ベトナム:勝利の裏側

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 フイ・ドゥック/中野亜里訳

 定価5000円+税
 A5判・上製ハードカバー・530ページ
 ISBN978-4-8396-0291-8 C0077
 
             

初めてのベトナム人自身によるベトナム現代史総括の大著です。
ベトナム戦争 →南北統一 →資本家階級打倒 →ボートピープル →中越戦争 →ドイモイ→ 対カンボジア戦争。すべてが明らかに。
「過去を誠実に理解しないまま、未来に着実に歩を進めることはできない。私たちがその過去に関与し、責任を負っていればなおさらである」(本文より)



【主要用語・人物説明追加】
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【目次】
第1部 南部
第1章 4月30日
  第1節 湿原からの攻勢
  第2節 スァンロック陥落
  第3節 将軍ビッグ・ミン
  第4節 キャンプ・テーヴィスの降伏受理
  第5節 退役将軍グエン・ヒュー・ハイン
  第6節 包囲下のサイゴン
  第7節 第390号戦車
  第8節 降伏
  第9節 自決

第2章 社会主義改造
  第1節 最初の日々
  第2節 傀儡政権
  第3節 傀儡軍
  第4節 離散家族の再会
  第5節 「反動主義者」への弾圧
  第6節 刑務所と改造収容所
  第7節 面会と差し入れ
  第8節 改造学習

第3章 資本家階級の打倒
  第1節 X-2作戦
  第2節 通貨切り替え
  第3節 奸商
  第4節 私営商工業改造
  第5節 二つの資本家家族
  第6節 新経済区

第4章 「華人迫害」
  第1節 第5列
  第2節 ジュネーヴ協定
  第3節 短い箒は届かない
  第4節 西沙群島
  第5節 「トロイの木馬」を恐れて
  第6節 「華人迫害」
  第7節 プロジェクトⅡ
  第8節 第69委員会
  第9節 カットライ事件

第5章 戦争
  第1節 南西部国境
  第2節 ポル・ポト
  第3節 綱渡りの国王
  第4節 クメール・ルージュと民主カンボジア
  第5節 歴史的な敵
  第6節 先制攻撃の失敗
  第7節 一辺倒
  第8節 「再び軍服をまとい」

第6章 国外脱出
  第1節 国外脱出
  第2節 「愛国的知識人」から
  第3節 「一般庶民」まで
  第4節 海に出るまで
  第5節 難民キャンプまでの道

第7章 「解放」
  第1節 変わるサイゴン
  第2節 新経済区
  第3節 焚書
  第4節 断髪キャンペーン
  第5節 革命とは混乱である
  第6節 人心
  第7節 生まれる場所を間違えた人々
  第8節 青年突撃隊の「扉」
  第9節 「反乱」
  第10節 「皮膚病が再発したサイゴン」

第2部 レ・ズアンの時代
第8章 統一
  第1節 ベトナムは一つ
  第2節 「北化」政策
  第3節 社会主義
  第4節 「ホー伯父さんの道」
  第5節 みな一人で二人分働いている
  第6節 レ・ズアンと南部の愛
  第7節 執政と専制

  第9章 障壁突破
  第1節 行き詰まり
  第2節 国営商業
  第3節 機械はうち捨てられ
  第4節 飢えからの脱却
  第5節 6中総決議
  第6節 物価手当て
  第7節 障壁突破の旗印
  第8節 もぐりの請負い制
  第9節 リンが障壁を破り...
  第10節 誰が誰に勝つか

第10章 ドイモイ
  第1節 ダラット会議
  第2節 新しい作業グループ
  第3節 歴史の目撃者
  第4節 新経済政策から
  第5節 バオカップの障壁突破まで
  第6節 価格・賃金・通貨の改革
  第7節 総司令部に弾を撃ち込む
  第8節 レ・ズアン時代の終わり
  第9節 ゴルバチョフが果たした役割
  第10節 ドイモイ宣言
  第11節 レ・ドゥック・トの掌
  第12節 89分

第11章 カンボジア
  第1節 ポル・ポトは村の入口に
  第2節 革命の輸出
  第3節 大国思想
  第4節 孤立
  第5節 北方
  第6節 成都会議
  第7節 「ポスト・ベトナム」のカンボジア


【序言】
 過去を誠実に理解しないまま、未来に着実に歩を進めることはできない。私たちがその過去に関与し、責任を負っていればなおさらである。
 私はこの本を、1975年4月30日の出来事の描写から始めている。その日、13歳の少年だった私は、丘の麓で、午後の授業までの一時(ひととき)を、友達と相撲をとって過ごしていた。その時、スピーカーから「サイゴンが解放された」というニュースが流れた。私たちは勝負をやめて解散した。
 私たちが受けた教育によれば、南部では20年にわたる辛く惨めな日々に終止符が打たれたはずだった。歴史の新たな時代を迎えて、私は社会主義教育が詰め込まれた頭の中で考えた。「道に迷った若者たちを教育してやるために、早く南部に行かなければ」と。
 だが、困窮した故郷の村を離れるチャンスが訪れるよりも先に、南部のイメージは私にも伝わってきた。国道1号線に、飛龍(フィーロン)[南ベトナムの運輸会社]のマークが入った長距離バスが姿を現すようになり、貧困に喘ぐ村々の脇に、時おり賑やかな人だかりができるようになったのだ。髪を肩まで伸ばし、ベルボトムのズボンを履いた若者が、跳び降りて旅客の乗降を手伝っていた。彼がドアに飛びつくのとほぼ同時に、バスはクラクションを鳴らし、アクセルを入れて勢いよく発進するのだった。数十年たった今でも、私はバスの両側面に書かれていた「快速」という垢抜けた派手な字体を覚えている。その時まで、私たちの目に入る大きなベトナム文字と言えば、横断幕に印刷された「社会主義建設」と「打倒アメリカ」を呼びかける勇ましいスローガンだけだったのだ。
 当初、フィーロンのバスが運んできたのは、ごく簡素な品物だった。ぴかぴかの自転車がバスの屋根に積まれていることもあった。南北分断の際に北部に集結し、統一後に南部を訪問してきた人の指には、一対の金の指輪が光っていた。幸運にも無事復員した兵士の背嚢には、プラスチック製の人形――寝かせると目を閉じ、オギャーと泣くすぐれもの――が括りつけられていた。
 私たち子供は、兵士たちが背嚢の底に隠して持ってきたマイ・タオ[作家、1954年に北部から南部に移住、1977年に国外に脱出した]やズエン・アイン[作家・ジャーナリスト、1954年に北部から南部に移住、南北統一後は作品が発禁処分となった]の本を読んだ。そして、『森に降り積もる雪』(1)や『鋼鉄はいかに鍛えられたか』(2)よりも身近な文学の世界を知った。近所に住んでいた北部集結組の人は、南部を訪問してAKAIのラジオカセットを持ち帰った。それのおかげで私たちは、故郷を離れて前線にいる兵士が、母や子を思い出している様子を知った。歌の文句のように、「チュオンソンの山でホー伯父[ホー・チ・ミン]さんを思う」だけではなかったことをだ。私たちは、教科書に書かれた南部とは別の、もう1つの南部があることを知ったのである。
 北部にいた時、私は「全国が迅速に、力強く、着実に社会主義に進む」時代に、故郷の青年たちが堤防を造り、運河を掘るのを見た。また、南部で戦争に勝った人々が「世界が変わり、やがて新しい国土ができる」ことを渇望するさまを目にした。そして、青年たちが掘った運河が、社会主義の役に立たないばかりか、雨季が来るたびに私の村に洪水をひき起こすのを目の当たりにした。
 1983年、私は軍の専門家としてカンボジアに派遣される前に、サイゴンで1年間訓練を受けた。その間、士官学校の同期生だったチャン・ゴック・フォン(3)の2人の妹たちが、毎週私に4、5冊の本を持ってきてくれた。私は映画館や音楽学校、歌劇場というものを知るようになった。「解放」8年目のサイゴンはどん底状態だったが、それでも私にとっては文明世界だった。その頃、街のどこへ行っても、辻々でシクロの運転手が、くたびれた姿で客を待ちながら黙々と読書に励んでいた。彼らは思想改造収容所から釈放されてきた人々だった。私は、親しくなったシクロの運転手たちの話を通して、サイゴンの実情を理解するようになった。
 1997年の夏、『トゥオイチェー[若者]』紙の一群の記者たちが、さまざまな理由から職を辞した。ドアン・カック・スェン、ダン・タム・チャイン、ドー・チュン・クァン、グエン・トゥアン・カイン、フイン・タイン・ズィオウ、そして私フイ・ドゥックである。私たちは日常的に顔を合わせて、他の同業者たちと意見交換した。トゥイ・ガー、ミン・ヒエン、テー・タイン、ファン・スァン・ロアンといった記者たちである。テー・タインも、その頃、『フーヌー・タインフォー[街の女性]』紙の編集長の職から追われたばかりだった。『トゥオイチェー』の編集長だったキム・ハインも同様に、愛着を持つ報道の仕事を続けられなくなっていた。
 私たちは時事問題について、また世界やベトナムの出来事について、あれこれ語り合った。ある日、ドー・チュン・クアンの自宅に集まった時、そこにトゥアン・カイン記者も居合わせた。反共主義者とされていた歌手カイン・リーを賞賛する記事を書いたために、弾圧を受けた記者である。彼は私にこう言った。「この国で何が起こったか、改めて書くべきだよ。それは歴史なのだから」。誰もトゥアン・カインの言葉を気にとめなかったが、私は、彼が言ったことが念頭にこびりついていた。そして、ある決意をもって、それまでよりも具体的な資料収集の作業を続けた。1975年以後のベトナムの悲劇に満ちた歴史を、1冊の本にまとめるためにだ。
 ベトナム共和国[南ベトナム]政府側の人々の子弟も含め、多くの若者は、1975年4月30日のサイゴン「解放」後については、社会主義教育が作った歴史しか知らない。自分の両親に起こったことさえ正確に知らない人は多い。
 1980年代の前半まで、「プロジェクトⅡ」(4)や「Z30」(5)など、数百万人の運命を変えた政策が、僅か数名の指導者によって決定されていた。一般庶民はもちろん、共産党政治局員でさえ知らなかった者は多い。学校や宣伝機関が提供する情報を通してしか、歴史にアプローチできないために、ベトナム人どうしの間で無用な衝突や争いが発生した。本書によって、一般庶民だけでなく、良識ある共産党員も、責任感をもって事実を受け入れるだろうと私は信じている。
 本書は1975年4月30日から始まっている。それは、北部が南部を解放したと多くの人々が信じた日だった。しかし、その後の30年以上を注意深く見直せば、多くの人は驚きを禁じ得ないだろう。解放されたのは北部の方だったのだ…と。経済学者や政治学者、社会学者には、歴史上の事象をより詳細に研究してもらいたい。本書は、「改造」「資本家打倒」「換金」政策など、4月30日以後のサイゴンとベトナムで起こったことを淡々と描写している。1970年代後半の2つの戦争、すなわちクメール・ルージュ[カンボジアの政治勢力]と中国との戦争や、1975年以後に国外に脱出した難民についても記している。また、農民や中小の商工業経営者、小商人たちが、自由な生活権を獲得するために一斉蜂起した事実にも言及している。
 本書のための資料は、私が20年以上かけて収集したものである。そして、2009年8月から2012年8月までのまる3年を執筆に費やした。下書きは、数人の友人と歴史学者に送ってチェックしてもらった。アメリカの著名なベトナム研究者5名も含まれている。そして、修正、加筆の後、2012年11月に完成原稿をベトナム国内のいくつかの出版社に送った。だが、原稿は突き返された。アメリカとフランスでは、名のあるベトナム語書籍の会社から、出版してもよいという申し出があった。しかし、私は本書について個人で責任を負い、また本書の客観性を守るため、自分で本を読者のもとに届けることにした。
 本書は、事実を追い求めた一ジャーナリストの作業の集大成である。私は、歴史の証人たちと出会い、情報を得る貴重なチャンスに恵まれたが、それでも本書にはまだ不備な点があるだろう。ハノイ政府が資料を公開したあかつきには、補足されるべき点もあるかも知れない。読者の助言を得て改訂を重ね、より完成されたものにすることを願っている。歴史上の事実はありのままに伝えられるべきであり、事実は私たちに決して避けて通れない道を示している。
2009~2012年 サイゴン~ボストン


【訳者あとがき】
 本書が刊行された2015年は、ベトナム戦争終結から40年、ベトナムの独立から70年という節目の年で、ベトナム国内ではさまざまな記念行事が行なわれた。
 しかし、今やベトナム国民の大多数が、戦争も社会主義改造の混乱も知らず、ドイモイ後の市場経済時代に成長した人々である。現在、この国の若者は、一般的に自国の歴史への関心が薄く、大学の入試科目でも歴史を選択する受験生は少ない。戦中と戦後の世代間の意識に、隔たりがあるのは日本も同じだが、ベトナム人の歴史に対する無関心には、時の経過とは別の要因があるように思える。
 ある調査で、ベトナムの大学生数十人に、自国の歴史に対する意識を尋ねたところ、全員が「関心がない」と回答した。党が描く民族解放のストーリーを、小学校から何度も繰り返し聞かされて、うんざりしているという。むしろ、日本国内のメディアが、「サイゴン解放40年」をたびたび取り上げていることが、彼らには理解し難いようである。確かに、アメリカや日本に憧れ、先端技術や経営を学ぶベトナム人学生と比べれば、反戦運動世代の日本人の方が、ベトナム戦争へのこだわりは強いと思われる。
 ベトナムの若者が歴史に興味を持たない理由の1つは、共産党政府の公的史観に固定された歴史教育だろう。ベトナムの公教育で語られる歴史は、もっぱら勝者の側によって綴られたものである。共産党が「常に正しい指導」で民族を解放した、という輝かしい筋書きは、事実関係に疑問を呈したり、教科書に書かれていない部分を明らかにすることなどは一切許さない。南北統一の時期と方法は正しかったのか、南ベトナム臨時革命政府は戦後どうなったのか、南部の中立化構想はなぜ消えたのか…等々の問題は、戦後四〇年を通して、議論や批判の俎上に載せられることはなかった。日本側で南ベトナム解放民族戦線を熱心に応援していた人々も、これらの問題については、あまりこだわっていないようだ。
 そうした中で、自国の戦争と革命の歴史を見直そうという人々もいる。本書の著者フイ・ドゥックもその1人である。彼は1962年に北ベトナムで生まれ、13歳の時に終戦を迎えた。17歳で兵役に就き、当時まだベトナム「義勇軍」が駐留していたカンボジアに派遣されている。除隊後は、ベトナム国内の新聞社で記者を務めたが、思うところあって退職し、奨学金でアメリカに留学した。
 本書は、著者が記者時代から執筆を始め、アメリカでさらに史料を収集し、関係者にインタビューを重ねて完成させたものである。社会主義経済の失敗や難民流出など、共産党政府にとって不都合な事実も盛り込まれているため、ベトナム国内の出版社はどこも出版を引き受けてくれなかった。それどころか、著者自身が「反国家宣伝罪」などで逮捕される恐れさえあるのが、ベトナムの現実である。アメリカから帰国後は、「自分はどうなるかわからない」と言っていた著者だが、幸い今のところは無事に、ホーチミン市でフリーランスのジャーナリストとして生活している。
 本書の原題Bên Thắng Cuộc(勝者の側)は、まさに勝者の側によって語られてきたベトナムの現代史を見直し、事実を客観的に検証しようという試みである。著者は、アメリカ留学の機会と、ジャーナリストとしての手腕を活かし、ベトナム側とアメリカ側の資料に依拠し、共産党幹部、知識人、芸術家、難民、中国系ベトナム人などからの聞き取りに基づいて、さまざまな角度から歴史を再構成している。
 本書には、主にサイゴン「解放」後に起こった出来事が記されているが、その多くは、日本ではほとんど知られていない。革命指導者の回想も紹介されているが、登場人物の多くは、非政治的な立場の文化人や、名もなき一般庶民である。日本人の中には、敗戦後の南ベトナムで苦労した人々について、戦時中は国民を弾圧していた者だから自業自得だと、いまだに考えている人もいる。しかし本書で、思想改造収容所に送られた人々、排斥された華人住民、何度も国外脱出を試みたボートピープルの記録などを読めば、それが先入観による思い込みだとわかるだろう。
 著者が最初はインターネット上で、この著作を公開したこともあって、本書について、主に在外ベトナム人の間で賛否両論が出た(ベトナム国内では、共産党政府に不都合なサイトはブロックされている)。著者はもともと社会主義体制内部の人間で、従軍経験も持つ人物である。そのような立場で、一人で行なった調査に限界があるのはやむを得ない。中越戦争については、ベトナム軍の果敢な抵抗で中国軍を撃退したという認識に立っており、クメール・ルージュによるベトナム人虐殺についても、公的記録以上の踏み込んだ調査はしていない。

しかし、議論も批判も一切受けつけない歴史教科書に、若者たちが無関心になってしまう状況を思えば、本書の内容が議論を喚起すること自体に意味があるだろう。それをきっかけに、若い世代の中から、歴史の真実を追求しようという動きも生まれるかも知れない。近い将来、ベトナム人の手で、より綿密な調査に基づくドキュメンタリーが刊行されることを期待したい。
 フイ・ドゥックの原著は上下2巻で、『勝者の側』はそのうちの第一巻である。翻訳者の力不足のため、第1巻を訳すだけで足かけ三年を費やした。『権力』と題する第2巻も、いずれ日本に紹介したいと願っている。
 最後に、貴重な写真を提供し、専門用語などのアドバイスをして下さった小高泰先生と、本書の意義を理解し、出版を引き受けて下さった株式会社めこんに深い感謝を捧げる。


【著者と訳者はこんな人】
フイ・ドゥック
ベトナムのフリージャーナリスト。
1962年生まれ。
1979~88年ベトナム人民軍に在籍。
1998~2009年ベトナム有力紙の記者を務める。
2002~03年アメリカ・ハーバード大学で研究。

中野亜里(なかの・あり)
大東文化大学国際関係学部教授。
現代ベトナム政治を研究。
著書に『現代ベトナムの政治と外交』(暁印書館、2006年)、『ベトナムの人権――多元的民主化の可能性』(福村出版、2009年)、編著に『ベトナム戦争の「戦後」』(めこん、2005年)など。


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