七〇年代 ルアールハティ・バウティスタ著・桝谷 哲訳ルアールハティ・バウティスタ著・桝谷 哲訳
-- フィリピン社会の根本問題―意識変革を経験する中年主婦をとおして-
フィリピンの七十年代は戒厳令の時代である。それは一九七二年九月に始まり、法的には八二年一月に終わった。しかし実際には戒厳令を施行したマルコス大統領が国外に追放された一九八六年の二月までその体制は続いた。戒厳令初期にバウティスタが脚本を共作した映画「サカダ」は、フィリピン農業で最も過酷な条件の下に置かれているさとうきび労働者が主題だが、そのフィルムは軍部に破棄されている。一九八〇年に書かれた『ガポ』は米軍基地の町で生き働く人々を通して、フィリピンにおける米国存在の問題点を描いた。多くの人々に届く漫画や映画としての表現は政府が許可しなかったので、バウティスタは読者の一番少ない小説として発表せざるを得なかった。七十年代は検閲の時代であり、人々が「(七十年)第1四半期の嵐」と呼ぶ、学生と労働者の運動が高揚した激動の時代でもあった。
小説『七十年代』は戒厳令体制下の一九八三年に出版されている。共産党は非合法であり、その実戦部隊(NPA)や党の動きに同情的であるというだけで、人々は逮捕を覚悟しなければならなかった。バウティスタは、『七十年代』の中で、フィリピン社会、政治、経済の根本的な問題を取り上げている。共産党の地域「オルグ」として長男が関っていくことを知って、意識変革を経験する主人公の中年主婦をとおしてそれは描かれている。アマンダ・バルトロメは経済的に恵まれた生活の中から、フィリピン社会の問題に関心を持つ女性に変化していく。同時に女性としての意識変革も経験する。五人の男の子の問題はすべて「お前の息子」のことだとして、妻に押し付ける夫に直面し、彼女はやっと「自分が夫にとってメイドとかわらないのだという現実」に怒りを感じる。アマンダはこの無理解で、男性中心的な夫と別れる、と宣言する。しかし夫が甘えさせた四男がマリファナ所持で逮捕、釈放後、虐殺される。大学中退後、ふらふらした若者に育ったのは、父親としての自分の罪だと感じ、夫は変化し始める。二人は多くのことを話し合い、仕事人間であった夫とアマンダは徐々に折り合いをつけていく。夫の浮気も終わった。アマンダは「やはり私を愛していてくれた」と感じる。
夫フリアンは大地主の孫でスペイン系、「男は神様で、女はそれに従うだけ」と信じる封建的な男権主義者だ。アマンダは中流中産階級の出身、「女は子供を産むために存在する」と考える家庭で育った。二人の階級、時代、文化的な制限のためか、アマンダの女性としての意識変革が、深く描かれていない。七十%の人々が貧困層に追いやられる政治経済的元凶をまず変革することが社会の第一の課題だと、バウティスタは考えている。しかし、アマンダの独立決意とその解決方法が、政治、経済、社会問題ほど深く掘り下げられていないのは残念だ。彼女は女性としての抑圧を感じたが、ごく身近な「メイド」の問題を自分の問題として考えることができない(メイドはこの家に存在しているのにほとんど登場しない)。世界的な経済問題を描く一方、主人公の意識変革の基盤である家庭の抑圧構造が描かれていない。家族が社会保障の役割を果たす現在のフィリピン社会では、どの階級においても、困難な時代を乗り切るためには、家族が理解し合い支えあって生きる必要がある。むしろそこに、作者は希望を託したのだろうか。
検閲を恐れずに作家は毅然としているべきだ、一番の敵は「自分の中のおびえや、ためらいだ」と、バウティスタは訳者のインタビューで答えている。戒厳令の法的解除後にも続く人権抑圧、抵抗する人々の虐殺、その政治経済的原因など、社会の様々な問題点を歯に衣を着せることなく描き出したこの作品は非常に「政治的な」小説である。その素晴らしさは、フィリピンの政治、経済の根本問題を保守的な家庭の人々にも共感をもって読まれるような作品として送りだしたことだ。人々は、自分の家族との関わりから、社会の中での自分を追求しながら揺れ動く人間的な主人公に、自らを重ね共感する。フィリピン語小説で「ロマンス物」を除いて五万部も読まれるのはバウティスタの作品だけだという。彼女は『七十年代』と『ガポ』で「パランカ記念文学賞」を得、他にも多くの賞を得ている。今後、女性と社会の問題を正面から捉えた作品を書いてくれることを、心まちにしている。
訳文はこなれて読み易い。バウティスタを含むタガログ語文学をこれからも紹介して欲しい。『七十年代』は多くの日本人にぜひ読んで欲しい作品だ。
▲稲垣 紀代(四国学院大学教員)週刊読書人1993年11月19日掲載
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