【書評再録】
◎現代女性文化研究所ニュース No.12掲載

ネグロス・マイラブ
大橋成子著

 ネグロスでどうしても会いたい女性がいた。大橋成子さん。本書の著者でとにかく型破り、豪快。
 78年にアジア太平洋資料センターに入り、編集長、事務局長を経て91年、ネグロスへ。ネグロス・キャンペーン委員会の現地駐在員として日本との架け橋をすることになるが、ここまでは、なるほど、のお話。
 ところが、彼女の人生は並みではなかった。かつて反政府運動の闘士だったフレッドとめぐり合い、恋に落ちたのだ。しかも彼は5人の子連れ。96年に結婚した彼女は一気に5人の母親になり、フレッドの故郷漁村のナヨン村に住むことになる。
 ときに楽しく笑いがこみ上げてくるけれど、なぜ豊かな緑の島が飢餓の島になったのか、ネグロスの悲惨な歴史、フィリピンが抱える諸問題、NGOの現実的な課題など、それらがナヨン村のコミカルな日常と共に語られる。その大橋さんにインタビュー。しかもマッチョなフレッドまで一緒に!
 「毎年夏には日本の高校生とこちらの農村の子どもたちとの交流キャンプをするのですが、電気もトイレもない。日本では考えられない暮らしでしょ。みんな手も足も出ない。それが一週間ぐらいすると、引きこもりの子が顔を輝かせて自分から外に向かうようになるんです」。自然の中での生活が子どもたちに与える大きな不思議な力。
 大橋さん自身、今後も生活のベースはもちろん日本ではなくネグロスだという。貧しいけれど、親切でうわさ大好きな村の女たち、あるがままに自由に生きられる心地よさ。「あなたはいかが?」と逆に聞かれてしまったが、私もたった一週間の滞在で大橋さんの気持ちがなんだか分かるような気がした。(岡田記)

◎インパクション149号 ブックレビュー掲載

ネグロス・マイラブ
大橋成子著

フィリピンの現在を生活感覚で描く  年の違い具合や姓が同じことから、姉として尊敬していた成子さんが、フィリピンに移り住んでもう10年。子連れ男と一緒になって、ネグロス島ナヨン村という小さな漁村で元気にしていることは知っていたが、本書はその詳細を教えてくれた。そうか、日本酒の一升瓶片手に夜中まで飲んでいた成子さんは、アルコールの種類をラム酒にかえて、こんなに楽しい日々を送っていたんだ!
 成子さんはノンポリだった学生時代、ひょんなことからタイの学生交流会議に参加して、政治の季節の学生デモに遭遇する。公害を輸出する日本企業の製品をボイコットする人々に出会い、目からウロコの体験をする。大学卒業後はアジア太平洋資料センター(パルク)の専従スタッフとして10年以上もアジアとの連帯運動にかかわり、その後、ネグロス・バナナの民衆貿易で知られるオルター・トレード・ジャパンの社員になる。つまり「禁欲的なアジア」の時代からの筋金入りの「活動家」である。その彼女が恋に落ちてフィリピンに住むようになったというのは、ごくごく自然ななりゆきのようだが、本書には、NGO活動家と、「生活人」である住人の意識のギャップも描かれている。
  「自立のための支援」として始まったネグロス・バナナの試行錯誤からは、ネグロスの人々の暮らしに根ざしたプログラムがいかに大切か、具体例とともに明らかになってくる。
 砂糖農園で雇われて働いていた人々が農地改革によって自分の土地を持てたあと、どうやって自立していくか。そこには、雇われ人気質に慣れた男たちの意識、借金が当たり前の生活、男女の役割分担などもからみ、けっして「農地改革=めでたし、めでたし」とはいかない。こうした「課題」を成子さんは、ナヨン村での生活感覚いっぱいに書き進めていく。それはそのまま、彼女が家族や土地の人々にとけこんでいくプロセスになっている。
 とにかく本書の醍醐味は、5人の子連れ狼フレッドとの出会い。フィリピン解放闘争の闘士フレッドには、当時、うえは12歳から下は3歳の子どもがいた。40歳まで東京で「肩肘はった独身時代」を送っていた「がんばってつっぱる」成子さんは、フレッドとの結婚でいきなり5人の子持ちになったのだ。しかも、フレッドと子どもたちの辿ってきた人生は、ドラマのようにフィリピンの歴史と現実を表している。
 ドラマはそれだけでは終わらない。4年前、フレッドはナヨン村の村長になったのだ。
 NGO職員が、いつの間にやら村長夫人(家族内では最高司令官)になり、今では孫までいるというのだから、彼女自身が感慨をこめていうとおり、「何が起こるのかわからないのが人生だ」。
 村長選挙や、野菜づくり、村の祭りなど、内側から描かれた村の女たちのパワーと知恵には、読んでいて心が躍る。最後に成子さんはこう記している。
 「ネグロスで生活をしていて感じる魅力は、たとえ経済や産業は単一農業や大資本家に独占されていても、人々はけっして単一の色に染まらないという文化だ」。クラシック調やラップ調、歌謡曲風と好きな音でそれぞれが歌い、音痴な人も自分の歌声に酔いしれ、それが結果として良いハーモニーになっているという。
 そんなハーモニーを、成子さんも奏でているのかと思うと、自称・妹としては、ほんとにうれしい。そして、私の近所にいるフィリピン人母・日本人父を持つ悪がきや可愛い子たちにも、故郷フィリピンの話を聞いてみたいな、と思った。

評者:大橋由香子

◎季刊ピープルズ・プラン 2005年夏31号書評掲載

ネグロス・マイラブ
大橋成子著

 フィリピン・ネグロス島と聞いて、何を思い浮かべるだろう。砂糖?バナナ?それだけではない、豊かなネグロス島での10年にわたる生活を中心につづられたのが本書である。全編を通じて描き出されるネグロスの豊かさ――あふれるばかりの豊かさで満ち溢れていることがなによりも本書の魅力となっている。ただし、先進国もしくは都会ではすでに喪失された、どっかのTV番組がノスタルジックに美化しがちな「途上国もしくは田舎にある豊かさ」に圧倒されたわけではない。著者のネグロスを見つめる視線のやわらかさ、それが捉える人々の多様さ、そしてネグロスが経験してきた想像を超える歴史。それぞれが画一化されがちな私たちの生活、価値観、視線をゆさぶる豊かさに満ちているのだ。

──人びとを見つめる柔らかな視線を堪能

 著者は、NGO職員としてフィリピンと出会い、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)の調査員としてネグロスに赴任する。ネグロスでの駐在生活が終わりにさしかかり、帰国もせまった1995年、5人の子連れのフィリピン・マッチョ男、フレッドに出会い意気投合、ナヨン村で暮らすことに。独身駐在員生活から急展開、一挙に5人の子持ち、後にはパートナーが村長になった(ならされた?)ため村長夫人に。いやはや本当に「何が起こるかわからないのが人生」である。
 普通なら『波乱万丈』にでも取り上げられそうな意外な人生展開だが、「この人ならそうなるかなあ」と妙に納得してしまう。生きる姿勢が柔軟で豊かなのだ。人生はこうこうあるべきなんていったものさしが少しずつ伸び、縮み、広がり、その最初の規律さを失い、著者を自由にしていく。しかし最初はがちがちものさしで「肩肘をはって」いたと著者はいう。1975年の初海外体験はタイ、民主化運動の真っ最中だった。そこでアジアと日本のいびつな関係に衝撃を受けた著者は、NGOに参加し、「連帯」をキーワードにアジアとの共生をめざした運動に没頭していく。次に出会ったフィリピンは、反マルコス・解放運動が盛り上がる熱い時代を迎えており、資本の論理がまかり通る日本で活動する人びとにとって、輝ける希望の星であった。
 著者はフィリピンの人びとを「闘う民衆」として単一色で塗りつぶし、ある意味あがめていた。その意味では、「普通」だったとも言える。。つまり、自戒をこめていいたいことだが、アジアもしくは途上国にかかわる人の多くが、何かしらの単一色で相手を眺めていることが多いからだ。「貧困」だとか「かわいそう」だとかにはじまり、「なまけもの」「無知」といった差別的なものから、「豊かな自然」「スローライフ」といった美化するもの、「闘う民衆」といったものまで、ひとくくりにして理解しようとし、理解したつもりになっている。駐在員として現地にいようが、この視線の貧困さは簡単に抜け出せるものではない。
 だが著者は「目線をがくんと下げ」ることに成功した。美しい自然も脅威をもたらす自然も、濃い田舎の人間関係もやさしさも、たくましさも言い訳だらけの言葉も、貧しさも理不尽で見栄っ張りな金使いの荒さも、しょうがない政府やお役人も、「ここはこうだから」とひとくくりにできない豊かさを、そのやわらかくなったものさしを広げてすべて包み込んだのである。がくんと下がった目線が見つめる人びとは、闘うおばちゃんであり、美しいゲイであり、コチョコチョ(噂話)好きな母ちゃんであり、博打で一攫千金をねらいフィエスタで散財する父ちゃんであり、学校のイベント資金づくりに駆り出される悪ガキたちだった。いたるところにちりばめられた「なんでそうなんねん!」と突っ込み満載のエピソード。そこで繰り広げられる等身大の人びとの「現実」をただ受け止めて共に悲しみ、憤り、そして笑う。目線がいまだ上がりっぱなしの東京在住NGO職員としては、活字で組み立てられた風景の中とはいえ、ネグロスの人びとの出会いを充分に堪能することができた。大橋さんに感謝である。

──過酷で豊かな歴史を語る人びと

 豊かなのは、現在進行形の人びとの暮らしだけではない。彼らの経験してきた歴史――それはフィリピンの歴史であり、ほんの数十年の間にめまぐるしく変わる、過酷で豊かな歴史なのだ。その歴史をかいくぐってきた、新しい家族であるフレッドと5人の子どもたち。
 ネグロスは緑豊かな島であり、そして飢饉の島でもある。16世紀にさかのぼるスペイン植民地時代から、アメリカ支配、日本支配そして現在にいたるまで100年以上、砂糖だけがこの島の主要産物だった。ネグロスは、砂糖による単一経済で成り立ってきたし、今でもそうである。遅々として進まない農地改革により、まだまだアセンデーロ(農園主)が砂糖産業を牛耳り、土地、経済、政治、社会を独占している。拡大しつづける貧富の格差、そしてマルコスの暗黒時代。民族自立、解放、反独裁を掲げる人びとは共産党に参加し、「解放の神学」が教会から広がっていく。そして、ピーピルズ・パワーによるマルコス追放、アキノ新政権の誕生とアメリカ主導の「左翼勢力掃討」作戦、フィリピン政府によるネグロス空爆。一方でネグロス島では、唯一かつ最大の砂糖輸出先であったアメリカによる特恵待遇の停止と国際的な砂糖価格暴落のダブルパンチにより、砂糖に頼る経済は大混乱に陥った。人びとは飢えに直面し、国政的な援助が開始され、「自立」に向けたさまざまな取り組みが行われていく。
 こうやって歴史を「縮めてまとめて」しまうと、なんだか歴史の教科書だかどっかのNGOの刊行物だかを読んでいる気分になり、自分で書いていてもげっそりしてしまうのだが、歴史はそれを誰が語るか、で大きく違ってくる。まさにフィリピンの熱い政治の時代を生きてきたフレッドや子どもたち、そして村の人たちが語るからこそ、歴史がまさに歴史となる。共産党に参加し「山に入って」活動していたフレッドは、それぞれの場面で使いわけてきたためいくつも名前を持っている。子どもたちは、幼い頃経験した空爆により失語症になり、空爆トラウマに悩んでいる。「キレイ、カンタン、キモチイイ」(日立のコマーシャルのキャッチフレーズだったかな)が崇められる社会で生まれてこのかた生きてきた私としては、過酷さや残酷さと隣り合わせの豊かな歴史を、ただ手探りで理解しようとするしかないが、「わけあり」の歴史をくぐってきた家族や村の歴史が、現在の生活と重ね合わされながら、著者の暖かいまなざしによって描きだされていく。その紡ぎ出された歴史に素直に心を打たれてしまう。

──NGOとは何か?

 そして、NGOという援助組織の人間として、やはり真剣になって読んでしまうのは、ネグロスの自立のために支援活動を行ってきた著者の経験が語られる部分である。日本ネグロス・キャンペーン(JCNC)は、前述の砂糖危機からの一連の緊急援助活動を行うために1986ねんに立ち上げられ、そしてその後、農業を軸とした「自立」に向けた長期的な支援を手がけていく。しかし、循環を基礎にした農業の実践、「生産から販売・消費までを農民たちが主体となりその仕組みを作る」ことを目的とした活動は、そう簡単にはいかない。試行錯誤、七転び八起きの奮闘。少しずつ手ごたえや変化を感じつつ、著者はこう問いかけてくる。「自立とは何だろう。『自立のための支援』とは何だろう。では、支援する側は自立できているのか。『非営利団体』という意味しか持たないNGOとはそもそも何なのか?そこで『活動する』自分たちは何者なのか?」と。
 私はこれらの問いに対する明確な答えを持ってはいない。答えられない、というのが正直なところだ。自立した社会とはと問われれば、「関係性が創出され、循環性が確立され、そして多様性が見られる社会でありうんぬん」と述べることはできるかもしれない。しかし、実際に必要なのは、そこに生活している人の目線で考えた自立とは何かを皮膚感覚で理解できるかどうか、なのだろう。
 だとすれば、ネグロスであれそこにいない自分たちにとって、やはり常に問い続けなければいけないことは、後者の質問――NGOとは何か、自立しているのか?ということだろう。そもそもNGOの「自立」とは何か?支援する側は、支援される側がいないと成り立たない。軍需産業を延命させるために戦争を繰り返す某国のパターンのような、援助産業を延命させるために「貧困」や「貧しい人びと」、そしてそれらを「改善させるためのプロジェクト」を作り出していく。変わるべきものの多くが自分たちの足元の社会にあるにもかかわらず、わざわざ海外へ出かけていって援助という仕事を「創出」する。それがいまや自衛隊と一緒に意気揚々と出かけてしまうこともあるからひどいものである。「NGOとはこうえるべき論」を振りかざしてもしょうがないなあと思う反面、NGO職員の端くれとして著者の問いかけを無視するわけにもいかないとつくづく思うのである。でもまあ、「そんなに考えなさんな、だまってカウカウ(牛のように)働くしかないさ」――そうそう「カウカウがんばりましょう」でいきますか!

評者:普川容子 アジア太平洋資料センター<PARC>事務局長

◎Halina「新刊書紹介」 2005年8月1日 第97号掲載

ネグロス・マイラブ
大橋成子著

  「ねえ、ねえ、読んでみて」と人に勧めたい本は、そう日常的にあるものではない。フィリピンはネグロス島のナヨン村にやってきた「NGOのつっぱり女と5人の子連れのマッチョ男の物語」という帯表紙からイメージされる内容よりも、『ネグロス・マイラブ』はずーっと面白い本なのだ。大橋成子さんは日本ネグロスキャンペーン委員会の現地駐在員としてネグロスに入り、2〜3年で帰国するつもりだったのが、「その予定は完全に狂い」「腐敗したフィリピン政府を打倒するのだと武装勢力に身を投じた」こともあるフレッドとその子どもたちと「ずっと一緒に暮らしたい」という気持ちになり、以来10年ナヨン村に住み続けている。「肩をいからせてNGO駐在員の仕事をしてきたのが」「やたらににぎやかでおせっかい者が多いナヨン村」で暮らしているうちに、「ある日ガクンと肩の力が抜けて、駐在員の目で見ていたネグロスの現実が、まったく違う角度から違う色彩で映るように」なる。そこで、「ズームの広がった目で、これまで自分が関わったネグロスのこと、変な継母と暮らす子どもたちのこと、ナヨン村のおかしな話、この島に生きる人々のさまざまな挑戦を」書いたのが、ぜひ読んでほしいこの本だ。
 ナヨン村に生きている人たちの笑い声や怒鳴り声、煮物の匂いがしてくるようなナマの話が展開されていると同時に、大橋成子という一人の女が70年代後半から生きてきた日本とフィリピンをアジア、世界の政治、経済、文化の歴史的コンテキストからきちんと捉えているところがスゴイ。
 6月のある日東京で『ネグロス・マイラブ』の出版記念パーティーが開催された。80年代にフィリピン民衆連帯運動に首をつっこんでいた懐かしい顔が多くあった。解放、自由、民主主義、主権、平等、参加、ジェンダー、人権、エコロジー、正義、共生、持続的、などなどという言葉の意味する社会変革の運動に、当時取り組んできた金のない多様な「イイ人」たちが、本当に久しぶりに集まった。あの当時の一人であった大橋成子は、今もその社会変革の夢をナヨン村で相当心の余裕を持って追い続けているような印象を受けた。それがつれあいフレッドの村長選挙であったり、水道プロジェクトであったり、農村女性ネットワークのジェンダーワークショップであったりする。20年前の大橋成子がそのために闘っていた"自由"は今、人の目を気にせず、「自分の感じるままに生きていけるネグロス」で、「一人称で本音」を語り、ナヨン村のおしゃべり女の仲間として「なるようになるさ、ケセラセラ」と楽天的に生きることも意味している。
写真も沢山、つれあいフレッドのイラストも入った楽しい「大橋成子的」な本を、ねえねえ、読んでみて。

弘田しずえ(JCNC運営委員、カトリック正義と平和協議会)

◎クロスロード「今月の本紹介」9月号掲載

ネグロス・マイラブ
大橋成子著

──国際ボランティアを考えるための本
『ネグロス・マイラブ』
『モッタイナイで地球は緑になる』

 英国で開かれたG8と呼ばれる先進富裕国の指導者による会議では、「南」の貧困対策への援助拡大が大きく取り上げられた。
 私自身は、アフリカを中心として深刻化する貧困問題に、国際社会の一員として、日本など「北」の府夕刻が援助の量と質を向上させるのは当然と思う。
 ただ、援助議論で私たち「北」の国民・市民が留意しなければならないのは、援助される側の自立のシナリオである。
「魚をあげるより釣り竿を」「魚より魚を獲る網を」とはよく言われる。援助という行為が、何よりもまず、生活向上を必要とする人々の積極的学びにつながらなければ、「あげる側」の都合(「社会的に評価されたい」など)で自己完結してしまうだろう。
 助けることはどう自立につながるのか。この問いに明確な答えをアフリカとアジアの事例で示唆してくれる、出たばかりの本が2冊ある。ケニアの植林運動を紹介した『モッタイナイで地球は緑になる』と『ネグロス・マイラブ』である。両方とも女性による本で、少なくとも援助と自立を考える上で重要な二つの点が共通している。
 一つは、援助対象となる地域の人々が、どう自らの状態に気づき、自立していくかが、プロセスないし運動としてきわめて具体的に記録されていることだ。ケニアのマータイさんは、地域の人々の生活の一部ないし糧となっている自然環境の回復を通じて、自立のシナリオを根気強く進めていく。英文のタイトル『グリーンベルト運動:アプローチと経験を分かち合う』のほうが彼女の主張を正確に伝えている。その試行錯誤の運動の中で大勢の農村女性が「免状を持たない森林官」となって巣立っていく。
『ネグロス・マイラブ』の大橋成子さんも、期限と中身が限定されている「開発プロジェクト」の枠組みから大きく踏み出し、人々の海の中で考え、共に働きかけるプロセスを記述している。
 もう一つは、両者とも、政治に手を染めていることである。援助議論では、政府とともに援助事業をしている場合、しばしば政権の腐敗への言及がタブー視されがちであるが、大橋さんはパートナーとともに、マータイさんは投獄されながらも政治に正面切って関与してきた。政治の不正と戦った結果、大橋さんのパートナーは村長に、マータイさんは国会議員、副大臣になっている。二冊とも、社会を変える手段としてどう政治を利用したらいいかという経験談にあふれている。マータイさんは、政治だけを悪者にする風潮をなげき(237ページ)、大橋さんは村長選で「金に汚く、ずるく、うそだらけの人々と、勇気、情熱、革命を選んだ人々」(39ページ)を発見する。
 これら政治体験から読者に伝わってくるメッセージの一つは、人々が変わることなくして、政治は変わらない、政治を変えなければ、よりよい社会サービスも、より弱者にやさしい社会も、税金がとれる豊かな社会も実現しないということだ。  援助する側は彼らに代わって政治をするわけにはいかないが、相手国の人々の目覚め、自立を妨げ、結果として腐敗した政治を持続可能にしてはならないだろう。

勝俣 誠(明治学院大学教授)


◎毎日新聞「今週の本棚」2005年7月31日掲載

ネグロス・マイラブ
大橋成子著

 五人の子持ちのフィリピン人と結婚した日本女性の生きざまを通して、数多の真実を知ることができる。その真実とは、フィリピンで大統領が変わっても改革がなかなか進まない現実、無茶苦茶というべき村の政治、農民たちのひどい苦しさと脱出への苦闘、それを助ける日本のNGOの頑張り、金の面ではとても貧しい農漁村の生活、苦しくても陽気なフィリピン人の国民性などであり、内容がきわめて豊富な本だ。他国において独り生き抜くことによって知らされる真実は、小説をはるかに越える内実を持っている。
 大橋成子さんは、学生時代にアジアに目覚めてNGOで働いていたが、フィリピン農民を支援するために無農薬バナナの栽培を助けて日本に輸出する団体に移って、ネグロスに住んだ。フィリピンの中ほどにある島のネグロスは、19世紀半ばに砂糖農園と化したのだが、1980年代に生じた砂糖価格の暴落で、飢餓の島として世界に知られた。それを救うNGOの活動の一つがバナナ栽培である。
 だがそれは、容易ではなかった。輸送が悪いと熟して日本の港で廃棄され、突然の病虫害で根こそぎ焼く羽目にも陥った。その中から、野菜中心の地道な農業を育てようという活動が始まった。だが、依存病にぶつかった。何代の続いた農園労働生活で、賃金を貰ってのみ働き、金に困れば地主に泣きついて借りるというメンタリティーになっていて、なかなか自主的に働かない。
 大橋さんが苦闘していた中でめぐりあったのが、フィリピン共産党の教育担当であったフレッドだ。アキノ大統領が始めた民主化はつかの間であり、やがて共産党に全面戦争をしかけて、米国のCIAはネグロスを「低強度戦争」の実験場にした。フィリピン政府軍は、米国の支援を受けて空爆でネグロス南部を破壊尽くした。妻に逃げられたフレッドは、五人の子どもを親に預けて、各地を転々とする生活を送っていた。
 大橋さんがフレッドに会ったのは、ネグロスの政治情勢を聞くためだが、二人でラム酒を飲んで、話ははずんで意気投合した。NGOで肩肘張った独身生活をしていたが、ネグロスの生活で肩の力が抜けていて、老後の生活をともに過ごせる人だと結婚を決意した。子どもたちには「変なおばさん」と気に入られて「私たちと一緒に住もうよ」とプロポーズされた。
 ネグロスの小さな村に住み込んで、大橋さんは大きく変わった。それは目線であり、駐在員の目で現地を見るのではなく、村人の一人として共に住む者の目であり、これはその報告だ。
 フィリピンは、日本人の目から見るとじつに不可思議な国である。ここまでに紹介したのは堅い話で、発展途上国の中でもとくに厳しいフィリピンの実情を知って、苦しさが理解できる。
 だが苦しい中でとても陽気なのであり、面白い話が次から次に出てくる。選挙にお祭りのような大騒ぎをし、しかも誰が当選するか賭けがはびこる。学校が子どもたちのビューティー・コンテストを主催して、競ってお姫様のようなドレスを着る。PTAが資金集めのためにビンゴゲーム大会を開く。フィエスタ(祭り)は二日間開いて、誰も寝ようとしない。町がゲイ・コンテストを主催する。
 フィリピンの田舎の人たちはとても素直であり、しょっちゅう怒り、泣き、笑う。ネグロスで1週間寝食を共にする交流に参加した日本の高校生は、最後の日に別れるのが辛いと泣き出した。「日本ではこんなに笑ったり、泣いたり、怒ったりしたことはありませんでした」

森谷正規

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