スラムの計画学:カンボジアの都市建築フィールドノート

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 脇田祥尚

 定価2500円+税
 A5判上製・304ページ
 ISBN978-4-8396-0268-0
 装丁:水戸部功
             

 カンボジアの主要都市にはかつて瀟洒なコロニアル・スタイルの建築と土着の伝統家屋がまじりあって、独特の景観が存在していました。しかし、ポル・ポト時代の混乱で美しい町並みは荒廃し、現在はスラムと野放図な増築が目立ちます。
だが、スラムは排除すべきものなのか?むしろエネルギーあふれる発展の過程と見るほうが適切なのではないか…。2007~2012年にプノンペン、バッタンバンの都市建築を徹底的に調査した近畿大学のチームは、スラムの生活環境と人との関わりには学ぶべき点が多いという確信を得るに至りました。本書はその克明なフィールドノートをまとめた労作です。


【まえがき】
 プノンペンに、都市としての骨格が出来上がったのは、フランスの保護国 となったしばらく後の19世紀末であり、カンボジアが1953年に独立するまでの間、現在にもつながる都市の骨格を形成してきた。しかし独立後1970年以降の内戦、1975年から3年8ヶ月続いたポル・ポト派政権時の都市否定政策によって都市は荒廃を極めた上、1979年以降も内戦状態は続き、基盤整備や制度設計は不十分なままであった。政情が安定化した1993年以降、海外資本による開発、日本のODAをはじめとした海外からの資金援助や技術援助によって、プノンペンの基盤整備や制度整備は進展しつつあるが、2012年現在においても十分とは言えない。 1975年から1979年までの間のポル・ポト派政権の時代が決定的に現在に大きな影響を及ぼしている。
 1975年1月9日にプノンペンに凱旋したポル・ポト派は、全市民に対してすぐさまプノンペンを去るよう指示を出した。場面場面で様々な指示が出ているが、アメリカ軍の爆撃があるので3日間だけ市外に避難せよというのが多くの証言から確認されている。反対するものも中にはいたが、その場で射殺されるなどの暴力的行為によって、市外に向けた無言の行進を全市民は強いられることになる。歩けない入院患者はリアカーに乗せられた。乳児を抱えた女性も行進を強いられた。明確に目的地を告げられるまま、北へ南へポル・ポト派の銃を抱えた兵士が見守る中、延々と歩かされたのである。
 それから3年8ヶ月にわたってプノンペンは人口2万~3万人の都市に変貌する。直前には1970年からの内戦の影響もあって農村部から過剰に人口が流入し200万人の人口があったと言われているが、ポル・ポト時代のプノンペンには、破壊された建物、道に放り出された家財道具の広がる無人の都市風景が広がっていた。都市の死の風景であった。
 1979年1月7日にベトナム軍はプノンペン開放を行った。無人のプノンペン に、一気に大勢の人々がなだれ込んだ。新政府は、従前の所有権のいかんに関かかわらず早いもの順に空家を占有する権利を住民に与えたため、次から次へと都心部の空家が占有されていった。規模の大きな住居には、血縁地縁関係にある複数世帯が居住することも多かった。
 こうした事態はプノンペンのみでみられたわけではない。地方の都市や集落においても同様に暴力的に移住を強いたり、集落を焼き払ったりした事例が報告されている。ポル・ポト政権時代に、都市にせよ農村にせよ、その地域が長い年月の中で育んできた伝統が根こそぎ失われたのある。
 1979年以降のカンボジアの歴史は、スラム化の歴史ならびにスラムからの脱却の歴史である。特にプノンペンでは、ポル・ポト政権崩壊後の混乱の中で土地や建物の所有や利用に関する権利が定常性を失ったため、近代的な権利概念からすると不法占拠に近い状態が発生し、その後もその状態は継続された。自らの土地や建物の記憶と分断された状態が、多くの人々に強いられたのである。その記憶も権利もあいまいな状態の中で、あわせてそれをカバーする政治的な安定もない中、国土のスラム化が進展していったのである。
 1991年に内戦を終えたカンボジアでは、東南アジアの諸都市がこれまでに経験したような急激な開発が、いま進展しつつある。地域の固有性を保持した開発を進めるためには、地域の社会・文化形態に即した漸進的な開発に向けた建築・都市計画手法の開発が急務である。しかし、内戦により研究資料が散逸したカンボジアにおいて、都市の居住実態を明らかにした研究は非常に限られている。本書の目的は、未だ明らかになっていないカンボジアの都市居住の特性や都市空間の構成等を明らかにすることを通して漸進的な開発に向けた建築・都市計画手法を明らかにすることにある。また、その地域に住む住民みずからが自分たちの住まいや居住空間をどのようにかたちづくってきたかを明らかにすることももう一つの目的と位置づけている。復興は制度や都市基盤の整備によって成し遂げられると考えられがちであるが、そうした整備が行われなくとも、住民たちがみずからの手で生活空間を作り上げることが居住空間形成の基本であり、現前する風景の中にその端緒は見ることができる。
 本書は「スラムの計画学」を掲げているが、ここでは、近代的な概念でいうところの、スラムを改善するための計画を問うているわけではない。つまり、産業革命によって都市に劣悪な環境つまりスラムが生じ、その問題を解決するために近代都市計画が生まれたといった文脈で語られるところのスラムの計画学を取り上げているわけではない。むしろ逆である。
 スラムを改善すべきものとしてのみ捉えるのではなく、スラムの中に、住民による自生(成)的・自立(律)的な環境形成の試みを積極的に見出し、その自生(成)的・自立(律)的な力を育む計画学のあり方を探ろうとする視線は、本書に通底するスタンスである。
 プノンペンの不法占拠地区だけでなく、都心部の都市住居ショップハウス も、農村集落・水上集落も、内戦を通じて、スラムと化した歴史をもつ。そのスラム化の歴史を踏まえながら、それぞれの構築環境の中に、自生(成)的・自立(律)的な力を読み取るのが本書の大きな目的である。


【目次】
第1章 近代都市遺産の継承
1.近代都市計画の遺産
  都市形成史と都市構成
  植民都市としてのプノンペン
  都市構成 地方都市の都市構成
  現代に継承される近代都市計画
2.都市施設の土着性
  プノンペンの商業施設
  プサー・チャー
  市場の空間形成手法
  商業施設の土着性

第2章 都市住居と街区居住
1.都市住居と街区構成
  プノンペンの都市住居
  ショップハウスの空間構成
  街区構成
  住居形式と街区構成
2.外部空間利用
  外部空間の空間利用
  歩道の空間利用 路地の空間利用
  路地の空間利用
  活発な外部空間利用にむけて
3.ショップハウスの空間更新
  変わり続ける都市住居
  事例に見るショップハウスの空間更新
  ショップハウスでの空間更新の特性
  更新を許容するショップハウスへ
4.都市住居と都市景観
  プノンペンの街並み特性
  ショップハウスのファサード構成
  ショップハウスの街並み景観
  街路景観の継承

第3章 土着的な住居と集落
1.農村集落
  農村集落
  ロヴェア村の住居・集落構成
  外部空間利用
  住居と儀礼
  農村集落の空間特性
2.トンレサップ湖の水上集落
  アンロン・タ・ウー村
  アンロン・タ・ウー村の住居形式
  水上住居の空間特性
  住居群の空間利用
  水上集落の空間構成
3.高床式住居の都市化
  プノンペンの高床式住居
  高床式住居の空間構成と利用実態
  高床式住居の共用空間
  高床式住居から都市住居へ

第4章 居住環境改善
1.不法占拠地区の居住空間構成
  プノンペンの最大のスラム ボレイケラ地区
  住居の空間構成
  外部空間の構成
  外部空間の利用
  不法占拠地区の生活空間
2.居住環境改善事業
  ボレイケラ地区改善事業
  住民による環境移行評価
  再定住の空間計画

終章 スラムの計画学に向けて
  王立芸術大学とのワークショップ
  計画を考える


【著者はこんな人】
脇田祥尚(わきた・よしひさ)
近畿大学建築学部教授
1969年広島市生まれ。
京都大学大学院修了後、島根女子短期大学、広島工業大学を経て2007年より近畿大学准教授。
2011年より現職。京都大学博士(工学)。
技術士(建設部門都市および地方計画)。
著書に『みんなの都市計画』(理工図書)。




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