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火の海の墓標

著者  後藤乾一

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四六判・310ページ
ISBN9784839603410 C0030

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不況下の昭和初期、海外雄飛の夢を抱いてオランダ領インドネシアに渡った市来龍夫は「一等国民意識」に染まった典型的な日本青年だったが、植民地の底辺の生活に心の安らぎを得るうちに、次第にインドネシア民族運動に共感を覚えていく。

彼にとって、「大東亜戦争」と日本軍政はインドネシア独立を支援する存在であり、軍政に参加することは無上の喜びであった。しかし、日本のホンネは資源獲得にあり、独立の約束はウソだった。そのことに気づいた市来は祖国に裏切られた思いに苛まれる。

日本の敗戦後、市来はアブドゥル・ラフマンと名を変えてインドネシア独立軍に身を投じ、神出鬼没の遊撃隊の隊長としてオランダ軍とゲリラ戦を闘うが、1949年1月、東部ジャワ、スメル山南麓で壮絶な戦死を遂げる。

著者略歴

後藤乾一(ごとう けんいち)1943年東京生まれ、65年早稲田大学政治経済学部卒、1973-2013年、早稲田大学にて教育・研究に従事。現在同大学名誉教授・名誉評議員。関心分野:「アジアの中の近代日本」の通史的・学際的研究。近年の著作として、『「沖縄核密約』を背負って―若泉敬の生涯』(岩波書店、2010年)、『東南アジアから見た近現代日本』(岩波書店、2012年、高麗大学出版文化会より韓国語版、2023年)、『近代日本の「南進」と沖縄』(岩波書店、2015年)、『「南進」する人びとの近現代史―小笠原諸島・沖縄・インドネシア』(龍溪書舎、2019年)、『日本の南進と大東亜共栄圏』(めこん、2022年)、『われ牢前切腹を賜るー玉蟲左太夫とその時代』(作品社、2024年)、共編著として『東アジア近現代通史』上・下(岩波書店、2014年、台北・台北の聯經出版より中国語版、2024年)等。

【本書より】

はじめに
東京・港区芝、東京タワーを見上げる愛宕下に、どっしりとした大屋根を構えている曹洞宗の名刹・萬年山青松寺の、はき清められた境内の一角に、初冬の落葉をそこここに受けながら、ひときわ大きな石碑
が建っている。
この石碑は、一九五八年一月二〇日、日本国とインドネシア共和国が国交を樹立してまもない同年暮れ、二人を識る関係者の手で建立されたものである* 。その石碑には、「市來〔来〕龍夫君と吉住留五郎君へ 独立は一民族のものならず、全人類のものなり」と書かれた、大統領スカルノ自筆の簡潔で力強い言葉が刻み込まれている(原文はKemerdekaan bukanlah milik sesuatu bangsa sadja, tetapi milik semua manusia)。

石碑の裏面には、
「市来龍夫君、熊本県の人、明治三十九年生
吉住留五郎君、山形県の人、明治四十四年生
両君は共に青春、志を抱いてジャワに渡航力学よくイ語の蘊蓄を極め、相次いで現地の新聞記者となる。爾来インドネシア民族の独立達成を熱望して、蘭印政府より投獄追放の厄に会うも不撓不屈、第二
次大戦に乗じて、再びインドネシアに渡り、敗戦に際して同志を糾合、イ軍に投ずるや共に軍参謀、指揮官となり、激闘転戦ののち、遂に市来君は一九四九年マラン・ダンペットの戦場に、吉住君はそれに
先立つこと一年、ケデリ州セゴンの山中にインドネシア永遠の礎石となって散ず」

[目次]

はじめに
第1章 彷徨(さすらい)の少年時代   
    丙午の生まれ   
    カトリック入信   
    小学校入学   
    中学校入学と中退   

第2章 渡南への道   
    渡南の契機   
    からゆきさん   
    トコ・ジュパンの登場   
    南洋協会の成立   
    竜夫、パレンバンへ   
    南洋邦人社会の二重性   
    一等国民の目   
    思索の糧を求めて   
    日本人社会への疑問   
    インドネシア語への親近感   
    当時のインドネシア民族運動   
    〝花の都〟バンドゥンへ   
    弟直大の死  
    エロス写真館に勤務   
    バス車掌となる   
    イティとの結婚生活   

第3章 「国策」と「アジア解放」のはざまで   
    祖国の動向への関心   
    一九三〇年代の親日感情   
    日本の南洋運動   
    第一次日蘭印会商   
    竜夫、新聞記者となる   
    南進政策の登場   
    『日蘭商業新聞』   
    蘭印政庁の対日警戒   
    〝親日派〟の民族主義者──スバルジョとタムリン   
    東京での竜夫   
    風雲急を告げる国際情勢   
    岩田愛之助グループの活動   
    大日本回教協会の発足   
    東印度共栄同志会の活動   
    佐藤信英の活動   

第4章 日本軍政をみつめて   
    第十六軍宣伝班員となる   
    インドネシアの好意的反応   
    軍政のホンネと市来の憤懣   
    『赤道報』と『うなばら』   
    市来とインドネシア語   
    二つの軍政観   
    市来と「スメラ」思想   
    大東亜会議とインドネシア   
    ジャワ郷土防衛義勇軍と市来   
    化物屋敷に住んで   
    随筆「おいしい食物」   
    「東印度」独立容認   
    義勇軍の反日運動   
    スカルノのパンチャ・ダルマ演説   
    運命の年   

第5章 アブドゥル・ラフマン・イチキの流転と帰結   
    〝敗戦〟と義勇軍解散  
    八月十五日以後の市来   
    インドネシア独立軍へ   
    同志・吉住留五郎死す   
    特別ゲリラ隊の誕生   
    アブドゥル・ラフマン・イチキの死   
    「命短かき桜花」   
    エピローグ   

市来竜夫、日本・インドネシア関係史等略年表   
あとがき   
第四版刊行にあたって

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