赤VS黄 タイのアイデンティティ・クライシス


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 写真・文:ニック・ノスティック
 訳:大野浩
 装幀:臼井新太郎

 定価2500円+税
 A5判並製・144ページ・オールカラー
 ISBN978-4-8396-0253-6 C0030

 【関連書】 バンコク燃ゆ   現代タイ動向2006−2008

   



      【見開きページ】

      見開き

 2008年、タイでは赤シャツ派と黄色シャツ派の対立が激化し、集会やデモで多数の死傷者が出ました。両者の亀裂は深く、タイ社会は今後どのように動いていくのか、予測がつきません。本書は、赤と黄の激突現場の写真と当事者へのインタビューをもとにした迫真のレポートです。原著はRed vs. Yellow Volume 1:Thailand’s crisis of identity by Nick Nostitz(White Lotus Co.,Ltd., 2009)。なにしろ催涙ガス弾やパチンコ弾が飛び交う中での取材ですから、現場の恐怖、人々の狂気がじかに伝わってきます。赤の人たちと黄の人たちはなぜ闘うのか、これからどうなるのか、簡単にはわかりませんが、まずはタイの人々の生の声と感情を知ることができる貴重な報告です。また、著者の現状分析も、対立の現場での実感に裏打ちされたものだけにとても説得力があります。詳細な年表・訳註をつけました。


【目次】

 1. 2001〜2005年:タックシンの時代
 2. 2005〜2006年:黄色派の形成
 3. クーデタと赤シャツの誕生
 4. ゲーム開始
 5. 2008年8月29日:法治社会の崩壊
 6. 2008年9月2日:マカーワン橋の戦い
 7. 2008年10月7日:黒い火曜日
 8. 余波:幕間
 9. 最後の決戦
10. アピシットへの抗議
11. ゲームは終わらない


【はじめに】

 1993年、バックパッカーだった私は、たまたまタイに旅したことがきっかけとなり、そのままタイに住むことになった。そして、やみつきになっていた写真、旅行、収集をそのまま自分の職業として生かす道――プロ・カメラマンになる道を選んだ。
 何年もタイで暮らしているうちに、私は、この非常に複雑な社会を、研究でもするように系統立ててではなく、もっと直感的に、そして必要に迫られて、徐々に、ある程度までだが、理解できるようになった。
 私は、妻の育った辺鄙な田舎の環境について学ぶ必要があった。そして、まったくのゼロから小さい農場を作るのを手伝うなどして、彼女の家族と関わりを持つようになり、そうこうするうちに村レベルの政治について学ぶことになった。
 その後私はバンコクでポー・テック・トゥン財団に救援隊のボランティアとして加わり、いいテーマだと思った写真を撮影しながら、活動の手助けをした。私はそこで、入り組んだ路上の政治、いわゆるストリートポリティクス――警察、ボランティアの利害とアンダーグラウンドの親分-子分組織の間の必要不可欠なバランス――が常にもめながらも、時にタイ独特のやりかたで実にあざやかに解決に導かれる姿を見てきた。
 2005年に反タックシン運動が始まると、私は取材を開始した。そこで最も驚いたのは、タイの最高レベルの政治システムが、田舎やバンコクの路上で見てきた親分-子分関係のメカニズムに酷似しているということだった。
 その頃までに、私はタイ語、特に路上のタイ語がかなり達者になっていた。2006年のクーデタ以降、私は反軍デモを取材し、現場に唯一の西側ジャーナリストということがよくあったが、そのことが取材に非常に役立った。私は、PAD(民主主義市民連合)と親しい関係を作るようなことはしなかった(私には誰が本当にPADを動かしているかわからなかった。多くの中程度のランクのリーダーでさえもPADの意思決定には参加しておらず、トップのリーダーの声明をそのまま繰り返すだけだった)。
 PADは結成当初から、大多数のリーダーも一般のデモ参加者も批判的な質問を歓迎しなかった。私がしつこく迫ると、返ってきたのは敵意であり、外国人ぎらいであり、時には露骨な人種差別だった。私は、できるだけ口を閉じているのが一番だと知った。 P唯一の例外は、「民主主義同盟」議長のウェーン・トーチラーカーン医師だった(訳註:1991年、軍事クーデタでチャートチャーイ政権が倒れ、翌92年に民政移管を目指して総選挙が行なわれたが、軍支持派が多数を占め、クーデタのとき「首相にならない」と明言していた陸軍司令官スチンダー・クラープラユーンが首相に就任した。これに抗議し、5月に「民主主義同盟」が結成された。中心になったのはその後PADの中心になるチャムローン・シームアン、ウェーン・トーチラーカーンなど。このあと、デモ隊に軍が発砲して40人以上の死者が出て、非常事態が宣言されるなど、タイ社会は収拾のつかない混乱に陥り、プーミポン国王が仲裁に乗り出した。国王とその前に跪くスチンダー、チャムローンの写真が有名で、国王の絶対的な力が世界中に知れわたった。この政変は軍の弱体化をもたらし、活動家と軍、警察に大きな教訓を残した)。私は首相府への抗議デモの時に初めて彼に会い、いくつかの批判的な質問をぶつけたが、率直に答えてくれた。その後間もなくウェーン・トーチラーカーン医師はPADから離れ、後に反クーデタ運動のグループUDD(反独裁民主同盟)、そして(UDDが発展した)赤シャツ派のリーダーとなっている。
 2008年半ばには、PADは反政府活動集団というよりもカルト集団のようになってしまい、あまり公然と批判すると逆に脅迫されたりした。タイ社会には過激化する変革思想に共鳴するような空気が強まっており、その圧力に抗して声をあげられる者は多くなかった。PADの危険な賭けのような行為がおおっぴらにならなかったのはそのせいだ。  後に赤シャツと呼ばれるようになるグループがPADよりずっと近づきやすかったのは、私にとっても驚きだった。彼らは批判的な質問も受け入れてくれ、時には非常にオープンな議論に発展することもあった。
 以前、私は事態をもっと単純に捉えており、当然単純な結論を出していたのだが、こうしたことから、考え方を大きく変えなければならなくなった。私はタイ社会の複雑さを理解し始め、タイ社会の多くの問題が以前よりもよく見えるようになってきたのだ。
 2005年から2008年にかけての歳月は、私にとって、またタイ人にとっても、大きな学習曲線のようなものだった。しかし、大多数のタイ人にとっては、これまで当然のように受け容れてきた自分自身の社会のさまざまな様相や定説に疑問を持つことを強いられただけに、それはより痛みを伴う経験だった。多くの友人や家族が、特に都市部では、赤シャツ派と黄シャツ派に深く分断されたのである。
 この爆発寸前の年月の間に、私は活動家(大半は赤シャツ派の人であったが、PADも)、公安、研究者の中に多くの友人を得ることができた。私はこれらの友人と率直に議論する中で多くのものを得た。彼らのおかげで私の視野は驚くほど広がったのである。


【プロローグ】

 2008年後半の政治的暴動は、多くのタイ人にとって、また多くの外国人にとっても、大きな衝撃となった。唐突に、ベールに覆われていたタイ社会の矛盾が激しさを伴って白日のもとに晒されたのである。それは、長きにわたってタイ社会を分析、考察してきたタイ研究者にとっても大きな驚きであった。
 タイ政府はこれまでずっと、タイ国民と外国人に対して、軍、政治家、官僚、そして王宮のパワーバランスの上に注意深く築かれた「タイらしさ」@に基づく「微笑みの国」のイメージを植えつけようとしてきた。そして大多数のタイ国民は、タイ社会のシステムやタイの歴史に対して批判的な解釈をほとんど許さない国家イデオロギーに即した教育を受けてきたのである。
 タイの政治は、言ってみれば「当てっこ」するゲームのようなものだ。離散集合を繰り返す同盟関係、家族の絆や仲間グループを軸とした親分-子分関係のネットワークへの表に出ない忠誠心。そのようなものが絡み合った非常に複雑なシステムが、社会のあらゆる面において、フォーマルな権力構造の上に影を落としている。情報の流れはうわべだけのことが多く、事実はゴシップや噂に取って代わられる。
この仕組みを細部にわたって描くのは本書の目指すところではない。それにはもっと学術的な調査が必要だ。私が実際に会って話を聞いた要人たちでさえ、多くの重要な局面についても細部についても、あいまいな情報しか得ていなかった。一般のタイ人はまるで部外者のように混乱するだけだ。自分の国なのに、彼らは自分の身のまわり以外で起きたことは把握できないことが多い。メディアの報道は信頼性が乏しく、利権に左右され、しばしば人々を誤った方向に導く。少数民族の出自のはっきりしない民族舞踊や部族の慣習などについての研究は過剰なほどあるが、タイの歴史、政治、社会を考える重要な鍵となる研究は決定的に不足している。最近でこそだんだん批判的研究が増えてきたが、まだ自己規制(時にはそれが必要になる)、触れてはいけない一線を越えることの恐れ、そして単に関心があってもアクセスできないなど理由で頓挫することが多い。
 ここ数年において、タイ社会のシステムのほころびはだんだん大きくなってきており、国家のプロパガンダと人々の日常生活の現実との間の隔たりは顕著だ。それでも、2008年に起きた法治社会の崩壊現象は、そのスピードと規模の大きさで、私を驚かせた。従前考えられなかった「内戦」が、11月後半から12月初旬において現実味を帯びてきたのであった。
 ベールが外されると、微笑みの国はもうそこにはなかった。
 2008年に起こった事態の本当の原因は何だったのか、これから数年にわたって議論されるであろう。私は、現在のタイ社会の争いは簡単には収束しないと考えている。黄色はタックシンを、国を売ったと非難し、赤は旧来の特権階級を、国民に選挙で選ばれた政府を転覆させたと非難する。タイ社会に深い亀裂を走らせた階層、宗教、イデオロギーの闘いは今も続いている。
 私には唯一絶対の説明などはできない。私は研究者ではなく、この本は研究の結果をまとめたものではない。本書は、2008年末の惨事へと続く、タイの国にとってきわめて重大な意味を持ついくつかの出来事と、私自身のカメラマンとしての体験を綴ろうとしたものである。


【著者と訳者はこんな人】

Nick Nortitz ニック・ノスティック
1968年生まれ、ドイツ出身。
1993年、バックパッカーとしてタイを訪れる。タイに魅かれ、タイ人女性と結婚。
写真家としてタイに居住し、2005年以降、混乱するタイのデモ、集会などを精力的に取材してきた。ハンブルグのFocus photo and Press Agencyのメンバー。

大野 浩 おおの ひろし
1956年 東京生まれ
1979年 慶応義塾大学経済学部卒 太陽神戸銀行入行。
シンガポール支店、ロンドン支店勤務を経て
1998年〜2001年 タイさくら金融証券会社、タイさくら金融会社勤務
2007年〜2010年 財団法人日本タイ協会事務局長、常務理事
協会機関誌『タイ国情報』の執筆・企画・編集、『現代タイ動向2006−2008』(2008年、めこん)編集、日本タイ学会編『タイ事典』(2009年、めこん)出版協力


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