カンボジア人の通過儀礼

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原作 アング・チュリアン、プリアプ・チャンマーラー、スン・チャンドゥプ
訳者 𠮷野實


 A5判・上製・224ページ・オールカラー 定価4500円+税
 ISBN978-4-8396-0312-0 C3039
 ブックデザイン 臼井新太郎装釘室
             

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 これがカンボジア人の一生です…誕生から葬儀まで誰もがたどる「通過儀礼」をカラー写真とともに克明に解説。文化人類学の専門書ですが、カンボジアに興味を持つ人すべてにおすすめします。



本書より1
    本文1

本書より2
本文2


【著者から】
 私たち3人がカンボジアの風俗習慣の重要な一分野である通過儀礼に興味を持ち始めてから大分経つ。しかし、人の初めから終わりまで、つまり誕生から死に至るまで、その一生すべてを議論する機会がいつかやって来ようとは思いもしなかった。以前は地方の村々へ調査に行くような研究は、ほとんど各自別々に行なっていた。何年かしてようやく諸般の状況が整い、様々な儀礼、特に通過儀礼におけるいろいろな事項を一緒に検討することができるようになったのである。
 2005年にたまたまフォード・モーター会社が、カンボジアにおける文化、環境、管理保存各分野の研究を対象として、補助金の応募を受け付けると発表した。そこで私たちもカンボジア人の一生に関する主要テーマをまとめるために、何とかしてこのチャンスを摑もうと考えたのである。幸いこの応募は通り、足りない資料を収集するために村々に行くことができるほどの資金を得て、この仕事を完成させることができた。こうして、望み通りに出来上がったので、期限内に後援者である会社に原稿を送ることができたのである。
 この原稿は枚数としてはそれほど多くはないが、要点を検討すればきわめて奥深いものがあるので、机の引き出しの中に眠らせておいたり、包んで縛ったままほったらかしにしておくのは惜しいと思われた。これは私たちがこの原稿の著者だから自画自賛しているわけではけっしてない。正しく判断していただける方なら、こう言っても理解して頂けるのではないか。知ってのとおり、各種の新聞や雑誌は別として、今までカンボジア語で書かれたものの多くは、読者に様々なデータを提供する資料としては役に立つかもしれないが、世界では当たり前となっている現代の知識あるいは方法に沿った調査、分析、総合として言うなら、まだまだ貧弱だということである。近年になって、歴史、文学、考古学などの分野における研究はちらほら目にするようになったが、人文科学の重要な一分野である人類学について言うなら、外国語で書かれたものは数えきれないほどあっても、カンボジア語で書かれたものはまだ極めて少ない。それで、何としてもこの原稿を本という形にして出し、多くの読者に広めなければならないと思ったのである。誕生から死に至るまで、1人1人の通過儀礼の意義を読者の皆さんにきちんと理解して頂くことができたならば、カンボジア文化の重要な一分野への理解も少しずつ広まるのは確実だからである。
 幸いハヌマーン観光がカンボジア文化に資すると理解して、この出版が申し分なく仕上がるよう援助を引き受けてくれた。この援助は上述したことを実現する上で大変有り難いものだった。
 もう1つ明らかにしておくべき大事な点は、各儀礼の意味をまとめるにあたって、分析、検討、解釈したものをどのように総合して要約するかは、それぞれ3人が自ら責任を負ったということである。資料については、他のカンボジア人研究者の同僚から提供されたものもある。例えば、68ページから69ページで概観したチャン・ソク・キリー・ソート儀礼に関するいくつかの重要な情報は、シィーヨン・ソピアルット(ស៊ីយ៉ុន សុភារិទ្ធ)氏の研究に負っている。さらに、誰よりも先に注目して調査に着手し、私たちが特にコホ・コング州スラエ・オムバル郡の暗い部屋(ムロプ)に籠る儀礼の研究に取り組む道を開いたのは、ピ・ポンニーン(ពិ ប៊ុន្នីន)氏である。これ以外にも、アンコール地域からの様々な重要資料があり、これらは実際に村で行なった調査が基になっていて、アプサラ機構(訳註1)の以前の「文化と研究部門《2004年に合同解消》の「社会教育班によってなされたものである。この本に掲載した多くの写真はこの班の調査によるものである。その名前をすべて記すことはできないが、班員の皆さんに深く感謝し、この仕事の一部は皆さんとの共同のたまものだと考える次第である。

【序 通過儀礼とは】
 人間の年齢というものは、誕生して太陽の光を見てから死ぬまで、自然の時間に従って規則的に前に進んで行く、と普通には考えられている。しかし、社会はそうは考えない。特定の時間、特定の日が過ぎたら一定の年齢に達したと決めるのである(原注1)。だから社会によって決められた時間は、実際の自然の時間に従った一生とは一致しない。例えば、一人前の年齢になった男女が一緒に暮らしたとしても何ら自然に反することではなく、子供を持つことも可能であるが、社会はこのようなことを認めない。男性も女性も自分の伴侶を誰にするか、勝手に決めることはできないからである。もし妊娠したら、社会はそれを「野合の妊娠」(パアム・プレイ)と呼ぶ。この「プレイ」(訳註2)という語は分かりやすい。社会の外にいる、決まりから外れているという意味だからである。人間社会の領域は「霊界・社会の外」(プレイ)ではなく「人間界・社会の内」(スロク)(訳註3)である。この短い例が示しているのは、自然のままの状態というのは社会にとっては不完全だということであり、社会の決まりに従い紆余曲折を経て初めて、自分はきちんと一人前になったと認められるのである。
 要するに、「通過儀礼」という語で理解しなければならないのは、年齢は儀礼を通じてある段階からある段階へ移るということであり、儀礼を実施する時期は自然の時間に任せるのが必ずしも正しいわけではないということである。通過儀礼というのは社会が個々の人間(ボッコル)《原註2》に要求したり強いたりする義務であり、その同じ人間のために社会が負う義務でもある。先ほどの例でさらに言うと、結婚式に至るまでには、多額の出費を強いる数えきれないほど多くの手順を経なければならないが、社会が結婚させなければ、1組の男女はその困難を前にしてなすすべもない。できることといえば、せいぜい一緒に暮らすことぐらいである。
 2点目は、単に個人にとって都合がいいから社会がこのやり方を要求するのか、ということであるが、そうではない。人が社会規範を守らなければ、その社会は不安定になる。個々の死者がこの世に来て自分のために儀式をするよう社会に要求することはできないが、社会は必ず行なわなければならないのである。そうしなければ、その死者はきっと自分の家族や村人を苦しめるかもしれない、と考えるからである。だから社会の要求は個人にとっての利益だけではなく、社会それ自身が死者による苦しみから逃れるためでもある。
 3点目は、年齢を通過するということは単にその社会が仮定したことにすぎないので、その儀礼に応じて決められた年齢は、自然における人間の年齢とぴったり一致しない。例えば、赤ん坊の年齢が早くて生後3日、時には何ヵ月あるいは何ヵ年も経って、初めて社会は、その子供はこの時から命が授かったとみなす儀礼をする。死ぬのも同じであり、人の最後の呼吸が絶えたちょうどその時に葬式をすることは誰にもできない。それより後になってからである。それで通過儀礼は、自然の時間に比べたら、少しあるいはかなり遅れて行なわれるのが普通である。
 通過儀礼が社会にとって面倒なことだという理由は、社会がそれを要求しているからであり、特に地方では通過儀礼がある度に忙しいのは村人たち全員もしくはほぼ全員である。この儀礼というのは純粋に儀礼だけということはなく、実際には軽い食事や飲み食い、娯楽としての踊りなど社交性を帯びた事項が多々あるので、個人や様々な集団には必ずそれぞれの役目がある。これらの社会的役目は準備したり、それぞれの得意とするところによって割り振りする必要があり、さらに経済的支出も避けることができない。この最後の点が興味深いのは、貧しくて困窮している家族が、無理をしてでも儀礼を行なおうとするのはなぜかということである。それは、各個人または各家族の義務は社会にとって非常に重要であると、人々が理解しているからである。自分たちが儀礼の施主でない場合でも、必ず一働きぐらいの手伝いはしに行くし、また他の人たちも自分たちに対して同じようにするのである。
 本稿では儀礼そのものが主要テーマになっているので、経済・社会活動の分野など、家族や社会に関わる様々な事項には重きを置いていない。もう1つ、カンボジアは近代化に向かって進んでいるところなので、日々変化する事項は取り上げない。近頃では、少年や若者が勉強したり知識を得たりするのに、出家することだけが唯一の方法ではなくなった。暗い部屋に籠る儀礼にしても、ほとんど行なわれていない。出産に関しても、伝統的出産方法で行なう人もまだいるにはいるが、この分野の進歩は著しく、ちょっと多くの事例を見れば、伝統と近代医療が結びついているのが分かる《原註3》。まだ大きな変化がないように見えるのは葬式だけである。一部に変化が見られるものの、大筋や基本的考え方は依然として守られている。これらのことはすべて、社会あるいは小さな共同体の進歩に関連しているのは事実であるが、要は国全体がどんどん変化しているということである。それで再度申し述べておくのは、本稿ではこのような社会に関連する事項については取り上げないということである。
 もう1つ、本稿では必要がない場合は儀礼のすべてを事細かに説明することはせず、もっぱら各儀礼の中で行なわれる小儀礼の「意味」を明らかにすることに努めた。例えば、なぜポプルを回すのか、なぜせっかく作った身の丈ほどもある「バーイ・スライ・ダアム」を最後には家から持ち出して捨てるのか、等々である。
 本稿で取り上げた地域に関しては、調査はあちこちいろいろな地域で行なったのだが、それでも私たちが持っている資料の多くはアンコール(オングコー)地域のものばかりのように見える。だがこれは、風俗習慣が最も良く守られているのはアンコール地域だけだという意味ではない。実際は、暗い部屋に籠る儀礼のように、儀礼によってはアンコール地域でもほんのわずかしか行なわれていなくて、逆にコホ・コン州スラエ・オムバル郡やコムポング・チャーム州バーティアイ郡で多く行なわれているものもある。それで、この暗い部屋に籠る儀礼については、スラエ・オムバル地域とバーティアイ地域で詳しく調査した。
 ここまで述べて確認しておきたいのは、儀礼を行なうのが大変なのはどの地域でも同じだということである。暗い部屋に籠る儀礼を見た場合、スラエ・オムバル郡、バーティアイ郡、ソート・ニコム郡の間では基本的なやり方が違う。このように念を押すのは、本稿で述べたどの事項をとっても論を尽くしていると胸を張って言えるものではない、ということを理解して頂きたいからである。要は、人文科学の研究は絶えず継続していかなければならないし、批判もしていかなければならないのである。これが研究を前進させることになるのである。
 私たちはカンボジアに暮らす様々な民族の風習にも多少手を付けたのだが、詳しくはできなかった。しかし、視点を変えて他民族を見ることが自分たち自身への理解をさらに深める助けになるので、その成果のいくつかにも言及してある。この「他民族」というのは遠方から来た外国人ではなく、すべてこの我々の国土のあたりにずっと暮らしている民族のことである。その人たちの中にはカンボジア人と同じ語族に属する人たちもいる。クルング、プラウ、トムプオン《以上ラタナキーリー州》、プノング、スティアング《以上モンドルキーリー州》、ポア《コムポング・スプー州とポー・サト州》、クオイ《いくつかの地域、特にコムポング・トム州》などの「モン‐クメール」語族のひとたちである(訳註4)。本稿ではチリアイ(ジャライ)やカーチョク等のオーストロネシア語族に属するひとたちには言及していない。いずれにしても、これらの資料が、カンボジア人の通過儀礼について一般的な認識を持つのに役立つことを願っている。
 数えて見ると通過儀礼は7つある。これにもう1つ儀礼を加えることができると考えられるが、それは様々な名称が付いている寿命を延ばす儀礼、つまり長寿を祝う儀礼である。よく考えれば年齢が通過するのは同じだが、その通過は逆になっているだけである。子供や中年の人の寿命を延ばすというのは聞いたことがなく、延ばすのはすべて年寄りの寿命である。年齢は将来に向かって高くなるので、子供たちや近親者たちは、その年寄りが子供に戻るよう、実際の年齢とは逆の方向に通過させることにするのである。こういう意味で、寿命を延ばす儀礼を通過儀礼の1つと数えるのである。
 以上により、カンボジアでは通過する年齢段階は8段階まである。最初の段階は人の誕生に関係する。2番目の段階は大人と呼ぶ年齢に入る準備である。大人になるとさらに重要な2つの儀礼があるが、その内容と意味は同じではない。男には男の儀礼が、女には女の儀礼がある。ここまでで4つの儀礼になる。5番目の儀礼は結婚式である。6番目の儀礼は女性だけに関係する出産であり、特に重要なのは初産である。この段階は女性が妻の状態から母親の状態に移るからである。寿命を延ばす儀礼は7番目の儀礼として述べたばかりである。人生の最後の段階は8番目の儀礼で、それは遺体に関する儀礼である。
 これまで順次列挙した儀礼の基本的考え方は、東南アジアの他の国々の人たちとは異なるカンボジア人特有の考え方ではない。カンボジアからタイ、タイからラオス、ラオスからマレーシア等々にかけて、儀礼によっては仏教、イスラム教、キリスト教《フィリピン》からの影響があるにもかかわらず、大筋の考え方には何ら違いはない。違いがあるのは行なう方法、準備する道具、期間などに関してだけである。東南アジアの他の民族との比較は今後の研究と理解を深める上で役に立つが、紙幅の都合上、本稿ではカンボジアの風習だけを取り上げて論じた。


【目次】
第1章 誕生に関わる儀礼
第2章 大人になる準備の儀礼
第3章 成人儀礼
第4章 結婚儀礼
第5章 妻から母親へ
第6章 寿命を延ばす儀礼(長寿を祝う儀礼)
第7章 葬送儀礼
資料(月名、十二支、方角、曜日)
参考文献
索引


【著者・訳者はこんな人】
アング・チュリアン、プリアプ・チャンマーラー、スン・チャンドゥプ
いずれもカンボジア伝統文化研究の第一人者。カンボジア王立芸術大学で教鞭をとりながらカンボジアの伝統文化と風俗の研究・保護に努めている。

𠮷野實(よしの・みのる)
1999年からカンボジアでNGO活動に従事。カンボジア語出版物の翻訳多数。




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