タイ農村の村落形成と生活協同

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佐藤康行
定価4500円+税
A5判上製・290ページ
ISBN978-4-8396-0220-8

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東北タイと北タイでの7年にわたるフィールドワークの集大成。村落のなりたち、住民組織、寺院の役割、農協の実態、行政の関与、土地利用、さらには地域住民の規範・信頼などの「ソーシャルキャピタル」の視点から、タイ農村の構造を明らかにしようとする野心作です。
「ソーシャルキャピタル」とは地域社会における人と人との信頼、規範、助け合い、ネットワークなど、健全な社会の資本となりうる豊かな人間関係のことで、「社会関係資本」と訳されています。


【著者はこんな人】
佐藤康行(さとう・やすゆき)
1953年群馬県生まれ。
新潟大学人文学部教授 博士(教育学)
専攻 社会学、タイ地域研究

主要著編書・訳書
ed. Thai Studies in Japan: 1996-2006, The Japanese Society for Thai Studies,2008.The Thai-Khmer Village: Community, Family, Ritual, and Civil Society in Northeast Thailand、Graduate School of Modern Society and Culture, Niigata University, 2005.共編著、『変貌する東アジアの家族』早稲田大学出版部、2004年。『毒消し売りの社会史――女性・家・村――』日本経済評論社、2002年。「百姓の民際交流――タイ農民との交流から学んだこと」『開発と文化』叢書20輯、名古屋大学大学院国際開発研究科、1997年。
訳書 ジェラード・デランティ『グローバル時代のシティズンシップ』日本経済評論社、2004年ほか。


【目次】

序章 タイ農村研究と本書の課題
第1部 村落形成と住民組織
第1章 北タイ農村――ランプーン県ターカート村の事例
  1 調査地の概要
  2 村役員と村落委員会
  3 寺院と小学校・保育園
    寺院
    小学校
    保育園
  4 村仕事と共有地
    村仕事
    共有地
  5 住民組織
    村落内住民組織
    村落を越える住民組織
  6 考察
第2章 北タイ農村――チェンマイ県トンケーオ村の事例
  1 調査地の概要
  2 村落の構成と運営
    村長の仕事
    村落委員会と組
    村仕事と共有地
  3 寺院と小学校・保育園
    寺院
    小学校と保育園
  4 住民組織
    村落内住民組織
    村落を越える住民組織
  5 バーンの守護霊
  6 考察

第3章 東北タイ農村――ローイエット県ラオカーオ村の事例
  1 調査地の概要
  2 村落の運営と守護霊儀礼
  3 寺院と小学校
  4 住民組織
    村落内住民組織
    村落を越える組織
  5 考察

第4章 東北タイ農村――ローイエット県旧サワーン村の事例
  1 調査地の概要
  2 農村開発の経過
  3 村落委員会と組
  4 寺院と小学校
  5 住民組織
    村落内住民組織
    村落を越える組織
  6 守護霊儀礼と船競技の祭り
  7 考察

第5章 農業協同組合の発展に関する比較研究
  1 問題の所在
  2 協同組合と農業協同組合銀行の歴史的経緯
  3 ポーンサーイ農業協同組合
  4 サンパトーン農業協同組合
    歴史的経緯
    組織と事業内容
    福祉厚生事業
  5 考察

第2部 土地利用協同と生活協同

第6章 北タイ農村――ランプーン県ターカート村の事例
  1 調査地と農業の概要
  2 土地利用と生活の協同
    「共働・共食」
    「共働」
    無償の経営委託
    その他の生活協同
  3 考察
第7章 北タイ農村――チェンマイ県トンケーオ村の事例
  1 調査地と農業の概要
  2 土地利用と生活の協同
    「共働・共食」
    無償の経営委託
    有償の経営委託
    その他の経営協同
  3 考察

第8章 東北タイ農村――ローイエット県ラオカーオ村の事例
  1 調査地と農業の概要
  2 土地利用と生活の協同
    「共働・共食」
    その他の生活協同
  3 考察

第9章 東北タイ農村――ローイエット県旧サワーン村の事例
  1 はじめに
  2 土地利用と生活の協同
    「共働・共食」
    その他の生活協同
  3 考察

終章 タイ農村の村落形成と生活協同――ソーシャルキャピタル論の観点から

序章から
本書の内容は、主として次の2つの課題から構成されている。
1つは、タイ政府が農村開発を介して行政村を組織化したことによって、タイ農村において村落が形成されたことを明らかにすることである。近代以降においても、タイ農村は政府から支援を受けることなく長いあいだ放置され、中央の政治は農民にとって縁遠いままであった[橋本1992: 121]。村長はいても、それは名ばかりで行政上の仕事をほとんど何もしなかった。タイ政府からすると、そのことは政府が農民を掌握することができないことを意味した。そのため、行政にとって近代化を進める上で農民とのパイプを効果的に形成することが重要な課題となったのである。
タイ政府が1960年代から国家経済開発計画を進めたことが、タイが近代化を遂げるにあたって1つの画期を成している。1960年代の農村開発は反共対策という側面もあり治安維持とインフラ整備に重点が置かれた。これは1970年代前半まで続いた[ポンピライ 1992: 161; 重冨 1996: 222-223]。1970年代前半以降は、実際に農民に精米組合や貯蓄組合を作らせて農村開発を進めた。しかし、農民の組織化を行政区(タンボン)レベルで進めたため失敗することが多かった。その後1980年代以降は、そうした米銀行や貯蓄組合を行政村レベルで農民を組織化することに変更した。同時に、1970年代以降は青年会(khlum yawachon)を、1980年代以降は婦人会(khlum mae ban)を各村に作らせ農村開発を側面からサポートする態勢を整えた。
村落形成において転機になったのは、1983年に内務省が村落委員会を村長の単なる諮問機関から実施機関に移行させたことである[重冨1996: 203]。これによって、村人自身が村落委員会をとして村を統治する制度が整えられた。その結果、行政村を行政の末端機構として実質的に機能させることができるようになった。と同時に、村人が自分たちの手で村を統治する態勢を整えた。それでは、タイ農村が行政村を介して村落が形成されたということは、具体的に村がどのような組織になったのであろうか。この組織の具体的な姿を把握することを最初の課題にした。
農村開発が政治的に進められるとともに市場原理が農村末端にまで入り込み、農民どうしの助け合いがなくなるにつれて、知識人の一部の人が農村文化を評価し始めた。チャティプ・ナートスパーをはじめとする共同体文化論者は、タイの農村の中に相互扶助の精神(ナムチャイの心)を見出し、それをタイ人が持っている共同体の文化として助け合うことの重要性を説いた[チャティプ1992]。しかし、その主張は理念であり現実の姿ではないという批判を受けている[北原1996]。他方で、ムラにある精霊や仏教の信仰を介して人々は結びついているという見解[Tambaih 1970; 水野1981]や、ムラの守護霊を媒介にして有意味な空間を成しているという見解[矢野1984; Seri with Hewison 1990; Utong 1993; 重冨 1996:4章; 佐藤康2007]などが出されている。こうした動向は、精神的絆を媒介にして農村をあらためてとらえる必要性があることを示している。
本書の第1部は、タイ行政が政治的に行政村を形成し、その結果として村落が形成された点を取り上げている。それのみならず、村人の精神的側面にも焦点を当てて村落をとらえようとした。つまり、村人にとってムラとは何かを内的かつ外的な両面からとらえようとした。ムラの守護霊儀礼や寺院の役割などを取り上げたのはここに理由がある。農村開発政策をとして行政村が整備され村落が形成されるにいたったとすれば、村落とはどのような構造をしているのか。つまり、どのような組織ができたのか。それによって人々の関係がどのように変容したのか、あるいは変容していないのか。このことの意味を住民の具体的な生産と生活の中で詳細に明らかにする必要がある。本書の第1部の課題は、以上のように、タイ農村の村落形成のあり方を明らかにすることである。
もう1つの課題は、ソーシャルキャピタルの観点から農村住民がいかなる関係性のあいだでどのような生産と生活の協同を営んでいるのかを明らかにすることである。上記のような農村研究は、農村開発にとって村落や住民組織が受け皿になることができるか否かという点に関係する。この点は、アジアやアフリカの農村開発全般を考える場合にも参考になる。現在、国際機関による開発論はソーシャルキャピタル(社会関係資本)論の観点から論じられている(世界銀行、OECD、JICAなど)(4)。人々の信頼関係を介して組織作りをおこない、開発の受け皿を作る方法に注目が集まっている。こうした手法を用いた開発として、アフリカ開発会議(TICAD)でもマイクロ・クレジットの手法が取り入れられているし、バングラデシュのグラミン銀行などはその成功例として有名である[坪井 2006]。
 そこで、わたしはソーシャルキャピタル論の観点から次のような問いを立てアプローチしようと考えた。すなわち、住民組織は組織運営がうまくいっているところとうまくいっていないところがある。それでは、その両者を分けるものは何なのか。言い換えれば、住民組織が成功しているケースは、どのような条件や事情がそれを成功させたのか。あるいは、失敗しているケースはどのような条件や事情の下で失敗したのか。すなわち、成功したり失敗したりするコンテキストを明らかにすることが大切である。こうした条件や事情、コンテキストは人間関係だけに関係しているわけではなく、組織を運営する能力や技術、知識などの人的資本にも関係している。そこで、ソーシャルキャピタルだけでなく人的資本論なども視野に入れて議論していく(5)。
さらに、ソーシャルキャピタル論の観点からもう1つこころみようと考えている。それは、農村家族ないし親族に焦点を当てたソーシャルキャピタル論である。家族を成す親子とキョウダイの関係がタイ社会を理解する上で基礎である[赤木 2008(1989): 47]。農村の中で人々が結ばれるのは、どのようなソーシャルキャピタルによるのか。なんといっても第一に家族の協同にある。とりわけ家族の一体は食事、同じ釜の飯を食べることに象徴されている。
タイ農民は家族農業を基軸に生産と生活を営んできた。現在でもこの姿は基本的に変わらない。タイ人が家族(krop krua)という言葉を用いるようになったのは、それほど古いことではない。現在でもクメール語を話す人々のムラでは、家族というタイ語はあまり使われていない[佐藤康 1999: 31-33, Sato 2000: 111;, Sato 2005: 99-100]。エスニック・グループごとに話す言葉が違うし歴史的にもタイ語が普及しタイ語を話すようになる時期が異なるので容易に一般化はできないが、わたしの調査から得られたことを一般化して言えば、人々が昔から使用してきた言葉は世帯(khrua ruoen)であった。世帯という言葉は、クメール語では世帯をマックロー(maklow)と、ラーオ語ではヒエン(hien)、ラーオ・ソーイ語ではファン(6)とそれぞれ称されてきた。ここで「世帯」と呼んでいるものは協同労働の単位であり消費の単位である。その後、子供が結婚し分かれて住むようになっても、それは親と子の世帯を包摂する大きな世帯(家庭内集団)とでもいえる状態にある段階がある。水野は、その世帯集団を「屋敷地共住集団」と呼んだのである。
親と子そしてキョウダイが同一の世帯を成している。この関係を表す言葉は古くから使用されてきた。前述したように、親子とキョウダイの関係が中でも重要である。キョウダイは、クメール語ではバンパオン(banpaong)、クーイ語ではセムサイ(semsai)とそれぞれ言われているが、それは同時に親族を表す言葉でもある。そのことから、キョウダイという言葉は親族にまで拡大して理解できる意味を含んでいたことがわかる。タイ語では早くにキョウダイと親族の用語が別々になったのでわかりにくいが、クメール語やクーイ語は現在でもまだ両方を同じ1つの用語で表している[佐藤康 1999: 33]。このことは、キョウダイが親族のはじまりを意味しているのではないだろうか。
タイ農民の基礎的関係性をソーチャルキャピタルの観点から把握することはこれまでおこなわれてこなかった。ソーシャルキャピタルの観点から人々の関係性を検討することは、どのようなソーチャルキャピタルがある時に関係が維持されるのかというコンテキストを明らかにすることになる。というのは、親子やキョウダイは最初からどのようなソーシャルキャピタルを持っているのか、そしてそれがどのようなプロセスで衰退したり消滅するのかということを考えることになるからである。関係性はけっして自明ではない。それが自明であるように見える仕組みがあると考えられる。関係を築くプロセスの中でソーシャルキャピタルをとらえることが必要である。かくして親子、キョウダイの互助関係ないし協同関係の内実を明らかにすることによって、ソーシャルキャピタル論を展開することを企図した。この視点に基づく研究は、農村開発を考える上でいかなる関係性がどのようなソーシャルキャピタルによって結ばれているかを考えることにつながる(7)。
以上のようなこころみは、農村開発がますます重要性を増しつつある中で、農民が自立する条件について考えることにつながる。近代化の結果、農民は市場経済に呑みこまれ、農作業の協同は衰退・消滅し、農機具の機械化と出稼ぎが常態化した。1990年代半ばには、農民は大半の現金収入を農外労働に依存するようになっている。そして現在、農民は多額の負債をかかえて困窮している。その主要な借り先は政府系機関の農業協同組合銀行(英語名略称BAAC; タイ語名略称Tho Ko So)である。多額の借金のため、農民は負債の減免や凍結をもとめて政府に陳情を繰り返してきた。にもかかわらず、その解決策は見出されていない。こうした事情を考えると、基本的に農民が自治・自立することが重要であることを痛感する[セーリー: 1992; ポンピライ: 1992; ピッタヤー: 1993; ユッタチャイ: 2005]。いざという時に、政府は頼りにならないことはこれまでの歴史が物語っている[プラウィット 1999: 160]。UNDPも農業による農民の自立を重要視している(United Nations Development Thailand 2007)。タイが高齢化社会を迎えつつある時、社会保障の破綻が目に見えていることを考えると、農民が自立する姿勢がいかに重要であるかを痛感する[大泉 2007: 165-172]。
農民が自立するためには家族の絆が大切である。個人の自立以前に家族の自立がある。家族が助け合わないと個人が自立するのは困難である。ついで親族の助け合いが重要である。同時に、村落内の小さな住民組織から大きな組織である農協にいたるまで組織化して助け合うことが重要である。資本主義が拡大した現在、家族の助け合いだけでは自立するのに十分ではない。ある意味で、農民にとってもっとも重要な組織が農協であるといっても過言ではない。たとえば、国連事務総長は1999年に、協同組合が社会発展において果たす可能性と貢献について各国政府に提言している(8)。協同組合をはじめとして住民組織を育成することは、連帯経済を構築し市民社会をよりよいものにすることを目指している草の根運動に従事する人々にとっても重要である[山本純 2005; 北沢 2006]。家族を補う組織をどのように育てるのかという側面は現在無視することができない大事なことである。
マックス・ウェーバーは、東洋では国家に対抗するほどの自律的中間集団が育たなかったことが市民社会が成立しなかった原因であるととらえている[ウェーバー 1971: 163]。しかし、ウェーバーの指摘は、西欧とは異なるアジアではそのまま妥当しえない。また、パットナムはソーシャルキャピタルを投票率や文化団体数などからとらえる見方をしたが、市民団体が自治を持ち、政府に対して抵抗できるほど強固である西欧社会とは違うアジアでは、その見方をそのまま当てはめることはできない。国家と市民との関係性が西欧と異なるからである。とすると、タイではいったいどのような見方をすればソーシャルキャピタルをとらえられるのだろうか。1つは、住民組織の成功と失敗はいかなる理由に基づいているのかという問いをめぐって考えることにした。もう1つは、家族がもっとも重要な関係であるという立場に立ち、家族を構成する親子・キョウダイの協同に遡ってソーシャルキャピタルを問うている。



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