ラオス農山村地域研究

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横山智・落合雪野編
定価3500円+税
四六判上製・456ページ
ISBN978-4-8396-0213-0

●書評


【関連書】激動のラオス現代史を生きて――回想のわが生涯 ヴィエンチャン平野の暮らし 現代ラオスの政治と経済――1995〜2006 ラオス概説 ラオス史 ラオスは戦場だった


 農業と森林の国ラオスをしっかり理解するために最良の1冊です。ラオス研究はまだ蓄積が少ないので、これだけ深く広くラオスを紹介したものは世界でも初めてです。若手のラオス研究者が各地で精力的に行なってきたフィールドワークが実を結んだと言えましょう。
 焼畑、水田、水牛、商品作物、森林、中国の進出…いずれも今のラオスを理解する上で欠かせないテーマです。

【執筆者】

横山智(よこやま・さとし)
1966年生まれ。熊本大学文学部准教授。筑波大学大学院地球科学研究科博士課程中退。博士(理学)。
専門:地理学、文化生態学。

落合雪野(おちあい・ゆきの)
1967年生まれ。鹿児島大学総合研究博物館准教授。京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了。博士(農学)。
専門:民族植物学。

河野泰之(こうの・やすゆき)
1958年生まれ。京都大学東南アジア研究所教授。東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。農学博士。
専門:土地・水資源管理。

高井康弘(たかい・やすひろ)
1956年生まれ。大谷大学文学部教授。神戸大学大学院文化学研究科博士課程単位取得退学。文学修士。
専門:社会学、文化人類学。

中田友子(なかた・ともこ)
1960年生まれ。神戸市外国語大学外国語学部准教授。総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程修了。博士(文学)。
専門:社会人類学。

増原善之(ますはら・よしゆき)
1963年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科研究員。チェンマイ大学人文学部歴史学科修士課程修了。MA(歴史学)。
専門:歴史学。

富田晋介(とみた・しんすけ)
1973年生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科助教。京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了。博士(農学)。
専門:熱帯農業生態学。

小坂康之(こさか・やすゆき)
1977年生まれ。京都大学東南アジア研究所研究員。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。
専門:民族植物学。

田中耕司(たなか・こうじ)
1947年生まれ。京都大学地域研究統合情報センター教授。京都大学大学院農学研究科博士後期課程中退。農学修士。
専門:熱帯農学。

名村隆行(なむら・たかゆき)
1971年生まれ。国際協力機構(JICA)ラオス森林管理・住民支援プロジェクト専門家(参加型資源管理分野)。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程単位取得退学。修士(農学)。
専門:森林政策学。

百村帝彦(ひゃくむら・きみひこ)
1965年生まれ。地球環境戦略研究機関(IGES)研究員。三重大学大学院生物資源学研究科修士課程修了。博士(農学)。
専門:森林政策学、森林社会学。

竹田晋也(たけだ・しんや)
1961年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授。京都大学大学院農学研究科博士後期課程中退。農学博士。
専門:森林資源学、熱帯農学。

福田恵(ふくだ・さとし)
1974年生まれ。大谷大学文学部助教。神戸大学大学院人文学研究科博士課程修了。博士(学術)。
専門:環境社会学。

櫻井克年(さくらい・かつとし)
1957年生まれ。高知大学理事(総務担当)、副学長、農学部教授。京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了。農学博士。
専門:熱帯土壌学、土壌生態環境学。

藤田幸一(ふじた・こういち)
1959年生まれ。京都大学東南アジア研究所教授。東京大学大学院農学系研究科修士課程修了。農学博士。
専門:農業経済学。

【目次】

第1章 ラオスをとらえる視点
第2章 消えゆく水牛
第3章 民族関係と民族アイデンティティ
第4章 水田を拓く人々
第5章 水田の多面的機能
第6章 土地森林分配事業をめぐる問題
第7章 森林事業による森の変容
第8章 非木材産物と焼畑
第9章 焼畑とともに暮らす
第10章 開発援助と中国経済のはざまで
第11章 商品作物の導入と農山村の変容

【まえがきから】   横山智

 今でこそ、ラオスの農山村でフィールドワークをしている研究者は多い。しかし、つい最近まで、ラオスの農山村には、行くことすらできなかった。
 私が初めてラオスを訪れたのは、今から一六年前の一九九二年である。青年海外協力隊員として、首都ヴィエンチャンで二年間生活したが、ヴィエンチャン以外の土地をほとんど知らずに帰国した。当時のラオスでは、人の移動が厳しく規制され、県境を越える際には通行許可証が必要であった。しかも、私のような外国人に対して、許可証は簡単には発行されなかった。
 一九九四年に、その状況が大きく変わった。タイとラオスを隔てていたメコン川に友好橋が開通したことで、外国人旅行者に観光査証が発行され、通行許可証が廃止された。つまり、だれでも、ある程度自由にラオス国内を移動できるようになった。社会主義に転じた一九七五年以降、閉ざされてきたラオスの農山村が、一九年ぶりに外国人に開放されたのである。
 これで、農山村に行けるようにはなった。しかし、フィールドワークすることは、まだまだ困難であった。一九九六年に北部の農山村でフィールドワークを試みたが、一人では村に入ることができず、結局、国連開発計画の助けを借りて、そのプロジェクト対象地で研究をさせてもらった。開発援助のための調査は許されても、学術目的の調査に対しては理解が得られない状態が続いたのである。
 ところが、二〇〇〇年に文部省の派遣でラオス国立大学に留学した時には、状況はかなり改善されていた。調査地に設定したのは、道路でのアクセスができず、川伝いにボートでしか行けないような北部の村であった。最初だけは大学の先生と一緒に郡長に挨拶に行ったが、その後は私一人で村に入ることが許可された。つまり、ラオス農山村でフィールドワークができる環境が整ったのは、ここ七、八年のことなのである。

 このような経過をへて、ラオスでのフィールドワークを心待ちにしていた研究者たちが、いよいよ本格的に動き出した。そのうちのひとつが、総合地球環境学研究所の「アジア・熱帯モンスーン地域における地域生態史の統合的研究: 一九四五―二〇〇五」(平成一五〜二〇年度)である。ラオスを中心とする東南アジア大陸部を対象としたこのプロジェクト研究には、秋道智彌教授をリーダーにのべ一〇〇名近い研究者が参加した。
 本書の執筆者一五名のうち一二名は、このプロジェクトの森林農業班のメンバーとして、ラオス農山村でフィールドワークを実施してきた。本書は、その研究成果を公表し、社会に広く還元することを目的として企画したものである。さらに、ラオス農山村の実態を伝えるために不可欠なトピックを加えるため、プロジェクトのメンバー以外にも、ラオスで豊富な調査経験を持つ三名の研究者が執筆に加わった。その結果、農学、林学、民族植物学、土壌学、農業経済学、社会学、地理学、文化人類学、歴史学の九つの学問分野にまたがる一五名の執筆者が協働して、本書を執筆することとなった。
 ラオスは、他の東南アジア諸国に比べると、研究蓄積そのものが少ない。特に、最近までフィールドワークができなかった農山村の研究は、緒に就いたばかりである。外国語で書かれた書籍を含めても、ラオス農山村をここまで多面的に、かつ広範囲に論じた類書はない。本書は、多分野の研究者がラオス各地でフィールドワークを行ない、そこで見て聞いて、そして感じたことを手がかりに、ラオス農山村の多様な姿を探った、初めての専門書である。

 ラオスは、国連が後発開発途上国(LDC)と指定した、いわゆる最貧国である。農山村には、保健医療施設や小学校だけでなく、電気や水道すらもないことが多い。しかも、道路や情報通信など、経済活動に必要な基本的インフラの整備が著しく遅れている。
 しかし、ラオスの農山村で、だれかが餓死したという話は聞いたことがない。村で人々と共に過ごすと、むしろ、生活が「豊か」だと感じるのである。電気がなくても、不便なことはない。日の出とともに起き、日が沈めば床に就いて、一日の時間を有効に活用している。食べ物はバラエティに富んでいる。季節ごとに、一番美味しい山菜を摘んできて食べる。時には、イノシシやシカなどのごちそうも出てくる。野菜を食べる時に農薬を、肉を食べる時に狂牛病や鳥インフルエンザを気にする必要はない。農山村の生活にはリズムがある。一日を単位とした生活リズムと、一年を単位とした生活リズムである。自然と共に生きる生活が、「豊かさ」を感じさせるのだ。
 ラオス農山村の人々は、生物資源を循環的に使い続ける知恵を持ち、このような生活を維持してきた。生活に必要な最低限の現金収入も、生物資源を利用して得ている。自給的な農業を核に、狩猟や採集を組み合わせた複合的な生業構造は、ラオス農山村の人々の歴史的所産である。
 ところが、二〇二〇年までに後発開発途上国から抜け出すこと目標としているラオス政府にとって、農山村の生活は改善すべき最優先課題である。政府は、農山村の開発のため、海外からの投資を促進している。伝統的な生活や複合的な生業構造を維持してきたラオスの農山村に、今、外国からの開発や援助、政府による法整備、近隣諸国の経済圏の拡大など、新たな波が押し寄せている。
 新たな波は、わずか数年間のうちに、農山村の景観と人々の生活や生業に大きな影響を与えつつある。だが、その現状を変化、変容、変革といった簡単な言葉だけで表すことはできない。農山村に暮らす人々とその地域社会にはさまざまな葛藤があり、新たな波を受容したり、拒絶したり、また巧みに調整したりしているからである。
 ラオス各地でのフィールドワークを通して、私たちは、その受容、拒絶、調整のありさまをつぶさに観察してきた。かつての日本の農山村のような、どことなく懐かしい雰囲気を醸し出すラオスの農山村に対して、伝統的な生活や複合的な生業構造をこのまま維持して欲しい、これからも変わらないで欲しい、と感じたこともある。しかし、化石燃料を大量に消費し、科学技術の恩恵を受け、世界で最も便利な生活を送っている私たちが、ラオスの人々に対して、どうして「あなたたちは変化する必要はない、伝統を守りなさい」、と言うことができるだろうか。
 本書に収録した論考では、伝統と新たな波のはざまで揺れ動きながら、明日を模索していくラオス農山村の姿を生々しく描くことを試みた。ラオス農山村地域で暮らす人々にとって、「変わることの意味」と「変わらないことの意味」とは何なのか。本書を通じて、論考の数だけその答えが明らかになるに違いない。
 これからラオスで調査を始めようとする研究者、ラオスを学ぶ学生、ラオスで活動するNGOや開発援助の専門家はもちろんのこと、ラオスに興味を持つ一般の読者にも、本書を手にとってもらいたい。そして、多くの人にラオスへの手がかりとして本書を活用されること、また、本書をきっかけにラオスの研究がより活発になることを、願ってやまない。

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