められた点で画期的であったとしながら、制度と運用の間における乖離がさまざまな問題を生む種となっていることを指摘している。そして、JVCによる土地森林配分事業を活用した村落共有林支援の事業紹介を通じ、「人口の増加と農地の不足に関する問題は、森林保全を重視する傾向にある土地配分事業の課題」であり、農地の保留地確保が必要であるとする。そして、「土地森林分配事業の導入によって村人による森林管理意識と実践の向上が見られた」一方で、土地・森林や森林資源の帰属に関して近隣村との間や、企業の土地取得等村の外部との関係において問題が発生しているとしている。その上で、これらの権利侵害が発生する要因を@法令と現実の執行との間に乖離が見られ、A民間企業の開発事業に与えるコンセッションに関して、中央政府と地方との間に大きな違いがあり、B土地森林配分事業とほかの優先政策との競合にあるとして、「トップダウンの一方通行の意思決定システムを超えて、各アクター同士が対等な立場で対話する努力」の重要性を強調している。
 第7章「植林事業による森の変容」(百村帝彦)は、ラオスにおける植林事業の実態とその功罪についての考察をしている。はじめに森林再生手段としての「植林」について、メリット・目的・土地の所有・事業形態によって類変化し、ラオスの現状を、政府所有地の産業植林を主体とする、企業プランテーション型・契約型・住民主体型の三つの事業形態と分析する。続いて、ここ数年の間に急増した前述3形態によるパラゴムノキの植林について、関連法の改正・政府による奨励・北部ルアンナムター県における成功例という三つの相乗的要因を挙げ、一方、その不安要素の多さも指摘している。次に「契約型」植林の事例として比較的成功裏に進んでいる民間企業による学校林に対して、援助機関による植林事業の失敗例を紹介し、植林事業によって貧富の差を拡大させ、用地の拡大に伴い産物の採集地等が奪われる危険性を持つものと警告している。
 第8章「非木材林産物と焼畑」(竹田晋也)では、ラオス北部に住むカムーの焼畑と非木材林産物の生産について、ルアンパバーン県におけるラック導入の試みを紹介し、それらを通じ焼畑「安定化」の可能性を検討している。カムーの人たちは、焼畑での陸稲栽培農業に加えて、非木材林産物の採集や生産によって現金収入を得ており、それは、かつてのラーンサーン王国時代の交易で金のほかに安息香とラックが重要であったことからも示される。そのうえで、時代の変化の中でも「市場経済化によって、森林と人々の多様なかかわりが極端に単純化されることはなかった」としている。続いて、筆者の参加したルアンパバーン県における住民支援プロジェクトの対象となったS村での焼畑土地利用のモニタリング状況が紹介されるが、焼畑地の不足による移住や隣村からの土地借り入れの現状が明らかとなり、また焼畑での陸稲栽培から、畜産や紙の原料となるカジノキなどの非木材林産物の生産へと移行しつつあるものの、タイへのカジノキの輸出増加は見込めないとしている。そこで、中国市場での需要が期待され、ラオスで歴史的に生産されてきた染料や樹脂原料のラック生産に着目し、プロジェクトの普及が試みられた結果、焼畑「安定化」に充分貢献できることが確認されたとしている。そして最後に、「陸稲の栽培によってコメを確保しつつ、家畜飼育を組み合わせながら。最適な非木材林産物を導入していく」ことが今後取るべき方向であり、その点でラックは焼畑のリズムにあった焼畑「安定化」の目的に適うものであると提言している。
 第4部「生業」は、3章と小論4「土壌から見た焼畑農業」(櫻井克年)および小論5「農村から観光地へ」(横山)の2編からなる。第9章「焼畑とともに暮らす」(落合・横山)は、二人の筆者が「焼畑への新しいアプローチ」としてポンサーリー県における事例をもとに、住民の村の領域把握とそこにおける生業活動および植物利用を民族植物学(落合)と地理学(横山)の共同研究により取組んでいる。はじめに生業としての焼畑および焼畑「問題」についての事実確認が行われ、ラオスの農山村で焼畑を営む住民の生活の実態にアプローチするため、植物の利用に関して自給自足的側面と現金収入の両側面と、利用植物の空間的・生体条件を把握することにより村の空間と生業活動を関連づけ、その成果として「有用植物村落地図」の作成を試みたとしている。フィールドワークを行ったアカ・ニャウーの村では、住民は村の空間を耕地・年数別の休閑地・道路・河川といった九つに区分していたとし、それら全ての空間で何らかの生業活動が行われていることを確認したとする。次に衣食住・身体のケア・冠婚葬祭・現金収入といった植物の利用方法の解説がなされ、おわりに「焼畑にともなって空間区分の生態環境が変化し続ける中、そこで行われる生業活動の全体によって住民の生活が支えられて」いるため、焼畑村における土地利用理解のためには、「空間という水平面の上に、時間の経過という奥行きを重ねてとらえる必要」を説き、焼畑という連続したプロセスを「時間軸を無視して地理的な空間に線を引く」ことには無理があると結論付けている。そして自然と文化が融合し、在来知や技術の詰まった焼畑の空間全体を環境保護の手段として理解することが可能であると結んでいる。
 第10章「開発援助と中国経済のはざまで」(横山・落合)は、ウドムサイ県のラオス−中国国境近くの村で行われた調査をもとに、この地域における土地利用と生活の変化およびその変化の要因について論じている。最初に植物の利用方法と採集する空間について概説がされ、その植物を採集できる環境が政府による土地森林配分事業によって失われようとしていた事実を指摘する。この調査村は、筆者が第9章の調査に先立って対象とされたが、調査地変更の理由となったNGOによる常畑への転換支援プロジェクトを、筆者は改めて検証し一定の評価を与えている。一方、土地森林配分事業の結果、配分された土地では焼畑が禁止されたため、焼畑地は常畑へと変化し、そこでの栽培作物や家畜の販売によって得た収入で米を購入しなければならなくなったとするが、住民にとって焼畑地に所有の概念がなく、また、栽培作物が現金収入に結びついていない斜面の常畑を「所有する」という概念は希薄であるとしている。そして、近隣の土地森林分配が行われていない村における、中国からのパラゴムノキ植林の株間での「稲畑」や、商品作物の契約栽培により、住民は厳しい経済状況打破の糸口を求めようとしているとするものの、併せてこれが「新たな波乱をもたらす」懸念も示されている。
 第11章「商品作物の導入と農山村の変容」(河野・藤田幸一)では、自給的・自立的であったラオス農山村の生活基盤が、戦争と混乱の時代から経済発展の時代へと推移する中でどのような挑戦を試みているのかを、飼料用トウモロコシとパラゴムノキという商品作物栽培の導入に焦点を当てて論じている。ラオス農山村では、ラーンサーン王国の時代から植民地期を通じて、自給農業を主体として生業構造や組織原理の改変が見られなかったものの、20世紀後半の戦争と混乱の時代に経験したアメリカ軍などによる外部世界からの介入は、生活基盤を暴力的に改変したとしている。1976年以降は、社会秩序の回復により農民は自発的に農地の開墾を始め、農業の集団化とその崩壊を経て、自給用作物への需要増加とそれに続く飼料用トウモロコシと雨季水稲といった商品作物の導入により、農地は拡大していったとし、飼料用トウモロコシおよび近年普及が目覚しいパラゴムノキを取り上げて、その導入過程を概観する。ラオスにおいて飼料用トウモロコシは、当初タイから輸入されていたものの、2000年以降中国雲南省やタイへ向けての輸出が増加しているとして、生産地のひとつであるウドムサイ県における調査事例を紹介している。この村では飼料用トウモロコシ栽培によって、伝統的生業構造を維持した村落の数倍の現金収入を享受したとされ、両者の格差は今後ますます拡大するとしているが、同時に「化学肥料の存在すら知らない」農業体系が持続的とは考えられないという危惧を示している。一方、パラゴムノキについては、1990年から栽培が開始され、中国・タイ・ベトナムからの投資を背景に、急激に拡大しているとする。4また、ラオス政府もゴム生産を焼畑に代わるものとして作付けを積極的に奨励し、「森林保全の切り札」としても期待を寄せているとし、大きく企業経営と農民経営の二形態のゴム園が見られるが、農民経営では販売価格と適地の選定が、また企業経営では政府によるコンセッションの混乱が問題になっていると指摘する。そして、このような状況下で、これからのラオスの農山村について、「国境を跨ぐ人と人とのネットワーク」を基盤として、@焼畑休閑地を含め広大な森林が残されている、A土地・森林資源や流通を管理のための制度不備と人材資源の不足、B住民が豊富な在来知識と技術を持つという状況を踏まえ農山村の人々の持つ潜在力の活用や農山村を主体として新たな生業構造や組織原理の構築を目指すべきだと結んでいる。

V 本書の評価
 ほとんどの執筆者は、自らラオス語を用いて現地調査を実施しており、特に編者の一人である横山氏を含む数名は、海外青年協力隊員やNGOスタッフ等としてラオスにおける実際の社会開発に従事した経験から、現代ラオスにおける社会・経済の発展および農村の変容と環境の変化を当事者として目撃し問題を共有してきており、本書では傍観者的な観察と記述にとどまらない徹底した現場主義が貫かれている。
 このため、土地配分や植林事業という行政施策のクリティークを含んだものや、中国経済や商品作物という産業資本の浸透あるいは、観光地化による問題等ラオス農山村において進行中のコンテンポラリーなトピックをとりあげ、現地におけるデータの集積と精緻な分析によって得られた学術的成果を社会還元するという点において、傑出した地域情報の提供を行っているといえる。
 しかし一方、第1章では本書の概要をなぞった感が否めず、もう少し編者の学問的主張が明確であってもよかったとの憾みも残る。ラオスの農山村を特徴付ける地域性や民族性、あるいは文化的所産としての生産技術などを概観することで、各章の内容をラオス全体の議論の中でより具体的に位置づけ、各論考で共有できる概念あるいはアウトラインを設定することは、本書からラオスを理解するうえで必要な作業ではなかったかと思う。
 たとえば、多民族国家ラオスにおける「民族」について、本書における認識が全く触れられておらず、各執筆者の言に任せていることは、詳細な農山村の描写において、画龍点睛を欠くものと言わざるを得ない。ラオスにおける民族分類の変遷等については、第3章において言及されているものの、ここでも現行の49民族分類に踏み込んだ記述は見られず、この科学的根拠はさることながら、政府の正式見解を示したものである以上、ラオスという国民国家の農山村社会における民族を論じるうえでこの基本情報は不可欠といえよう。
 このため、本書においては各執筆者が挙げる民族がどのように規定されたのかということが明白になっておらず、民族的なアイデンティティに言及していながら、実際には政策的な分類をもとに創出された不均質な集団をひと括りにして論じるという矛盾を否定できない。特に指摘しておきたいのは、「ラオ・トゥン(山地ラオ)」という表現で、中田氏が述べているよう実際のラオス社会でもしばしば耳にする民族区分ではあるものの、その実体性は乏しく、現在は正式にその使用が禁止された[新谷他 2009]ものであるうえ、本文中でクム(本書中では「カム」「カムー」)やシンムーンといった北方モン−クメール諸語話者と、言語的にかなり異なる東方モン−クメール諸語話者のンゲェ(現在の公式民族名はクリァン)やラヴェン(同、ユル)を同列に論じているなど、考証を経ずして民族を取り扱う用語・概念としては著しく不適切であるといえる。
 また第4部については、水田稲作や焼畑あるいは狩猟・採集などといった伝統的なラオス農山村の生業というよりもむしろ、現代社会における生業の変容について描写する要素が強く、本書の一セクションとしては「生業」よりも相応しいタイトルが考えられたかもしれない。その点からすると他のセクションでも同様であり、本書全体が現代ラオスにおける農山村の社会変容を論じることを指向していることから、「ラオス農山村」の情景を胸に本書を手に取った一部読者の期待には、いささか応えていないともいえる。

W おわりに
 本書は、いくつかの検討すべき余地を残してはいるものの、ラオスにおけるこれからの地域研究を牽引する業績のひとつであり、ラオスの社会経済開発を考える上できわめて示唆的な、、現在進行している農村社会における変容の実態を当事者の目から詳細につづったものとして特筆できる。編者である横山氏は、「まえがき」において「伝統と新たな波のはざまで揺れ動きながら、明日を模索していくラオス農山村の姿」を描く試みと述べているが、この「模索」は本書の執筆陣の中心である中堅・若手の研究者のラオスとの関わり方をも直接に表わしていると言ってよいだろう。
 これに続く各執筆者の研究成果を、一ラオス研究者として大いに期待するところである。
(園江 満・東京農業大学国際食糧情報学部・農学部/東京大学総合研究博物館)

【参考文献】
中田友子.2004.『南ラオス農村社会の民族誌――民族混住状況下の「連帯」と闘争』.明石書店.
新谷忠彦;C・ダニエルス;園江満(編).2009.『タイ文化圏の中のラオス――物質文化・言語・民族』.慶友社.
園江満.2006.『ラオス北部の環境と農業技術――タイ文化圏における稲作の生態』.慶友社.

◎『地理』第53巻第8号,pp.122(2008年8月発行) 掲載

 2007年に日本地理学会にネイチャー・アンド・ソサエティ研究グループが設置された。このメンバーには東南アジアをフィールドとする人が多く、評者はその縁で本書を知った。地名は知っていても、社会経済状況や人びとの暮らしぶりなど、ステレオタイプ的にとらえかねない地域が、実際は多様な顔をもっている。そんな当然のことを複数の報告から教えられる。本書は、地理学をはじめ9つの専門分野にまたがる15名の研究者が、ラオスの農山村に焦点をあてて調査の結果を論じたもので、ラオス農山村について多面的かつ広範囲に論じた初めての専門書である。
 内容は、社会、水田、森林、生業の4部構成で、第1部に先立ち「ラオスをとらえる視点」が、また各部の末尾にコラム的な小論がおかれている。「ラオスをとらえる視点」は、多くの人がラオスに馴染みがないことを考えると、わかりやすく簡潔にポイントをまとめていて読む価値が高い。フィールドの写真も多数掲載されており、イメージを膨らませるのに役立つ。写真が多いことは本書の優れたところで、専門書といいながらも、馴染みのない人にわかりやすい親切なつくりになっている。
 以降のタイトルは、消えゆく水牛、民族間関係と民族アイデンティティ、水田を拓く人々、水田の多面的機能、土地森林分配事業をめぐる問題、植林事業による森の変容、非木材林産物と焼畑、焼畑とともに暮らす、開発援助と中国経済のはざまで、商品作物の導入と農山村の変容となっており、それぞれに興味深い論が展開されている。
 ラオスは、社会主義体制下で中央統制が厳しそうでありながら、自給農業を基盤とした分散型社会として今日にいたってきたこと、マクロにみれば明らかに貧しい国であるが、一方で、自然とうまく折り合いをつけた豊かな側面を残していること(そしてそれが環境の世紀とされる現代において見直される価値をもつこと)、しかし、そのような社会が外部世界からの働きかけ(政府による各種事業、NGOによる開発援助、越境してくる中国経済など)により、住民がのその善し悪しを判断できないほど、急速に変化していることなど、実に興味深い指摘がなされている。
(淺野敏久・広島大学)

◎『地理空間』第1巻第1号,pp.77-79(2008年6月発行) 掲載

 本書は専門を異にする15名の研究者の協働により編まれた学際的なラオス地域研究の成果である。編者自身が本書をして「外国語で書かれた書籍を含めても,ラオス農山村をここまで多面的に,かつ広範囲に論じた類書はない」と断言するように(3頁),ラオスに関心を持つ者にとって,本書はまさに待望の一冊と言っても良いだろう。
 本書のような研究成果が希求されてきた背景として,ラオス農山村地域をめぐる特殊な事情が指摘できる。まず,ごく近年まで本地域での外国人研究者による研究活動は極めて困難であった。これは本地域における第2次世界大戦後の20余年にも及ぶ内乱と,その後に続く社会主義政府による国内移動の統制,特に農山村地域への移動制限によるところが大きい。外国人研究者に農山村地域での研究活動を認可されるようになるのは,2000年前後まで待たねばならなかった。次に,研究が遅々として進まない状況にあって,本地域は大きく変化を遂げつつあった。特に1986年に始まる「チンタナカーン・マイ」に基づく経済自由化と対外開放政策は,交通・通信インフラ整備,商品作物栽培の普及,NGOによる農村開発プロジェクト,中央政府による土地利用の近代化など様々な変化を本地域にもたらしていた。
 つまり,現在のラオス農山村地域はその来歴すらも知らされぬままに大きく変化を遂げようとしており,それだけに本地域の現状を伝える研究成果が望まれてきた。本書は長らく研究空白地域となってきたラオス農山村地域を対象とした地域研究の嚆矢として,重要な意義を持つものである。
 本書は第1章を導入部として,「社会」・「水田」・「森林」・「生業」の4部からなる10章5小論で構成される。本書で一貫して主題とされる対象は,ラオスの農山村に連綿と継承されてきた農業と森林とをめぐるローカルな実践と知識であり,これを軸に各論考が展開されている。
 まず,第1章「ラオスをとらえる視点」の河野・落合・横山論文では,農業と森林とをめぐるローカルな営みを把握する二つの視点が提示される。一点目はその在地での社会的意義を明らかにしたり,これを生物多様性や環境保全などの議論に結びつけたりすることで,ローカルな営みを再評価・普遍化しようとする視点である。もう一点は,これが国家の近代化政策,諸外国による援助活動,市場経済の浸透など,いわばグローバリゼーションとのかかわりの中で変化していく過程とその結果とに地域性を見出そうとする視点である。編者の言葉を借りれば,前者が「変わらないことの意味」を,後者が「変わることの意味」を現代のラオス農山村地域の営みからそれぞれ見出す視点と言えよう(5頁)。以下の各論考は,概ねこの二つの視点からラオス農山村地域の来し方と行く末を検討する。
 第1部「社会」の高井論文「消えゆく水牛」は,水牛をめぐる農村部の伝統的な生活形態を明らかにし,その近年の変容を検討する。特に後者について,近年急速に加速しつつある水牛売却を取り上げ,その原因が水午による食害係争の発生による放し飼い禁止と国内での食肉需要の増加にあることを明らかにした。続く「民族間関係と民族アイデンティティ」の中田論文では,ラオス国内の多数民族ラオと少数民族ラオ・トゥンとの間に見られる諸関係に注目する。これによれば,ラオスにおいては多数民族と少数民族との境界はおおむね暖味であり,時に少数民族が多数民族に自らの意志で同化することすらあり,それを多数民族の側も拒まない傾向にあるという。
 第2部と第3部はラオス農山村地域の主要な生業空間である「水田」と「森林」とをそれぞれテーマとする論考からなる。富田論文「水田を拓く人々」は盆地部農村における水田開拓過程を検討し,その要因を明らかにする。なかでも,伝統的な水田相続のしくみは村内の社会階層の平準化に寄与していた点で重要な意義を持つものと考えられる。しかしながら,近年そのしくみが崩壊しつつあり,これが水田面積と社会階層の固定化につながりつつあると指摘される。「水田の多面的機能」の小坂論文は,ラオスの伝統的景観である水田のもつ多面的機能を検討する。これによれば,ラオスの水田は「水稲作」という基本的機能を十全に果たしていることに加え,「農業」・「採集と捕獲」・「保全」の側面から重層的に利用される空間であるという。その意味で,ラオスの水田は先進諸国で議論される農村や農地の「多面的機能」を示す好例であり,近代稲作が目指す一つの姿であると評価される。
 名村論文「土地森林分配事業をめぐる問題」は,1996年から開始された土地森林分配事業の概要とこれに関わる諸問題を整理し,問題発生の原理とその解決策を提示する。ここでは,法令とその運用との問の乖離など同事業の抱える問題が指摘され,その解決には各アクター問の利害調整と徹底した対話が必要となると論じられる。「植林事業による森の変容」の百村論文は,近年ラオス全土で拡大しつつある商業的な植林事業に着目し,その森林と人々の影響について論じる。これによれば,これらの植林事業は貧困撲滅を掲げて行なわれているものの,その成否は流動的であり,さらにその失敗による不利益は住民達に負わされる構造となっているという。つまり,商業的な植林事業は,その理念に反して住民の貧富差を拡大させる可能一性を持つ。竹田論文「非木材林産物と焼畑」はラオス北部の山村を事例に,非木材林産物の収穫を軸とする焼畑安定化の方策を探る。そして,焼畑の安定化は生態系に応じた十分な休閑期問によって担保されるものであることを指摘した上で,無理に市場経済の流れに合わせず,機を「待つこと」の重要性を力説する。
 第4部「生業」では,ラオス農山村の生業の伝統的なありかたとこれが外部アクターとの関わりから変容しつつある現状が検討される。落合・横山論文「焼畑とともに暮らす」は,焼畑村落における住民の植物利用を概説し,時問の経過に伴って変化する住民の土地への認識とその複合的な利用を明らかし,焼畑を連続するプロセスとして認識する重要性を指摘する。「開発援助と中国経済のはざまで」の横山・落合論文は,政府による土地森林分配事業,NGOによる開発援助,そして中国経済との関わりの中から村の伝統的生業が大きく変化しつつある現状を検討する。そして,これら3者のアクターが相互補完的に,または相互に矛盾を抱えたままラオス農山村地域に歪な変容をもたらしている様子を描写する。河野・藤田論文「商品作物の導入と農山村の変容」は国家レベルでのマクロな視点からラオス農山村地域における商品作物の導入過程を検討した。そのうえで,商品作物栽培の導入に関するラオスの地域性を指摘している。
 以上,簡便に本書の各論考を解説した。「変わらないことの意味」と「変わることの意味」のいずれが強調されるかは,各論考で異なるものの,いずれも伝統と近代との間で揺れ動くラオス農山村地域の現在を綿密なフィールドワークから鋭く描写する好論であることには疑いない。また,各小論については解説を省略したが,こちらもラオス研究者による活き活きとした現地報告であり,是非目を通されたい。
 最後に1点だけ本書の構成に関して,評者が感じた違和感を指摘しておきたい。本書は4部から構成されているが,これらの構成の根拠と各部問の相互関連性が明確ではない。これを整理して第1章中に示したほうが,後に続く各論考のラオス農山村地域研究における位置づけが明確になると考えられる。もちろん,本書があらゆる側面で急激に変化しつつあるラオス農山村地域を対象としていることを考えれば,各論考を位置づける作業は時期尚早かもしれない。いずれにしても,ラオスの地域研究は本書の刊行をもってまだ緒についたばかりである。今後の研究の深化を願ってやまない。
 最後に,本書と同様の意義を有する成果として,野中編(2008)が同時に刊行されていることも指摘しておく。また,本書で詳説の限られるラオスの歴史・政治・経済・文化などの概説については,ラオス文化研究所編(2003)が参考となる。両書ともに本書の理解を深める上で有用な情報を提供するため,本書をこれらと併読されることを推奨したい。
渡邊敬逸

【文献】
野中健一編(2008):『ヴィエンチャン平野の暮らし一天水田村の多様な環境利用』めこん。
ラオス文化研究所編(2003):『ラオス概説』めこん。 。

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