性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トウォ

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 福岡まどか・著 古屋均・写真

 定価4000円+税
 A5判並製・160ページ・オールカラー・DVD付
 ISBN978-4-8396-0278-9
             

 ディディ・ニニ・トウォはインドネシアで国民的な人気を誇る女形舞踊家です。そのレパートリーはジャワやバリの伝統舞踊から独創的な創作舞踊まで幅広く、日本でも何度か公演を行なっています。本書は、その魅力に惹かれて長年ディディを追い続けてきた研究者と写真家によるコラボレーションです。パフォーマンスの抜粋とインタビューをまとめたDVDとともに、ディディのすばらしさを満喫してください。



口絵1
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口絵2
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【「はじめに」から】
 ディディ・ニニ・トウォ(1954-)、59歳。インドネシア・ジャワ島出身の女形ダンサー。東南アジア最大の群島国家インドネシアは豊かな自然や勢いを増す経済などで知られているが、同時に豊富な芸術の存在で世界中の多くの人々を魅了してきた。ディディはそのインドネシアの文化的中心地とされるジャワ島・ジョグジャカルタを拠点に活躍する。宮廷文化を育んできた古都として観光客を多く受け入れる一方で様々な芸術創造が行われているジョグジャカルタは、伝統芸術の中心であるとともに芸術の革新的試みをリードする地域でもある。金属打楽器を中心とする大規模な合奏音楽ガムランや宮廷舞踊をはじめ影絵、舞踊劇、仮面劇などの様々な伝統的上演芸術で知られており、各地には豊富な民俗芸能も見られる。そして伝統芸術に基づく創作を含む多くの前衛的芸術創造の試みも積極的に行われている。
 こうした文化的土壌をもつジョグジャカルタで、ディディ・ニニ・トウォは伝統舞踊に基づく独自の創作活動を行うダンサーとして知られている。ジャワ島の上演芸術や大衆演劇には古くから男性が女性役の踊り手、役者、歌手に扮するトランスジェンダーの伝統があった。だが近年、男性が女性役を演じる上演はほとんど見られなくなった。ディディはトランスジェンダーの伝統を現在に復活させたダンサーである。長身で細身の身体を駆使し女形ダンサー、創作者、コメディアンとして、舞台やテレビなどで活躍する。アジア各地の伝統舞踊をマスターしてそれらの要素を作品にちりばめ、女形舞踊の専門家として真摯に舞踊に向き合ってきた。
 ディディ・ニニ・トウォは1954年ジャワ島中部のトゥマングンで、皮革工場を営む華人の父とジャワ人の母の間に生まれる。国立舞踊アカデミージョグジャカルタ校で中部ジャワ様式の伝統舞踊をはじめとする様々な舞踊を習得、卒業後は舞踊スタジオ「ナーティヤ・ラクシータ」を設立し現在まで女形ダンサーとして活躍し、後進の指導にも当たる。1960年代後半以降のインドネシアにおいて華人系の出自を持つ人々は同化政策による様々な苦難を経験した。華人としての文化的表現は長期にわたって厳しい制限を受けてきた。32年間にわたり政権を握ったスハルト大統領(1966-1998に実権を掌握)が経済危機を契機に1998年に退陣、その後の華人に対する同化政策は徐々に緩やかになりつつある。だが活動の最盛期を同化政策の中で過ごした芸術家たちはたくさんいる。華人系芸術家であるディディもまた自らのアイデンティティ表現に付随する苦難を常に抱えてきた。彼が女形ダンサーとしてジェンダーの境界を乗り越えてきた活動も華人系芸術家としての人種アイデンティティの問題と決して無関係ではない。自らのアイデンティティをストレートに表現できない社会状況の中で彼が生み出したものは、人種に関してもジェンダーに関してもそのステレオタイプを脱構築していくことであった。だがディディは声高にこうしたステレオタイプに対して異議を唱えることはしない。むしろ鍛え上げた身体、卓越した技、奇抜で独特なアイディアで観客をひきつけながら、ジェンダーや人種の多様なアイデンティティを表現するというやり方で自らの芸術表現を確立してきた。
 ディディ・ニニ・トウォの上演の魅力は、女性性の多様なイメージが彼の身体によって巧みに表現されることにあるだろう。優雅な美しさ、敏捷なしなやかさ、ダイナミックな強さ、滑稽な切なさ、激しい魔性、などを次々と表現していく彼の身体には尽きることのない可能性が秘められている。こうしたディディの表現の多様性の根底にあるものは何なのだろうか?それは彼に与えられた天賦の才や美しい身体に加えて、長期にわたって習得したジャワ舞踊の技術と精神性、アジア各地の舞踊に対する飽くなき探求心とリスペクト、そして日々のたゆまぬ努力と鍛錬の成果でもある。ダンサーは芸術家であると同時に一人の人間であり、その思想や人生の軌跡は芸術活動に多大な影響をもたらす。ディディはその洞察力と表現力で、私たちに女性という存在の多様な姿、多様な人間性や民族性のあり方を見せつけるのである。そしてまた舞台上での彼の魅力はそれだけにはとどまらない。彼は上演の中で独特のオーラを放つ、花のある役者でもある。舞台や客席の空気を察知して、瞬時に周囲の求めているものを演じることができる特異な才能の持ち主でもある。
 様々な地で多くの人々を魅了するユニークなダンサー。舞踊を通してジェンダーと人種のアイデンティティを乗り越えてきた。一人の芸術家が女形としての芸術的境地に挑むプロセスを、作品を紹介しながら描いていきたい。

【目次】
はじめに
☆コラム1:ジャワ島中部の古都ジョグジャカルタ
第1章 性を超えて:伝統芸術における女形舞踊の世界
1-1 ジャワにおける女形舞踊の伝統
1-2 女性性、男性性
1-3 女形の身体
1-4 ジャワ島とバリ島の伝統舞踊

第2章 多様なアイデンティティの模索:創作作品「ドゥイムカ」
2-1 作品「ドゥイムカ」
2-2 「ドゥイムカ・ジュピンド」
☆コラム2:ジャワ島チルボンの仮面舞踊

第3章 人種アイデンティティを越えて:創作作品「ポンチョ・サリ」
3-1華人系ジャワ人として
☆コラム3:スハルト体制期インドネシアにおける華人
3-2 アイデンティティの模索

第4章 コメディからシリアスな上演へ:創作「デウィ・サラック・ジョダッグ」
4-1コメディアン
4-2 日本の「女形」との出会い
☆コラム4:ジャワ島の英雄譚パンジ物語

第5章 インドネシアを代表するダンサーとして
5-1 華人系インドネシア人芸術家
5-2 華人ネットワーク
5-3 東ジャワ・グドの中国寺廟にて
5-4 ジョグジャカルタでの旧正月の行事

第6章 女形の身体構築
6-1 身体の構築
6-2 変身の装置:仮面、顔:多様な性の表現

第7章 地域に根付き世界へはばたくダンサー
7-1 師匠への思い
7-2 地域に根付く芸術家
7-3 世界各地での上演

第8章 スタジオ経営者・教授者として
8-1 スタッフ教育
8-2 作品創り
8-3 後継者
福岡まどかによる18問のインタビュー


【著者はこんな人】
福岡まどか (フクオカ マドカ)
東京芸術大学大学院音楽研究科修了 音楽学修士。
総合研究大学院大学文化科学研究科修了 博士(文学)。
1988年から1990年まで文部省アジア諸国等派遣留学生としてインドネシア国立舞踊アカデミー(現インドネシア芸術大学)バンドン校に留学し、スンダ地方の舞踊を習得して以来、インドネシアを中心とする東南アジア芸能の調査・研究に従事。
2004年 大阪外国語大学地域文化学科インドネシア語専攻助教授。
2007年~大阪大学大学院人間科学研究科グローバル人間学専攻准教授。

主な著作
単著『ジャワの仮面舞踊』(2002年、勁草書房。第20回田邊尚雄賞受賞)
共著『ワヤンのひろば』(2004年、千里文化財団)
共編『新版 東南アジアを知る事典』(2008年、平凡社)
論文「インドネシアにおけるラーマーヤナ物語の再解釈:R.A.コサシのコミックを事例として」『東南アジア―歴史と文化―』(2009年、No.38: 106-140)
論文「『女性性』と『男性性』を考える―インドネシアのポピュラーカルチャーにおけるジェンダーとセクシュアリティ―」『大阪大学大学院人間科学研究科紀要』(2012年、第38巻、79-103頁)

古屋 均 (フルヤ ヒトシ)
日本舞台写真家協会会員。
舞踊を中心とした舞台写真、商業写真、グラビア雑誌を中心に活動し、同時にアジアをテーマに取材活動を行う(インド、ヒンドゥ教の裸行僧集団を取材した「聖なる河の裸行僧」や、日本の山間のマタギ部落の四季を取材した「山里の四季」などを制作・発表する)。
1980年代後半からインドネシア(バリ島・ジャワ島を主体とした)の文化に魅せられてインドネシアに通う。

主な著作・写真展
1992年 写真集『バリ・華花の舞う島』(平河出版社)
巡回写真展「BALI・夢現の彩」(東京・大阪・名古屋・ 福岡)
1994年 写真とビデオによる影像展「BALI・華花の舞う島」(I.B.M.ギャラリー)
1995年 ビデオジャーナリスト映像コンテストにて特別賞受賞
1997年 写真展「バリのまなざし」(東京・池田舎ギャラリー)
1998年 巡回写真展「バリ島・楽園劇場の10年」(東京・大阪・札幌)
写真展「ジャワの秘宝・ソロ」(諏訪市博物館、主催諏訪市)
1999年 写真とビデオによるCD-ROM映像集『BALI MAGIC』
2002年 文化庁特別助成により、乙女文楽の一人者、桐竹智恵子氏の全芸風の記録(ビデオ・ 写真)
2006年 インドネシア中部ジャワ地震取材。取材映像をもとに、インドネシア在住のフランス人作家エリザベス・イナンディアクの原作で横浜ボートシアター遠藤啄郎脚本による「火山の王宮」の制作に参加




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