激動のラオス現代史を生きて――回想のわが生涯

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著=プーミー・ヴォンヴィチット
訳=平田豊
定価4000円+税
A5判上製・288ページ
ISBN978-4-8396-0232-1

【関連書】ラオスの基礎知識  ラオス史 ラオス概説 ラオスは戦場だった  アメリカの挫折

 ラオスでは知らぬ人のいない現ラオス人民民主共和国建国の英雄の回顧録。少年時代、ラオスで最年少の知事だった時代、共産側に身を投じてアメリカと戦った時代、新政権発足以降という構成です。なにしろ激動のラオス現代史の中枢にいた人だけに史料としての価値が高い上、拘置所からの脱出など血わき肉おどるおもしろさも十分です。訳者は知る人ぞ知るラオス語の達人。詳細な訳註・年表は、これからのラオス研究の基礎となるでしょう。

【著者はこんな人】(本書の「略歴」より)

プーミー・ヴォンヴィチット
1.生年月日 1909年4月6日(シエンクワン県ペーク郡ニョートグム区バーン・カーイ村)
2.家族   父親 ターオ・ペーン・ヴォンヴィチット
        母親 ナーン・ブンテート・ヴォンヴィチット
3.学歴   ヴィエンチャンでの中等教育
4.職歴
  1927   シエンクワン県行政局長付書記、後に同県ムアン・クーン郡
        ウッパハート(「1級主事」)兼裁判所長
  1939   シエンクワン県ムアン・クーン郡長
  1942   ヴィエンチャン市長
  1945   ホアパン県知事代理
  1945   革命運動に参加(11月)、ホアパン県知事に再任後、北部地区での政治基盤設立任務に従事
  1950   ラオス抗戦戦線全国大会で自由ラオス戦線中央委員に選出、ラオス抗戦政府の内務大臣
  1951   インドシナ共産党党員(注:回想記では1950年4月29日入党)
  1954   インドシナに関するジュネーヴ協定成立後、ジャール平原、ヴィエンチャンでの
        ヴィエンチャン側との交渉におけるパテート・ラーオ側代表団長(1954-57)
  1955   ラオス人民党(ラオス人民革命党の前身)に参加、交渉代表団としてヴィエンチャン側との交渉に従事
  1957   第1次連合政府に入閣(宗教・芸術大臣)(11月)
  1959   ヴィエンチャン派に逮捕され、ポーン・ケン拘置所に拘留
  1960   拘置所を脱走、根拠地に帰還
  1961   ラオスに関するジュネーヴ会議に出席(愛国戦線側代表)
  1962   第2次連合政府情報・宣伝・観光大臣(6月)
  1964   愛国戦線本部書記長として外交活動に従事
  1972   ラオス人民革命党第2回党大会で党中央委員、同政治局員、
        ヴィエンチャン側との交渉と文書署名におけるラオス愛国戦線議長の特命全権を受任
  1974   第3次連合政府の副首相兼外相
  1975   全国人民代表大会で副首相兼教育・スポーツ・宗教大臣
  1982   ラオス人民革命党第3回党大会を経て党中央委員、政治局員、
        閣僚評議会副議長として教育・文化・保健・社会福祉部門を監督)
  1986   人民革命党第4回党大会で党中央委員、党政治局員、ラオス
        人民民主共和国大統領(国家主席)代行、第2回ラオス建国戦線全国代表同戦線議長 
  1991   ラオス人民革命党第5回党大会で党中央委員会執行部顧問
  1994   1月7日、心臓疾患によりヴィエンチャンにて死去(84歳)

5.賞勲   国家、国民に尽くした功績による1等勲章、 1等勝利勲章、抗戦勲章のラオス勲章の他、ヴィエトナム、カンボディア、ブルガリー、ソ連、ドイツ民主共和国、チェコスロバキア等からも文化、芸術、党のための国際的活動における貢献に対する叙勲。

6.主要著書
(1) “ワイニャーコーン・ラーオ”(「ラーオ語文法」、1967)( ラーオ語)
(2)“Le Laos et la Lutte Victorieuse du Peuple Lao contre le Neo-colonialisme Americain.” 1968
(3) “パワットサート・ムアン・プアン”(「ムアン・プアンの歴史」、1994)(ラーオ語)


【訳者はこんな人】 平田 豊(ひらた ゆたか)
1940年生まれ。香川大学経済学部卒。
1964年、外務省入省。
1964~67年、在外語学研修(バンコク、ヴィエンチャン、ルアンパバーン)。
1968~2003年、本省勤務、在外勤務(在タイ大使館、在ラオス大使館他)。
2003年、外務省定年退職。


【目次】

ラオス全図
日本語版に寄せて
著者まえがき

第1章 幼年期
第2章 フランス人上司の下でラオス植民地行政に従事
第3章 日本軍がフランス勢力を駆逐
第4章 日本の敗戦
第5章 フランスのラオス復帰
第6章 ラオス国内にゲリラ基地を設置
第7章 政治勢力と武装勢力の拡張
第8章 アメリカ帝国主義者のラオス介入
第9章 拘置所から脱走
第10章 ヴィエンチャン派空軍大尉のクーデター
第11章 連合政府内での活動
第12章 ラオス愛国戦線の戦略と戦術
第13章 おわりに

参考資料 Ⅰ 著者(プーミー・ヴォンヴィチット)略歴
参考資料 Ⅱ 本書に出てくる主要地名地図
参考資料 Ⅲ ラオス主要年表
訳者あとがき


著者の【日本語版に寄せて】

 この度、私のラーオ語の著書「クヮーム・ソンチャム・コーン・シーヴィット・ハオ」(「回想のわが生涯」;ヴィエンチャン、1987)が日本語に翻訳出版される計画を知り喜ばしく思います。
 実際のところ、本書はラオスの国民、例えばラオス青年が本書を通じて困難かつ複雑な生活の中から忍耐強く教訓を汲み取り、善良で高い品格を備えたラオス国民への自己形成をはかるための3考となることを期待しつつ執筆したものではありますが、ラオスに関心を持つ日本の読者におかれても、この日本語版を通じてこれまでのラオス・日本両国国民間の友好、連帯関係の拡大と緊密化に、ひいては両国間の伝統的に良好な友好関係のいっそうの改善と両国関係の弛みない進展に資することを願ってやみません。

         1992年7月17日  ヴィエンチャンにて

                       プーミー・ヴォンヴィチット
 

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