【書評再録/2000年以前】
フィリピン

フィリピン・インサイド・レポート ローレン・レガルダ著・篠沢純太、篠沢ハーミ訳

- 新鮮な魅力伝える自国民向け力作-

 いまアジアで最も注目すべき国はフィリピンではないかと、私は秘かに思っている。このところの経済危機で"アジアの時代"が急速にかすんでいく中、相対的にフィリピンの長所と可能性が浮き彫りになってきたからである。
 従来フィリピンは、いわゆる"アジア通"や"アジア好き"からも冷ややかに見られてきた。文化面ではアメリカナイズされたキリスト教国という異質性から、また経済面では"アジアの病人"と呼ばれた後進性から。しかし、現在のアジアを覆っている拝金主義や、家族および共同体の崩壊といった大問題に対して、一番の抵抗力を保持しているのが、実はこの国の人々ではあるまいか。
 そのような私見を本書は裏付けてくれる。フィリピン随一の人気女性ニュースキャスターである著者はこの本で、私のような元フィリピン留学生にとっても新鮮な報告や指摘を、いたるところで披露している。たとえば、男性しか司祭になれないカトリックが支配的なこの国で、女性司祭の礼拝や偶像崇拝の拒否を旨とする民間信仰が、スペインによる侵略以前からの土着信仰の流れの中で脈々と生き続けていること。あるいは反目しがちなフィリピン人と華人との関係を、歴史をはるかにさかのぼって見直そうとする試み。インドネシアでの暴動にも見られるように、中国人・台湾人を含むチャイニーズとの共存は、アジアのみならず世界が抱える大きなテーマになりつつある。
 フィリピンはまた、東洋と西洋との融合や、"開発独裁"ではなく"開発民主"を目指してきたそのポリシーからも再評価が進んでいる。
 日本人以外のアジア人ジャーナリストが、自国を多角的に描いた書を世に問う機会は意外に少ない。日本人を念頭に置かず、あくまでもフィリピン人読者を対象に書かれた本書は、かえって日本人の知らないフィリピン人像とその魅力をまっすぐに伝えている。
▲野村 進・読売新聞掲載

七〇年代 ルアールハティ・バウティスタ著・桝谷 哲訳ルアールハティ・バウティスタ著・桝谷 哲訳

-- フィリピン社会の根本問題―意識変革を経験する中年主婦をとおして- 

 フィリピンの七十年代は戒厳令の時代である。それは一九七二年九月に始まり、法的には八二年一月に終わった。しかし実際には戒厳令を施行したマルコス大統領が国外に追放された一九八六年の二月までその体制は続いた。戒厳令初期にバウティスタが脚本を共作した映画「サカダ」は、フィリピン農業で最も過酷な条件の下に置かれているさとうきび労働者が主題だが、そのフィルムは軍部に破棄されている。一九八〇年に書かれた『ガポ』は米軍基地の町で生き働く人々を通して、フィリピンにおける米国存在の問題点を描いた。多くの人々に届く漫画や映画としての表現は政府が許可しなかったので、バウティスタは読者の一番少ない小説として発表せざるを得なかった。七十年代は検閲の時代であり、人々が「(七十年)第1四半期の嵐」と呼ぶ、学生と労働者の運動が高揚した激動の時代でもあった。
 小説『七十年代』は戒厳令体制下の一九八三年に出版されている。共産党は非合法であり、その実戦部隊(NPA)や党の動きに同情的であるというだけで、人々は逮捕を覚悟しなければならなかった。バウティスタは、『七十年代』の中で、フィリピン社会、政治、経済の根本的な問題を取り上げている。共産党の地域「オルグ」として長男が関っていくことを知って、意識変革を経験する主人公の中年主婦をとおしてそれは描かれている。アマンダ・バルトロメは経済的に恵まれた生活の中から、フィリピン社会の問題に関心を持つ女性に変化していく。同時に女性としての意識変革も経験する。五人の男の子の問題はすべて「お前の息子」のことだとして、妻に押し付ける夫に直面し、彼女はやっと「自分が夫にとってメイドとかわらないのだという現実」に怒りを感じる。アマンダはこの無理解で、男性中心的な夫と別れる、と宣言する。しかし夫が甘えさせた四男がマリファナ所持で逮捕、釈放後、虐殺される。大学中退後、ふらふらした若者に育ったのは、父親としての自分の罪だと感じ、夫は変化し始める。二人は多くのことを話し合い、仕事人間であった夫とアマンダは徐々に折り合いをつけていく。夫の浮気も終わった。アマンダは「やはり私を愛していてくれた」と感じる。
 夫フリアンは大地主の孫でスペイン系、「男は神様で、女はそれに従うだけ」と信じる封建的な男権主義者だ。アマンダは中流中産階級の出身、「女は子供を産むために存在する」と考える家庭で育った。二人の階級、時代、文化的な制限のためか、アマンダの女性としての意識変革が、深く描かれていない。七十%の人々が貧困層に追いやられる政治経済的元凶をまず変革することが社会の第一の課題だと、バウティスタは考えている。しかし、アマンダの独立決意とその解決方法が、政治、経済、社会問題ほど深く掘り下げられていないのは残念だ。彼女は女性としての抑圧を感じたが、ごく身近な「メイド」の問題を自分の問題として考えることができない(メイドはこの家に存在しているのにほとんど登場しない)。世界的な経済問題を描く一方、主人公の意識変革の基盤である家庭の抑圧構造が描かれていない。家族が社会保障の役割を果たす現在のフィリピン社会では、どの階級においても、困難な時代を乗り切るためには、家族が理解し合い支えあって生きる必要がある。むしろそこに、作者は希望を託したのだろうか。
 検閲を恐れずに作家は毅然としているべきだ、一番の敵は「自分の中のおびえや、ためらいだ」と、バウティスタは訳者のインタビューで答えている。戒厳令の法的解除後にも続く人権抑圧、抵抗する人々の虐殺、その政治経済的原因など、社会の様々な問題点を歯に衣を着せることなく描き出したこの作品は非常に「政治的な」小説である。その素晴らしさは、フィリピンの政治、経済の根本問題を保守的な家庭の人々にも共感をもって読まれるような作品として送りだしたことだ。人々は、自分の家族との関わりから、社会の中での自分を追求しながら揺れ動く人間的な主人公に、自らを重ね共感する。フィリピン語小説で「ロマンス物」を除いて五万部も読まれるのはバウティスタの作品だけだという。彼女は『七十年代』と『ガポ』で「パランカ記念文学賞」を得、他にも多くの賞を得ている。今後、女性と社会の問題を正面から捉えた作品を書いてくれることを、心まちにしている。
 訳文はこなれて読み易い。バウティスタを含むタガログ語文学をこれからも紹介して欲しい。『七十年代』は多くの日本人にぜひ読んで欲しい作品だ。
▲稲垣 紀代(四国学院大学教員)週刊読書人1993年11月19日掲載

仮面の群れ F・ショニール・ホセ著・山本 まつよ訳

--フィリピンの傑作小説- 

フィリピンの長編小説。傑作である。
貧苦の中から身をおこした青年が、米国留学を終えて帰国、母校の大学教師になり、米国で親しくなった女性と結婚する。彼女の父親はフィリピン屈指の実業家で、国会議員らと結んで多くの事業を営み、現在は日本との合弁会社をつくろうとしている。
ところで主人公の祖父は、スペインの圧制のため一族をひきいて移住、新しい土地を開拓した。その土地はやがてだまし取られ、父は小作人にされる。父は憤激して反抗、いまは刑務所にいる。主人公も貧しい姉も、父のことは家族にも隠している。
間もなく主人公は、大学をやめて義父の事業を手伝うようになる。しかし、政財界の大物たちも、学部長と同じく汚いことを知る。一方、かつて相愛の仲だった女性と会うが、彼女は彼の出世を妨げぬよう、貧しい田舎にひっこんで二人の間に生まれた子を育てている。しかし、主人公はその子に自分が父だと名乗ることができない。
主人公は「自己の存在の真の意味」を求めており、祖父のいた土地を訪ね、一世紀前フィリピン革命の素地をつくった知識人集団を研究しているが、いまや出身母胎の貧しい社会では根を失い、到達した上流社会では息苦しくなっている。
すると、信頼している学友だった新聞記者が義父からカネをうけとって合弁会社のPRにつとめたことを知らされる。そしてさらに、妻の不貞を知る。こうして主人公は、遂に自殺する。
ここには、植民地から独立したものの、腐蝕していく社会を見つめる真剣な眼が光っている。また、諸階層の描出など文章もすぐれ、訳文も見事である。

▲社会新報1984年11月30日掲載


──不正、苦悩する知識人/別世界の上流階級

・トイレは線路ぎわで
《夫サムソンがカルメンの許を去った夜、彼女は眠れなかった・・…父親がドアをノックし、感情を押し殺した声でサムソンが死んだと告げた――アンチポロの鉄道線路で恐ろしい事故があったと》
億万長者の一人娘カルメンとアメリカ留学中にほれ合い「玉の輿」に乗った知識人サムソンはその夜、マニラの最高級住宅街フォルベスパークから抜け出し、姉夫婦の住んでいる貧民街アンチポロに戻り、飛び込み自殺をとげる。カルメンには夫の死の理由が理解できない。煩悶のあまり彼女は聴力を失う。
アンチポロ地区は最近こそサラリーマンが増えたものの線路わきに相変わらず不法居住者が張りつく。その掘っ立て小屋は、よく電車にぶつからないなと感心するほど線路ぎりぎりだ。飲み水はもらったり買ったりする。トイレは線路ぎわで済ませる。ちゃっかり電線から盗電しているものもいる。この線で通勤するBさんは「電車の進行につれ、線路わきの開け広げた窓がぶつからないように、ばたばたと閉まっていくさまは壮観だ」という。 サムソンは帰国後フォルベスパークの大邸宅に移り、学究の道から義父の経営する鉄鋼会社の重役へとくら替えした。はた目にうらやまれる生活だが日記にはこう記す。 《日増しに自分の求めているものが、ぼくから遠くへ遠くへと遠ざかっていくように思えた。ぼくの求めていたものは、この悲惨な、情けない国で、ぼくはなすべきことをしているという、己れの存在の正当化だった。》
・名門一族、優雅な生活
戦後アヤラ財閥がマカチ地区のなだらかな丘に建設したフォルベスパークは東京の田園調布や成城の数倍の規模だろう。通りごとに椰子、マホガニー、アカシアなどが植えられ、樹名が通りの名前になっている。招いてくれたA夫人はこの国の名門の一族で、生け花同好会のレディー五人を集めてくれた。お茶を供された素晴らしい芝生の庭には盆栽も並ぶ。夫人が「工事中でお目障りでしょう」と指さす先はビリヤード小屋のようだ。私たちの会話はもちろん英語である。その夜、夫人の兄で有力な政治家L氏六十歳の誕生パーティーにも招かれた。三百人余の客がプールサイドの前庭とステージのある奥庭に分かれ、十数人のボーイが子ブタの丸焼きなどを運ぶ。
異邦人の私でさえ、アンチポロの壮絶な生活現場から、あまりに違う上流社会の楽園に来て呆然自失したくらいである。サムソンが、自分はどちら側の人間か、と存在を揺すぶられたとしても不思議はない。
「仮面の群れ」は五部からなる大河小説「ロサレス物語」の第一作である。サムソン家のルーツはルソン島北部、南シナ海に臨むイロコス・ノルテ州にある。ここのイロカノ族は「傑出した漂流民」と呼ばれるほど勇猛で進取の気性に富む。かつてはマルコス前大統領もイロカノの星とたたえられた。
サムソンの祖父は前世紀末、植民者スペインの暴政に抗し新しい支配者アメリカとも闘いつつ、一族を率い中部平原に脱出する。その子、つまりサムソンの父は移住先で土地を搾取した地主に体を張って抵抗し、結局は刑務所で服役中に獄死する。こんなルーツへの誇りと、知識人としての社会不正への憤りという二重の固定観念がサムソンの心を縛る。
 デ・ラサール大学史学科で講師をつとめる寺見元恵さんによると、当地知識人はつねに「アメリカナイズされてしまったインテリの悩み、つまり一般のフィリピン人から外人扱いされ、かといってアメリカ人にもなりきれぬ疎外された悩み」に苦しんでいる。タガログ語を基本としたピリピノ語とともに英語が公用語になっている歴史の負荷は私たちの理解を超えるものかもしれない。
三百五十年のスペイン、四十年のアメリカ、そこへ大戦中の三年の日本軍事支配まで入り混じる歴史である。フォルベスパークのレディーにも確かめたのだが、上流階級ではいまだにスペイン語の断片、例えば「オイエ(あのね)」を使う。各時代の支配者の言語と民族語が並存し、そこへ社会問題がのしかかる時、分裂しないような人格が可能なのか。 救いは優しく献身的で、しかも強靭なヒロイン、アミーである。一夜の激情で子を宿しながら留学中の彼には告げず、私生児ぺぺをわが手で育てる。サムソンは社会不正との闘いに敗れたが、息子ぺぺはマニラに出て闘いを受け継ぐ。ぺぺが連作の次の巻「大衆」の主人公だ。
《私はどこかの村の少年の心を動かしたい――その昔、わが国の英雄リサールがその小説で私の心を動かしたのと同じように》(日本語版への作者序文より)

▲文・木村 晃三・読売新聞「20世紀文学紀行(30・フィリピン)」欄1989年2月27日掲載

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