バンコクバス物語

バンコクを実際にバスに乗って走り回っている気分になります

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水谷光一
定価1800円+税
A5判・並製・148ページ
オールカラー
ISBN978-4-8396-0217-8  C0030

【関連書】タイ鉄道旅行 マンゴーが空から降ってくる
 バンコク・自分探しのリング バンコクの好奇心 タイ・ベトナム枝葉末節旅行
やすらぎのタイ食卓 タイで働く タイ人と働く タイ仏教入門 道はひらける――タイ研究の50年 タイの染織

●書評


 
  バンコクに行った人は誰でもあのバスに乗ってみたいと思うでしょう。エアコン完備の最新型から、木の床が危なくもまた懐かしいぼろバスまで、色も形もまさに多種多様なバスが我が物顔に街なかを走り回っているから。だけど、バスの前にも横にもタイ語しか書いてないし、どこで停まるのか(だからどこで乗ったらいいのか)、どこへ行くのか、よくわからない。なんとなくあぶなそう…。と、見ているだけの人はまずこの本をどうぞ。バスに乗る人、降りる人、バスの窓から見える人――これが本当のタイだと実感できます。そして、今度はきっと自分で乗ってみようとするでしょう。
著者はバンコク在住通算13年、1日たりともバスに乗らない日はないというタイどっぷり人間です。運転手さんや車掌さんに話を聞くだけでなく、バスの中も外も、目に写るものを片っ端からカメラにおさめました。その数なんと700枚。バンコクはこんなにおもしろいところだったのか、とうれしくなるスナップばかりです。



【著者はこんな人】

水谷光一(みずたに・こういち)
神奈川に生まれる。
1987年 西アジアの旅行の帰り初めてタイを訪れる。
1989〜96年 日本語教師として、ラーチャモンコンカレッジ、チュラーロンコーン大学文学部などで教える。
1996〜99年 泰日経済技術振興協会(略称:TPA/ソーソートー)渉外課長。
1999〜2005年 法政大学人間環境学部環境マネジメント研究科で学ぶ。
2007〜現在 泰日工業大学(TNI)国際交流担当専任講師。
早稲田大学地域社会と危機管理研究所客員研究員。

【目次】

まえがき

第1章 哀愁の11番
第2章 サナームルワンからごみの街へ80番
第3章 ニューフェースの黄色いあいつエアコン8番
第4章 フアランポーンからムスリム地区へ113番
第5章 スクムビットを通って郊外へ511番
第6章 川を渡って港町マハーチャイに68番
第7章 下町テウェートから古き良き黄金の蓮の街へ516番
第8章 栄光のスワンナプーム新空港行き551番
バンコクバス路線一覧

あとがき




   まえがきから

 私が初めてタイに来たのはタイ暦位置1987年 (仏暦2530年)だった。パキスタン航空に乗って、カラチから当時のドーンムアン空港に着いたのが夜11時ごろ。当時完成したばかりのドーンムアン空港の新館のベンチで一晩寝て、朝5時ごろにおそるおそる空港ビルを出て、大通りのバス停に立った。どこで誰から聞いたか忘れたが、既に空港から市内へは29番のバスに乗ればいいということは知っていた。もちろんタイ語は一言も話せなかった。
 少し待つと、かなり混んだ29番のバスが来た。まだ薄暗いのにこんなに多くの人がバスに乗っているのか、といささか驚いた。
 中にはまだ洗ったばかりの濡れた髪の女の子がいた。バスに乗っている女の子は皆申し合わせたようにおかっぱ頭ばかりだったことと、ネクタイを締めた勤め人風の男性が1人もいなかったことが印象に残っている。今から考えたら、空港で一晩寝なくても29番のバスは深夜まであったのかもしれない。
 当時、エアコンなしのバスは2バーツだった。考えてみれば、タイに初めて来たその日からバンコクのバスのお世話になっているわけである。
 その後、タイの公益法人に就職した。職場はスクムビットである。車を持たない私は当然、バスに乗って通勤することになった。現在はBTS(高架鉄道)が通っているが、当時はまだ工事中でバンコクはどこも渋滞が激しかった。中でもスクムビット通りの渋滞はひどく、道がすいてきたらバスに乗ろうと思って車の列を縫って歩いていて、結局そのまま当時のワールドトレードセンターまで来てしまうことが多かった。そうなると、このあたりでお腹がすいてくるので夕食を食べ、ラッシュが過ぎたころに改めてバスに乗ってアパートに帰るということになる。こうした日が99年まで続いた。休日にも必ずバスに乗っていたから、この間約10年、ほとんど毎日バスに乗っていたことになる。
 1988年、この法人の日本の姉妹団体「日・タイ経済協力協会」が発行する小冊子「JTECS友の会ニュース」に何かタイのことを書いてほしいと頼まれ、毎日お世話になっているバスのことを書こうと思った。それが「バンコクバス物語」という連載である。この連載がきっかけとなって本書が上梓することになった。

 その後、私は1999年から2004年までは日本に帰っていたが、2004年に復職を願い出て、8年ぶりに、以前勤めていた公益法人が設立した大学で専任講師として昔の仲間と机を並べることになった。今はまた13キロの通勤距離を通勤距離をバスのお世話になっている毎日である。
 残念ながら渋滞はかつてと変わっていない。バンコクの道路は拡張され、立体交差なども増えてはいるが、現在の道路をすべて2階建てにしてもバンコクという巨大都市にはまったく面積不足で、渋滞は解消しないそうだ。
 以前のバンコクと現在のバンコクを比べると、私の印象では、都市として大きな変化はないと思う。確かに、きれいなビルが多くなり、車も90年中盤から圧倒的にきれいな(新しい)ものが多くなった。しかし、バスはそうでもない。
 現在、バンコクを走っているバスは@BMTA(バンコクバス公社)所有のバス(21%)、A民間委託路線のバス(21%)、B民間の小型バス(58%)に分けられる。
 民間委託路線が多くなって車輌数は増えたものの、中古の車体を使ったものが多く、全体的な印象としてはバスが以前より便利できれいになったという感じはない。
 とはいえ、それを利用している乗客――バンコクに住む人々の服装は垢抜けた。そして、バンコク近郊の通勤圏内が拡大し、またバンコクの中心地から郊外に事務所を移す会社、省庁、大学も出てきたので、バスの利用者も増えた。つまり、バンコクとバスの関係は以前にもまして密接になり、バスがバンコクそのものであるという印象はいっそう強い。
 この間、バンコクのバスは番号が整理され、排出ガスがクリーンなユーロ2バスも走るようになった。バスの乗車賃も、この20年弱の間にエアコンは初乗り5バーツから11バーツになっていた。この原稿を書いている2007年暮れには、翌2008年にはエアコンなしが7.5バーツ、エアコン車が最低12バーツになるそうだというニュースが流れた。それでもバスを運行するBMTAは慢性赤字だという。バスは文字通り「バンコク庶民の足」であるだけに、簡単に結論が出るものではない。この問題はこの後の章で何度か考えることにしよう。
 この本にはバスで行ける観光地、穴場といった紹介もないので、名所めぐりや買い物ツアーが目的の旅行者にはあまりメリットはないかもしれない。しかし、バスに乗れば、それを利用する人々の素顔、街の息吹きなどに接することができるのは確かだ。それは観光で見るバンコクの人の表情とはどこか違っているかもしれない。ほんの一部ではあるが、バンコクのごくごく普通の人たちの日常生活、その息づかいをバスを通じて伝えられたらと思う。


  

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