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宣伝文化政策としての「大東亜共栄圏」
日本軍政下インドネシアの教科書・新聞・演劇・歴史書

著者  姫本由美子

宣伝文化政策カバー.jpg

装幀 臼井新太郎


定価 5,000 円+税   5,500 円(税込)
ISBN978-4-8396-0346-5

A5判 624ページ 上製
2026年8月初版

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2026年8月発刊!

 「大東亜戦争」の大義名分となった「大東亜共栄圏」建設構想。その宣伝文化政策が掲げられた背景と南方占領地での政策の実態とは?インドネシアと日本の文化人が果たした役割とは?その政策はインドネシアの独立に寄与したのか? 

 20年がかりで日本・インドネシア・オランダ・アメリカに所蔵されている公文書・新聞・雑誌・書籍・教科書を徹底的に読破・分析し、実証的に導き出した結論とは?

著者 姫本由美子 プロフィール

立教大学アジア地域研究所特任研究員。
早稲田大学アジア太平洋研究科 博士課程満期退学。博士(学術)。
専門:インドネシア地域研究、国際文化交流論。
論文:「「戦時言論統制と作家:日本軍政下ジャワにおける宣伝政策と文学者たち」『世界文学』No.138(2023.12)等。
共訳書:ウマル・カヤム著『サストロダルソノ家の人々』(段々社 2015年)。

公益財団法人トヨタ財団で民間の助成財団で長年にわたり東南アジア諸国と日本との間の翻訳出版プロジェクトや東南アジア各国の学術交流を支援してきた。1995年に「東南アジア研究地域交流プログラム」を東南アジアの地域研究者数名と立ち上げた際、チーフ・プログラム・オフィサーとして係わった。同プログラムはSEASREP財団として独立後も30年を超えて東南アジア域内の学術交流のファシリテーターとしての役割を担っている。

[目次]

序章 宣伝文化政策としての「大東亜共栄圏」を考察するにあたって

1.研究の目的

 

2.先行研究を踏まえた本研究の課題
2.1.「大東亜共栄圏」建設がなぜ「大東亜戦争」の大義名分となったのか
2.2. 南方占領地インドネシアにおける宣伝文化政策の担い手と「国民」文化形成運動

 

3.研究の方法と本書の構成
3.1. 研究の方法と分析対象とする主な史料
3.2. 本書の構成


凡例

 

第1章「大東亜共栄圏」建設がなぜ「大東亜戦争」の大義名分となったのか 
1. 南方侵攻に向けての日本の対外宣伝文化政策 
1.1. 第二次近衛文麿内閣の「大東亜の新秩序」建設 
1.2. 大政翼賛会調査委員会第三委員会 
1.2.1.文化建設担当の第三委員会第三小委員会 
1.2.2. 日本主導による「大東亜共栄圏」文化建設:「国益」に資する宣伝とは 


2.軍部による「大東亜」構想とその宣伝としての「大東亜共栄圏」建設 


3. 南方侵攻にあたっての占領統治方針:領土,民族,言語の扱い 

 

4. 内閣情報局による「大東亜」地域に対する宣伝文化政策 
4.1. 内閣情報局の新設 
4.2. 文学者の統制:日本文学報国会の設立 
4.3.「大東亜戦争ニ対スル情報宣伝大綱」 
4.4. 南方への日本語普及と日本文化の宣伝・進出:内閣情報局と軍部との連
携 

 

5. 南方に対する宣伝文化政策の決定者と指令系統 
5.1. 南方占領地 
5.2. 占領地以外の南方での宣伝文化政策 

 

6. 南方での占領の進展と軍政開始に伴う宣伝文化政策 
6.1. 情報宣伝方策としての東條首相演説:大東亜諸民族の各伝統・文化に応じた処置 
6.2. 南方の各占領地での軍政実施要綱 

 

7.「大東亜建設審議会」が示した南方占領地に対する文教文化政策 
7.1.企画院『大東亜建設基本方策(大東亜建設審議会答申)』 
7.1.1.大東亜建設審議会の設置と答申「大東亜基本方針」の取り扱いについて 
7.1.2.『大東亜建設基本方策(大東亜建設審議会答申)』における文教政策の位置づけ 
7. 2.「大東亜建設に処する文教政策答申」 
7.2.1. 第二部会の審議委員の顔ぶれ 
7.2.2.「大東亜建設に処する文教政策答申」における「大東亜諸民族」 
7.2.3.「大東亜諸民族ノ化育方針」の対象地域と民族 
7.2.4. 「大東亜諸民族ノ化育方針」に見られる「言語」「宗教」「文化」への認識 
7.3. 大東亜建設審議会の人口および民族政策答申 

 

8. 軍政機構整備化に伴う宣伝文化政策の展開 
8.1. 通信,新聞,映画を宣伝媒体とした現地住民教化へ 
8.2.「軍政総監指示」に見られる領土,民族,宗教,言語の扱い 

 

結語 

 

第2章 インドネシア3占領地区での宣伝文化政策の変遷 

1. 日本侵攻前夜の蘭印の文化状況 
1.1. 領土 
1.2. 住民の民族別区分
1.3. 言語政策 
1.4. インドネシア民族主義運動の状況 
1.4.1.国民主権の追求 82
1.4.2.インドネシア「国民」文化形成の追求 

 

2.インドネシア領土の3分割と各占領地区の初期の軍政方針 
2.1.領土の3分割統治と各地区の軍政実施要項 
2.2.民族別政策 
2.3.宣伝文化政策 

 

3.ジャワ軍政の民族別の宣伝動員政策 
3.1. 軍政初期の政策 
3.2. 軍政機構整備化後の政策 
3.3. 「大東亜」防衛のためのジャワ民衆の動員・戦力化 
3.4. 戦時の重要資源の確保と「民心把握」の間:帝国領土化と「現地住民」の政治参与 
3.5. 総動員体制を目指した「ジャワ全住民」親和のジャワ奉公会 

4. 小磯声明からインドネシア独立憲法制定へ 
4.1. 独立準備調査会とスカルノの「パンチャシラ」演説 
4.2. 1945年憲法に示された独立国インドネシアの形 
結語 

第3章 軍政初期の刊行物と宣伝班の人々
1. 日本軍政期インドネシアで読まれた刊行物 
1.1. ジャワ 
1.2. スマトラ 
1.3. 海軍主担任地区 

2. 刊行物の主な発行元と書き手 
2.1.『カンポ(KAN PŌ官報)』 
2.2. 学校および社会人向け教科書 
2.3. 新聞・雑誌 
2.4. バライ・プスタカ 
2.5. 啓民文化指導所 
2.6 研究機関 
2.7. 民間出版社 
2.8. 他の地域から送付された刊行物や図書館・個人蔵の図書 

3. 日本軍政期インドネシアで出版に係わった人々 
3.1. ジャワ 
3.1.1. 軍政初期の出版活動を担った宣伝班の編
3.1.2. 宣伝班のジャワ侵攻
3.1.3. ジャワ侵攻後の宣伝班の混乱
3.1.4. 日本軍政とインドネシア文化人との2つの会合
3.1.4.1. 軍政部総務部長とインドネシア人ジャーナリストとの会合
3.1.4.2. 宣伝班とインドネシア文化人との初会合
3.1.4.3. インドネシア文化人の失望
3.1.5. 宣伝班の徴用文化人から軍政要員へ
3.1.6. 出版活動を担った現地の人々
3.2. スマトラと海軍主担任地域
3.2.1. スマトラ
3.2.2. 海軍担任地域

第4章 日本軍政の文教政策と教科書
1. 日本侵攻前夜の蘭印における教育政策
1.1. 初等教育
1.2. 中等教育
1.3. 政府補助を受けなかった私立学校
1.4. 高等教育
1.5. 学校教科書

2. 南方占領地の日本軍政初期の教育政策

3. ジャワ軍政下の学校教育政策と教科書に描かれた「領土」「民族」「言語」
3.1. 学校教育政策
3.1.1. インドネシア人(原住民)・華人向け学校
3.1.2. 私立学校の統制強化
3.1.3. 印欧人(欧亜混血人)児童の扱い
3.1.4. 戦況の悪化に伴う方針
3.2. 初等教育における教育方針と教科書
3.2.1. 初等教育における日本語と修身の重視
3.2.2. 生徒の出身階層と識字言語,および華人,印欧人の位置づけ
3.2.3. 蘭印時代から存在した科目の教科書
3.2.3.1. 手書きで修正された教科書
3.2.3.2. 改訂・印刷された教科書
3.2.4. 新たな教科:日本語と道徳(修身)の教科書
3.2.5. 教科書の発行部数

4. ジャワ軍政下の社会教育のための教科書
4.1. 社会教育における錬成用教科書
4.2. 社会教育用日本語教科書 

5. ジャワ以外の地域
5.1. スマトラ 
5.1.1. 陸軍二十五軍による教育政策 
5.1.2. 初等教育 
5.1.3. 中等教育 
5.1.4. 社会教育
5.1.5. 西スマトラの事例 
5.2. 海軍主担任地区 
5.2.1. 日本語教育 
5.2.2. 学校教育

 
結語 

第5章

『アシア・ラヤ』紙における「国民」文化と「大アジア」文化:富沢有為男・浅野晃とインドネシア人新聞人たち 
1. 日本侵攻前夜の蘭印ジャワの新聞界 
1.1. ジャワにおける主要な新聞の概要 
1.2. マレー語の主要新聞の刊行状況
1.3. 『プマンダンガン』紙に見られる日本侵攻前夜のインドネシア知識人の国際情勢認識と民族主義運動 

2. ジャワの日本軍政による新聞統制と宣伝班による新聞の創刊 
2.1. 日本占領直後の新聞統制 
2.2.『プマンダンガン』紙上における日本論 
2.3. 宣伝班による新聞の創刊

3. 宣伝班によるジャワの中央紙『アシア・ラヤ』の創刊と担い手 

4. 富沢有為男:『アシア・ラヤ』創刊の中心人物 
4.1. 徴用前夜の作家としての立ち位置:中国従軍後の国家主義への傾斜と日本語観 
4.2. 国策への恭順が生んだ小説『東洋』 
4.3. ジャワ侵攻軍に徴用されて 
4.4. 『アシア・ラヤ』での活動 

5.浅野晃:「アジアはひとつ」の帰結 
5.1. 日本浪漫派への転向者にとっての「国民文学」 
5.2. 日本の帝国主義の一歩前進は西洋の帝国主義の一歩後退 
5.3. 日本文化中心のアジア文化建設:対支文化工作から日中文化提携へ 
5.4.『アシア・ラヤ』でのインドネシア人知識人との「出会い」:相互理解の王道 

6.市来龍夫,中谷義男: インドネシア人に対する良き理解者 

7. 『アシア・ラヤ』初期のインドネシア人記者たちの文化論 
7.1. 文化欄の主な執筆者 
7.2. インドネシア人記者たちが主張した「国民」文化 
7.2.1. 西洋への懐疑から自然の摂理重視の「東洋(大アジア)精神」への関心 
7.2.2. オランダ批判を用いた日本批判 
7.2.3. 最大の関心である「インドネシア」文化建設
7.2.4. 文化と国家 

8. 日本帰還後に『アシア・ラヤ』でのインドネシア人との共同作業を振り返って 
8.1. 文化帝国主義が無力であることへの気づき 
8.2.「大東亜戦争」を省みて:狡猾な自分を英霊に結び付けるために 278
結語 

第6章

大東亜」建設下の新聞統制の帰結:現地グラフ誌に描かれた「インドネシア」 
1. 軍の委託を受けた新聞社のインドネシア各占領地区での設置 

2. ジャワ新聞社とジャワ新聞会の活動 
2.1. ジャワにおける報道関係者 
2.2. ジャワ新聞社の設立 
2.3. 鈴木文四郎によるグラフ誌『ジャワ・バル』の創刊 
2.4. ジャワ新聞社・朝日新聞社ジャカルタ支局の統合 
2.5. ジャワ新聞会による現地新聞の直接経営 

3.『ジャワ・バル』に描かれたインドネシア
3.1.宣伝を目的とした『ジャワ・バル』 
3.2.『ジャワ・バル』の写真撮影者 
3.3.『ジャワ・バル』に写し出された日本人とジャワ住民等 

4.ジャワ以外の地域での新聞刊行 
4.1.スマトラでの新聞刊行 
4.1.1. パレンバン 
4.1.2. アチェ 
4.1.3. メダン 
4.1.4. パダン 
4.1.5. その他 
4.2. 海軍主担任地域 
4.2.1. ボルネオ 
4.2.2. セレベス 
4.2.3. セラム・バリ 

5. グラフ誌『みなみ』に描かれたインドネシア 
5.1.『みなみ』の概要と主な執筆者
5.2. スマトラ在住者のインドネシアへの帰属意識 
6. 大東亜新聞大会へのインドネシア人参加者

 
結語 

 

第7章  バライ・プスタカの作家たちにとってのインドネシア語 
1. 蘭印時代のバライ・プスタカとインドネシア人作家たち 
1.1. 蘭印時代のバライ・プスタカ 
1.2. バライ・プスタカのインドネシア人作家たち 

2. 『プジャンガ・バル』世代が継承した「青年の誓い」 

3. 「文化論争」論客にとっての「インドネシア的なるもの」: 西洋と東洋、日本、言語 
3.1.「文化論争」の時代的背景 
3.2. アリシャバナのインドネシア文化の建設 
3.2.1. 文芸誌『プジャンガ・バル』の創刊:新たなインドネシア文学を目指して 
3.2.2. インドネシア精神に基づく新しい社会 
3.2.3. 東洋における近代国家日本への関心 
3.2.4. 近代性を備えたインドネシア語 
3.3. サヌシ・パネのインドネシア文化の建設 
3.3.1. 神智学とインドの詩聖タゴールへの心酔 
3.3.2. 過去の継続上にある「インドネシア的なるもの」 
3.3.3. 東洋文化の中の「インドネシア的なるもの」と西洋文化
3.3.4. インドネシア社会を統一するインドネシア語 
3.3.5. 歴史の共有に基づく全住民による国民文化形成 
3.4. インドネシア語の整備:プジャンガ・バル世代の共通の関心 

 

4.第1回インドネシア語会議 

 

5. 日本軍政下のバライ・プスタカ 
5.1. バライ・プスタカの再開と関係者たち 
5.2. 刊行図書の特徴:書き手と内容 
5.3. 流通と読者 

 

6.インドネシア語に関する2つの委員会 
6.1. ジャワのインドネシア語整備委員会 
6.1.1. 委員会の設置 
6.1.2. 日本人委員の立場 
6.1.3. インドネシア人委員の考え 
6.2. スマトラのインドネシア語研究所
結語 

第8章

ジャワの演劇活動から発信された「国民」像:啓民文化指導所の大宅壮一・武田麟太郎とジャワの劇作家たち 
1. バライ・プスタカから啓民文化指導所へ移ったインドネシア人作家たち 

2. 啓民文化指導所の設立:インドネシア芸術センター構想への宣伝部による牽制 

3.啓民文化指導所の文化人たち 

4. 啓民文化指導所の日本人 
4.1. 指導主任大宅壮一に帰還命令が出るまで 
4.1.1. リアリストのジャワ侵攻以前の映画との係わり 
4.1.2. ジャワでの映画上映・製作とジャワ映画公社の設立 
4.1.3. 啓民文化指導所の立ち上げと帰還命令
4.1.4. ジャワでの宣伝活動を振り返って 
4.1.4.1. 宣伝相手の世界観への理解不足 
4.1.4.2. 欺瞞に充ちた宣伝は効果なし 
4.1.4.3. 宣伝内容を思考の中に沈潜させる 
4.1.4.4. 戦争において重要な人間の文化力 
4.1.5. 大宅帰還後:インドネシア映画部と華人資本映画会社の演劇界への編入 
4.2. 文学部指導員武田麟太郎:日本軍政期の演劇活動の奨励 
4.2.1. 作家としての立ち位置:散文精神と『人民文庫』 
4.2.2. ジャワへの航路上で宣伝班同輩へ心を開く 
4.2.3. ジャワ占領後の演劇活動 
4.2.4. ジャワ新聞社主催の戦時文芸作品懸賞募集 
4.2.5. 啓民文化指導所の武田麟太郎 
4.2.6. 機関誌『クブダヤアン・ティムール』創刊号の日本人指導員の論考:統制強化 
4.2.7. 日本帰還後:ジャワでのインドネシア人への負い目を払拭するために 
4.2.8.武田麟太郎離任以降の啓民文化指導所の日本 

5. 啓民文化指導所に係わったインドネシア人 
5.1.「インドネシア的なるもの」の探究者 
5.2. 文学部長アルメイン・パネと文学部新文人会 
5.3. ジャワ奉公会傘下へ:『クブダヤアン・ティムール』第2号に見られる演劇の重視 
5.4. 独立と文化:社会のための芸術 

6. 啓民文化指導所演芸部とジャワ演劇協会(POSD) 
6.1. 日本軍侵攻前夜の演劇界 
6.2. 日本軍政下における作家や劇作家の活動とジャワ演劇協会による統制 
6.3. 軍政期の演劇サンディワラは,「国民」形成を促進したか 
6.4. 主な脚本家と作品 
6.4.1. アンジャル・アスマラ 
6.4.2. ニオ・チェン・センとフレッド・ユン 
6.4.3. アルメイン・パネ 
6.4.4. エル・ハキム 
6.4.5. カマジャヤ 
6.4.6. コトット・スカルディ 
6.4.7. ウスマル・イスマイル 
6.4.8. イドゥルス

7 「プジャンガ・バル世代」と「45年世代」が作品に込めた思い 
7.1. 発表の場としての雑誌 
7.2. 「プジャンガ・バル世代」を中心とした戯曲:インドネシア「国民」とは 
7.2.1. アルメイン・パネのインドネシア「国民」文化 
7.2.2. エル・ハキムの描く宗教的寛容と人道主義 
7.3.「45年世代」のシュトルム・ウント・ドラングと散文精神 
7.3.1.『ジャワ・バル』作品にみられる宣伝テーマとその超克 
7.3.2.「シュトルム・ウント・ドラング」 
7.3.3. 戦争と「散文精神」
結語 

第9章

ナショナルヒストリーと「国民」創出:日本軍政期インドネシアの歴史書 
1. 戦時期日本の南方占領地に対する宣伝文化政策:歴史書に関連して 

 

2. 日本軍政期インドネシアで刊行された歴史書 

 

3. ダウエス・デッケルの『高校用インドネシア略史』 
3.1 ダウエス・デッケルの略歴 
3.2 『高校用インドネシア略史:古代と古美術』刊行の背景 
3.3.『高校用インドネシア略史:古代と古美術』の内容の特徴 
3.4 1944年版 『高校用インドネシア略史』の特徴 

4. サヌシ・パネの『インドネシア史』
4.1. サヌシ・パネの『インドネシア史』刊行の背景 
4.2. サヌシ・パネの『インドネシア史』の概要と特徴
結語

 

終章    戦時下インドネシアでの宣伝文化政策はなぜ失敗したのか 

1.南方占領地における日本の宣伝文化政策 
1.1. 政府,陸軍,海軍,各々にとっての「大東亜」建設 
1.2. 南方占領地での日本の初期宣伝文化政策:各占領軍による占領地区別・民族別統治 
1.3. 軍事と外交のはざまにおける宣伝文化政策
1.4. 軍事力への執着

2.日本の宣伝文化政策を巧みに利用したインドネシア文化人による「国民」文化形成運動 
2.1. 南方侵攻前夜の日本の宣伝文化政策に対するインドネシア人文化人の認識 
2.2. 日本の一方的な宣伝文化政策と現地の人々の心情への無知 
2.3. 日本軍政期にインドネシア語は村落に普及したのか 
2.4. 日本軍政の言論統制下の教科書,新聞,図書(小説,戯曲,歴史書)の書き手と内容 
2.5. インドネシアが蘭印の「領土」を引き継いで独立した背景に何があったのか 
2.6.日本軍政の宣伝文化政策はインドネシア「国民」像に何か影響をもたらしたのか 

 

3.結論 戦時下の宣伝文化政策はなぜ失敗したのか 

 

主な人物の略歴 

参照文献 

索引 

 

 

 

 

[各章概要]

本書を構成する各章の概要は次の通りである。

 

序章 宣伝文化政策としての「大東亜共栄圏」文化建設を考察するにあたって

 

第1章 「大東亜戦争」の大義名分としての「大東亜共栄圏」建設:その政策決定過程と内実
日本軍による南方への侵攻前夜に、なぜ南方への宣伝文化政策に「大東亜共栄圏」建設が据えられたのかを示す。また、その政策決定者を、日本政府内の首相や内閣情報局、外務省や陸・海軍省、大本営政府連絡会議、さらに南方占領地での軍政を担った陸・海占領軍等と、指揮命令系統を重層的に捉える。特に、南方占領地の「領土」、「民族」、「言語」をどのように扱う方針が取られたのかに焦点を当てる。

第2章 インドネシアの3占領地区での宣伝文化政策の変遷
第1章を踏まえて、インドネシアの3占領地区での宣伝文化政策の変遷を明らかにする。
初めに、蘭印時代の民族、言語政策とインドネシア人による政治・文化分野での民族主義運動を概観する。次に、日本軍が蘭印を占領後、ジャワ、スマトラとその他の各占領地区で決定した政策を示し、特にジャワの住人に対する民族別政策の変遷を明らかにする。最後に、インドネシア1945年憲法で規定される国民像がどのような経緯で決められたのかを明らかにする。

第3章 軍政初期の出版活動を担った宣伝班の人々
日本軍政期インドネシアで宣伝文化活動の一環として現地の人々を対象に出版活動を行った機関とその主な刊行物、その出版活動に係わった日本人とインドネシア人、検閲等の全体像を示す。さらに、出版点数が最も多く確認できるジャワにおいて、初期に出版を担った日本人宣伝班員とインドネシア文化人との出会いの場において相互をどのように認識したのかを示す。

第4章 日本軍政の文教政策と教科書
本軍政が実施した教育政策の特徴を、蘭印時代との比較によって提示する。特に、ジャワの日本軍政下の初等教育のカリキュラムと教科書作成の実態を示し、さらに教科書の内容を分析し、生徒たちのインドネシア等への認識を変えたのかどうかの判断を示す。就学率や社会人向け教育も分析し、特にインドネシアの識字率が上昇したのかどうかも示す。資料的な制約はあるが、スマトラとセレベス(現スラウェシ)も対象とする。

第5章 『アシア・ラヤ』紙における「国民」文化と「大アジア」文化:富澤有為男・浅野晃とインドネシア人新聞人たち
日本軍政の重要な住民向け宣伝媒体の1つ、新聞、特にジャワの宣伝班が各地で創刊したインドネシア語等による新聞とその書き手を示す。次に、ジャワの中心都市ジャカルタで宣伝班が創刊したインドネシア語新聞『アシア・ラヤ(Asia Raya 大アジア)』を取り上げる。同紙の創刊に係わった主に日本人徴用作家の富澤有為男(1902-1970)および浅野晃(1901-1990)とサヌシ・パネ(Sanoesi Pane 1905-1968)を中心としたインドネシア人文化人の同紙に掲載された論考を分析する。

第6章「大東亜」建設下の新聞統制の帰結:現地グラフ誌に描かれた「インドネシア」
宣伝(報道)班が刊行を主導した現地住民向けの新聞は、軍の委託を受けて日本の主要新聞社が現地で設立した新聞社を母体とした新聞会が監督を引き継いだ。本章では、その現地新聞社の住民向けの新聞経営・監督の推移について、特にジャワでの新聞人の活動を見るとともに、グラフ誌『ジャワ・バル(Djawa Baroe 新ジャワ)』の特徴を示す。スマトラと海軍主担任地区での新聞経営についても取り上げ、特にスマトラのメダンで刊行されたグラフ誌『みなみ(Minami(南)』の内容を分析する。また、1943年11月に内閣情報局の後援によって日本新聞会が東京で開催した大東亜新聞大会に招待されたインドネシア各地の新聞人のネットワークについて言及する。

第7章 バライ・プスタカの作家たちにとってのインドネシア語
日本軍政期に国民図書局と日本語の名称変更された蘭印の官営の出版・文化機関バライ・プスタカ(Balai Poestaka 国民図書局)を取り上げる。初めに同機関所属作家たちの中でも、アリシャバナ(Alisjahbana, Soetan Takdir 1908-1994)とサヌシ・パネに焦点を当て、彼らのインドネシア語も含めた「インドネシア的なるもの」への考えが日本軍政期に変化したのかどうかを明らかにする。次に、日本軍政期に刊行された図書の書き手、言語の特徴を示し、さらにそれら図書の流通と読者の範囲も考察する。最後に、ジャワとスマトラで設置されたインドネシア語整備委員会に彼らがどのように係ったのかを示す。以上を通して、インドネシア語の社会的地位と普及が変化したのかどうかを検証する。

第8章 ジャワの演劇活動から発信された「国民」像:啓民文化指導所の大宅壮一・武田麟太郎とジャワの劇作家たち
1943年4月にジャワ軍政の宣伝部が設立した啓民文化指導所(Poesat Keboedajaan文化センター)の活動の中でも、軍政が宣伝媒体として重視した演劇分野に主な焦点を当てる。同所の設立の経緯、日本人指導員であった徴用文化人の大宅壮一(1900-1970)と武田麟太郎(1904-1946)の役割、華人や印欧人も含めた現地の文化人、特に文学部長のアルメイン・パネ(Armijn Pane 1908-1970)を始めとした作家たちの活動を具体的に示す。さらに啓民文化指導所等に係わったインドネシア人作家たちの戯曲等の内容の特徴を明らかにし、それらの上演がインドネシア社会に何らかの影響を与えたのかどうかを考察する。

第9章 ナショナルヒストリーと「国民」の創出:日本軍政期インドネシアの歴史書
本章は、日本軍政期のインドネシアで刊行された歴史書を取り上げ、それらが刊行された背景と内容を検討する。特に、インドネシア人によってインドネシア語で初めて執筆・刊行された国史であるサヌシ・パネの『インドネシア史(Sedjarah Indonesia)』(全4巻)と、欧亜混血人ダウエス・デッケル(E. F. E. Douwes Dekker 1879-1950)が1935年にオランダ語で刊行し、1942年にインドネシア語訳が刊行された教科書『高校用インドネシア略史:古代と中世(Ichtisar Riwajat Indonesia: Koeno dan Permai Oentoek Sekolah Menengah』とその1944年の改訂版を取り上げる。

終章 戦時下インドネシアでの宣伝文化政策はなぜ失敗したのか
以上を通して、序で示した本書が挙げた課題への答えをまとめて提示し、戦時における武力を後ろ盾とした言論統制下にある占領地インドネシアで実施された宣伝文化政策が効力を発揮することができなかった事実を明らかにする。そこから、宣伝文化政策が真に力を持つために何が求められるのかもおのずと示されると確信する。

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