ラオス競漕祭の文化誌――伝統とスポーツ化をめぐって――


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 橋本彩

 定価5400円+税
 A5判・上製・232ページ・カラー口絵8ページ
 ISBN978-4-8396-0319-9 C3039 Y5400E


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 ラオス・タイ・カンボジアなどで盛大に行なわれる競漕祭(ボートレース)をスポーツ人類学の面から研究した専門書。著者は長期間ラオスに滞在して数多くのレースを観察、関係者にインタビューを重ね、さらに往時の現地新聞を丹念に読み込んで、19世紀から今日に至るまでの「競漕祭」の変遷をまとめました。特に、ボートレースと儀礼の研究がユニークです。

【はじめに】

 旧暦11月の満月を迎え、季節が雨季から乾季へと移る節目の日にラオス人民民主共和国(以下、ラオスと記す)では年中行事である出安居祭(ブン・オーク・パンサー bun ook pansa)が行なわれ、次いで競漕祭(きょうそうさい)(ブン・スワン・フアー bun suang heua)が全国各地で行なわれる。安居(あんご)とは、僧侶が自分の所属する寺に篭って修行をする期間のことを指すが、僧侶だけでなく、仏教徒であるラオス人の中には自分自身に断酒や禁煙などの禁忌をもうけ、安居期間である3ヵ月間実践する人も多い。一般的にこの3ヵ月間は結婚式も控えられるため、1年の中で最も禁欲的な3ヵ月と言えるかもしれない。そのため、安居の終わりを告げる出安居祭や競漕祭は人びとが自身の戒めを開放し、喜びを表わす時期とも言えるので盛大に祝われる。首都ヴィエンチャンの競漕祭では、会場となるメコン川沿いに出安居祭1週間前からずらりと出店が並び、通りは人で埋め尽くされ、動けないほど混雑する。特に競漕祭当日は、あちらこちらで宴会が開かれ、人びとは飲めや歌えやの大騒ぎである。私が競漕祭の研究をしていると知人に話すと、決まって「あの酒盛りの研究なのですか?」と聞かれるほどである。しかし、競漕祭に自分たちの舟を参加させる各村の人びとは、村の威信をかけて競漕に臨むため、祭りを楽しみつつも真剣な熱気に包まれている。
 この年中行事は、ラオスを統一したラーンサーン王国の都が、北部ルアンパバーンから現在の首都であるヴィエンチャンへ遷都した1560年より連綿と続けられてきたという言説があるほど、ラオ人の誇りある伝統行事として認識されている。この伝統行事であるヴィエンチャンの競漕祭に、1990年代後半から2000年にかけて「伝統」をめぐる論争が持ち上がった。競漕祭は、主に競漕祭前に行なわれる儀礼、そして満月を迎えた翌日に行なわれる競漕で構成されているが、「伝統」をめぐる論争は後者の競漕に「スポーツ」的要素が色濃く入ってきたため、祭りの伝統が損なわれているとして反発の声が上がったのである。私が調査に入った2007年、伝統の保持を訴える参加者が競漕祭の「伝統」を阻害する要素について語るとき、多くの場合使われる言葉は「タイ」そして一般的にはスポーツの意を持つ「キラー(kila)」という言葉であった。一方、伝統を阻害しているとして非難されたメコン川沿いの村人たちも伝統を壊してでも新しいものを取り入れるべきであると思っている節はなく、むしろ競漕祭は伝統に則って行なわれるべきであるとの想いを共有しているようだった。しかし、状況はそう単純ではないとのニュアンスも語りの端々に感じた。
 なぜ伝統の阻害要因の1つとして「タイ」という言葉があがったのかと言えば、それはラオスと隣国タイの歴史的な関係性が影響している。その関係性を紐解く1つの研究として、ラオスの言語ナショナリズムを扱った矢野順子の研究がある[矢野 2013]。1893年にラオスがフランスの植民地となって以降、「ラオス国民」という意識を醸成する過程においてラオ語の形成は重要な位置を占めており、ラオ語の形成は常にタイ語からの言語的独立を念頭に進められてきた歴史がある。競漕祭においても、「競漕」という表現のラオ語スワン・フアー(suang heua)とタイ語のケーン・ルアー(kheng reua)の違いに執着を見せるなど、矢野が明らかにしたようなタイ語への対抗意識が見られる。また、「伝統」を阻害するものとして語られる「タイ」という言葉には、ラオスの舟の形状に悪影響を及ぼした諸悪の根源といった意味合いが込められて伝統保持の立場から語られる。しかし、ヴィエンチャンの競漕祭に参加する同じラオス国民、同じヴィエンチャン市民であっても、居住地域の立地的条件ならびに歴史背景により、国境線で分断された国としての「タイ」に対する心情、語りは一様ではなく、そのことが先に述べた微妙なニュアンスに繋がっているようであった。
 「タイ」と同様に、ラオスの伝統を阻害するものとして語られる「キラー」という言葉は、競漕祭のカテゴリー分けに深く関係している。現在、出安居翌日にヴィエンチャンで行なわれる競漕祭の競漕は、男性による「フアー・パペーニー (heua papheni:伝統舟)」、「フアー・スード heua sud」、そして女性による「フアー・メーニン(heua mening:女性の舟)」の3つにカテゴリー分けされている。「フアー・スード」の「スード」という用語はF1レースなどで使われる「フォーミュラ」すなわち「ある特定の規格・方式に則った型」との意味を持つため、「フアー・スード」はレースに特化した舟、すなわちスポーツ用に作られた舟と認識されており、カテゴリーの正式名称としては「フアー・スード」であるものの、一般的にはラオ語「キラー」を舟に冠して、「フアー・キラー(heua kila:スポーツ舟)」という名称が用いられている。この「スポーツ舟」というカテゴリーは、従来「男性」と「女性」を分けるカテゴリーしか存在しなかったヴィエンチャン競漕祭において、2000年に初めて設けられたカテゴリーである。上述の通り、1990年代後半から2000年にかけて起こった伝統をめぐる論争の帰結が男性カテゴリーの分化であり、カテゴリー名からも推測できる通り、「伝統」を阻害するものとして「伝統舟」から切り離されたカテゴリーが、「スポーツ」を冠する「スポーツ舟」であるため、競漕祭を担う村人たちが「伝統」を語る際、歓迎されないものとして語る代表的な用語の1つが「キラー(スポーツ)」なのである。
 しかしながら、「伝統」を阻害するものとして語られる「タイ」や「スポーツ」がある一方、伝統論争における「伝統」は舟の形状をめぐる議論に終始しており、「ヴィエンチャン競漕祭の伝統は何をもって伝統と言えるのか」ということについて、舟の形状以外のことは多く語られなかった。それは、ラオ人の慣習として古来より伝わる「ヒート・コーン・パペーニー(hit khong papheni:伝統的慣習)「ヒート・シップソーン (hit sipsong:12の慣習)」の中に競漕祭が含まれており、特に「伝統」に疑問を差し挟む余地がないと考えるためであるかもしれない。また、競漕におけるレースの公平性に主眼が置かれた伝統論争は、あくまでも公平なレースを確実に実施することが目的であったため、「伝統」が舟の形状に集約され、「スポーツ舟」とカテゴリーを別にする結論が出た以上、さらに論争をこじれさせる必要がなかったとも言える。しかしながら、競漕祭は競漕だけに特化された祭りではない。
 「伝統」が先祖代々に伝わる古い歴史を持つものとするならば、競漕祭を構成するもう1つの要素である儀礼も重要な位置を占めていると言える。1950年代にラオス競漕祭について詳細な研究を行なったシャルル・アルシャンボー(Charles Archaimbault)は、競漕であるレースについてはほとんど言及せず、儀礼に特化した研究を行なっているほど、かつての競漕祭に儀礼は欠かせない要素であった。アルシャンボーの問題点は、儀礼研究に特化しすぎたために、競漕そのものに関わる漕ぎ手や舟に対する調査が欠落していた点にあり、当時の知識人にとって重要であった儀礼が、当時の舟の漕ぎ手たちにとっても重要であったのかについては不明である。現在、アルシャンボーが記録した儀礼はほぼ消失しているが、この記録された儀礼に関して漕ぎ手たちが「伝統」を問い直し、復活の声をあげないのは何故なのだろうか。現在の舟の漕ぎ手たちが重要と考える儀礼と、アルシャンボーが記録した儀礼との間にはどのような断絶、もしくは差異があるのか、儀礼の変容を追うこともまた、現在の競漕祭を支える漕ぎ手たちが考える「伝統」を明らかにする上で重要だと考えている。
 本書では、ヴィエンチャンの競漕祭を取り巻く歴史背景を紐解きながら、2007年の調査時に疑問を感じた3つのキーワード、「伝統」、「スポーツ」、「タイ」を中心に「伝統」と「スポーツ」の関係性、および競漕祭における「タイ」の関係性を分析し、首都ヴィエンチャン競漕祭を事例としたラオス競漕祭の文化誌を描いていく。

【目次】

 序章

 1.競漕祭における「伝統」と「スポーツ」:本書の意義と目的 ----------------------
 2.ヴィエンチャンの歴史・地理・文化背景 ------------------------------

第1部 フランス植民地政府の影響下で創造された競漕祭

 第1章 ラオス刷新運動期の競漕祭とスポーツ(1893年~1945年)

 1.ラオス・ナショナリズムの萌芽:ラオス刷新運動
 2.ヴィエンチャンにおけるラオス刷新運動   
 3.考察:ラオス刷新運動期の競漕祭における「伝統」と「スポーツ」

 第2章 競漕祭に付随する儀礼と守護霊の召喚(1953年~1964年)

 1.アルシャンボーが記録した儀礼の分析(1953年)
 2.儀礼における文言(守護霊の召喚句)の分析
 3.考察:ラオス王国独立後の競漕祭と「スポーツ」の関係性

第2部 王国から社会主義国へ移行した激動期の競漕祭

 第3章 伝統スポーツ概念の登場(1965年~1974年)

 1.《サート・ラオ》新聞における競漕祭
 2.「伝統」と「スポーツ」の接近
 3.王族の参列による競漕祭の拡大
 4.考察:「伝統スポーツ」という概念の登場

 第4章 団結と国家繁栄のための競漕祭(1975年~1999年)

 1.社会主義政権樹立直後の競漕祭を取り巻く情勢
 2.《ヴィエンチャン・マイ》新聞から読み解く競漕祭   

第3部 21世紀の競漕祭における伝統論争

 第5章 伝統をめぐる地域間の駆け引きと舟に集約される「伝統」

 1.2000年のカテゴリー分化に関する伝統論争
 2.競漕祭における舟の規定:舟に集約される「伝統」の形
 3.伝統舟とフア・スード(スポーツ舟)の分布
 4.競漕祭に付随する儀礼 
 5.考察:21世紀の競漕祭における「伝統」と「スポーツ」

【著者はこんな人】

橋本彩(はしもと・さやか)
東京造形大学造形学部准教授。博士(人間科学、2015年、早稲田大学)。
1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。2012年、早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。
【専攻】スポーツ人類学、ラオス地域研究。
【主な著書、論文】『スポーツ人類学の世界』(共編著、虹色社、2019年)、『よくわかるスポーツ人類学』(共著、ミネルヴァ書房、2017年)、「ラオスにおける12人姉妹:男山・女山として語り継がれる物語」(『CIRAS Discussion Paper』No.77、2018年)、「若手映画人によるラオス映画の潮流」(『CIRAS Discussion Paper』No.67、2017年)、「Artistic weight lifting Kantou: Tradition and Acculturation」(『International Journal of Sport And Health Science』vol.4 Special Issue、2006年)など。





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