ラオス便り
ラオス在住の島崎一幸(しまざきかずゆき)さんの「ラオス便り」を連載します。
島崎一幸さんは1970年から3年間ビエンチャン郊外タゴンで青年海外協力隊の一員として農業指導に従事しました。その後、ラダワンさんという可愛いラオス女性と結婚して帰国。10年ほど前から再びラオスに戻って、コンサルタント会社を経営しています。農業開発が仕事の中心なので、島崎さんはラオス人もほとんど知らない深い山の奥のずいぶん辺鄙なところにまで入っています。そうした仕事現場での珍しい写真を発表してもらうことになりました。これこそ、誰も伝えたことのない本当のラオスです。なお、島崎さんには「ラオス概説」(ラオス文化研究所編)制作にあたってとてもお世話になり、写真も使わせていただきました。
第9回 タイ、ベトナムとの国境地点
「サヤブリ県トンミサイ郡にあるタイとの国境地点」:2006年4月25日。国際的な出入国はできず、出入国管理事務所はありません。写真のゲートから2km地 点に実際のタイとの国境地点があります。毎週日曜日に、タイ側で市が立つそうで、地元の人たちは隣のパークライ(パークライ郡庁所在地。トンミサイから 40km)へ行くより、ここの定期市で日用品を揃えた方が便利なようです。トンミサイ郡はもともとパークライ郡の1タセン(サブディストリクト=サブ郡)だったのが1996年から1つの郡として独立しました。1984年にタイとの国境紛争があり、政治的にも、経済的にも特殊な環境にあるのだと思われます。
「ホアパン県ビエンサイ郡ナメオ(Ban Nameo) とベトナムとの国境」:2006年5月7日。ナメオはホアパン県の県都サムヌアから82km。最近、国際的に出入国ができるようになりました。<上段左>の写真は現在建設完了したばかり(まだ運用されていません)の入国管理ゲートです。<上段右>の写真は現在使われているラオス側の入管ゲートと入管事務所(写真左側)です。ゲートの先がベトナム側。<下段>の写真は入管ゲート付近のナメオの様子で、写真はサムヌア方向に向かって撮影したものです。国際的にゲートが開かれているといっても、我々が行った時点では交通量はほとんどありませんでした。
第10回 川を渡る
まだ橋が十分整備されていないラオスの地方の人たちにとって「川を渡る」ことは苦労の種です。
ビエンチャンから国道13号線を120q北上したところにホアイモーという町があります。 ここから東へサイソンブーンへ行く道が分かれています。サイソンブーンはこれまで特別区とされていましたが、2006年1月にビエンチャン県の1つの郡(サイソンブーン郡)となりました。ホアイモーからサイソンブーンへ行く道は「13号線B」あるいは「ホアイモーサイソンブン道路」と言われていますが、写真はその20km地点にあるホアイシーという川を渡るベイリー橋(軍隊が使う仮設の橋ですが、ラオスの田舎ではほぼ常設の橋として使われています)です。もう随分と前から使用禁止(橋台が壊れていて危険)となっていて、橋の脇を降りて、小さなフェリーで川を渡っていましたが、水位が下がったらフェリーも底がつかえて、結局、川底の部分に設置された浮橋のような形になってしまいました。写真でそれが分かりますか。
山道の橋
ボーリカムサイ県ボーリカン郡パダイ村へ向かう道。将来は国道4号線としてシェンクアンへつながることが計画されています。随分と前の写真ですのでもう、コンクリートパイプのカルバートになっているかも知れません。ただ、このような丸木橋はラオスの田舎のあちこちにまだたくさんあります。雨季になると丸太の上をタイヤがスリップしてとても危険です。 |
つり橋
2005年6月28日撮影。ルアンプラバーンから北へ約50km行ったパビエン村のナムパー川にかかるつり橋。川の対岸が耕作地なので農民はこの橋を渡って農作業に行っています。将来はハンドトラクターでも渡れるほどの橋を建設するのが村人の希望です。 | |
2006年1月14日撮影。同じナムパー川にかかるつり橋。水量があるので橋を渡るのは怖い。 | |
2006年5月18日撮影。ボーリカムサイ県ボーリカン郡のムアンボーパダイ道路にかかる、ラオスの地方道の典型的な橋(ベイリー橋=軍隊の仮設橋)。県の担当者によれば予算がないのでなかなかコンクリートの橋を建設できないとのこと。 |
第11回 国境地域に放置された仏教寺院
ホアパン県ビエンサイ郡ナムソイ村 2006年5月7日撮影 |
第12回 変わるビエンチャン(1)
ビエンチャン市では、ここ2〜3年、ADBの資金で市内道路(排水管埋設を含む)および排水路の整備が急ピッチで進んでいます。我が家の近くでも道路の拡幅工事をするため、排水管の埋設工事が始まりました。道路脇の大木が容赦なく倒されていきます。道路が整備されるのは大歓迎ですが、老木が倒されるのは寂しいもので、とにかく写真に記録をしておこうとシャッターを切りました。
第13回 変わるビエンチャン(2) 2006年10月6日
前回の報告は「老木が倒される」寂しい話でしたので、ビエンチャン市内の道路整備で明るい話を1つ。
今年になって、ビエンチャン市内の信号機が新しいものに代えられました。最近、とても可愛らしい「通り名の標識」が設置されつつあります。ディズニーランドの中にある道しるべのようで、とても楽しくなります。
▼5月30日撮影。「クンブロム通り」の標識。撮影場所は「トンカンカム通り」と「アヌ通り」の交差点。右下の写真前方は「トンカンカム通り」。左下写真の前方の一方通行は「アヌ通り」。
▼5月30日撮影。「サムセンタイ通り」の標識。撮影場所は「サムセンタイ通り」と「シーホム通り」の交差点。
▼5月30日撮影。市内の信号機や標識はきれいになってきていますが、肝心の目抜き通り、「サムセンタイ通り」と「セタティラート通り」はようやく工事が開始されたところです。あと1年もすれば近代的なすばらしい通りになるでしょう。今のうちに、古い通りを記録に収めておこうと1枚だけサムセンタイ通りの写真を撮りました。女の子が肩に担いで売りに歩いているものはラオスの伝統的なの道具で@ 「エープカオ」(竹を編んで作った籠で、もち米を入れるためのもの)とA「パーカオ」(ラオス式食卓、食事用ちゃぶ台)です。
第14回 変わるビエンチャン(3)
サムセンタイ通りはビエンチャン市の目抜き通り。現在、ワッタイ空港から友好橋(第1メコン国際橋)までの約25kmの道路改修工事を日本の無償援助で行なっています。工事は来年一杯かかるとのことです。2006年7月17日撮影
第15回 農民参加による灌漑施設工事 2006年11月13日
2006年1月から7月にかけてサイニャブリー県パークライ郡ブアムラオ村で農民民参加による灌漑堰が作られました。これらの写真は、農民集会から、農民参加による工事、そして堰の完成までを撮影したものです。「農民参加による工事」というと政府が農民に強制的に労働奉仕をさせて建設するよう なイメージがあるかも知れませんが、現在行なわれているいわゆる農民=受益者参加型のプロジェクトの第一の目標は、プロジェクトに受益者を参加させることで、「@そのプロジェクトが受益者の本当のニーズに沿ったもので、Aプロジェクトに対して受益者がオーナーシップ(自分たちのプロジェクト・施設であるとの認識)を持ち、Bプロジェクトが終了した後は自分たちで持続的に維持管理していける」ことを実現しようとするものです。
ラオス北部の山間地にある谷地田では、以前紹介したように、山間地の小さな川から農民自身の手によって建設された伝統的な灌漑施設によって水を引き込み、稲作が営まれています。ところが、雨季の洪水時にはこれらの灌漑施設が流されたり、壊されたりして、年に数回は村人総出で修理を余儀なくされています。また、地形的な条件などで、このような灌漑施設を切望しているにもかかわらず、自分たちの力だけでは施設を建設することができず、政府の支援を待っている村々もたくさんあります。
プロジェクトの実施が決定されるまでには、村人との何回もの公聴会を通して@農民がその施設を本当に必要としているか、A計画が実施に移され場合、農民が相応の負担(労働力やローカルの資機材など)をする意思があるか、B施設が完成した後は自分たちの力で維持管理していく意思があるか、などを確認していきます。また、工事に参加する場合にはコンクリートの練り方、鉄筋の結び方等技術面での基礎的な知識だけでなく、安全面の注意事項を徹底させるようにします。さらに、施設完成後の維持管理のために、水利組合の結成、水利費の徴収などについてトレーニングをします。
▲2006年1月13日撮影:プロジェクトを実施されることが確定した後、いよいよ工事が開始されることになり、農民が集まってプロジェクトを歓迎するとともに喜んで工事参加の意思を表明しているところ。 | ▲:取水堰の建設予定地。ブアムラオ村から約4km奥地に入った山の中。水源はヤングノイ川、写真撮影時の2月は乾季の真っ只中、ほとんど水は流れていません。今回の取水堰は取水位を高くし、かつ建設費を節約するために、このヤングノ イ川を跨いで建設するのではなく、その脇(写真の右側の土手)に建設し、堰を建設後、両岸を土手で囲んで川の水筋を少し変更することにしました。 |
▲ベースキャンプへコンクリートミキサーなど機械の搬入。茅葺、竹の壁のベースキャンプは農民が現地の材料を使って作ったもの。 | ▲ベースキャンプでの県、郡の技師による打ち合わせ風景。 |
▲サイニャブリー県農林事務所の技師による取入れ堰の位置を決めるための測量。 | ▲取入れ堰の位置の杭打ち。 |
▲取り入れ堰の下流側、この上に鉄筋を張って、コンクリートを打ち込むために荒い流し。 | ▲取り入れ堰の下流側の護床工と側壁の鉄筋組。 |
▲取り入れ堰の下流側の護床工のコンクリート打ち。コンクリートミキサーで練ったコンクリートをバケツリレーで手渡し。 | ▲取り入れ堰下流側の護床工のコンクリート打ち。コンクリートミキサーで練ったコンクリートをバケツリレーで手渡し。 |
▲参加農民の現場ミーティング。 | ▲取り入れ堰の側壁のコンクリートを打つための型枠。平板はプロジェクトで購入、支柱の丸太は現地で農民が調達する。 |
▲取り入れ堰の堤体と下流側護床工の鉄筋組。針金で鉄筋を留めている。 | ▲取入れ堰の堤体の練り石積み(直径5~30cmくらいの石)を積み上げ、隙間にセメントモルタルを塗り込む)。 |
▲完成した取り入れ堰(上流側より撮影) | ▲完成した取り入れ堰(下流側より撮影) |
第16回 ルアンパバーン県とビエンチャン県サイソンブーン郡 の農民参加灌漑プロジェクト 2006年11月16日
ルアンパバーンバン県の農民参加工事:
農民参加の灌漑工事についてさらにお伝えします。前回のサイニャブリー県パークライ郡ブアムラオ村での灌漑工事は規模が小さかったので、工事は県と郡の職員のもとで農民参加による直営工事でした。同じプロジェクトでも、灌漑施設の規模が大きくなると、農民の力だけでは手に負えず、工事業者と農民参加の共同事業となります。工事開始前に、どの部分を農民が担当(負担)するか、どの部分を主に建設機械を使って工事業者が担当するかを協議し、合意を得るようにします。
ルアンパバーン県のこの工事はルアンパバーン郡のパービエン村とパーデーン村の2つの村人を対象に実施されて います。工事は2006年3月に開始されました。写真は2006年4月26日の工事風景と10月24日の取り入れ堰完成風景です。今後は両岸の水路の建設工事が行なわれ、来年の雨季開始の5月には水路に満々と流れる灌漑用水の写真をお送りできるでしょう。
写真(1):コンクリート練り。取り入れ堰の上流側でコンクリートミキサーで練り上がったコンクリートを堰堤体の基礎部分に流し込んでいる。 | 写真(2):鉄筋組み。取り入れ堰右岸の側壁の鉄筋コンクリート部分の鉄筋組作業。農民たちが組まれた鉄筋を針金で縛って止めている。 |
写真(3)(4):工事転流(下流側と上流側より)。この川はナムパー川と言って非常に水量が多く、乾季の4月でも多量の水が流れています。工事をするにあたって、取り入れ堰建設予定地点の上流側に工事用の堰き止め堤を建設し、川の水を転流させる必要があります。この写真は工事用に転流させた水路で、上流に向かって右側の本来の川底で工事が進められているところを撮影したものです。 | |
写真(5)(6):完成した取り入れ堰。10月24日に撮影した完成した取り入れ堰の写真です。次の乾季2006年11月から翌年4月までに水路の工事を完成させて、6月からの稲作に間に合わせる予定です。 |
ビエンチャン県サイソンブーン郡の農民参加による取水堰の工事。この工事はヒンフアスア村、ポンパ村、ムアンソム村の3つの村人を対象に実施されています。この灌漑施設も農民の力だけでは手に負えず、工事業者との共同事業となっています。工事は2006年3月に開始されました。写真は2006年4月27日の工事風景と10月25日の取り入れ堰完成風景です。この堰も今後は両岸の水路の建設工事が行なわれ、来年の雨季開始の5月には水路に満々と流れる灌漑用水の写真をお送りできるでしょう。
写真(7)(8):堤体工事。川底はごろ石で、右岸は岩が突き出しており、基礎工事は建設機械を使っての作業が必要でした。ただ、取り入れ堰堤体の材料(直径10〜30cmの丸石)や型枠の支柱につかう丸太は農民によって集められました。 | |
写真(9):取り入れ堰の上流側の川底から農民が堰堤体の材料の丸石を集め、手渡しで運び入れている。 | 写真(10):完成した取り入れ堰。 |
写真(11):モン族の農民の出迎え:10月25日、ADBのミッションが完成した取り入れ堰を視察に来るというので、村の若い娘さんが出迎えのため民族衣装で着飾って取り入れ堰の脇の岩陰で待っていてくれました。 |
ラオス便りNo.1〜No.8 ラオス便りNo.17〜No.24
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